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《第1章》 午前二時のジゼル
事後の朝
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はっとして彼女は目を覚ました。いつの間にか意識消失していたらしい。
――時間、時間は? いま何時?
はっとして身を起こす。ともに夜を過ごした男よりも、今日夕方に自宅を訪ねてくる人間を最初に思いだした。
ぶ厚い生地のホテルのカーテンは、四月の朝の光を完璧に遮っていた。暗がりのなか、ベッドのヘッドボードでは《6:58》と緑のデジタル表示が光っていた。
隣のシャワールームから水音が聞こえる。飛豪はシャワーを浴びているのだろう。
――この隙に……いや、それはダメ。人として、ダメ。
彼のいないあいだに逃げだそうかと一瞬思った自分を、瞳子は叱った。
全裸ではあったが、体にはシーツと毛布が巻きつけられている。
自分で身づくろいした記憶がないということは、彼がかけてくれたということだ。ベッドでの扱いは……まぁ酷かったが、殴られたわけでも外傷や出血ができるほどのものではなかった。正直に言えば、ギリギリ許容範囲といったところだ。これ以上エスカレートされたら困るけれど。
眠りたりない頭を振りながら、腕や腹部、腰や足をチェックしはじめる。青痣なんかが残っていたときには、クレームを入れていいのだろうか。
しかしどうやっても自分の胸元や首筋が見えない。よろよろとベッドから這いだし、ライティングデスクの上に鎮座している、大きな化粧鏡の前に瞳子は立った。
――胸元の真っ赤な咬み痕。……でも、首には何も残ってない。良かった。流石にこれからの季節、タートルネックは着れないし。
ふうっと一息つく。さて次は。
――下着、下着はどこ。
あられもない姿で床に手をのばした時、バスルームの扉がひらいて飛豪が出てきた。
「きゃあッ」
彼女は慌ててベッドへと舞いもどった。シーツの中にダイブする。その背中に追い打ちをかけるように、爆笑がはじけた。
「っは。ハハハッ! 見事なジャンプだったな」
――あ、戻った。
瞬間的に瞳子は感じとった。昨晩、彼女を抱きつぶしている男の人格はまるで冥界の王や、白鳥の湖にでてくる悪魔みたいだった。でも今は、ちゃんと人間に戻っている。
「……ノックぐらいしてから出てきてくださいよ」
「なにそれ、浴室から出るのにノックしろってこと?」
「そうです」
「面白いな」
クックッと喉奥だけで笑っている彼は、上半身は裸だったものの下のスラックスは履いている。一応、起きているかもしれない彼女に気遣いをみせたのだろう。
しかし瞳子は、事後の会話を楽しんでいる余裕がなかった。毛布の下で、左膝の靱帯に手をやっていた。
――痛い。変なふうにひねって、着地した。ただでさえ今日は、ハイヒールで来てるのに。
ベッドに飛びこんだのが良くなかったのだ。普段は気をつけているのに、つい忘れてしまった。
「俺、九時半から仕事だから帰るけど、アオヤギさんは朝食ゆっくり食べてっていいよ。帰りも、ホテルの手配する車を使ってくれていい」
「いえ、わたしも一緒に出ます」
痛みだした左足をそっとさすりながら、彼女は応えた。
彼は厚手のドレープカーテンをさっと開いた。レースのカーテンごしに勢いのある白い朝陽が、どっと部屋になだれこむ。飛豪は光に手をかざして、まぶしげに目を細めた。
――陽ざしが似あう人だな。真夏の炎天下でも、太陽を自分の味方につけちゃうような人。
瞳子は思った。ワイシャツに袖だけ通してスマートフォンを操作している彼を盗み見する。そうしているうちに、さすり続けていた左足が落ちついてきたので、彼女もベッドから下りた。
あまりの気だるさにのろのろと服を身につけていると、急に詰め寄られて二の腕を掴まれた。
「おい、大丈夫か?」
「え?」
「顔色がすごく悪いから。……って、俺が無理させたんだけど」
「寝不足のとき、いつもこんな風ですから」彼女は低血圧のやつれた顔をむける。
「そう、ならいい」
心配はするけど、狎れあうつもりはない。そう言いたげな突き放した口調だった。
エレベーターでロビーへと下りるとき、二人は無言だった。最後にホテル正面の車寄せで、電話番号の交換をした。次の約束については、なにも取り決めしなかった。
車寄せには一台しかタクシーがついてなかった。「いいよ。先どうぞ」と譲ってもらえたので、瞳子は恐縮しながら乗りこんだ。ドアが閉まる直前、彼女はちらと彼に目礼をした。
飛豪は薄く笑ってみせて、ひらひらと手を振って応じた。そうしている間に、次の車が来る。
タクシーの狭い後部座席に乗ると、彼はすぐに、彼女の名前と電話番号を貼りつけたテキストメッセージを、あるアドレスに送った。すぐに送り先からコールバックが来る。彼は淡々とした声で依頼をした。
「アオヤギトーコについての情報を、ありったけ調べてくれないか」
――時間、時間は? いま何時?
はっとして身を起こす。ともに夜を過ごした男よりも、今日夕方に自宅を訪ねてくる人間を最初に思いだした。
ぶ厚い生地のホテルのカーテンは、四月の朝の光を完璧に遮っていた。暗がりのなか、ベッドのヘッドボードでは《6:58》と緑のデジタル表示が光っていた。
隣のシャワールームから水音が聞こえる。飛豪はシャワーを浴びているのだろう。
――この隙に……いや、それはダメ。人として、ダメ。
彼のいないあいだに逃げだそうかと一瞬思った自分を、瞳子は叱った。
全裸ではあったが、体にはシーツと毛布が巻きつけられている。
自分で身づくろいした記憶がないということは、彼がかけてくれたということだ。ベッドでの扱いは……まぁ酷かったが、殴られたわけでも外傷や出血ができるほどのものではなかった。正直に言えば、ギリギリ許容範囲といったところだ。これ以上エスカレートされたら困るけれど。
眠りたりない頭を振りながら、腕や腹部、腰や足をチェックしはじめる。青痣なんかが残っていたときには、クレームを入れていいのだろうか。
しかしどうやっても自分の胸元や首筋が見えない。よろよろとベッドから這いだし、ライティングデスクの上に鎮座している、大きな化粧鏡の前に瞳子は立った。
――胸元の真っ赤な咬み痕。……でも、首には何も残ってない。良かった。流石にこれからの季節、タートルネックは着れないし。
ふうっと一息つく。さて次は。
――下着、下着はどこ。
あられもない姿で床に手をのばした時、バスルームの扉がひらいて飛豪が出てきた。
「きゃあッ」
彼女は慌ててベッドへと舞いもどった。シーツの中にダイブする。その背中に追い打ちをかけるように、爆笑がはじけた。
「っは。ハハハッ! 見事なジャンプだったな」
――あ、戻った。
瞬間的に瞳子は感じとった。昨晩、彼女を抱きつぶしている男の人格はまるで冥界の王や、白鳥の湖にでてくる悪魔みたいだった。でも今は、ちゃんと人間に戻っている。
「……ノックぐらいしてから出てきてくださいよ」
「なにそれ、浴室から出るのにノックしろってこと?」
「そうです」
「面白いな」
クックッと喉奥だけで笑っている彼は、上半身は裸だったものの下のスラックスは履いている。一応、起きているかもしれない彼女に気遣いをみせたのだろう。
しかし瞳子は、事後の会話を楽しんでいる余裕がなかった。毛布の下で、左膝の靱帯に手をやっていた。
――痛い。変なふうにひねって、着地した。ただでさえ今日は、ハイヒールで来てるのに。
ベッドに飛びこんだのが良くなかったのだ。普段は気をつけているのに、つい忘れてしまった。
「俺、九時半から仕事だから帰るけど、アオヤギさんは朝食ゆっくり食べてっていいよ。帰りも、ホテルの手配する車を使ってくれていい」
「いえ、わたしも一緒に出ます」
痛みだした左足をそっとさすりながら、彼女は応えた。
彼は厚手のドレープカーテンをさっと開いた。レースのカーテンごしに勢いのある白い朝陽が、どっと部屋になだれこむ。飛豪は光に手をかざして、まぶしげに目を細めた。
――陽ざしが似あう人だな。真夏の炎天下でも、太陽を自分の味方につけちゃうような人。
瞳子は思った。ワイシャツに袖だけ通してスマートフォンを操作している彼を盗み見する。そうしているうちに、さすり続けていた左足が落ちついてきたので、彼女もベッドから下りた。
あまりの気だるさにのろのろと服を身につけていると、急に詰め寄られて二の腕を掴まれた。
「おい、大丈夫か?」
「え?」
「顔色がすごく悪いから。……って、俺が無理させたんだけど」
「寝不足のとき、いつもこんな風ですから」彼女は低血圧のやつれた顔をむける。
「そう、ならいい」
心配はするけど、狎れあうつもりはない。そう言いたげな突き放した口調だった。
エレベーターでロビーへと下りるとき、二人は無言だった。最後にホテル正面の車寄せで、電話番号の交換をした。次の約束については、なにも取り決めしなかった。
車寄せには一台しかタクシーがついてなかった。「いいよ。先どうぞ」と譲ってもらえたので、瞳子は恐縮しながら乗りこんだ。ドアが閉まる直前、彼女はちらと彼に目礼をした。
飛豪は薄く笑ってみせて、ひらひらと手を振って応じた。そうしている間に、次の車が来る。
タクシーの狭い後部座席に乗ると、彼はすぐに、彼女の名前と電話番号を貼りつけたテキストメッセージを、あるアドレスに送った。すぐに送り先からコールバックが来る。彼は淡々とした声で依頼をした。
「アオヤギトーコについての情報を、ありったけ調べてくれないか」
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