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第三章 変化の兆し
回復薬の注文は(1)
しおりを挟む「さあ、できましたよ! 新年にふさわしいリリア様の完成です!」
育毛薬を飲みはじめてから、約半月。
アンナの弾んだ声に、恐る恐るまぶたを開いたリリアは、鏡に映った姿に思わず息を呑んだ。
(まあ! これは――)
大きな姿見の前に座っていたのは――お母様だ。
きれいに切り揃えられた銀髪に、柔らかそうな白い肌。
目の覚めるような美人ではないけれど、大好きだったお母様と瓜二つ。
瞳の色は青色ではなく緑色だし、耳元から顎先にかけての頬の輪郭はお母様みたいなふっくらじゃなくてすっきりだけど、そんなの大した違いじゃない。
グリンウッド家の水色のワンピースに白エプロンのメイド姿さえ、どこかで見たような気がするから不思議だ。
「髪はハーフアップにしてみました。お肌がきれいですので、お化粧は薄めにしてます。気に入っていただけましたか?」
隣に立ったアンナが、どうだとばかりに胸を張る。
「ありがとう、アンナ。とっても素敵だわ」
あなたにあたしを預けて正解だった――。
感謝の気持ちを込めてお礼を伝えると、アンナは照れくさそうに微笑んでから、小さく肩を落とした。
「ドレスや宝石をお持ちなら、もっと美しくなるのですが……。屋敷からいくつかお持ちしましょうか?」
「ううん、これでいいの。今でも充分に素敵だし、このメイド服、動きやすくて気に入ってるから」
「ですが、主人には着飾っていただきたいです。特に、騎士団の方とお会いになるなら、やはりドレスでないと……」
そういうものだろうか。
リリアは小首をかしげつつ、鏡の自分に目を向ける。
――働くときはこれが一番いいのよ。どう? 似合ってるでしょう?
お母様の優しい声が聞こえてくる。
メイド服のスカートを広げて、嬉しそうに笑っていた。
(うふふっ。ディアナみたいな美人じゃないけど、とっても嬉しいわ。鏡を見るのが好きになりそう)
これまで、リリアは自分の姿を見るのが嫌で、ずっと鏡を見ないようにしてきた。
これからは、鏡を見るたびにお母様に会える。
元気をくれる宝物を手に入れた気分だ。
「リリア様! 来客ですよぉ!」
階下からテッドの声がした。
午後に別邸を訪れたいと、騎士団から申し入れがあった。その騎士たちが来たらしい。
「はーい!」
用件は聞いてないけれど、お母様と同じ姿なら騎士団だって怖くない。
手にした自信を胸に、リリアは明るい声で返事をした。
◇
「ここに薬草師がいると聞いた」
作業場のテーブルで、眼鏡をかけた黒髪の男性騎士が、硬い声で告げた。
歳の頃は、オスカー様と同じくらいか。
しかし、日焼けしていない顔と細身の姿は、あまり騎士らしさを感じさせない。
「私たちは、騎士団で物資の調達を担当しています」
よく通る高い声は、切れ長の青い瞳に赤い髪を持つ美人の女性騎士。
先ほどから、リリアとその後ろに控えるアンナに値踏みするような視線を送っている。
「どういったご用件でしょうか」
リリアは、なるべく落ち着いた声を意識して訊ねた。
目の前の二人はオスカー様と同じ騎士服。
やはり緊張する。
「あなたが薬草師か?」
男性騎士が眉間にしわを寄せた。
「そうですけど?」
「屋敷の使用人ではないか」
「……はい?」
「まともな薬草師なら、国家資格を持つ貴族のはず。やはりモグリの類いか」
「……なッ……」
背後のアンナから小さな声が漏れた。
確かに、ずいぶんと失礼な物言いだ。
とはいえ、騎士の身分は最低でも准貴族。一代限りの貴族だ。今のリリアは使用人であるメイド姿だから、この反応も仕方ないのかもしれない。
それに、「薬草師なら貴族のはず」という彼の言い分も正しい。
ハーブ家もそうだが、薬づくりを生業にする貴族家は、どこも製薬技術を門外不出にしている。だから王宮で資格を認められる薬草師は、貴族しかいないのが現状だ。
もちろん庶民にも薬草師はいるが、無資格の彼らは、大っぴらに商売ができない。貴族に目をつけられたら最後、「技術を盗んだ」と難癖をつけられ、下手をすれば処罰されてしまうから。
そんな『モグリ』だと思われるのは不本意だが、薬草師の証であるバッジと書状はハーブ家の金庫の中。見せることができない。
「我々は回復薬を探している」
男性騎士が本題を告げた。
とりあえず話は聞いてくれるようだ。
「回復薬ですか?」
ハーブ家では、毎日のように作っていた。
体力回復だけでなく、ちょっとした怪我や病気なら治してしまう万能薬。
在庫になっても必ず捌けるからと、少しでも時間が空けば、容赦なく継母に仕事を入れられた。
「ここ最近、王都の回復薬が入手困難になり、供給が滞っている。そこで、新しい調達先を探しているのだ」
男性騎士は淡々と背景を説明すると、「作れるなら手元にあるものを見せてみろ。品質を確認する」と締めくくった。
(オスカー様の指示で来たんじゃなかったのね……)
当てが外れて、リリアは内心でため息をつく。
騎士が訪ねて来ると聞いて、もしやリリアの薬の腕を確かめに来たのかと、密かに期待していたのだ。
年が明けて、すでに半月。
オスカー様は年末に遠征から戻ってきて、美容薬も育毛薬も効果を目にしたはずだが、今のところ何の音沙汰もない。
――やっぱり、あたしの薬を認める気がないのだわ……。
諦めにも似た考えが、頭に浮かんでくる。
約束の半年の期限まで、あと半分とちょっと。
「ええと……。材料の薬草を採って来てもらえれば、作りますよ」
――困っているなら、力になりたい。
気を取り直して答えたリリアだったが、男性騎士から返ってきたのは胡乱な視線だった。
「は? なんだそれは?」
何を言ってるのかわからない、という顔。
リリアは詳しい説明を試みる。
「薬草は依頼主に持って来てもらうんです。商売ではないので」
「商売ではない? 金を受け取らないということか?」
「はい。だから手元に在庫はないんです。薬草を受け取ってから作ります」
「ああ、なるほど。金を受け取れないのか。やはりモグリというわけだ」
いえ、そうじゃなくて――。
反論しようとしたリリアより先に、男性騎士が続けた。
「申し訳ないが、これで失礼する。そのような薬、騎士の命を預かる者として、信用できない」
「えっ、でも、品質は確かですよ? さっきは確かめたいって……」
「いや、それには及ばない。品質は推して知るべしだ。薬草が持ち込みなのも、何か問題があれば材料のせいにするのだろう」
毅然とした口調で告げると、隣の女性騎士を促した。
「いくぞ、カレン。とんだ時間の無駄だった。屋敷の使用人など信じるから、こうなるのだ」
「……申し訳ありません」
二人は立ち上がり、部屋を出て行った。
騎士らしい、きびきびとした素早い動き。
唖然としてその動きを目で追っていたリリアは、バタンッと閉まったドアの音で、はっと我に返った。
「――ちょ、ちょっと待ってよ」
リリアは激しく動揺した。
『別邸にいる薬草師は使えない。モグリだ』
そんな話がオスカー様の耳に入ったりしたら――
半年を待たずに、リリアの挑戦は終わる。
急いで玄関へと走る。
しかし、外に出たリリアの目に映ったのは、屋敷の向こうを歩いていく二人の背中。
あそこまでは追いかけられない。――オスカー様の目に入るかもしれないから。
「――行っちゃった……」
何がいけなかったのだろうか。
がっくりと肩を落としたリリアの横を、冷たい冬の風が吹き抜けていった。
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