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第一章 秋の王都
オスカーとイアン
しおりを挟む「イアン、なんであんな女に味方するんだ! おかげで居座られたじゃないか!」
執務室に戻ったオスカーは、後から部屋に入ってきたイアンに食ってかかった。
誰かに怒りをぶつけないと、気が収まらなかった。
「まあそう怒るなよ。きみは彼女が残ってくれたことに感謝すべきだぞ」
その怒りをさらりと受け流して、イアンが答える。
彼は十年来の親友で、気心の知れた間柄。
妻になる女性を紹介したくて、彼だけは王都から招待したのだが――
今は、その親友でさえも憎らしい。
「なにが感謝だ! まがい物を寄越されたんだぞ? あの支度金だって、リリア嬢を得られると思ったから出したんだ!」
「だからそう怒るなよ。あの金は、ぼくが無利子で貸してやったじゃないか。薬で儲けてゆっくり返せばいいと言ってるだろ?」
「……ッ、それは……」
一瞬、言葉に詰まったが、すぐに反論する。
「それは感謝するが、問題は金じゃない! おれはハーブ男爵に騙されたんだ。これは詐欺じゃないか!」
オスカーが憤ると、イアンは顔の前で人差し指を立て、「ちっ、ちっ、ちっ」と軽く舌打ちしながら左右に振った。
「オスカーくん。きみは大いなる勘違いをしている」
「はあ? 勘違い?」
「そうだ。ハーブ男爵はきみを騙してなどいない」
「……どういう意味だ?」
自信たっぷりに言われ、オスカーは思わず問い返す。
「なぜなら、あのお嬢さんこそ、リリア嬢だからだ。――おっと、待ってくれ」
言葉を挟もうとしたオスカーを、イアンが手を広げて押しとどめた。
「それを確かめたくて、ぼくはモーリスを迎えにやったんだ」
「モーリスって、お前のところの人物鑑定士か? 犯罪者を見破らせれば百発百中の」
「そうだ。ぼくもリリア嬢には興味があったからね。王国でも屈指の薬草師でありながら、ハーブ家に隠されて誰もその姿を知らない謎のご令嬢――。モーリスの見立てでは、あの子がリリア嬢だ。間違いない」
はっきりと断定され、オスカーは言葉に詰まる。
イアンは、王宮の司法大臣であるロータス伯爵家の次男坊で、彼自身も偽造品摘発局のトップを務めるエリートだ。
人を見る目には定評がある。
先を読むことに長け、事前にあらゆる手を打っておく策士でもある。彼の助言に、オスカーは何度助けられたかわからない。
「送り返さなくて正解だ。もっとも、あのまま馬車に乗せるようなら、ぼくが止めたけどね」
「……」
「彼女、素直でいい子じゃないか。あんな純粋なご令嬢、なかなかお目にかかれないぞ。きっといい嫁さんになると思うけどな」
イアンが話を締めくくった。
しかし、オスカーは静かに首を横に振った。
「あれは、おれのリリア嬢じゃない」
誰に何と言われようと、これだけは動かしがたい事実だった。
「おれはハーブ家の屋敷で見たんだ。あれこそ、おれの求めていた人だ」
美しいリリア嬢が目に浮かぶ。
「求婚してから、ずっとこの日を夢見てきた。こうしている間にも彼女が他の誰かに取られるかと思うと、夜も眠れん」
「安心しろ。リリア嬢なら、ここにいる」
「ふざけるな! あんなのが夢に出たら、おぞましくて夜も眠れんわ!」
声を荒げたオスカーに、イアンがけらけらと笑った。
「あっはっはっ。すまんすまん。でも、そんな冗談が言えるなら、もう大丈夫だ」
「冗談なもんか。あの女は――」
「聞け、オスカー。今からするのは、まじめな話だ」
イアンが急に真剣な表情になった。
この顔になった時の彼の話は聞くべきであると、オスカーはこれまでの経験で知っている。
「……なんだよ?」
「きみはわかっているか? この結婚は、すでに成立している」
「まさか」
「本当だ。きみが結婚を申し込み、彼女が嫁いできた。この時点で契約は成立。彼女はきみの花嫁だ」
「し、しかし――」
「想像してみろ。もし嫁いで来たのが、きみの言うリリア嬢だったら、どうだ?」
「…………まあ、そうだな」
ここに来たのがあのリリア嬢だったら、誰が何と言おうと、結婚の成立を主張しただろう。
「しかも、あの子は本物のリリア嬢だ。裁判になれば、九割九分、きみが負ける。ぼくが保証する」
「……」
「たとえ本物でなくても、養子縁組でもしてリリアという名をつければ、向こうの主張が通る。きみに勝ち目はない」
「……」
「きみは純情だからなぁ。急ぎたかったのはわかるが、今回は拙速だったぞ……。いくら気に入らなくても、あの子がきみの花嫁だ」
「………………そうか」
オスカーは渋々うなずいた。
彼は司法の専門家。法的には正しいのだろう。
結婚は成立。法廷で争っても勝ち目はない。
だが、オスカーにはわかっていた。
あれはハーブ家の庭にいたメイドだと。
服や化粧で誤魔化しているが、一目瞭然だった。
そんな女をグリンウッド家の嫁にできるわけがない。
では、どうすればいいのか――
「そこでだ、オスカー。ぼくがきみを助けてやろう」
ぐるぐると考えを巡らせていたオスカーの耳に、イアンの声が聞こえた。
顔を上げると、真剣な眼差しがこちらに向けられていた。
「半年後、きみは彼女を離縁しろ」
「……えっ?」
いきなりの提案に、オスカーは言葉に詰まる。
「さっき、『契約は成立』と言ったが、王宮へ届けていないから、正確にはまだ婚約の状態だ。ハーブ家は結婚だと主張するだろうが、そこは何とでもなる。いずれにせよ、半年も経てば、こちらにも結婚の意思があったと見なされるから、詐欺にはあたらない」
「……なるほど」
「その上で離縁するんだ。正確には婚約破棄だな。半年経ってダメなら、彼女も潔く諦めるだろう。そういう子だよ、あの子は」
「破棄してどうするんだ? 家に帰すのか?」
単なる確認の質問だったが、続けて告げられたイアンの答えは、オスカーの予想をはるかに超えていた。
「いや、ぼくがもらう」
「…………えっ?」
驚きのあまり、言葉が出ない。
「いいか、オスカー」
イアンが続けた。
「半年後、リリア嬢はぼくがもらう。その時、きみに貸した金は放棄するし、彼女に作らせた薬の利益も要求しない。それならきみに何の損もないだろう?」
唖然とするオスカーに、イアンが微笑む。
「もちろん、きみのリリア嬢も確保してやろう。司法省で適当な捜査をでっち上げて、ハーブ家を動けなくしてやる。半年後、きみの助力で解放されるようにするから、恩を売って求婚するといい。これならどうだ?」
どうだと聞かれて、オスカーに断る理由はない。
「本当にいいのか?」
「もちろんだとも」
思わず訊ねたオスカーに、イアンが即答した。
「目の曇ったきみにはわからないだろうが、あの子、素直だし、しかも美人だ。ぼくにはわかる」
――だけど、あれはメイドなんだぞ。
喉まで出かかったその言葉を、オスカーは慌てて飲み込む。
せっかく引き取ると言ってくれているのだ。
わざわざ言うこともないだろう。
知っていることを親友に黙っているのは卑怯ではないか――そう思って心の奥がチクリと痛むが、彼は昔から身分にこだわりがなく女性は顔より中身だと言っていたから問題ない、と自分を納得させる。
「だからオスカー、彼女には手を出すなよ。ぼくの妻になる女性だ。もし手を出したら、きみでも許さないからな」
「わかった」
イアンが念押しするように告げ、オスカーはうなずき返したのだった。
◇
「オスカー様、よろしいでしょうか」
執務机の椅子に体を沈めて夕焼けを眺めていたオスカーは、名前を呼ばれて、ゆっくりと振り返った。
「セバスか。どうした」
声の主は、執事長のセバス。
五十歳を過ぎて灰色の髪がかなり薄くなっているが、この屋敷を取り仕切る有能な右腕だ。
「こちらが奥様の鍵の預り証になります」
奥様の、という言葉にオスカーが視線を上げると、微笑みを含んだ深緑色の瞳とぶつかった。
この地の者に多い緑の瞳。
オスカーの家系はもともと王都の騎士団を率いる伯爵家だったが、祖父が魔物の討伐で武勲をあげ、このグリンウッドの地を治める辺境伯に叙せられた。
セバスは、その祖父の代から仕える使用人。頼りになる男だが、時々、若いオスカーをこうしてからかってくる。
「あれは奥様じゃない。使用人たちにも徹底させてくれ」
オスカーが投げやり気味に答えると、途端にセバスがまじめな顔になった。
「皆、彼女を花嫁と思っています。なんと説明するおつもりで?」
「説明など必要ない。会話も世話もするな、そう指示してくれ」
「それでは薬草師の仕事ができませんが?」
セバスが首をかしげた。
どうやら控え室で話を聞いていたらしい。
「仕事などさせなくていい。死なぬよう、飯だけ食わせておいてやれ」
「それでよろしいのですか? 仕事はさせてよい、とのお約束では?」
やはり一部始終を聞いていたようだ。
それならそれで、話が早い。
「イアンはああ言ったが、だからと言って借りは作れない。とにかく放っておけ。どうせ半年後には追い出すんだ」
下手に仕事をさせて、腕を認められた、などと言われては面倒だ。
だから何もさせないほうがいい。
それに、こうしてあの女のことを考えただけで、本物のリリア嬢を得られなかった悔しさが込み上げてくる。
できることなら忘れてしまいたい。
「この半年、おれは山脈の魔物の討伐に専念する。騎士たちにも、そう伝えておいてくれ」
あのあと、イアンからは、「今後のハーブ家への対応はぼくに任せてくれ」と言われた。
ハーブ男爵家と話をつけて、半年後にはきみのリリア嬢を連れて来ると。
それならジタバタしても仕方がない。
おれは領主の仕事に専念しよう。
山脈の魔物を一掃して、美しいリリア嬢を迎え入れられるよう、領内を整えておこう。
「……承知しました」
主人の指示を受けたセバスが、部屋を後にした。
その背中を見送り、オスカーは再び窓の外に目を向ける。
夕陽に赤く染まった山脈の峰々は、裾野の方まで雪に覆われ、これから我慢の冬が始まることを告げていた。
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