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アリヤ・ベルガモットとは
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その出会いにパン屋の娘アリヤ・ベルガモットは生まれて初めての感動を覚えた。
「絶景保存士のお姉さんが来ているから、見に行こうよ」
友達にそう言われて学校帰りに近くの公園まで一緒に見に行ったのが、アリヤと絶景保存士という職業の出会いだった。当時、アリヤは七歳。将来の夢なんて、何となく周りに流されて実家のパン屋を継ぐものだと思っていたが、それがこの日を境にがらりと変わったのだった。
その絶景保存士と呼ばれた綺麗なお姉さんは、いつの間にか公園に青い布のテントを張り、並んでいる子供達を順番にテントの中へ招き入れていた。今時珍しい詩術使いらしい格好をした彼女は四、五人を中に入れると数分で次のグループと交代させている。待ち時間は子供でも待てる程短いので、アリヤ達の番が回ってくるのもすぐだった。前のグループを送り出した絶景保存士のお姉さんはアリヤ達を見ると、「あら、可愛いお客さんね」と言って中へ入れてくれた。
薄暗いテントの中にはクロスが掛けられた小さなテーブルと人数分の木の椅子。お姉さんは奥の椅子へ座り、アリヤ達は手前の人数分の椅子へ腰掛けるよう促される。テントの中は詩術なのか、きらきらとした星のような光が浮いており、それがゆっくりとテントの中を回っている。天井からぶら下げられた満月のオブジェが淡く青白く輝いて、まるで夜のようだった。
普段と違う非日常な演出が施された空間にドキドキしながら、アリヤは友人達と一緒に椅子へ腰掛ける。向かい側に座ったお姉さんはガラスで出来た手の平くらいの小さな箱を一つ取り出す。よく見ると中には小さな葉が一枚入っていた。手の平の箱に入るくらいの大きさなので、そんなに大きくはない。お姉さんはそれをテーブルの上にそっと置いて言った。
「いい? じゃあ、今からとっても良いものを見せてあげるからね」
アリヤ達が好奇心のままに頷くと、お姉さんは何でも無いような顔で片手を箱に翳して、詩を唱える。すると、段々箱の周りに光が集まってきたかと思うと、中の葉が動き出して輝きだし、段々ある形を作っていった。ドキドキとアリヤ達が見守る中、葉が裂けて中から水が溢れ出してくる。お姉さんがもう片方の手も翳し、手繰るような動きをすると、中の水は踊るように従い、あっという間にある景色を形成した。
「はい、完成よ」
「うわぁ……! すごいすごいっ!」
「きれい……」
「すごいね、アリヤちゃ……アリヤちゃん?」
アリヤはその小さな箱庭に釘付けになっていた。今まで見たことの無い小さな箱の中に再現された一面赤い蓮の花が咲く湖。真ん中を道のように開けさせたその景色に、彼女はすっかり心を奪われていた。いつも忙しないその小さな唇はただ一言も発さず、じっと箱の中を見つめている。隣にいた友達がいくら声を掛けても、アリヤはずっと箱の中に釘付けになっていた。そんな彼女の目の前に大人の手が入って来て、ひらひらと振られる。その動きと物理的に視界を遮られたことではっと我に返ったアリヤは、慌てて箱から顔を上げた。
そこにはにこにこと人の良い笑顔を浮かべたお姉さんがいる。頬杖をついているその仕草が何だか可愛らしく見えた。
「それ、欲しいの?」
どうやらあまりにも熱心に見つめているので、欲しいのかと思われたようだが、アリヤの答えは違った。彼女自身も殆ど無意識に口にしていたことだった。
「どうしたらお姉さんみたいになれるのっ? 私も、こんな箱作ってみたいっ!」
その言葉を聞いたお姉さんは驚き、次いで一層笑みを深めて言った。
配達の帰り道。全ての配達先にパンを届けたアリヤは、いつもの土手まで来ると、朝からずっとポケットに入れていた宝物を取り出して見つめる。小さな頃に比べると、随分小さく見えるその箱の中には、いつかの絶景保存士に作ってもらった赤い蓮の光景が広がっている。あの時から寸分違わない景色にアリヤはほう、と感心の溜息を吐いた。
「やっぱり、良いなぁ。はぁ……どうしたら良いんだろう」
彼女には昔から抱いている夢がある。町のパン屋を営んでいる両親には悪いとは思っているが、それは幼い頃に出会ったお姉さんと同じように、絶景保存士になることだった。
絶景保存士とはその名の通り、絶景を保存して人々に感動や癒やしを届ける職業だ。ガラスの箱の中に絶景の素材となる石や草花等を入れ、詩術を使って再現するのが主な仕事だ。作り手である保存士の腕前にもよるが、その多くは完成度が高く、癒やしと娯楽の面で非常に高い評価を受けている。優秀な保存士は王族や貴族の専属職人になり、豊かな生活を送れる者もいるが、そんな凄い保存士は一握りだ。
知識だけはあるのに、と歯痒い思いを抱えながら大の字に寝転がり、アリヤはいつか聞いたお姉さんの言葉を思い出した。
あの時、「うふふ、嬉しいわ」と笑ってお姉さんは助言してくれた。
「あなたが大人になってもその夢を捨てきれないなら、きっと良い巡り会いが訪れるわよ。『この人だ!』と思う人に弟子入りすると良いわね」
あれから七年経ち、アリヤも十四歳になったが、生憎とお姉さんの言葉が実現したことは無い。当時はあの言葉もなんてロマンチックと思っていたが、流石にこの歳になるといくら夢見がちな彼女でも分かり切っている。
「そんなの、運じゃーんっ!!」
そのままの体勢で叫んだアリヤの傍を、丁度犬の散歩をしていた見知らぬ人が飛び上がって驚き、犬と共に足早に去って行く。叫んでしまったので、不審者として通報されてしまうかもしれないと思ったアリヤは、宝物をポケットに入れて渋々帰ることにした。叫んだことでいくらか苛立ちも発散された気がする。ポケットの中にある箱庭を悔しげにぎゅっと握って、アリヤはとぼとぼと家路へ就いた。
家に帰ると、丁度カウンターに立っている母が接客中だったようで、一人の若者とカウンター越しに何か話していた。その若者はこの辺りでは見ない顔の者で、浅黒い肌に濃い緑色の短髪、何より目を引くのは両端に伸びた長い耳。一目でダークエルフだと分かり、アリヤは珍しそうに目を見張った。
今でこそ、エルフ自体は珍しい種族ではないが、ダークエルフはその中でもまだまだ珍しい部類に入る。彼らの多くはあまり他の種族との交流を望まない傾向があり、こうして他種族が多い町に訪れるダークエルフはかなり希有な存在なのだった。
母とその客の会話が終わるまで邪魔にならない場所でアリヤが待っていると、その姿に気付いた彼女の母が声を掛けてくる。
「ああ、アリヤ。帰って来たんだね。今日はもう配達は無いから家の方に行きな。ちゃんと勉強すんだよ」
「はぁい」
一瞬、客がいるのにと恥ずかしく思ったアリヤは、客とすれ違い様にぺこりと軽い会釈をしてからカウンターの内側に入り、配達用のバスケットをプレゼント用の包装紙やリボンが入った棚の上に置いて、そのまま裏口へ向かう。その間にも母と若者の会話を彼女は何となく耳を澄まして聞いていた。
「残念だけど、うちではこういうのは買わないことにしてるんだよ。ほら、場所も取るし、何より高価だって話だろ? 生憎とうちにはそんな余裕無いんだよ。悪いけどね、他当たると良いよ」
「そ……っすか。分かりやした。ご迷惑お掛けしてすんませんっす。――そっちのお嬢さんも要らないっすか?」
「へ? 私?」
裏口へ向かう途中で若者から話を振られたので、アリヤは虚を突かれて足を止めた。一体何の話だと思いつつ、彼女が小首を傾げて若者に近付くと、彼はカウンターに乗せていた物を彼女が見やすいように手に乗せる。アリヤは彼の恰好にどこか既視感を覚えながらも、何気なくその手にある物を見た。
そこには小さな箱があった。丁度アリヤが持っている物と同じくらいの大きさだ。中には一面氷の世界が広がっている。よくよく目を凝らして見ると、小さな箱庭の中にこれまた小さな氷で造られた家具が並んでいる。テーブルと椅子、本棚や暖炉とその装飾まで細かく、誤魔化しの無い技巧が施されている。箱の台座にはつまみのような物とボタンがいくつか付いており、つまみを動かすと、昼の姿から段々夜の姿へと変化し、暖炉には魔法の火が点いた。しかし、その火で氷が溶けてしまうような様子は無い。若者の手の中には美しい氷の部屋があった。
その箱にすっかり釘付けになっているアリヤに、もう一度若者はどこか遠慮がちに声を掛けた。
「どう、っすか? 買ってくれないか?」
「これ、あなたが作ったの?」
アリヤは箱から視線を離せずにそう問いかける。若者は「まぁ」と曖昧にではあるが、肯定した瞬間、ばっと顔を上げたアリヤは初めて彼の顔をまともに見た。
所々土汚れが目立つ外套に身を包んだダークエルフの若者は、不思議そうに金の瞳をアリヤに向け、彼女の答えを待っている。もう一度彼は「買ってくれるか? どうなんだ?」と問うが、アリヤは無意識に別の言葉を口にしていた。
「私を、弟子にしてくれませんか?」
「絶景保存士のお姉さんが来ているから、見に行こうよ」
友達にそう言われて学校帰りに近くの公園まで一緒に見に行ったのが、アリヤと絶景保存士という職業の出会いだった。当時、アリヤは七歳。将来の夢なんて、何となく周りに流されて実家のパン屋を継ぐものだと思っていたが、それがこの日を境にがらりと変わったのだった。
その絶景保存士と呼ばれた綺麗なお姉さんは、いつの間にか公園に青い布のテントを張り、並んでいる子供達を順番にテントの中へ招き入れていた。今時珍しい詩術使いらしい格好をした彼女は四、五人を中に入れると数分で次のグループと交代させている。待ち時間は子供でも待てる程短いので、アリヤ達の番が回ってくるのもすぐだった。前のグループを送り出した絶景保存士のお姉さんはアリヤ達を見ると、「あら、可愛いお客さんね」と言って中へ入れてくれた。
薄暗いテントの中にはクロスが掛けられた小さなテーブルと人数分の木の椅子。お姉さんは奥の椅子へ座り、アリヤ達は手前の人数分の椅子へ腰掛けるよう促される。テントの中は詩術なのか、きらきらとした星のような光が浮いており、それがゆっくりとテントの中を回っている。天井からぶら下げられた満月のオブジェが淡く青白く輝いて、まるで夜のようだった。
普段と違う非日常な演出が施された空間にドキドキしながら、アリヤは友人達と一緒に椅子へ腰掛ける。向かい側に座ったお姉さんはガラスで出来た手の平くらいの小さな箱を一つ取り出す。よく見ると中には小さな葉が一枚入っていた。手の平の箱に入るくらいの大きさなので、そんなに大きくはない。お姉さんはそれをテーブルの上にそっと置いて言った。
「いい? じゃあ、今からとっても良いものを見せてあげるからね」
アリヤ達が好奇心のままに頷くと、お姉さんは何でも無いような顔で片手を箱に翳して、詩を唱える。すると、段々箱の周りに光が集まってきたかと思うと、中の葉が動き出して輝きだし、段々ある形を作っていった。ドキドキとアリヤ達が見守る中、葉が裂けて中から水が溢れ出してくる。お姉さんがもう片方の手も翳し、手繰るような動きをすると、中の水は踊るように従い、あっという間にある景色を形成した。
「はい、完成よ」
「うわぁ……! すごいすごいっ!」
「きれい……」
「すごいね、アリヤちゃ……アリヤちゃん?」
アリヤはその小さな箱庭に釘付けになっていた。今まで見たことの無い小さな箱の中に再現された一面赤い蓮の花が咲く湖。真ん中を道のように開けさせたその景色に、彼女はすっかり心を奪われていた。いつも忙しないその小さな唇はただ一言も発さず、じっと箱の中を見つめている。隣にいた友達がいくら声を掛けても、アリヤはずっと箱の中に釘付けになっていた。そんな彼女の目の前に大人の手が入って来て、ひらひらと振られる。その動きと物理的に視界を遮られたことではっと我に返ったアリヤは、慌てて箱から顔を上げた。
そこにはにこにこと人の良い笑顔を浮かべたお姉さんがいる。頬杖をついているその仕草が何だか可愛らしく見えた。
「それ、欲しいの?」
どうやらあまりにも熱心に見つめているので、欲しいのかと思われたようだが、アリヤの答えは違った。彼女自身も殆ど無意識に口にしていたことだった。
「どうしたらお姉さんみたいになれるのっ? 私も、こんな箱作ってみたいっ!」
その言葉を聞いたお姉さんは驚き、次いで一層笑みを深めて言った。
配達の帰り道。全ての配達先にパンを届けたアリヤは、いつもの土手まで来ると、朝からずっとポケットに入れていた宝物を取り出して見つめる。小さな頃に比べると、随分小さく見えるその箱の中には、いつかの絶景保存士に作ってもらった赤い蓮の光景が広がっている。あの時から寸分違わない景色にアリヤはほう、と感心の溜息を吐いた。
「やっぱり、良いなぁ。はぁ……どうしたら良いんだろう」
彼女には昔から抱いている夢がある。町のパン屋を営んでいる両親には悪いとは思っているが、それは幼い頃に出会ったお姉さんと同じように、絶景保存士になることだった。
絶景保存士とはその名の通り、絶景を保存して人々に感動や癒やしを届ける職業だ。ガラスの箱の中に絶景の素材となる石や草花等を入れ、詩術を使って再現するのが主な仕事だ。作り手である保存士の腕前にもよるが、その多くは完成度が高く、癒やしと娯楽の面で非常に高い評価を受けている。優秀な保存士は王族や貴族の専属職人になり、豊かな生活を送れる者もいるが、そんな凄い保存士は一握りだ。
知識だけはあるのに、と歯痒い思いを抱えながら大の字に寝転がり、アリヤはいつか聞いたお姉さんの言葉を思い出した。
あの時、「うふふ、嬉しいわ」と笑ってお姉さんは助言してくれた。
「あなたが大人になってもその夢を捨てきれないなら、きっと良い巡り会いが訪れるわよ。『この人だ!』と思う人に弟子入りすると良いわね」
あれから七年経ち、アリヤも十四歳になったが、生憎とお姉さんの言葉が実現したことは無い。当時はあの言葉もなんてロマンチックと思っていたが、流石にこの歳になるといくら夢見がちな彼女でも分かり切っている。
「そんなの、運じゃーんっ!!」
そのままの体勢で叫んだアリヤの傍を、丁度犬の散歩をしていた見知らぬ人が飛び上がって驚き、犬と共に足早に去って行く。叫んでしまったので、不審者として通報されてしまうかもしれないと思ったアリヤは、宝物をポケットに入れて渋々帰ることにした。叫んだことでいくらか苛立ちも発散された気がする。ポケットの中にある箱庭を悔しげにぎゅっと握って、アリヤはとぼとぼと家路へ就いた。
家に帰ると、丁度カウンターに立っている母が接客中だったようで、一人の若者とカウンター越しに何か話していた。その若者はこの辺りでは見ない顔の者で、浅黒い肌に濃い緑色の短髪、何より目を引くのは両端に伸びた長い耳。一目でダークエルフだと分かり、アリヤは珍しそうに目を見張った。
今でこそ、エルフ自体は珍しい種族ではないが、ダークエルフはその中でもまだまだ珍しい部類に入る。彼らの多くはあまり他の種族との交流を望まない傾向があり、こうして他種族が多い町に訪れるダークエルフはかなり希有な存在なのだった。
母とその客の会話が終わるまで邪魔にならない場所でアリヤが待っていると、その姿に気付いた彼女の母が声を掛けてくる。
「ああ、アリヤ。帰って来たんだね。今日はもう配達は無いから家の方に行きな。ちゃんと勉強すんだよ」
「はぁい」
一瞬、客がいるのにと恥ずかしく思ったアリヤは、客とすれ違い様にぺこりと軽い会釈をしてからカウンターの内側に入り、配達用のバスケットをプレゼント用の包装紙やリボンが入った棚の上に置いて、そのまま裏口へ向かう。その間にも母と若者の会話を彼女は何となく耳を澄まして聞いていた。
「残念だけど、うちではこういうのは買わないことにしてるんだよ。ほら、場所も取るし、何より高価だって話だろ? 生憎とうちにはそんな余裕無いんだよ。悪いけどね、他当たると良いよ」
「そ……っすか。分かりやした。ご迷惑お掛けしてすんませんっす。――そっちのお嬢さんも要らないっすか?」
「へ? 私?」
裏口へ向かう途中で若者から話を振られたので、アリヤは虚を突かれて足を止めた。一体何の話だと思いつつ、彼女が小首を傾げて若者に近付くと、彼はカウンターに乗せていた物を彼女が見やすいように手に乗せる。アリヤは彼の恰好にどこか既視感を覚えながらも、何気なくその手にある物を見た。
そこには小さな箱があった。丁度アリヤが持っている物と同じくらいの大きさだ。中には一面氷の世界が広がっている。よくよく目を凝らして見ると、小さな箱庭の中にこれまた小さな氷で造られた家具が並んでいる。テーブルと椅子、本棚や暖炉とその装飾まで細かく、誤魔化しの無い技巧が施されている。箱の台座にはつまみのような物とボタンがいくつか付いており、つまみを動かすと、昼の姿から段々夜の姿へと変化し、暖炉には魔法の火が点いた。しかし、その火で氷が溶けてしまうような様子は無い。若者の手の中には美しい氷の部屋があった。
その箱にすっかり釘付けになっているアリヤに、もう一度若者はどこか遠慮がちに声を掛けた。
「どう、っすか? 買ってくれないか?」
「これ、あなたが作ったの?」
アリヤは箱から視線を離せずにそう問いかける。若者は「まぁ」と曖昧にではあるが、肯定した瞬間、ばっと顔を上げたアリヤは初めて彼の顔をまともに見た。
所々土汚れが目立つ外套に身を包んだダークエルフの若者は、不思議そうに金の瞳をアリヤに向け、彼女の答えを待っている。もう一度彼は「買ってくれるか? どうなんだ?」と問うが、アリヤは無意識に別の言葉を口にしていた。
「私を、弟子にしてくれませんか?」
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