青柳さんは階段で ―契約セフレはクールな債権者に溺愛される―

クリオネ

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《第1章》 午前二時のジゼル

階段のふたり1

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 ――えっと……どうしよう。あの二人からは助かったけど、この人もなんか怖い……。

 瞳子は、目の前に立ちふさがっている眼鏡の男を見上げていた。

 灯りを背にした彼が前にいるので、瞳子は男の影にすっぽり覆われていることになる。なによりも、黒スーツ黒ネクタイの威圧感がすごい。彼がイライラした様子なのは、彼女にも伝わってきていた。

 身長一六〇センチ、スレンダー体型の瞳子からすると大男で、サッカー選手かアメフト選手のように肉厚で筋肉質な体格である。スーツごしでも、彼の二の腕が瞳子の二倍ほどあるのは見てとれた。

 それに、顔立ちがエキゾチックだ。

 アジア系がベースなのは分かるが、日本人からはかけ離れた浅黒い肌で目鼻立ちのパーツの彫りが深く、陰影がある。明るいか暗いかで言うなら、明るい性格をしていそうな雰囲気。年齢は容姿のせいで分かりにくく、とにかく自分より一〇歳くらい年上、三〇代であるとしか言いようがない。


 二人は、エレベーターホールを抜けてさらに奥まった場所にある階段の踊り場で向かいあっていた。

 パーティールームを出てすぐの廊下ではなく、人目につきにくい場所にまで連れてこられたということは、何か理由があるのかもしれない。

 ――助かったとは思うけど、さっきの二人、かなりお金持ちそうだったな。ランボルギーニに乗ってるって言ってたし。あのまま流されてしていたら、五〇〇万、手に入っていたのかも。どうしよう。『ドラッグはやりません』ってきちんと宣言したりサインすれば、部屋に戻ってもいいのかな……。

 ぼんやりと男を見つめたまま、瞳子はとりとめもなく考えこんでいた。それが、男の目には動揺のあまり固化していると映ったようだった。

 彼は、ゆっくりと長く息を吐きだすと口を開いた。

「先ほどは……うちのイベントはドラッグ禁止だったので、失礼ながら割り込みをさせてもらいました。ところで、嫌がっていたように見えたから無理に連れ出してしまったけど、体調やご気分はいかがでしょうか?」

 どうやら彼は、運営側の人間のようだ。事務的に、そして丁寧な姿勢で話しかけてくれた。

「そこは大丈夫……です。ただ、仕事として来たので部屋には戻りたいと思います。いいでしょうか?」

「勿論です。ですが念のため、あらためてお名前とIDを頂戴したいと思います。恐れ入りますが、どこの事務所から派遣されてきましたか?」

「事務所はアリアドネ・エージェンシーです」

 瞳子が言うなり、眼鏡の男はポケットからスマートフォンを取りだして操作をはじめた。

 おそらく、今夜の女性キャストのリストがあるのだろう。……としたら、リストに名前があるのは小百合の名前だ。最初瞳子は彼女の事務所の後輩の名前を借りる予定だったが、小百合が来れなくなったので後輩の名前は取り消され、小百合の名前だけが残った。

「わたしは……牧村小百合といいます」

「身分証をお願いします」即座に男は手をさしだした。

「すみません、今日は家に置いてきてしまって……でも、送りの車のナンバーで、アリアドネの者だと確認が取れています」

 言った瞬間、男を取りまいている空気がすっと冷えた。彼の瞳に警戒の色がさす。

「確認がとれたのは車がアリアドネの物だということで、あなたが牧村さんだということではない」

「…………」その通りだ。あまりにも正論で、返す言葉がない。

「ご足労になってしまいますが、クロークに一緒に行って財布を見せてもらえませんか? 大抵の人間は財布にクレジットカードなど入れているはずです」

 ここまで畳みかけられては、瞳子も観念するしかない。実際、財布には健康保険証が入っているのだ。保険証には名前が書かれている。

 眼鏡の男もまた、彼女の嘘を見切ったような様子だった。その証拠に彼は、一歩踏みこんで逃げ場を塞いできた。こちらを見下ろしている視線に、すでに棘が含まれていることに瞳子は気づいていた。迂闊なことを言えば、すぐにでも拘束されそうだ。ならば、真実を言うしかない。

「すみません。嘘を言いました。わたしは青柳瞳子といいます。今夜来れなくなった牧村の代理で来ました」

「で、アオヤギさんはアリアドネに所属しているのか、してないのか?」

 彼女がぼかそうとした肝心な点を、眼鏡の男は追及した。

「……していないです」

「なら、本日はこれでお引き取りください。契約している事務所以外の人間の立ち入りは禁止されています」

 取りつく島もない、完全にシャットアウトした言い方だった。

 ――それは困る! 五〇〇万円、今晩中に準備できないと風俗か自殺だ。風俗で不特定多数を相手にするなら、一晩頑張ってマトモな男の人の愛人になる方が絶対にマシ!

 気がつくと、瞳子は男のスーツの袖をつかんでいた。

「嫌です。帰りません。……でないとお金、返せない」

「お金?」

 眼鏡の男が、訝しげに繰りかえした。

「今晩中に五〇〇万稼ぐ必要があるんです。ここなら気前よく払ってくれそうな人が沢山います。だから、お願いします。見逃してください」

 瞳子は深々と頭をさげた。

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