フォルスマキナの福音

れく

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第一章

怖くても

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 朝食を食べ終わった航汰は自主的にベッドから降り、以前のように歩けるか少しだけ確かめた。体にはもうどこにも異常は無い。昨日よりは随分と回復したと実感としてあった。ただ、体は健康になっても、彼の心は未だ病んでいた。回復したと分かっても大きな感動は無く、それどころか芽衣奈を置いて一人生き残ってしまったと、微かに自責の念に絡め取られる。しかし、そんな気持ちは部屋に真都梨が入って来たことでなりを潜める。真都梨へ体のことを報告すると、彼女はまた嬉しそうに笑った。自分の気持ちは沈んでいても、他人が喜んでいると分かると、航汰はいくらか自分も救われたような気がした。
 それからは心の方も早く回復させる為、体の回復と共に近々、彼は部屋を移ることになるようだった。一瞬、両親の許に送り返されるのかと身構えた航汰だったが、そうではなかった。未だこの世は機神フォルスマキナ過進化生物エヴォミュートの存在もまだ秘匿されているので、航汰のようにそれらに直接関わった人物の存在は抹消されてしまうのだという。これも余計な混乱を招かないためだと同時に説明され、故に彼の両親にも表向きは彼が死んだと説明されるようだ。それらを聞いても航汰は特に何も感じなかった。元より彼自身が自ら捨てたような社会だ。今更、未練は欠片も無い。無感動に「そうですか」とだけ言った彼を、何故か真都梨は痛ましいものを見るような目で見ていたが、特に何も言わなかった。
 ならば、これからどうなるのかと問えば、真都梨からここの寮に入るのだと聞かされた。それぞれ個室が用意されており、美智瑠達も普段からそこで生活しているのだという。寮といえば、普通は相部屋なのではないかと問うと、真都梨はやや言いにくそうな顔をして理由を説明する。

「さっきのゴウくんみたいに、相部屋だと都合が悪い子もいるから、個室の方が良いの。だから、航汰くんも安心してね」

 プライバシーが守られるのは良いし、航汰にとってそれ以上のことは訊いても仕方ないことだったので、何も訊かずに学校はどうするのかと質問する。

「分かりました。…………学校は……」
「人数が少ないから、教室はみんな一緒だけど、勉強はそれぞれのペースでできるようになっているわ。うちは普段の勉強はAIに任せてるの」
「AI……」
「そう。だから、勉強に関してはあんまり心配しなくてもいいのよ。でも、航汰くんは学校での成績は良いし、心配無いとは思うけど」

『学校』や『成績』という単語を聞くと航汰がどうしても思い出してしまうのは、やはりいじめや家の環境だった。あそこにはもう戻りたくない。航汰はここに来た時からずっとそう思っていたが、自分はもう一度死んだのだと思うと、心の底から救われた。今までの惨めな自分は死んだんだ。もう戻ってくることは無いんだ。そう確信できるのに、航汰の心はいつまでも晴れることは無かった。
 教室へは明日以降通うことになり、今日は健康診断と直近で必要な日用品や教材の手配、部屋割り表を見てどの部屋にするか決め、ここでのルールや注意事項などの詳しい説明を受けるなど、昨日までと比べると忙しくなりそうだ。健康になったとはいえ、体力的に今日中にできるだろうかという不安が航汰の顔に出ていたのか、真都梨から「無理して今日中にやらなくてもいいのよ。体調第一で進めましょうね」と言われて、彼は内心でほっと安堵した。
 真都梨にまずはここの環境に慣れてもらうことが大切だと言われ、後でまた美智瑠達の許へ行こうと提案された航汰は素直にうんと頷いた。航汰の様子を注意深く見つつも、彼女は健康診断から始めるよう言って、航汰を隣の診察室へ通すのだった。



 航汰が新しい環境へ一歩を踏み出した十数分後。
 陽の光がカーテンの隙間から細く差し込んでくるその部屋の中で、剛史は肌に触れる毛布の感触に一瞬だけびくっと身を竦ませた。大丈夫。今のは毛布が触れただけ、と必死に自分に言い聞かせる。自分の内側からざわざわと何か小さなもの達の集合体が立ち上り、それらが塊となって自分の胸を突き破ってくるのではないかという錯覚と恐怖を覚えながら落ち着け、大丈夫だと震える体をぎゅっと抱き締めていると、足元の方から扉を叩く音がした。誰か入って来ようとしていると分かると、剛史はますます身を固くする。誰? 怖い。何も答えずにそのまま膝を抱えた体勢のまま横たわっていると、優しげな声が聞こえてきた。

「ゴウくん、真都梨です。大丈夫?」
「……せんせえ?」

 訪ねてきた相手が真都梨だと分かると、剛史は自分でも驚くほど安心し切った幼い声が出たことに驚き、思わず口をつぐんだ。もう幼児でもないのに恥ずかしいと、布団の中で頬が熱くなる。真都梨は美智瑠と違って、いきなり扉を開けるようなことはせず、その向こうから声を掛けてきた。

「入っても良い? ゴウくんのことが心配なの」

 真都梨は剛史が分かりきっていることでも、優しく言葉にして安心させてくれる。剛史は彼女のこういった優しさが好きだ。誰にも会いたくない時でも彼の硬くなった心を解して、先生ならいっかと思わせてくれる。
 その気持ちに従って、彼は布団からそっと顔を出し、扉に向かって「先生ならいいよ」と入室を許可する。ここはたとえ彼らの上司である真部ですら、部屋の主である子供達の許可が無いと入れないように決めている。そのお陰で、彼らは自分の部屋だけは安全と学習しているのだった。美智瑠は度々、この決まりを忘れて勝手に入って来るのだが。
 剛史の許可を得た真都梨が静かに入って来ると、彼は再び布団を頭まで被る。顔を見られたまま話すことに少し抵抗を感じたからだ。剛史の行動に、真都梨は困ったような笑みを浮かべるだけで特に何も言わなかった。代わりに剛史が寝ているベッドの傍に来て、優しい口調で話しかけてくる。

「ゴウくん、今日はダメな感じ?」
「…………うん」
「頑張ったね」
「――うん…………ごめんなさい、先生」
「どうして? 謝る必要なんて無いわ。ゴウくんも他のみんなも、ここに来た時からずっと頑張ってる子達ばかりよ。――謝るのは、私の方だから」

 その言葉を聞いた途端、剛史は堪らず、がばりと跳ね起きて真都梨と向かい合い、必死に首を左右に振った。頭に毛布を被ったままだが、真都梨にはそれだけで彼の優しさが伝わる。

「先生は悪くないよ。僕が……僕がちゃんとできないから……」
「無理しなくていいのよ。辛い時に行っても…………私達では責任が取れないから」

 真都梨の言葉を受けて少し考えていた様子の剛史は、俯いていたかと思うと、顔を上げて毛布を退かした。ボサボサと寝癖が付いた頭と寝巻きのゆるい猫の顔がプリントされたカーキ色のTシャツが覗く。その目には不安と恐怖に染まりながらも、決意を宿している。

「……ううん、大丈夫。行けるよ」
「ほんとに? 無理しなくていいのよ?」
「うん、大丈夫。今回の任務、僕の能力が必要だって分かってた。だから、行くよ。…………怖いけど」

 思わず、剛史を抱き締めようかと思った真都梨だったが、はっとした顔をしてベッドから離れた。まるで気後れしたような顔をする真都梨に、剛史は「ありがとう、先生」と柔和な笑みを返した。細く差し込む陽光に照らされたその笑顔に、真都梨は上手く笑顔を返せたのか自信が無かった。
 卑怯者め。真都梨の頭にはそんな囁きが聞こえてくる。だが、決してそれを口に出すことは無く、きゅっと唇を引き結んで、彼女は思ってもいないことを言うしかなかった。

「じゃあ、準備ができたら、一度会議室に来てね。美智瑠ちゃんも待ってるから」

 その言葉に未だ拭えぬ恐怖に苛まれながらも、剛史は「うん、分かったよ。先生」と大人しく従った。
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