上 下
49 / 192
《第4章》 雨と風と東京駅

青のワンピ、黒のワンピ

しおりを挟む
 一九時直前に丸ビル前で車をおりると、ジャケットを羽織った飛豪がすでに立っていた。

 遠目に見る彼は薄暗がりでも、身長、骨格、シルエットのすべてにおいて普通の勤め人と異なっていた。厚みのある肩幅や体の輪郭線の硬質さが群をぬいていて、強靭さとシャープな野生が匂いたっている。

 黒のシャツにダークカラーのパンツで、ソフトな色調の麻のグレージャケット。エキゾチックな濃い色あいの肌。日本では、彼が非常に目立った存在なのはよく分かる。その彼がヒールの靴音を響かせて歩み寄ってくる彼女に気づいた瞬間、嫌なものを見たかのように顔をこわばらせた。

「……よりによって、なんでその服?」

 心外である。瞳子の手持ちのなかで、唯一のオシャレ仕様の、青いレースのワンピースだった。

 ちなみに、麻布の夜に着ていた服でもある。クラッチバックも銀の八センチヒールも、全く同じ組み合わせだった。それ以外のよそ行き服など、大学の入学式で着たスーツ以外に持ってない。

 ローザンヌのコンクールで賞をとったとき、ガラ・パーティーで来たシェルピンクのドレスも残っていることには残っていたのだが、身長が伸びたのと、あの頃から顔つきが変わってしまったのとで似合わなかったのだ。

 飛豪が小さくため息をついたあと、申し訳なさそうに口をひらいた。

「俺の勝手で悪いんだけどさ……その服見ると、あの夜を思いだして、自分が買春してる汚れたエロ親父みたいな気分になる」

「え……半分以上事実じゃない」

 瞳子が何の気なしに返答すると、彼はイヤミくさく笑って彼女の頬を指でつまんだ。そのまま力をこめてギギギとひねりあげる。

「い、いひゃい……」

「そういう所が君の悪いトコロ。お前時々、日本人的情緒欠けてるよな」

 彼は、瞳子の頬の手をパッと放す。彼女がむくれると、横髪を一筋さらりとすくってみせた。

「予約一時間遅らせるから、まず服買いにいこう。今日はそれじゃない服を着てるとこが見たい」

「……そこまでしてもらうの悪いです」

「じゃ、こう思ってくれればいい。今日の食事も瞳子の服装も、完全に付き合わせてる俺のエゴ。買春してる汚れたオッサンらしく財布はすべて俺だから」

「なんか、含みのある言い方ですね……」

 苦々しくも楽しげな飛豪に、瞳子はしぶしぶ従うことにした。

「どこか好きなブランドある?」と訊かれても、首を振るしかない。

 なにせこの数年間、服など数えるほどしか買っていない。時たま吉祥寺のファストファッションストアに行って、試着であれこれ取っかえ引っかえするのが数少ないストレス発散だった。

「とりあえずココかな」

 東京駅の丸の内側は、銀行の本店ビルや威容をほこる高層ビルが林々と立ちならんでいる。いかめしい区画をぬけて彼に連れてこられたのは、丸の内仲通りにたたずむヨーロッパ系高級ブティックの路面店だった。

 ――有楽町まで行けば、桁がもう一つ小さいショップなんていくらでもあるのに!

 瞳子は動揺しつつも、それを表情に出さずに一緒に店内に入っていく。意識せずとも、慣れきった落ちつきはらった雰囲気を身にまとうことができた。

「レストランに遅れるって電話してくるから、服決めてきて」

 彼女がレディースファッションのエリアを一巡したところで、飛豪は出口にむかっていった。すると、二人の様子をうかがっていた接客スタッフの女性が、「お手伝いしましょうか」とにこやかに近寄ってくる。

 瞳子が選んだのは、ミモレ丈の黒のシフォンワンピースだった。

 シンプルでクラシックな型にしたのは、今後の着まわしも考えてだ。共布でつくられたウェストマークの太めのベルトがレースやベロアの異素材もミックスしていて、独特のニュアンスを出しているのが気にいった。

 ワンピースが半袖なので、五月のこの季節ではまだ夜が冷える。目についた、紫陽花色のサマーカーディガンをあわせて羽織ることにした。かぎ針で編んだ精緻な透かし模様が、心をときめかせてくれる。

 服を決め、着がえを終えたところで試着室から所在なげに首だけだすと、アテンドしてくれていた女性店員が「お連れ様に声かけてきますね」と消えていった。

 ――いいのかな。調子に乗ってカーデまで付けちゃった。これも後で返済にのるのかな。お金の話、やっぱり最初にした方がいいんじゃないかな。

 値札を見てのドキドキが止まらない。しばらくして、二階のメンズフロアから飛豪が下りててきた。前を歩いている店員よりも頭一つ分以上、背が高い。

 ――わたし、あの人と並んで歩いて、周りからどう思われてるんだろう。

 彼が階段の踊り場にさしかかったところで、目があった。彼は口の端をちょっとだけ上げて、微笑をかえしてくれる。予想もしていなかったキラースマイルに、瞳子はさっと顔をそむけた。

「スタイルといい、お色味といい、よくお似合いです」と戻ってきた店員が褒めると、飛豪は、「いいじゃん。そんな可愛いと、外歩かせたくないな」と、屈託なく感想を口にした。

「……ッ‼」

 瞬間的に、瞳子と女性店員が二人そろってボッと赤く染まる。

 ……恥ずかしい。こんな歯の浮くようなセリフ、普通の日本人男性の口からは絶対にさらりと出てこない。中高が南米育ちと言っていたので、女性を褒めるのに堂にはいっている。

 瞳子と店員の反応に、むしろ飛豪のほうがポカンとして訝しげだった。

「え……なんか俺、変なこと言った?」

 ――自覚ないのか、この人は! これだからラテン系は。

 彼女が物言いたげに目をむくと、彼は戸惑ったように肩をすくめた。
しおりを挟む
感想 19

あなたにおすすめの小説

隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される

永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】 「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。 しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――? 肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!

狂愛的ロマンス〜孤高の若頭の狂気めいた執着愛〜

羽村美海
恋愛
 古式ゆかしき華道の家元のお嬢様である美桜は、ある事情から、家をもりたてる駒となれるよう厳しく育てられてきた。  とうとうその日を迎え、見合いのため格式高い高級料亭の一室に赴いていた美桜は貞操の危機に見舞われる。  そこに現れた男により救われた美桜だったが、それがきっかけで思いがけない展開にーー  住む世界が違い、交わることのなかったはずの尊の不器用な優しさに触れ惹かれていく美桜の行き着く先は……? ✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦ ✧天澤美桜•20歳✧ 古式ゆかしき華道の家元の世間知らずな鳥籠のお嬢様 ✧九條 尊•30歳✧ 誰もが知るIT企業の経営者だが、実は裏社会の皇帝として畏れられている日本最大の極道組織泣く子も黙る極心会の若頭 ✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦ *西雲ササメ様より素敵な表紙をご提供頂きました✨ ※TL小説です。設定上強引な展開もあるので閲覧にはご注意ください。 ※設定や登場する人物、団体、グループの名称等全てフィクションです。 ※随時概要含め本文の改稿や修正等をしています。 ✧ ✧連載期間22.4.29〜22.7.7 ✧ ✧22.3.14 エブリスタ様にて先行公開✧ 【第15回らぶドロップス恋愛小説コンテスト一次選考通過作品です。コンテストの結果が出たので再公開しました。※エブリスタ様限定でヤス視点のSS公開中】

もつれた心、ほどいてあげる~カリスマ美容師御曹司の甘美な溺愛レッスン~

泉南佳那
恋愛
 イケメンカリスマ美容師と内気で地味な書店員との、甘々溺愛ストーリーです!  どうぞお楽しみいただけますように。 〈あらすじ〉  加藤優紀は、現在、25歳の書店員。  東京の中心部ながら、昭和味たっぷりの裏町に位置する「高木書店」という名の本屋を、祖母とふたりで切り盛りしている。  彼女が高木書店で働きはじめたのは、3年ほど前から。  短大卒業後、不動産会社で営業事務をしていたが、同期の、親会社の重役令嬢からいじめに近い嫌がらせを受け、逃げるように会社を辞めた過去があった。  そのことは優紀の心に小さいながらも深い傷をつけた。  人付き合いを恐れるようになった優紀は、それ以来、つぶれかけの本屋で人の目につかない質素な生活に安んじていた。  一方、高木書店の目と鼻の先に、優紀の兄の幼なじみで、大企業の社長令息にしてカリスマ美容師の香坂玲伊が〈リインカネーション〉という総合ビューティーサロンを経営していた。  玲伊は優紀より4歳年上の29歳。  優紀も、兄とともに玲伊と一緒に遊んだ幼なじみであった。  店が近いこともあり、玲伊はしょっちゅう、優紀の本屋に顔を出していた。    子供のころから、かっこよくて優しかった玲伊は、優紀の初恋の人。  その気持ちは今もまったく変わっていなかったが、しがない書店員の自分が、カリスマ美容師にして御曹司の彼に釣り合うはずがないと、その恋心に蓋をしていた。  そんなある日、優紀は玲伊に「自分の店に来て」言われる。  優紀が〈リインカネーション〉を訪れると、人気のファッション誌『KALEN』の編集者が待っていた。  そして「シンデレラ・プロジェクト」のモデルをしてほしいと依頼される。 「シンデレラ・プロジェクト」とは、玲伊の店の1周年記念の企画で、〈リインカネーション〉のすべての施設を使い、2~3カ月でモデルの女性を美しく変身させ、それを雑誌の連載記事として掲載するというもの。  優紀は固辞したが、玲伊の熱心な誘いに負け、最終的に引き受けることとなる。  はじめての経験に戸惑いながらも、超一流の施術に心が満たされていく優紀。  そして、玲伊への恋心はいっそう募ってゆく。  玲伊はとても優しいが、それは親友の妹だから。  そんな切ない気持ちを抱えていた。  プロジェクトがはじまり、ひと月が過ぎた。  書店の仕事と〈リインカネーション〉の施術という二重生活に慣れてきた矢先、大問題が発生する。  突然、編集部に上層部から横やりが入り、優紀は「シンデレラ・プロジェクト」のモデルを下ろされることになった。  残念に思いながらも、やはり夢でしかなかったのだとあきらめる優紀だったが、そんなとき、玲伊から呼び出しを受けて……

【完結】maybe 恋の予感~イジワル上司の甘いご褒美~

蓮美ちま
恋愛
会社のなんでも屋さん。それが私の仕事。 なのに突然、企画部エースの補佐につくことになって……?! アイドル顔負けのルックス 庶務課 蜂谷あすか(24) × 社内人気NO.1のイケメンエリート 企画部エース 天野翔(31) 「会社のなんでも屋さんから、天野さん専属のなんでも屋さんってこと…?」 女子社員から妬まれるのは面倒。 イケメンには関わりたくないのに。 「お前は俺専属のなんでも屋だろ?」 イジワルで横柄な天野さんだけど、仕事は抜群に出来て人望もあって 人を思いやれる優しい人。 そんな彼に認められたいと思う反面、なかなか素直になれなくて…。 「私、…役に立ちました?」 それなら…もっと……。 「褒めて下さい」 もっともっと、彼に認められたい。 「もっと、褒めて下さ…っん!」 首の後ろを掬いあげられるように掴まれて 重ねた唇は煙草の匂いがした。 「なぁ。褒めて欲しい?」 それは甘いキスの誘惑…。

【完結】もう二度と離さない~元カレ御曹司は再会した彼女を溺愛したい

魚谷
恋愛
フリーライターをしている島原由季(しまばらゆき)は取材先の企業で、司馬彰(しばあきら)と再会を果たす。彰とは高校三年の時に付き合い、とある理由で別れていた。 久しぶりの再会に由季は胸の高鳴りを、そして彰は執着を見せ、二人は別れていた時間を取り戻すように少しずつ心と体を通わせていく…。 R18シーンには※をつけます 作家になろうでも連載しております

あなたと恋に落ちるまで~御曹司は、一途に私に恋をする~

けいこ
恋愛
カフェも併設されたオシャレなパン屋で働く私は、大好きなパンに囲まれて幸せな日々を送っていた。 ただ… トラウマを抱え、恋愛が上手く出来ない私。 誰かを好きになりたいのに傷つくのが怖いって言う恋愛こじらせ女子。 いや…もう女子と言える年齢ではない。 キラキラドキドキした恋愛はしたい… 結婚もしなきゃいけないと…思ってはいる25歳。 最近、パン屋に来てくれるようになったスーツ姿のイケメン過ぎる男性。 彼が百貨店などを幅広く経営する榊グループの社長で御曹司とわかり、店のみんなが騒ぎ出して… そんな人が、 『「杏」のパンを、時々会社に配達してもらいたい』 だなんて、私を指名してくれて… そして… スーパーで買ったイチゴを落としてしまったバカな私を、必死に走って追いかけ、届けてくれた20歳の可愛い系イケメン君には、 『今度、一緒にテーマパーク行って下さい。この…メロンパンと塩パンとカフェオレのお礼したいから』 って、誘われた… いったい私に何が起こっているの? パン屋に出入りする同年齢の爽やかイケメン、パン屋の明るい美人店長、バイトの可愛い女の子… たくさんの個性溢れる人々に関わる中で、私の平凡過ぎる毎日が変わっていくのがわかる。 誰かを思いっきり好きになって… 甘えてみても…いいですか? ※after story別作品で公開中(同じタイトル)

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

クールな御曹司の溺愛ペットになりました

あさの紅茶
恋愛
旧題:クールな御曹司の溺愛ペット やばい、やばい、やばい。 非常にやばい。 片山千咲(22) 大学を卒業後、未だ就職決まらず。 「もー、夏菜の会社で雇ってよぉ」 親友の夏菜に泣きつくも、呆れられるばかり。 なのに……。 「就職先が決まらないらしいな。だったら俺の手伝いをしないか?」 塚本一成(27) 夏菜のお兄さんからのまさかの打診。 高校生の時、一成さんに告白して玉砕している私。 いや、それはちょっと……と遠慮していたんだけど、親からのプレッシャーに負けて働くことに。 とっくに気持ちの整理はできているはずだったのに、一成さんの大人の魅力にあてられてドキドキが止まらない……。 ********** このお話は他のサイトにも掲載しています

処理中です...