青柳さんは階段で ―契約セフレはクールな債権者に溺愛される―

クリオネ

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《第6章》 台湾・林森北路のサロメ

戦慄のティーパーティー4

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 勧められた菓子皿を前に、手を伸ばしていいものかと彼女は躊躇していた。

「瞳子、毒は入ってないから安心していい」

 言いながら飛豪が一つ食べてみせると、美芳メイファンは「失礼ね。身内にそんなことしないわ」と憤慨ふんがいした。

「身内以外にならあるんだろ」

「さぁ、いずれにしろ昔のことだから、忘れたわ」

 叔母が「今ならもっと簡単なやり方を選ぶわ」と小さく言い足した途端、皿に触れかかっていた彼女の手がさっと引っこんだ。

 飛豪が「半分は冗談だからな」と言っても、瞳子はぱちぱちと目を瞬かせて、二人を見比べている。野生の小動物そのものの警戒心だ。神楽坂に移ってきたばかりの時期が思いだされた。

 人の気配に敏感で、敏捷。大雑把なくせに神経質。

 彼女は夜にリビングでくつろいでいても、飛豪が帰宅して玄関ドアの鍵音をさせるなり、さっと自室に撤退する。

 直前までいたであろうことは、シャンプーやボディーソープの残り香や、つけっぱなしの電気ですぐに分かる。それだけではない。彼の機嫌や声のトーンも慎重に窺っていた。心のなかではいつでも、逃げだせる準備をしているようだった。

 始まりの二週間は常にそんな様子だった。フレンチに誘って無理やり距離をつめたものの、彼女が飛豪のいるリビングでも過ごすようになったのは、梅雨の終わりの頃からだった。インターン選考書類のためのブレストを、彼が手伝ったのがきっかけだった。

 最近の休日の午後は、一緒に買い出しや散歩にでたり、スポーツ中継を観て、二人してソファでうとうとしたりする。互いに相手の存在が、やっと馴染んできていた。

 しかし今の彼女は、いかにも臨戦態勢という尖った気配を発散させている。全員の言葉がなんとなく途切れた、その直後。瞳子が思いついたように口をひらいた。

「……わたしも、折角なので訊いてみたいことがあって」

「どうぞ」

 緋色にぬった爪でチョコレートの包装紙をむく手をとめ、美芳は嫣然えんぜんとしてみせた。

「美芳さんがサロメって呼ばれていたのには、なにか理由があるんですか?」

 思いがけない質問に、飛豪も美芳もぎょっとして息をのんだ。

「ねぇ、誰から教えてもらったの、そんな古い話?」

 瞳子はしばし逡巡したが、結局、出所をあかさなかった。

「陰でコソコソ事情を嗅ぎまわるより、ご本人にきいた方が失礼でないと思いました」

「高瀬でしょ」

「高瀬だな」

 断定にみちた二人の声がかさなる。高瀬以外では藤原や室岡も知った話だが、彼らなら最後まで教えるだろう。

「あの子、そろそろ躾にムチをつかったほうが良いかしら?」

「むしろ喜ぶんじゃないか?」

 美芳は大袈裟に息を一つつくと、「いいわ。正面からきた勇気に敬意を表して教えてあげる」と気だるげに言った。やはり雙星牡丹の刺繍がはいった椅子の背もたれに、深くもたれかかる。

「あなたが八田の下っ端にやったことと同じよ。まだ若かったころ、自分を裏切った夫の首筋を斬りつけたの。乳飲み子を抱えてるのに浮気した、ろくでもない男だったから。でも残念ながら、彼は死ななかった。……当たり前だけど離婚になったわ。殺そうとした相手が名家の出だったから、それなりの醜聞になって、しまいには実家からも追放された。
 だからしばらく、林森北路リンセンペイルーの飲み屋でホステスをしてたの。それでも台湾は居心地が悪かったし、嫌気がさしたから、兄が――そこの飛豪フェイハオの父親――が暮らしていた日本に行って。そう……日本はなにもかもが目新しくて、居ついちゃったのよね。なのに、好きだった男の首をかき切った話だけがいつまでも残ってて、本家の集まりに行くと、今も時々サロメって呼ばれる」

 その不吉な愛称を憎んでもいるようだし、懐かしんでもいるような口調で彼女は語った。
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