1 / 17
プロローグ
「暇願いと旅立ち」
しおりを挟む
ここは、普通の人間が住む世界ではない。
次元と時空の、狭間にある異界である。
幾層もの複雑な世界が積み重なり、人間は死者となった魂のみが存在する。
創世神によって、生まれながらに原罪を背負わされた人間は、贖う為には相当な善行を積まねばならない。
善行が悪行より少しでも上回れば、天界と呼ばれる楽園への道が開ける。
しかし全知全能な創世神から、与えられた原罪を凌げる善行を、成しえる者など滅多に居ない。
大抵は原罪どころか、自己の良心に恥じる罪を更に重ね、この怖ろしい異界へと堕ちて来る。
そう、ここは誰もが知る、冥界と呼ばれる世界なのだ。
すなわち、悪魔を始めとした魔族、そして強靭な魔獣や不定形な精神体が住まう異界なのである。
当然、住まう者すべてが異形であり、人間とは姿かたちどころか性質まで違っていた。
そもそも、この異界の大部分は、荒涼とした砂漠のような地形である。
草木も殆ど無い砂漠のような大地が続き、不気味に赤茶けた岩が、あちこちに転がる肌寒い雰囲気なのだ。
大きく広がる空は、ふわっとした白い雲など一切無く、濃い紫一色のみである。
その砂漠にある巨大な岩山の頂上に、漆黒の法衣を纏う異形が立っていた。
異形の正体は……やはり悪魔である。
身長は180㎝を超えるくらいだろうか。
猛禽類の鷲に似た人間離れした頭部には、思慮深そうな彫りの深い顔が付いている。
悪魔は固く腕組みをして、鋭い視線を飛ばし、虚空を睨んでいた。
腰からは鞘に入った、幅広の剣を提げている。
どうやら、悪魔は何かを待っているらしい。
そして、そんなに時間を置かず『待ち人』は現れた。
正確に言うと、『人』などではなく、悪魔より人間離れした巨大な異形の群れである。
異形どもの正体は、かつて地上で竜と呼ばれていた一族の成れの果てであった。
わけあって、創世神により冥界へと堕とされていたのだ。
地上に居た頃は、他者を魅了した雄々しく美しい肢体も今や見る影もない……
彼等の肉体は完全に崩壊し、異臭を放つほど腐り切っていたのである。
この異界にて、彼等は冥界竜と呼ばれ、悪魔とは完全に敵対していた。
悪魔が支配するこの異界を、力づくで奪取しようとする願望からである。
その呪いともいえる支配欲は、創世神により植え付けられた『罰』である事を彼等は知らない。
襲来した冥界竜の群れは、20を楽に超えるだろう。
法衣姿の悪魔は、口元に冷たい笑みを浮かべた。
提げていた剣を鞘から抜き放つ。
そして飛翔する冥界竜どもを見つめ、ぴたりと狙いを定める。
銀色に光る刀身には、大量の魔力が宿っていた。
剣が持つ元々の魔力に加え、悪魔の膨大な魔力が反応して眩いばかりに輝いているのだ。
飛翔する冥界竜の速度は驚くほど速い。
迫る冥界竜と、岩山で待つ悪魔との距離はあっという間に、50mを切るほどに縮まった。
と、その時。
「はっ!」
悪魔はいきなり気合を籠め、軽く息を吐いた。
同時に大気を揺るがし、剣からは強大な魔力が放出される。
すると!
突如轟音を立てて、悪魔へ襲い掛かろうとした冥界竜どもが、空中で砕け散った。
まるで、見えない巨大な手で握りつぶされたかのように、粉々となって破砕されたのである。
ばらばらと落ちて行く無数の肉片を見て、悪魔はまた満足そうに笑う。
「ふむ、さすがだな、この剣は」
悪魔は慣れた手付きで、剣を鞘へスムーズに納めた。
そして右手を挙げ、指をパチンと鳴らす。
転移の魔法を使った悪魔の姿は、岩山からかき消すように居なくなっていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
冥界竜が倒されてから、暫しの時が経った……
ここは先ほどと風景は全く違うが、広大な冥界の一部だ。
否、一部というほど軽々しい場所ではない。
この最下層は、冥界の王というべき者が住まう場所なのである。
冥界の最下層に嘆きの川と呼ばれる大河があった。
嘆きの川とはそのまま最下層の名称ともなっていた。
そもそも大河というのが妥当なのか、甚だ疑問ではある。
何故ならば、嘆きの川は水が流れる事無く太古から凍り付いており、未来永劫その氷は溶ける事がないからだ。
嘆きの川は冥界において、人間の犯した罪の中で最も重い裏切者が繋がれるという階層である。
その最奥ジュデッカに、かつて天界の使徒達の長を務めた者が幽閉されていた。
遥か昔、神代と呼ばれる時代に天界を二分する壮大な戦いが起こった。
創世神と、反逆した使徒達の戦いである。
反逆した使徒達を率いたのが、当時天使長をしていた大天使である。
12枚の巨大な翼を持ち、創世神の右側に座る事を許されたほどの信頼を得ていた。
しかし、大天使は激しい戦いの末に敗れ、この深き地の底へと堕とされた。
巨大な12枚の羽根も、眩いばかりの神々しい肉体も、罰として今は醜く禍々しい形状に変わっていた……
創世神により幽閉されているのは、冥界の大魔王と呼ばれる、ルシフェルである。
サタン――つまり創世神に逆らう者とも呼ばれるルシフェル。
嘆きの川の、未来永劫溶けない氷により、ルシフェルの全ては封じられていた筈だが……
実際は、仮初の肉体を作って自身の魂を簡単に移し、奔放且つ大胆に振舞っていた。
巨大なルシフェルの眼下に、ひとりの悪魔が跪いている。
先ほど、一瞬のうちに冥界竜を倒した悪魔であった。
厳かな声を発し、ルシフェルは問う。
「ふむ、バルバトスよ。お前は人間の世界へ行くと言うのか?」
「はい、与えられた役目を完遂致しました。ぜひやりたい事がありますから、暫しの間、暇を頂きとうございます」
ルシフェルが呼んだ名で、悪魔の名がバルバトスだと分かる。
無理やり座らされような恰好で、氷漬けになった20mはあろうかという巨大なルシフェルの肉体。
その足元に、法衣を着た悪魔バルバトスは跪いていたのだ。
「ふむ、確かにお前は、余の為に数千年働きづめであった。だから、許す。但し……」
バルバトスが人間界へ行く許可を出したルシフェルではあったが……
何か条件を付けるらしい。
「………」
跪き、俯いたまま、バルバトスは無言で主の言葉を待つ。
どうやら内容は、分かっているような雰囲気だ。
そして、
「バルバトスよ、人間界へ行くのなら、我が娘を同伴して行くが良い。先日、お前と……婚約した筈だ」
「…………」
無言になったバルバトス。
ふたりの間に、微妙な雰囲気が漂う。
「どうした?」
ルシフェルの問いかけに対し、バルバトスは跪いたまま、更に首を下げた。
「いえ、了解致しました」
「ツェツィリア!」
ルシフェルが叫んだ瞬間。
バルバトスから、少し離れた場所に、突如、小柄且つ華奢な美しい少女が出現した。
美しいシルバープラチナの髪を持っている。
婚約者の少女は、バルバトスを見て、にっこり笑う。
共に旅立てるとあって、とても嬉しそうである。
片やバルバトスは……
跪いたまま、大きくため息をついたのであった。
次元と時空の、狭間にある異界である。
幾層もの複雑な世界が積み重なり、人間は死者となった魂のみが存在する。
創世神によって、生まれながらに原罪を背負わされた人間は、贖う為には相当な善行を積まねばならない。
善行が悪行より少しでも上回れば、天界と呼ばれる楽園への道が開ける。
しかし全知全能な創世神から、与えられた原罪を凌げる善行を、成しえる者など滅多に居ない。
大抵は原罪どころか、自己の良心に恥じる罪を更に重ね、この怖ろしい異界へと堕ちて来る。
そう、ここは誰もが知る、冥界と呼ばれる世界なのだ。
すなわち、悪魔を始めとした魔族、そして強靭な魔獣や不定形な精神体が住まう異界なのである。
当然、住まう者すべてが異形であり、人間とは姿かたちどころか性質まで違っていた。
そもそも、この異界の大部分は、荒涼とした砂漠のような地形である。
草木も殆ど無い砂漠のような大地が続き、不気味に赤茶けた岩が、あちこちに転がる肌寒い雰囲気なのだ。
大きく広がる空は、ふわっとした白い雲など一切無く、濃い紫一色のみである。
その砂漠にある巨大な岩山の頂上に、漆黒の法衣を纏う異形が立っていた。
異形の正体は……やはり悪魔である。
身長は180㎝を超えるくらいだろうか。
猛禽類の鷲に似た人間離れした頭部には、思慮深そうな彫りの深い顔が付いている。
悪魔は固く腕組みをして、鋭い視線を飛ばし、虚空を睨んでいた。
腰からは鞘に入った、幅広の剣を提げている。
どうやら、悪魔は何かを待っているらしい。
そして、そんなに時間を置かず『待ち人』は現れた。
正確に言うと、『人』などではなく、悪魔より人間離れした巨大な異形の群れである。
異形どもの正体は、かつて地上で竜と呼ばれていた一族の成れの果てであった。
わけあって、創世神により冥界へと堕とされていたのだ。
地上に居た頃は、他者を魅了した雄々しく美しい肢体も今や見る影もない……
彼等の肉体は完全に崩壊し、異臭を放つほど腐り切っていたのである。
この異界にて、彼等は冥界竜と呼ばれ、悪魔とは完全に敵対していた。
悪魔が支配するこの異界を、力づくで奪取しようとする願望からである。
その呪いともいえる支配欲は、創世神により植え付けられた『罰』である事を彼等は知らない。
襲来した冥界竜の群れは、20を楽に超えるだろう。
法衣姿の悪魔は、口元に冷たい笑みを浮かべた。
提げていた剣を鞘から抜き放つ。
そして飛翔する冥界竜どもを見つめ、ぴたりと狙いを定める。
銀色に光る刀身には、大量の魔力が宿っていた。
剣が持つ元々の魔力に加え、悪魔の膨大な魔力が反応して眩いばかりに輝いているのだ。
飛翔する冥界竜の速度は驚くほど速い。
迫る冥界竜と、岩山で待つ悪魔との距離はあっという間に、50mを切るほどに縮まった。
と、その時。
「はっ!」
悪魔はいきなり気合を籠め、軽く息を吐いた。
同時に大気を揺るがし、剣からは強大な魔力が放出される。
すると!
突如轟音を立てて、悪魔へ襲い掛かろうとした冥界竜どもが、空中で砕け散った。
まるで、見えない巨大な手で握りつぶされたかのように、粉々となって破砕されたのである。
ばらばらと落ちて行く無数の肉片を見て、悪魔はまた満足そうに笑う。
「ふむ、さすがだな、この剣は」
悪魔は慣れた手付きで、剣を鞘へスムーズに納めた。
そして右手を挙げ、指をパチンと鳴らす。
転移の魔法を使った悪魔の姿は、岩山からかき消すように居なくなっていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
冥界竜が倒されてから、暫しの時が経った……
ここは先ほどと風景は全く違うが、広大な冥界の一部だ。
否、一部というほど軽々しい場所ではない。
この最下層は、冥界の王というべき者が住まう場所なのである。
冥界の最下層に嘆きの川と呼ばれる大河があった。
嘆きの川とはそのまま最下層の名称ともなっていた。
そもそも大河というのが妥当なのか、甚だ疑問ではある。
何故ならば、嘆きの川は水が流れる事無く太古から凍り付いており、未来永劫その氷は溶ける事がないからだ。
嘆きの川は冥界において、人間の犯した罪の中で最も重い裏切者が繋がれるという階層である。
その最奥ジュデッカに、かつて天界の使徒達の長を務めた者が幽閉されていた。
遥か昔、神代と呼ばれる時代に天界を二分する壮大な戦いが起こった。
創世神と、反逆した使徒達の戦いである。
反逆した使徒達を率いたのが、当時天使長をしていた大天使である。
12枚の巨大な翼を持ち、創世神の右側に座る事を許されたほどの信頼を得ていた。
しかし、大天使は激しい戦いの末に敗れ、この深き地の底へと堕とされた。
巨大な12枚の羽根も、眩いばかりの神々しい肉体も、罰として今は醜く禍々しい形状に変わっていた……
創世神により幽閉されているのは、冥界の大魔王と呼ばれる、ルシフェルである。
サタン――つまり創世神に逆らう者とも呼ばれるルシフェル。
嘆きの川の、未来永劫溶けない氷により、ルシフェルの全ては封じられていた筈だが……
実際は、仮初の肉体を作って自身の魂を簡単に移し、奔放且つ大胆に振舞っていた。
巨大なルシフェルの眼下に、ひとりの悪魔が跪いている。
先ほど、一瞬のうちに冥界竜を倒した悪魔であった。
厳かな声を発し、ルシフェルは問う。
「ふむ、バルバトスよ。お前は人間の世界へ行くと言うのか?」
「はい、与えられた役目を完遂致しました。ぜひやりたい事がありますから、暫しの間、暇を頂きとうございます」
ルシフェルが呼んだ名で、悪魔の名がバルバトスだと分かる。
無理やり座らされような恰好で、氷漬けになった20mはあろうかという巨大なルシフェルの肉体。
その足元に、法衣を着た悪魔バルバトスは跪いていたのだ。
「ふむ、確かにお前は、余の為に数千年働きづめであった。だから、許す。但し……」
バルバトスが人間界へ行く許可を出したルシフェルではあったが……
何か条件を付けるらしい。
「………」
跪き、俯いたまま、バルバトスは無言で主の言葉を待つ。
どうやら内容は、分かっているような雰囲気だ。
そして、
「バルバトスよ、人間界へ行くのなら、我が娘を同伴して行くが良い。先日、お前と……婚約した筈だ」
「…………」
無言になったバルバトス。
ふたりの間に、微妙な雰囲気が漂う。
「どうした?」
ルシフェルの問いかけに対し、バルバトスは跪いたまま、更に首を下げた。
「いえ、了解致しました」
「ツェツィリア!」
ルシフェルが叫んだ瞬間。
バルバトスから、少し離れた場所に、突如、小柄且つ華奢な美しい少女が出現した。
美しいシルバープラチナの髪を持っている。
婚約者の少女は、バルバトスを見て、にっこり笑う。
共に旅立てるとあって、とても嬉しそうである。
片やバルバトスは……
跪いたまま、大きくため息をついたのであった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
7
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる