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後日譚〜あれから〜

33 【マティアス】氷解

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信じたい思いと、信じるなと警告する自分の板挟みになる。
だが、ふと気がついた。
もう、今さらどうでもいいことだ。
凍りついた心が溶け出していくような感覚を覚える。

イネスとの婚姻関係は解消した。リュカとイネスの手紙のやり取りの真相は、結局わからない。
だったら、リュカの言葉を信じてもいいのかもしれない。どうせ何も変わらないんだから。
信じようが信じまいが、リュカの言葉は私の心の奥に溜まったヘドロのような澱を少しずつ溶かしていく。
不思議なものだ。ただの言葉なのに。私は目をつむり、その流れに身をゆだねた。

触れる体温が、穏やかな言葉が、少しずつ私を癒やしていく。
自分で考えていたよりも、リュカの裏切りは私を傷つけていた。
いや、いままで分からなかった。分かりたくもなかった。
リュカの裏切りに傷つく、弱い自分を認めたくなかった。

リュカが、また大きなため息をついた。「でもやっぱりイネスは手強かった。俺のことを愛してるだのささやきながら、兄さんと結婚して公爵夫人になろうと思ってたんだ。だから、寝た。そうすれば、処女じゃなくなる。兄さんと結婚もできないだろう?そうなるはずだったのに・・・」
リュカがうつむき、握りしめた関節が真っ白になった。

「言い訳はできないけど、悔しかったんだ。俺がどれほど兄さんを好きか、言ってやりたくても言えない立場なのに。あいつは、俺がどうやったってなれない兄さんの婚約者なのに、感謝もしないで、俺にまで色目を使って。いい女気取りが鼻について腹がたった。俺・・・イネスと結婚したいと思ったことなんて、一度もない。まあ、子どもができたって言われたときには焦ったけど」
「結局は妊娠していなかったがな。あのときは、私も、頭が真っ白になった」ぽつりとつぶやく。
口からぽろりと氷の欠片が飛び出したような気がした。
そんな自分におどろき、ぐらつく。

だが、あの夜のことを思い出すだけで、全身に切り裂かれたような痛みを感じた。
2人が結ばれた素晴らしい夜だと思った。幼いリュカを待ち続け、やっと体ごと愛することができた。心から愛しかったし、魂の底から結ばれたはずなのに。
イネスの爆弾発言であっけなく、ふたりの関係は吹き飛ばされた。

「女は妊娠するんだよな。正直、考えてもいなかったよ。俺がどれほど兄さんを受け入れても、妊娠しないのにね。・・・不公平だ」

リュカの目が真っ赤に染まる。俳優でもなければ、ここまで演技はできない。
ほんとうのことを言っていたんだろうか。
今度は、胸にはめられた枷がぱちんと外れる音が聞こえた。

「お前の言いたいことは分かった」

喘ぐように声がふるえたかもしれない。
冷静に聞こえているように願いながら、先を続ける。

「もう、すべて終わったことだ」
「信じてはくれないの?」
「信じようが、信じまいが今さら関係ないだろう。イネスとはもう離縁したし・・・たとえ嘘でもお前の言葉には救われたよ」

また、口から氷の塊が転がり出る。
胸の枷も外れ、息が吸えるようになってきた。

「嘘なんかついてないのに・・・」
「お前の言いたいことは分かった。おそらくこれがお前なりの謝罪なんだろう。風変わりだが、受け入れよう。さあ、そろそろ足かせを外せ」
「うん・・・分かった」

リュカがうつむき、私の手を握りしめた。

「俺たち、これからどうなるの?」
「どうもこうも・・・これまで通りだ。私は、公爵としての責務を果たすし、お前は・・・パン屋をやりたいのなら、他の領地で店を開くか・・・王都で店を構えてもいい。いくらでも支援してやろう。もしくはドランシに戻って、ほとぼりが冷めるのを待つか。ただその場合は時間が必要だろう。すぐに、というわけにはいかない」
「そう・・・それが兄さんの考えなの。俺を捨てるの?」
「捨てるも何も・・・お前の人生を元々所有していない」
「なんでだよ!愛しているって言っただろう?それを聞いて兄さんはどう思ったの?兄さんの気持ちは?」
「・・・」
「なんとか言ってくれよ!なんで、肝心な時になるといつもだんまりなんだよ!俺は兄さんを愛してる。ずっと、ずっと愛してた。店の名前だって・・・本当は誰の名前から取ったか分かってるんだろう?」
「知らん。お前の気持ちは迷惑だ。さあ、分かったら枷を解け。殺されないうちにな」
「なんでだよ!」
リュカの頬は真っ赤に染まり、涙がにじんでいた。
だが、そんな表情を見ても、何かが壊れているのか、何も感じなかった。

互いに睨み合いが続いたあと、リュカがため息をついた。

「・・・わかったよ」

リュカは、のろのろと体を動かし、ためらうように足かせに手を伸ばし、振り返った。

「兄さん・・・もう、会えないの?」

瞳いっぱいに浮かべた涙がこぼれ落ち、ぽとぽとと私の体の上に落ちた。
私のなかの何かがぐらりとゆらいだ。

「兄さん・・・」

リュカが私の首にしがみつき、甘い桃の匂いが強く香った。
思わず、体を支えるように抱きしめてしまう。

「ほら、やっぱりね」

リュカの言葉とともにチクリとした感触を首に感じた。

「お前・・・」
「素直じゃないからだよ」

目の前がゆがみ、リュカが何人にも分かれ・・・そして、消えた。

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