龍神様に頼まれて龍使い見習い始めました

縁 遊

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12. 地下にあったのは…

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 新島陽(にいじまはる)はいつもにこやかで周りを明るくさせる少年だった。高校生にしてもその幼い満面の笑顔はきらきらと輝きまるでひだまりのような存在感。幼い、と言うのが本人には気に入らないところだったがそれでもいつも誰のことも悪く言わず皆に優しい。陽を嫌う同級生はいなかった。そんな陽の、入学式。

「優巳(まさみ)ー!」

 身体に合わない大きな制服を着た陽が走って来る。運動神経があまり良くないせいか足は速いほうじゃない。そんな陽に苦笑しながら小学校からの同級生、薬師寺優巳(やくしじまさみ)は手を振り返した。小柄な陽と高身長でまるで高校生とは思われない優巳、でこぼこなコンビは幼い頃からの親友だった。

「入学式、優巳新入生挨拶するんだろ? すごいなぁ」
「別に入試の成績がたまたまよかっただけだよ。無駄に緊張するからあまりこういうの得意じゃないんだ」
「知ってる。優巳は緊張すると手と足が同時に出る」
「それ、気にしてるんだよ。ああ嫌だなぁついてないぜ」
「応援してるよ! 優巳格好良いじゃんか。行こう、遅刻しちゃう」

 学校は坂の上にあった。息を切らして必死に歩く陽の手を優巳の腕がつかんだ。

「ほら、頑張れ陽」
「あ、ありがと……優巳体力あるなあ」
「無駄に中学までバスケ部だったわけじゃないよ」
「高校も部活入るの?」
「もちろん、うちの高校のバスケ部は強いんだぜ」

 夢中になれるものがある優巳がうらやましい。陽の趣味は流行のゲームや漫画くらいで部活に入ってまで打ち込みたいことはなかった。多分帰宅部かな、勉強も厳しい理数コースに入学してしまったので放課後は勉強に使おうかと思っている。優巳もまた理数コースだった。そのため必然的に二人は同じクラスになる。
 入学式は滞りなく進み、心配していた優巳の新入生挨拶も無事終えることが出来た。舞台の上の優巳にあの子格好良い、そんな声が一部の女子から上がる。それは陽にとっても光栄なことだった。優巳は陽の自慢の一つだ。
 理数コースには女子はいなかった。だから実質男子校。それを残念がるもの居ればほっとするものもいる。陽はどちらでもよかった。男女分け隔てなく友人になれる、それが陽の良いところでもある。幼い見かけの陽は周りから弟みたいだと可愛がられる。高校でもさっそくそんな存在になろうとしていた。

「おいチビー!」
「僕のこと?」
「お前、チビはねえだろ。陽って呼べよ」

 大柄な優巳に上から言われてしまうとチビと呼んだ同級生は委縮し、慌てて陽、と言いなおした。入学して二週間、皆学校に慣れ始めて来た頃。新入生学力テストがあり、陽は良くて中の下、順位は下から数えたほうが早い。これからの成績が心配になる結果だった。

「優巳ー、勉強教えて」
「教えるも何もまだ大して新しいこと習ってないだろ」
「もう僕中学からやり直さないと駄目かも。全く、合格できたのが奇跡だよ」
「今なら間に合うよ、俺の中学の時のノートいるか?」
「いる! 貸して!」

 この高校に陽が入学したのも半分は優巳がいたからだった。仲良しの縁は出来るだけ切りたくない。それに実力以上の高校に通うことで大学進学に向けて少しでも学力を高めたい。しかしそのためには他人以上の努力が陽には必要だった。
 その日は夕方まで陽は図書室で勉強を、優巳はさっそく入部したバスケ部の練習に励んでいた。図書室から見るバスケットコートの優巳はその身長の高さもあり一年生ながら目立っている。その姿もまた、陽にとっては自慢だった。
 帰り道、すっかり暗くなった空は風が強い。まだ冬が残っているかのように気温の低い夜だった。

「さ、さむ……」
「陽は寒がりだもんな。風邪ひくなよ」
「優巳は寒くないの?」
「別に」

 陽の自宅は引っ越したばかりの駅近のマンションだった。実は今年の春に母親が再婚したばかり。慣れない家は少し帰るのが憂鬱だった。

「ねえ、また優巳の家遊びに行っても良い?」
「いいよ、部活が休みの日はいつだって来いよな」
「ありがと、じゃあ……また明日」
「ああ、明日な、陽」

 そして陽の自宅マンション前で二人は別れる。明るく柔らかい表情をしていた陽の表情が強張った。冷え切ってしまった両手を握り、自宅に向かうエレベーターに乗る。

「ただいま……」
「なによ、遅かったのね、陽。さっさと帰って洗濯物くらい入れておきなさいよ。お母さんが仕事で忙しいの知ってるでしょ?」
「ご、ごめんなさい」
「全くもう、これから料理もしなきゃならないんだから、ほら、早くワイシャツ脱いで。さっさと洗濯しないと時間がないのよ、もう、早く!」
「ご、ごめん、僕、お風呂入れるね……」

 母は陽の実の母親だ。陽が幼い頃に離婚しその頃から仕事に忙しく陽には何かと辛く当たる。仕事のストレスもあるのだろうと陽は自らの意思を押し殺し我慢して受け止めているのだが、今年再婚したら当たりはさらに強くなった。新しい夫と義理の息子、陽にとっては義兄となる有樹(ゆうき)には本音で話すことが出来ないせいだろう。二人はまだ帰宅していないようだった。
 陽はジャージに着替えて冷え切った身体のまま慌てて風呂の掃除をしてお湯を張る。そこへ義父と有樹が帰って来た。陽はにこやかにおかえりなさいと挨拶をして、母親も一転愛想良く対応する。二人は先に陽がいれたばかりのお風呂に入り夕飯の時間を待っていた。
 今夜のメニューはビーフシチュー。風呂上がりの二人は特に母を褒めることなく無言で食事をしている。二人とも再婚するまで外食が多かったせいだろうが、食事にあまり執着していないようだった。それがわざわざ仕事を終えてから急ぎ手作りした母親には気に入らないらしく不機嫌なのが陽にはわかる。

「お母さん、ビーフシチュー美味しいね」
「そう?」
「お肉柔らかくてお店のメニューみたいだよ」
「黙って食べなさい、行儀悪いわよ」

 陽の努力空しく、あまり食卓は良い雰囲気ではなかった。それでも母親の機嫌を直そうと陽は考え、すすんで洗い物をすることにした。義父も有樹も食事を平気で残して皿はそのままにそれぞれリビングと自室に入って行く。

「お母さんお風呂入っちゃっていいよ。疲れたでしょう?」
「洗い物は任せたわよ。お皿割らないでよね、まだ新しいものなんだから」
「うん、丁寧に洗う」

 皿を洗う水が冷たくて震える。それでも母が少しでも機嫌良くなってくれるのならと陽は一日の疲れを抱えながら洗い物をする。ようやく洗い終わり皿を拭き、食器棚にしまい終えた頃にはもう九時も過ぎていた。そして最後になってしまったがようやく自分がいれた風呂に入る。

「さむ……」

 すっかりぬるくなった風呂は湯に浸かっても温まらない。夜の寒さも相まって陽は震えながら風呂から出た。これから勉強をしなければ、優巳に借りたノートのまとめ。授業も速度が速く予習復習もしなければ間に合わない。その日の夜は深夜まで陽は眠ることが出来なかった。

 ***

 早朝、六時。陽は喉に違和感を感じながら目を覚ます。喉が痛い、やけに怠く寒気がする。まだ早朝だから気温が低いせいかと思ったがそれにしては酷く寒い。念のため部屋にあった体温計で熱を測ると微熱があった。風邪をひいてしまったようだ。あまりの怠さに学校を休みたいなと思ったが、母は朝から忙しく言える雰囲気ではなかった。熱のせいで食欲がなかったので起きて早々母が食事を作る前に朝食はいらないと伝える。母は特に気にすることもなくそう、とひとこと返しただけだった。
 風邪薬を飲みたかったけれど切らしているようで薬箱には入っていなかった。微熱とそれに伴う頭痛に耐えながら陽は着替え学校に行く準備をする。玄関で有樹と一緒になった。思わずどうぞ、先に譲る。

「……お前さ、いいひとぶって俺と父さんに仲良くしてもらおうとでも思ってるわけ?」
「えっ……」
「むかつくんだよね、そう言うの」

 全て悪気があってしたことじゃなかった。しかし有樹の言葉にショックを受けて、何も言い返すことが出来ず陽は黙って彼が出かけるのを見送った。嫌われたいわけじゃないのに……陽の心は身体と同様に重くなり出かけるのすら憂鬱になってしまった。
 それでも重い身体を引きずって陽は家を出る。今朝は優巳は朝練で学校までは一人だった。いつもよりゆっくりとした速度で歩き、学校前の坂では立ちどまりながら息を切らせてようやく教室までたどり着く。

「よう陽、遅かったな」
「優巳、おはよ!」
「はよ、……あれ、お前なんか顔色悪くないか?」
「え? そうかな、ちょっと夜更かししちゃったから……かも」
「勉強してたのか?」
「優巳のノート、役に立ったよ!」

 熱がある、と素直に言うことが出来なかった。優巳に心配させたくない。辛いのは自分だけで黙っていたら誰も気づかないから。幼い頃から仕事をしていた母は陽が風邪をひいただけですぐに不機嫌になる人だった。だから陽は身体の不調を打ち明けられない子供になってしまった。高校生にもなると自分でどうにかしようと考えてしまう。いつも元気でにこやかにしていたい、心配かけたりして誰かに嫌われるのは怖かった。
 幸い咳はまだ出なかったから自分から言わなければ不調はばれることはなかった。いつも通りむしろいつも以上に陽はにこやかに明るくふるまって、新島陽を演じていた。周りも気が付かずいつものように陽に接してくれる。それだけで陽は嬉しかった。しかし身体は確実に疲れてきている。熱が上がりワイシャツにびっしょりと汗をかいてしまった。そうかと思えば今度は冷えて寒気がして慌ててジャケットのボタンを閉める。熱の上がり下がりを繰り返した身体はぐったりと、昼になるころには起き上がるのも辛いくらいになってしまっていた。

「何寝てるんだよ、陽」
「うーん、昨日の夜夜更かししちゃったから眠いんだよねえ」
「飯食おうぜ」
「僕は今日は良いかも……優巳はお弁当だよね。食べてていいよ、僕寝てる」
「食えよ、午後辛いぞ」
「だいじょうぶー……」

 大丈夫じゃない。本当の理由は眠いよりも喉の痛みが強かったからだった。飲み物を飲むのですら痛む、身体も怠く少しでも横になっていたかった。少し違和感を感じた優巳だったが陽がそのまま眠ってしまったのでそこまで眠いのなら、と放っておくことにした。しかしいつも元気な陽が学校で眠るなんて珍しい。その寝顔はあどけなく、幼い頃とあまり変わっていないように見えた。

「陽、今日は図書室寄って行かないのか?」
「ちょっと寄り道していろいろ買いたいものがあるんだよね」
「買いたいものって?」
「ルームウェア、その、中学のジャージはそろそろ卒業したいなって」
「まあ、三年間散々着たしなあ」
「僕、帰り道のホームセンター寄ってみるよ、格好良いジャージあったら買おうと思ってる」
「結局ジャージなのな」
「コンビニ程度なら行けるでしょ?」
「変な知らないメーカーものはやめろよ」
「ふふ」

 今日も優巳は部活なので教室でそのまま別れることにした。にこやかに廊下で手を振る陽。優巳も手を挙げて部室に向かって歩いて行く。昇降口で靴を履き替えて学校の外に出ると陽の表情は一気に暗くなった。一日の疲れがどっと出たのだ。そしてホームセンターとは逆の方向に歩き始める。ルームウェアも欲しかったが本当に欲しいものは薬だった。優巳に言ったら心配するから嘘をついていたのだ。風邪薬が欲しい、喉の痛みと熱を下げたい。家には無いようだったから自分で買って帰るしかない。
 陽は制服のまま学校近くのドラッグストアの風邪薬コーナーに寄る。特に喉の痛みに効くもの、でも、熱に効くものも欲しい。迷ったが喉からくる風邪に、と書かれた箱を手に取って、あとはのど飴も一緒に購入した。身体の疲労感は食事をしていないからもあるだろう。明日も学校は休めないから、三本セットの栄養ドリンクも買う。数日乗り切ったらきっと自然に治るはず。しかし陽はあまり身体の丈夫なほうではなく良く風邪をこじらせて高熱を出してしまうことがあった。
 その日の夜、帰宅した途端陽は言いようのない強い寒気に身動きが取れなくなる。
 母の機嫌が悪くなるのはわかっていたが夕食は断り、シャワーを浴びて一足先に自室へ。ふらふらとベッドに横たわるともう動くことが出来なくなってしまっていた。熱いシャワーを浴びたつもりなのに寒くて仕方がない。陽は中学校のジャージの上にパーカーを羽織り布団にもぐってガタガタと震えた。
 一時間おきに体温計で熱を測ったが測るたびに熱は急激に上がっており、すぐに高熱に達するまでになってしまった。もう遅いと思いながらも買い置きしてあったミネラルウォーターで買って来た風邪薬を飲む。思えば今日一日何も食べることが出来なかった。空腹感は確かにあったがそれよりも気持ち悪さが勝る。喉も相変わらず痛んでいたがのど飴の甘さが気持ち悪くてすぐに吐き出してしまった。栄養ドリンクは飲めそうにない。

「……ハァッハァ、ハァ、……う、」

 こんなに高い熱で明日学校に行けるのだろうか。母に勇気を出して休みたいって言うべきかもしれない。でも風邪をひいたとばれたらきっと自己管理の甘さや学校への連絡、ひとつひとつを指摘しては激しく不機嫌に怒り出すのだろう。看病して欲しいって言っているわけじゃないのに、母はいつもそれだけでも怒る人だった。
 休まない。少しでも熱を下げて、学校に行こう。母を怒らせたくはない。その時そう言えば、と思い出し机の引き出しを開ける。そこには解熱鎮痛剤と書かれた飲みかけの薬があった。頭痛がした時に購入したものだった。最初から風邪薬じゃなくてこれを飲めばよかったんだ。熱さえ下がったら学校にもいけるだろう。そして明日は朝、熱があったら風邪薬の代わりに解熱剤を飲むことにして、陽はそのまま目を閉じた。
 夜中、何度も寝苦しくて目が覚めた。その度に体温計を服の中に入れて熱を測るもあまり下がった様子はない。高い熱は体力を酷く消耗させる。熱のせいで頭痛もするし喉も痛いし身体の節々まで痛い。すっかり風邪をこじらせてしまったな……そう思いながら陽は朝まで浅い眠りに身を任せた。

 ***

 翌朝、六時。少し熱は下がったのか昨晩までの身体の熱さは落ち着いていた。さっそく熱を測ると微熱と言えるまでは下がってはいないが何とか歩く程度なら可能な体温だ。これなら解熱剤を飲んでしまえば熱は下がるだろう。昨晩の様に薬をミネラルウォーターで流し込み、立ち上がる。しかし、喉は相変わらず痛い。水飲んだだけだと言うのに違和感が強い。陽は少しふらつきながら着替えて台所へ。今日も朝の食事はいらないと母に伝える。一晩中出した高熱の後では身体中が疲れてしまって怠さが強く食欲は未だわかなかった。
 昨晩も何も食べなかったのに今朝も食べない、母はさすがに変な顔をしたが陽は不調を悟られないようにせいいっぱい頭を下げる。そしてこれからは朝食は自分で用意することにする、と言うことを伝えた。

「ごめんなさい、朝は眠くって……自分で適当にパンだけでも焼いて行くからこれからは僕の分はいいよ。お母さんも用意するの大変でしょう?」
「陽がいいのなら、それで構わないけど……」

 最近朝食を作ってもらうことにも疲れていた。もともと朝は食欲は湧かなかったし……その時母は少し言いにくそうに今晩義父と有樹が夕飯を要らない、と伝えていることを打ち明けた。ああ、自分の分は作りたくないのだろうな、そう察した陽はじゃあ僕もいいよ、と答える。再婚する前はほとんど食事なんて作らなかった母だ。

「僕は自分で用意するから、お母さん気にしないで」
「そう、悪いわね。お金はこれで、適当に用意して」
「ありがとう」

 千円を受け取り陽は財布に入れた。そして部屋に戻り鞄を用意し学校に行く準備をする。起きてすぐ薬を飲んだせいか、熱が少し下がって来たような気がする。これなら、今日も頑張れるだろう。
 いつも通りの時間に家を出た。朝の寒さが少し身体に響いたが、それでも高熱は下がったから身体はだいぶ楽になっていた。喉の痛みもマシになった気がする。
 校庭ではバスケ部がランニングをしている。その中に優巳を見つけて陽の心は温かくなる。元気な優巳を見ていると嬉しい、息を切らせながら靴を履き替えて階段を上り教室にたどり着く。数人の同級生がもう登校していた。

「おはよ、陽」
「おはよー、眠いね」
「今日小テストだろ? だるいよなぁ」
「あはは、そうだよねえ」

 小テスト、そう言えば対策を全くしていなかった。笑顔で同級生に返しながら陽は慌てテスト範囲の復習をする。幸い一昨日図書室で勉強したところが含まれていたのでなんとかなるかもしれない。それでももう少し、と教科書を読んでノートを読み返していると朝の部活を終えた優巳が教室に戻って来た。

「陽?」
「あ、優巳、おはよー」

 優巳は答えずにじっと陽の顔を見ている。そして突然陽の額に手を当てた。

「陽、お前熱あるだろ?」
「えっ、な……なんで」
「顔赤いし、朝から疲れてる。額、触れたらしっかり熱かったぞ」
「大したことないよ、少し風邪気味かも」
「結構熱かったぜ? 大丈夫なのかよ」
「大丈夫、大丈夫。辛くないから」
「お前そう言ってすぐ無理するからなあ」

 中学校くらいから熱があっても無理して学校に来る陽を知っている優巳だ。陽の大丈夫を信用していない。保健室に行こう、そう言ってくれたが熱があるからと保護者に連絡されたら面倒だ。何度も平気だと断って陽はいつも以上に元気があるようにふるまった。

 ***

 小テストはなんとか全問解くことが出来た。答えが正解かどうかはわからないが、しかし陽はそれだけで酷く疲れてしまってその後の昼休みは動くことが出来なかった。今日も昼食をとらない陽を優巳は気にする。そんな優巳に陽は嘘を交えながらも答えた。

「朝は? ちゃんと食べたんだろうな」
「食べて来たよ、お母さん作ってくれたし」
「ならいいけど……きちんと昼飯も食えよ。ほら、俺のおにぎり一個だけでも食べろ」
「い、いいよ。だってそれは優巳のだもん」
「風邪ひいてるんだろ? お前の身体が心配なの、栄養取らないと治るものも治らないぞ」
「いいって」
「食べろ」

 陽は本当に食欲がなく食べたくなかったのだが、優巳があまりに真剣だから仕方がない。

「い、いただき……ます」
「おう」

 一口、二口、陽はなんとか口にして飲み込んで行く。梅干しの入ったこのおにぎりは多分優巳の母親の手作りだろう。優巳にはお弁当まで作ってくれる母親がいるのだ。幼い頃からの知り合いだからあったことはある。確かにあの母親ならきっと学校を休んでも怒ったりしない。
 陽が半分ほどまでおにぎりを口にしたところで、突然胃が悲鳴を上げた。一日以上何も食べなかった身体ではたった半分のおにぎりでさえも辛かったようだ。それに昨晩は高熱を出して寝込んでいたのもある。
 陽は突然席を立ちあがりそのままトイレに向かって必死に駆け込み、個室のドアを閉めた途端に食べたものすべて嘔吐した。それだけでは嘔吐は止まらずそのまま摂取した水分まで何度も何度も吐き戻す。びしゃびしゃと音を立てて水分を吐き戻しやがて胃液にまでたどり着いた、途端に苦い味が口中に広がる。そうして身体中の水分全て吐き戻して、気を失いそうになりながら吐き終えた陽は個室のドアに倒れこんだ。汗が吹き出し、身体に力が入らない。目の前が真っ暗になりそのまま動けずしばらくして個室のドアを激しく叩く音で意識を取り戻した。

「はる……陽!」
「まさみ……」

 力なく吐瀉物を流しふらつきながら個室から出ると、焦った顔をした優巳が陽を受け止めた。陽のあまりにひどい汗に自分のハンドタオルを取り出し汗を拭う。

「立てるか?」
「ごめん……ぼく、はいちゃ……っ」
「無理して食わせて、悪かったな」
「だ、大丈夫……吐いたらすっきりしたから」
「顔色真っ青だぞ、身体も熱いし熱上がってる。すぐに保健室に行こう」
「ま、待って待って、優巳。お願い、保健室は、行きたくない……!」
「どうしてだよ、吐いたんだぞ。熱も高いし無理すんなよ、行こうぜ」

 トイレから出た二人は廊下を歩く。優巳は陽を支えるように腕を支えている、その行き先が保健室なのを察して陽は無理矢理に立ちどまった。

「待って……優巳。保健室に行ったら保護者に連絡されちゃうから」
「連絡? 別にされても構わないだろ」
「うちのお母さん、覚えてる? 再婚しても未だに性格は変わらなくて、僕が風邪でもひこうものなら酷く怒るんだ。仕事も忙しいせいで、すぐに機嫌も悪くなって八つ当たりもされる。そんな家に、僕は帰りたくない」
「そんなこと言ったって……お前」
「僕は、大丈夫。大丈夫だからお願い、静かにしておいて」

 陽にそんなことを言われたら優巳は何も言えなくなってしまった。確かに陽の母の気の強さを知っている。幼い頃から陽が母から虐待に近いほどの教育を受けて育ってきたことを。シングルマザーだった陽の母には、八つ当たりをする相手はいままでずっと陽しかいなかった。陽はそんな母を許し全てを受け止めて来たのだ。時に暴力を振るわれて顔を腫らして学校に来たこともある。再婚したくらいでは結局変わらなかったその性格で、また陽が母に何か乱暴なことをされたら……。

「おねがい……優巳」

 ***

 午後の授業を必死に受けてやっと放課後になり、笑顔で周りに挨拶をした陽は同級生がいなくなると途端にぐったりとして陽は机に突っ伏した。青ざめた顔で速い呼吸を苦し気に繰り返している。力なくだらりと伸びて汗ばんだその手のひらを優巳はそっと握った。

「陽、大丈夫か?」
「優巳……」
「大丈夫じゃ、ないな。帰ろう」
「優巳、部活は?」
「今日は休む、お前一人で帰らせられないだろ」
「でも」
「いいんだよ、甘えろ」

 陽の荷物は優巳が持ち、その肩を支えながら二人で教室を後にする。陽の息が上がっているのを気にして途中立ち止まりながら、ゆっくりと学校を出た。陽の足元がおぼつかない。一日の疲れもあって熱がまた高いようだった。しびれを切らした優巳は陽を背中に背負う。

「い、いいよ、優巳……!」
「うるさいな、黙って背負われてろ」
「僕、まだ歩ける……」
「どこが、ふらふらしてるじゃねえか」

 陽のマンションまで十五分、優巳はずっと陽を背負って歩き続けた。そしてマンション前で優しく陽を背中から降ろす。ふらつく陽を支えながら両手で優しく荷物を渡した。

「ごめん、ごめんね、優巳」
「別に大して重くなかったから気にすんなよ。それより明日も熱が高いようだったら親に何か言われても学校は休めな。今度こそ倒れるぞ、今日だってだいぶ限界だったんだから」
「うん……ありがとうね」
「飯食えたら何か腹にいれて、ゆっくり休めよ。じゃあな、おやすみ」
「おやすみ……また、明日ね」

 帰宅すると夕食をいらないと言っていたはずの有樹が一人でいた。驚いた陽は思わず戸惑い黙り込んでしまう。有樹はこれから出かけるらしい。呆然としている陽を無視してすれ違う、その瞬間に小さな声で目障りなんだよ、とひとこと言い捨てた。そして黙って家を出て行く。陽は傷つき、そのまま自室へ。どうして嫌われてしまうのだろう、自分が何か悪いことをしたのだろうか。落ち込み、それから真っ暗な部屋でベッドの横たわり七時過ぎ。依然、誰も帰って来る様子はなかった。母も外食してくるのだろう。熱で汗ばんだ身体が気持ち悪くて汗を流すためにシャワーを浴びることにした。
 脱衣所で下着姿になったときふと、置いてあった体重計が目についた。特に何の考えもなしにその姿のまま乗ってみる。

「あれ……?」

 入学式後、それから一週間で身体測定があった。まだ一か月もたっていないのにもうそのときよりも三キロほど痩せている。もともと小柄で体重の痩せすぎを指摘されていた陽は息を飲む。これ以上痩せてはいけないと校医に忠告されたばかりだった。それがたった二日食べられなくて、しかも大量に水分まで吐いてしまったからだろうか。風邪で高熱の中登校したせいでその無理が祟ったからかもしれない。たった数日で思ったよりも痩せてしまった身体に驚きながら、陽は黙ってシャワーを浴びるために浴室へと入って行く。青白い肌はくっきりと骨格が浮いていた。
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