青柳さんは階段で ―契約セフレはクールな債権者に溺愛される―

クリオネ

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《第9章》 オデュッセウスの帰還

王子と妖精

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 彼は銀の指環がはまった薬指を感慨深げにまじまじと見つめている。やがて、手の甲にそっと唇を押しつけた。

 その仕草は、瞳子が今までに舞台で観てきた数々の王子のように、ヒロインへの愛しさと渇望が溢れだしていて。

 ――わ……。飛豪さん、悪魔ロットバルトじゃなくて、本当はちゃんと王子だった‼ やればできる人!

 どぎまぎしていると、その視線に気づいた彼は今度は映画に出てくる悪役のようにニッと笑った。

「妖精さん、どうしたの? なに考えてたの?」

「別に……何でもないです」

「まぁいいや。キスさせて」

 言葉の軽さとは裏腹に、頬に伸びてきた手つきも、こちらに注がれる視線も、どれも真剣そのものだった。

 もう二度と彼女を傷つけないように、壊さないように。痛いほど気持ちが伝わってくる。

 彼の手のひらが顔に添えられたとき、瞳子はまぶたを閉じた。ほどなくして、ゆっくりと温かい口唇がかさねられる。

 とても優しいキスだった。

 時折髪をさらさらと撫ぜながら、飛豪は彼女の唇を余すところなく味わうように角度を変えてゆく。その度に口づけが深くなり、そろりと彼の舌が遠慮がちに割りいってきた。

 瞳子もひそやかに応える。緊張と昂奮で幾度も喉がなり、互いに探りあう舌のなめらかな感触に陶然としてしまう。

 キスだけで胸がいっぱいだった。

 幸せなのに、苦しくて切ない。どうしてこんな気持ちになるのか分からない。鼓動が鳴りやまない。

 甘やかな余韻をのこして彼が離れていこうとしたとき、瞳子は自分の顔に添えられていた大きな手のひらに唇でふれた。内側の膨らみをなぞっていき、指のつけねや関節を唇だけで軽くはんだり、鼻先を押しつけてみる。

 ――あぁ、この手にやっと届いた。もういいんだ。自分から近寄っても。

 やがて、されるがままになりながらもこちらをじっと見つめていた飛豪の視線に気づくと、瞳子はぴたりと動きをとめた。

「……ごめんなさい」

「いいよ。もっとして」

「えっ……」

「もう俺に触ってくれないの?」

 彼が悪戯っぽく笑いながら、哀れみを乞うようなおどけた様子で続きを求めてくる。それでも躊躇っていると、「お願い」と言って指先で彼女の唇をなぞった。

 指先だけなのに、意味深なきわどいタッチが瞳子の腰のあたりをざわざわと落ちつかなくさせる。最後に飛豪は、人差し指と中指で彼女の唇をはさんで、際どい視線でこちらの眼の奥をのぞきこんできた。

 その滴るような色気ときたら。

 今の彼は、なにか開き直ったかのように惜しみなく誘いかけていた。成熟した雄の色香がなまめかしくて、そして、あてられそうな熱気が発散されていた。

 官能をひとたまりもなく刺激されて、瞳子はその目線だけで呼吸がとまりそうになった。体の奥、蜜の源泉が疼いて、彼の来訪を待ちわびている。全身が予感におののいていた。

 引き寄せられるように、彼の膝のうえに乗っていた。大きな肩に腕をまわして、ぎゅっと強く抱きしめる。

「飛豪さん、好き。わたしも好き……」

 いつも彼がしてくれるように、目蓋や頬、こめかみ、鼻のてっぺん、唇にキスをしていく。不器用そのもののぎこちなさだ。最後に首筋に舌をはわせると、飛豪は眉根をよせ、なにかを堪えるように一つ呻き声をあげた。

 くすくすと瞳子が笑ってかぷりと甘噛みしてみせると、「おい」とすぐさま抗議の声が飛んでくる。

「仕返し」

「くっそ……。覚えてろよ」

 これからは彼が弱いところをどんどん探していこう。

 自分だけのタスクリストに書き残して、彼の髪を撫ぜた。飛豪は、焦れた心をなだめるように息を一つついた。

「俺、もうベッド行きたいんだけど」

「いいですよ。連れてって飛豪さん」

「了解、妖精さん」

  彼に「妖精さん」と呼ばれるのは、いつもちょっと恥ずかしい。だけど、そう言ってくる時の彼が切ないまでに愛しげな顔を向けてくれるのは、甘やかで、時に叫びだしたくなるくらいの歓喜をおぼえる。

 ようやくの合意がとれた二人は、もう一度深く抱擁して、溶けだしそうになっている熱をやりとりした。

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