129 / 192
《第8章》 叛逆のデスデモーナ
終末へのカウントダウン
しおりを挟む
丸ビルを出て、まっすぐに最寄りのタクシー乗り場に向かう。
目まぐるしい状況であっても、瞳子はなんとか彼に付いてきていた。「お帰りなさい。あと、ごめんなさい。帰国するなりこんなことになって」と謝罪し、隣で興味津々で目を輝かせている高瀬には、控えめに会釈をしてみせた。
「後で話そう。家で待っててくれないか」
彼女を車のなかに押しこんで運転手に万札を握らせ、「神楽坂までお願いします」と言う。タクシーが発車すると、ようやく人心地ついた。
背後でピュウッと高い口笛が鳴る。高瀬だ。もうオフィスに戻るだけなので、二人で有楽町方面へと歩きはじめた。
「フェイ、珍しいことしたね? キャラじゃないじゃん。大体あのイケメン俳優みたいなの、誰だよ?」
「バレリーナ時代の、あいつの元カレ」
事情を話したくはなかったが、付きあわせてしまったのであらましを説明すると、高瀬はハハハッと乾いた笑い声をあげた。
「災難だね。あのイケメン、俳優じゃなくてダンサーだったんだ、道理で。青柳ちゃんと並んでて、すごくしっくり見えた」
「それ、どっちに対して『災難』って言ったんだよ。どう見ても可哀そうなの俺だろ」
苦労つづきの出張帰りにあんなもの見せつけられて、と飛豪がボヤくと、高瀬は「どっちもいい勝負だよ」と答えた。
「だってあの二人、お別れの一番いい時フェイ君に邪魔されてんじゃん。マンUの職人ディフェンダーみたいな切れのある動きして割って入ってたし」
「その喩えエグイな」
「しかも、不貞現場おさえたオセローそのもののセリフ、スペイン語で言ってただろ。今夜ベッドでデスデモーナに泣きつかれるんじゃない? 『ムーア様、命だけは助けて』って。……それともあっちか、あの男の子がロミオなら、物語上フェイ君はパリスだよねー。どうすんの? ジュリエットとられちゃうよ?」
『オセロー』と『ロミオとジュリエット』、シェイクスピアの有名どころを参照しながら高瀬が野次ってくる。知識も教養もある人間は、こういうところが鬱陶しい。
「お前さ、そろそろ気遣いって能力、身につけてくれない?」
「でも、ここで僕が慰めてきたら、それはそれで不満だろ」
飛豪はグッと詰まった。
親身になって慰める、なんて機能が高瀬についているのかさえ疑わしいが、それが発動されるのはぞっとしない事態である。
午後の数時間、新富町のオフィスでフライトのあいだに溜めていたメール返信と、翌日以降の最低限の段取りをつけると、彼はオフィスを出た。彼女からは、自宅に到着したタイミングで「夕飯つくって待ってるから」とだけメッセージが届いていた。
今日の一幕は悪い偶然によるものだ。
タクシーから飛豪を見上げた瞳子の表情に動揺や罪悪感はありありと表れていた。嘘の気配はなかった。
なのに、楔が打ちこまれたかと思うほど間断なく心臓が痛み、流血していた。あるいは、炎天下の砂漠で両手両足を拘束され、死を待つ拷問を受けているような気分とでも言おうか。
サーシャと瞳子が抱きあう場面を目にしてしまったあの瞬間、自分の最奥で開かれるべきではない扉が開けはなされ、終末へのカウントダウンが無理やりに始まってしまった気がした。カチコチカチコチと、不気味な秒針の音が耳の奥で鳴り響いている。
最後の瞬間になにが起こるのか、その時が何日後なのか、数分後なのかさえ、飛豪はまだ知らない。
いずれにしろ最悪の気分で、二週間ぶりの自宅に辿りついた。
目まぐるしい状況であっても、瞳子はなんとか彼に付いてきていた。「お帰りなさい。あと、ごめんなさい。帰国するなりこんなことになって」と謝罪し、隣で興味津々で目を輝かせている高瀬には、控えめに会釈をしてみせた。
「後で話そう。家で待っててくれないか」
彼女を車のなかに押しこんで運転手に万札を握らせ、「神楽坂までお願いします」と言う。タクシーが発車すると、ようやく人心地ついた。
背後でピュウッと高い口笛が鳴る。高瀬だ。もうオフィスに戻るだけなので、二人で有楽町方面へと歩きはじめた。
「フェイ、珍しいことしたね? キャラじゃないじゃん。大体あのイケメン俳優みたいなの、誰だよ?」
「バレリーナ時代の、あいつの元カレ」
事情を話したくはなかったが、付きあわせてしまったのであらましを説明すると、高瀬はハハハッと乾いた笑い声をあげた。
「災難だね。あのイケメン、俳優じゃなくてダンサーだったんだ、道理で。青柳ちゃんと並んでて、すごくしっくり見えた」
「それ、どっちに対して『災難』って言ったんだよ。どう見ても可哀そうなの俺だろ」
苦労つづきの出張帰りにあんなもの見せつけられて、と飛豪がボヤくと、高瀬は「どっちもいい勝負だよ」と答えた。
「だってあの二人、お別れの一番いい時フェイ君に邪魔されてんじゃん。マンUの職人ディフェンダーみたいな切れのある動きして割って入ってたし」
「その喩えエグイな」
「しかも、不貞現場おさえたオセローそのもののセリフ、スペイン語で言ってただろ。今夜ベッドでデスデモーナに泣きつかれるんじゃない? 『ムーア様、命だけは助けて』って。……それともあっちか、あの男の子がロミオなら、物語上フェイ君はパリスだよねー。どうすんの? ジュリエットとられちゃうよ?」
『オセロー』と『ロミオとジュリエット』、シェイクスピアの有名どころを参照しながら高瀬が野次ってくる。知識も教養もある人間は、こういうところが鬱陶しい。
「お前さ、そろそろ気遣いって能力、身につけてくれない?」
「でも、ここで僕が慰めてきたら、それはそれで不満だろ」
飛豪はグッと詰まった。
親身になって慰める、なんて機能が高瀬についているのかさえ疑わしいが、それが発動されるのはぞっとしない事態である。
午後の数時間、新富町のオフィスでフライトのあいだに溜めていたメール返信と、翌日以降の最低限の段取りをつけると、彼はオフィスを出た。彼女からは、自宅に到着したタイミングで「夕飯つくって待ってるから」とだけメッセージが届いていた。
今日の一幕は悪い偶然によるものだ。
タクシーから飛豪を見上げた瞳子の表情に動揺や罪悪感はありありと表れていた。嘘の気配はなかった。
なのに、楔が打ちこまれたかと思うほど間断なく心臓が痛み、流血していた。あるいは、炎天下の砂漠で両手両足を拘束され、死を待つ拷問を受けているような気分とでも言おうか。
サーシャと瞳子が抱きあう場面を目にしてしまったあの瞬間、自分の最奥で開かれるべきではない扉が開けはなされ、終末へのカウントダウンが無理やりに始まってしまった気がした。カチコチカチコチと、不気味な秒針の音が耳の奥で鳴り響いている。
最後の瞬間になにが起こるのか、その時が何日後なのか、数分後なのかさえ、飛豪はまだ知らない。
いずれにしろ最悪の気分で、二週間ぶりの自宅に辿りついた。
1
お気に入りに追加
80
あなたにおすすめの小説
隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される
永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】
「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。
しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――?
肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!
もつれた心、ほどいてあげる~カリスマ美容師御曹司の甘美な溺愛レッスン~
泉南佳那
恋愛
イケメンカリスマ美容師と内気で地味な書店員との、甘々溺愛ストーリーです!
どうぞお楽しみいただけますように。
〈あらすじ〉
加藤優紀は、現在、25歳の書店員。
東京の中心部ながら、昭和味たっぷりの裏町に位置する「高木書店」という名の本屋を、祖母とふたりで切り盛りしている。
彼女が高木書店で働きはじめたのは、3年ほど前から。
短大卒業後、不動産会社で営業事務をしていたが、同期の、親会社の重役令嬢からいじめに近い嫌がらせを受け、逃げるように会社を辞めた過去があった。
そのことは優紀の心に小さいながらも深い傷をつけた。
人付き合いを恐れるようになった優紀は、それ以来、つぶれかけの本屋で人の目につかない質素な生活に安んじていた。
一方、高木書店の目と鼻の先に、優紀の兄の幼なじみで、大企業の社長令息にしてカリスマ美容師の香坂玲伊が〈リインカネーション〉という総合ビューティーサロンを経営していた。
玲伊は優紀より4歳年上の29歳。
優紀も、兄とともに玲伊と一緒に遊んだ幼なじみであった。
店が近いこともあり、玲伊はしょっちゅう、優紀の本屋に顔を出していた。
子供のころから、かっこよくて優しかった玲伊は、優紀の初恋の人。
その気持ちは今もまったく変わっていなかったが、しがない書店員の自分が、カリスマ美容師にして御曹司の彼に釣り合うはずがないと、その恋心に蓋をしていた。
そんなある日、優紀は玲伊に「自分の店に来て」言われる。
優紀が〈リインカネーション〉を訪れると、人気のファッション誌『KALEN』の編集者が待っていた。
そして「シンデレラ・プロジェクト」のモデルをしてほしいと依頼される。
「シンデレラ・プロジェクト」とは、玲伊の店の1周年記念の企画で、〈リインカネーション〉のすべての施設を使い、2~3カ月でモデルの女性を美しく変身させ、それを雑誌の連載記事として掲載するというもの。
優紀は固辞したが、玲伊の熱心な誘いに負け、最終的に引き受けることとなる。
はじめての経験に戸惑いながらも、超一流の施術に心が満たされていく優紀。
そして、玲伊への恋心はいっそう募ってゆく。
玲伊はとても優しいが、それは親友の妹だから。
そんな切ない気持ちを抱えていた。
プロジェクトがはじまり、ひと月が過ぎた。
書店の仕事と〈リインカネーション〉の施術という二重生活に慣れてきた矢先、大問題が発生する。
突然、編集部に上層部から横やりが入り、優紀は「シンデレラ・プロジェクト」のモデルを下ろされることになった。
残念に思いながらも、やはり夢でしかなかったのだとあきらめる優紀だったが、そんなとき、玲伊から呼び出しを受けて……
【完結】maybe 恋の予感~イジワル上司の甘いご褒美~
蓮美ちま
恋愛
会社のなんでも屋さん。それが私の仕事。
なのに突然、企画部エースの補佐につくことになって……?!
アイドル顔負けのルックス
庶務課 蜂谷あすか(24)
×
社内人気NO.1のイケメンエリート
企画部エース 天野翔(31)
「会社のなんでも屋さんから、天野さん専属のなんでも屋さんってこと…?」
女子社員から妬まれるのは面倒。
イケメンには関わりたくないのに。
「お前は俺専属のなんでも屋だろ?」
イジワルで横柄な天野さんだけど、仕事は抜群に出来て人望もあって
人を思いやれる優しい人。
そんな彼に認められたいと思う反面、なかなか素直になれなくて…。
「私、…役に立ちました?」
それなら…もっと……。
「褒めて下さい」
もっともっと、彼に認められたい。
「もっと、褒めて下さ…っん!」
首の後ろを掬いあげられるように掴まれて
重ねた唇は煙草の匂いがした。
「なぁ。褒めて欲しい?」
それは甘いキスの誘惑…。
【完結】もう二度と離さない~元カレ御曹司は再会した彼女を溺愛したい
魚谷
恋愛
フリーライターをしている島原由季(しまばらゆき)は取材先の企業で、司馬彰(しばあきら)と再会を果たす。彰とは高校三年の時に付き合い、とある理由で別れていた。
久しぶりの再会に由季は胸の高鳴りを、そして彰は執着を見せ、二人は別れていた時間を取り戻すように少しずつ心と体を通わせていく…。
R18シーンには※をつけます
作家になろうでも連載しております
あなたと恋に落ちるまで~御曹司は、一途に私に恋をする~
けいこ
恋愛
カフェも併設されたオシャレなパン屋で働く私は、大好きなパンに囲まれて幸せな日々を送っていた。
ただ…
トラウマを抱え、恋愛が上手く出来ない私。
誰かを好きになりたいのに傷つくのが怖いって言う恋愛こじらせ女子。
いや…もう女子と言える年齢ではない。
キラキラドキドキした恋愛はしたい…
結婚もしなきゃいけないと…思ってはいる25歳。
最近、パン屋に来てくれるようになったスーツ姿のイケメン過ぎる男性。
彼が百貨店などを幅広く経営する榊グループの社長で御曹司とわかり、店のみんなが騒ぎ出して…
そんな人が、
『「杏」のパンを、時々会社に配達してもらいたい』
だなんて、私を指名してくれて…
そして…
スーパーで買ったイチゴを落としてしまったバカな私を、必死に走って追いかけ、届けてくれた20歳の可愛い系イケメン君には、
『今度、一緒にテーマパーク行って下さい。この…メロンパンと塩パンとカフェオレのお礼したいから』
って、誘われた…
いったい私に何が起こっているの?
パン屋に出入りする同年齢の爽やかイケメン、パン屋の明るい美人店長、バイトの可愛い女の子…
たくさんの個性溢れる人々に関わる中で、私の平凡過ぎる毎日が変わっていくのがわかる。
誰かを思いっきり好きになって…
甘えてみても…いいですか?
※after story別作品で公開中(同じタイトル)
クールな御曹司の溺愛ペットになりました
あさの紅茶
恋愛
旧題:クールな御曹司の溺愛ペット
やばい、やばい、やばい。
非常にやばい。
片山千咲(22)
大学を卒業後、未だ就職決まらず。
「もー、夏菜の会社で雇ってよぉ」
親友の夏菜に泣きつくも、呆れられるばかり。
なのに……。
「就職先が決まらないらしいな。だったら俺の手伝いをしないか?」
塚本一成(27)
夏菜のお兄さんからのまさかの打診。
高校生の時、一成さんに告白して玉砕している私。
いや、それはちょっと……と遠慮していたんだけど、親からのプレッシャーに負けて働くことに。
とっくに気持ちの整理はできているはずだったのに、一成さんの大人の魅力にあてられてドキドキが止まらない……。
**********
このお話は他のサイトにも掲載しています
黒王子の溺愛は続く
如月 そら
恋愛
晴れて婚約した美桜と柾樹のラブラブ生活とは……?
※こちらの作品は『黒王子の溺愛』の続きとなります。お読みになっていない方は先に『黒王子の溺愛』をお読み頂いた方が、よりお楽しみ頂けるかと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる