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イベント1 刺繍のハンカチ(3)

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 静まり返った中庭で、マーガレットは崩れるように、その場にうずくまった。

「うっ、ううっ……」

 嗚咽とともに、両目からぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。
 怖かった。
 甘い笑顔で笑ってもらえると思っていたのに、氷のような目で睨まれ、大声で怒鳴られた。
 身も心もガチガチにこわばってしまった。

 その緊張が解けて、一気に涙があふれ出てくる。
 手に持ったハンカチを握りしめて目に当てると、あっという間にハンカチがぐしょぐしょになった。
 両手の指の間から、涙がこぼれ落ちる。
 身体の震えも止まらない。

「ど、どうして……」

 どうして、いきなり怒鳴られるの?
 どうして、話も聞いてくれないの?
 どうして、どうして、どうして――

 疑問とともに涙がとめどなく流れ出て、左手の絆創膏の傷にひりひりとしみる。
 それよりも心がボロボロだ。

「……あたし、あんなに頑張ったのに……」

 つぶやきながら、ぐしょぐしょになったハンカチを見る。
 涙とマスカラとアイシャドーですっかり色が変わったハンカチの隅で、小さな刺繍がくしゃりと縮こまっていた。

 真っ白なハンカチを、侍女のマリアに頼んで何枚も買ってきてもらった。
 何度も自分の指を針で刺したけど諦めなかった。
 きっとうまくいくと信じて。

 それなのに頭ごなしに怒鳴られ、刺繍をめてもらうことはおろか、ハンカチを拾ってもらうこともできなかった。

(悪役令嬢だと、話も聞いてもらえないの……?)

 そう思ったら、また泣けてきた。
 涙があふれてきて、もう一枚のハンカチをポケットから取り出す。

「う、ううっ……」

 うずくまったまま、ひたすら泣いた。


 
 ◇◆◇
 


「――そのぉ、メグ……、すまなかったな……。彼を止められなくて……」

 マーガレットがハンカチから顔を上げると、隣に立っていたレオナルドがぽつりとつぶやいた。
 既に日が傾きかけている。
 泣き続けるマーガレットをかわいそうに思ってくれたのだろう、ずっと待っていてくれたようだ。

「図書館に行こうと誘ったら、ランバート王子がすぐに乗ってくれてね……。予定どおり中庭に着いたら、メグとあの子が揉めていたんだ……。もう少しタイミングを遅らせればよかったな……」

 謝りながら、ランバート王子を連れてきたときの状況を淡々と説明する。
 図書館、というあたりが知的インテリ系のレオナルドらしい。たしか、ゲームの中での彼ルートの最初のイベントは、図書館で手の届かない棚の本を取ってもらう、というものだった。
 彼は彼で、ゲームの設定と同じ行動原理で動いているのかもしれない。

 ひとしきり泣いたおかげで、そんなことを考える余裕の出てきたマーガレットは、下を向いたまま首を横に振った。

「ううん……、レオンが謝ることじゃないわ……。約束どおりに連れて来てくれてありがとう……。今回はあたしの失敗だわ……」

 レオナルドはちゃんと王子様を連れてきてくれた。だから彼を責めるのは筋違い。
 問題は、マーガレットがヒロインの接近に気づかなかったこと。
 イベントの直前に他のことを考えていたので、注意を怠ってしまった。

「準備はちゃんとできてたわ。直前でトラブルが起きちゃったの……。あれさえなければ、うまくいったと思う……。次は失敗しないように気をつける……」

 自分に言い聞かせるように告げると、頭の上からレオナルドの言葉が落ちてきた。

「次って……、あれだけ言われても、メグはランバート王子が好きなのか? 俺には理解できないが……」

 理論派の彼にとって、嫌われている相手に恋をするなんて、ありえない暴挙なのだろう。
 それでもマーガレットは首を縦に振った。

「うん……、あたしは王子様と恋がしたいの。嫌われていても婚約者同士だし、きっと、なんとかなると思う」
「……めげないんだな」
「女の子は、そう簡単に自分の恋を諦めたりしないんだよ」
「……そうなのか?」

 レオナルドが呆れた声を出す。
 もしかしたら、「もう無駄なことには付き合えない」と、見放されるかもしれない。

「そうだけど……。その……、レオンはもう協力してくれない?」

 不安になって尋ねると、彼は小さくため息をついて、「そんなことはない」とつぶやいた。

「メグが望むなら協力するさ……。頑張りたいんだろ?」

 念押しするように訊いてくる。

「ありがとう……。うん、あたし、頑張る!」

 マーガレットは、自分を奮い立たせるために元気よく答え、顔を上げて次のイベントの説明を始めた。

「次のイベントはね、庭園のベンチでお弁当の手作りサンドイッチを食べるの……って、聞いてるの? レオン?」

 レオナルドが何かをこらえるかのようにうつむいていた。
 マーガレットが首をかしげる。

「……レオン?」
「ぷっ、くくくっ」
「……どうしたの?」
「メグ……、申し訳ないが、先に顔を洗ってきてくれ」
「………えっ?」
「化粧がすごいことになっているぞ……。ぷっ、はっはっはっはっはっ!」

 レオナルドが腹を抱えて笑い出した。
 マーガレットは、木陰に置いてあったポーチに飛びつき、手鏡を取り出して顔を映してみる。

「ひゃあああああああああ!」

 あまりの惨状に悲鳴が上がる。
 すっかり忘れていた。
 涙でぐしょぐしょになった化粧が乾いて、顔全体がカオス状態だ。

「な? すごいだろ?」
「なによ! 笑いごとじゃないわよ! すぐに落とすから、ちょっと待って!」 

 ポーチの中から化粧落としの小さなオイル瓶を取り出し、ポケットに手を突っ込んで三枚目のハンカチをさぐる――が、そのハンカチが見当たらない。

「あれ? ハンカチ……、どこ?」

 戸惑うマーガレットに、レオナルドが横から手を差し出した。

「ほら、ハンカチ。落としてたぞ」
「あっ、ありがと」
「ははははっ! メグはうっかり屋さんだな……。誰も来ないように見張っといてやるから、早くしろよ」

 笑いながら告げたレオナルドが立ち位置を変え、木陰にうずくまるマーガレットを周りから見えないようにしてくれた。
 彼の笑い声のおかげだろうか、マーガレットは、自分の気持ちが少し楽になった気がした。

 ――また次のイベントで頑張ろう。
 ごしごしと顔をこするマーガレットの頭上では、夏の終わりを告げるセミの声が、これからが恋の季節とばかりに鳴り響いていた。


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