261 / 279
後日譚〜あれから〜
33 【マティアス】氷解
しおりを挟む
信じたい思いと、信じるなと警告する自分の板挟みになる。
だが、ふと気がついた。
もう、今さらどうでもいいことだ。
凍りついた心が溶け出していくような感覚を覚える。
イネスとの婚姻関係は解消した。リュカとイネスの手紙のやり取りの真相は、結局わからない。
だったら、リュカの言葉を信じてもいいのかもしれない。どうせ何も変わらないんだから。
信じようが信じまいが、リュカの言葉は私の心の奥に溜まったヘドロのような澱を少しずつ溶かしていく。
不思議なものだ。ただの言葉なのに。私は目をつむり、その流れに身をゆだねた。
触れる体温が、穏やかな言葉が、少しずつ私を癒やしていく。
自分で考えていたよりも、リュカの裏切りは私を傷つけていた。
いや、いままで分からなかった。分かりたくもなかった。
リュカの裏切りに傷つく、弱い自分を認めたくなかった。
リュカが、また大きなため息をついた。「でもやっぱりイネスは手強かった。俺のことを愛してるだのささやきながら、兄さんと結婚して公爵夫人になろうと思ってたんだ。だから、寝た。そうすれば、処女じゃなくなる。兄さんと結婚もできないだろう?そうなるはずだったのに・・・」
リュカがうつむき、握りしめた関節が真っ白になった。
「言い訳はできないけど、悔しかったんだ。俺がどれほど兄さんを好きか、言ってやりたくても言えない立場なのに。あいつは、俺がどうやったってなれない兄さんの婚約者なのに、感謝もしないで、俺にまで色目を使って。いい女気取りが鼻について腹がたった。俺・・・イネスと結婚したいと思ったことなんて、一度もない。まあ、子どもができたって言われたときには焦ったけど」
「結局は妊娠していなかったがな。あのときは、私も、頭が真っ白になった」ぽつりとつぶやく。
口からぽろりと氷の欠片が飛び出したような気がした。
そんな自分におどろき、ぐらつく。
だが、あの夜のことを思い出すだけで、全身に切り裂かれたような痛みを感じた。
2人が結ばれた素晴らしい夜だと思った。幼いリュカを待ち続け、やっと体ごと愛することができた。心から愛しかったし、魂の底から結ばれたはずなのに。
イネスの爆弾発言であっけなく、ふたりの関係は吹き飛ばされた。
「女は妊娠するんだよな。正直、考えてもいなかったよ。俺がどれほど兄さんを受け入れても、妊娠しないのにね。・・・不公平だ」
リュカの目が真っ赤に染まる。俳優でもなければ、ここまで演技はできない。
ほんとうのことを言っていたんだろうか。
今度は、胸にはめられた枷がぱちんと外れる音が聞こえた。
「お前の言いたいことは分かった」
喘ぐように声がふるえたかもしれない。
冷静に聞こえているように願いながら、先を続ける。
「もう、すべて終わったことだ」
「信じてはくれないの?」
「信じようが、信じまいが今さら関係ないだろう。イネスとはもう離縁したし・・・たとえ嘘でもお前の言葉には救われたよ」
また、口から氷の塊が転がり出る。
胸の枷も外れ、息が吸えるようになってきた。
「嘘なんかついてないのに・・・」
「お前の言いたいことは分かった。おそらくこれがお前なりの謝罪なんだろう。風変わりだが、受け入れよう。さあ、そろそろ足かせを外せ」
「うん・・・分かった」
リュカがうつむき、私の手を握りしめた。
「俺たち、これからどうなるの?」
「どうもこうも・・・これまで通りだ。私は、公爵としての責務を果たすし、お前は・・・パン屋をやりたいのなら、他の領地で店を開くか・・・王都で店を構えてもいい。いくらでも支援してやろう。もしくはドランシに戻って、ほとぼりが冷めるのを待つか。ただその場合は時間が必要だろう。すぐに、というわけにはいかない」
「そう・・・それが兄さんの考えなの。俺を捨てるの?」
「捨てるも何も・・・お前の人生を元々所有していない」
「なんでだよ!愛しているって言っただろう?それを聞いて兄さんはどう思ったの?兄さんの気持ちは?」
「・・・」
「なんとか言ってくれよ!なんで、肝心な時になるといつもだんまりなんだよ!俺は兄さんを愛してる。ずっと、ずっと愛してた。店の名前だって・・・本当は誰の名前から取ったか分かってるんだろう?」
「知らん。お前の気持ちは迷惑だ。さあ、分かったら枷を解け。殺されないうちにな」
「なんでだよ!」
リュカの頬は真っ赤に染まり、涙がにじんでいた。
だが、そんな表情を見ても、何かが壊れているのか、何も感じなかった。
互いに睨み合いが続いたあと、リュカがため息をついた。
「・・・わかったよ」
リュカは、のろのろと体を動かし、ためらうように足かせに手を伸ばし、振り返った。
「兄さん・・・もう、会えないの?」
瞳いっぱいに浮かべた涙がこぼれ落ち、ぽとぽとと私の体の上に落ちた。
私のなかの何かがぐらりとゆらいだ。
「兄さん・・・」
リュカが私の首にしがみつき、甘い桃の匂いが強く香った。
思わず、体を支えるように抱きしめてしまう。
「ほら、やっぱりね」
リュカの言葉とともにチクリとした感触を首に感じた。
「お前・・・」
「素直じゃないからだよ」
目の前がゆがみ、リュカが何人にも分かれ・・・そして、消えた。
だが、ふと気がついた。
もう、今さらどうでもいいことだ。
凍りついた心が溶け出していくような感覚を覚える。
イネスとの婚姻関係は解消した。リュカとイネスの手紙のやり取りの真相は、結局わからない。
だったら、リュカの言葉を信じてもいいのかもしれない。どうせ何も変わらないんだから。
信じようが信じまいが、リュカの言葉は私の心の奥に溜まったヘドロのような澱を少しずつ溶かしていく。
不思議なものだ。ただの言葉なのに。私は目をつむり、その流れに身をゆだねた。
触れる体温が、穏やかな言葉が、少しずつ私を癒やしていく。
自分で考えていたよりも、リュカの裏切りは私を傷つけていた。
いや、いままで分からなかった。分かりたくもなかった。
リュカの裏切りに傷つく、弱い自分を認めたくなかった。
リュカが、また大きなため息をついた。「でもやっぱりイネスは手強かった。俺のことを愛してるだのささやきながら、兄さんと結婚して公爵夫人になろうと思ってたんだ。だから、寝た。そうすれば、処女じゃなくなる。兄さんと結婚もできないだろう?そうなるはずだったのに・・・」
リュカがうつむき、握りしめた関節が真っ白になった。
「言い訳はできないけど、悔しかったんだ。俺がどれほど兄さんを好きか、言ってやりたくても言えない立場なのに。あいつは、俺がどうやったってなれない兄さんの婚約者なのに、感謝もしないで、俺にまで色目を使って。いい女気取りが鼻について腹がたった。俺・・・イネスと結婚したいと思ったことなんて、一度もない。まあ、子どもができたって言われたときには焦ったけど」
「結局は妊娠していなかったがな。あのときは、私も、頭が真っ白になった」ぽつりとつぶやく。
口からぽろりと氷の欠片が飛び出したような気がした。
そんな自分におどろき、ぐらつく。
だが、あの夜のことを思い出すだけで、全身に切り裂かれたような痛みを感じた。
2人が結ばれた素晴らしい夜だと思った。幼いリュカを待ち続け、やっと体ごと愛することができた。心から愛しかったし、魂の底から結ばれたはずなのに。
イネスの爆弾発言であっけなく、ふたりの関係は吹き飛ばされた。
「女は妊娠するんだよな。正直、考えてもいなかったよ。俺がどれほど兄さんを受け入れても、妊娠しないのにね。・・・不公平だ」
リュカの目が真っ赤に染まる。俳優でもなければ、ここまで演技はできない。
ほんとうのことを言っていたんだろうか。
今度は、胸にはめられた枷がぱちんと外れる音が聞こえた。
「お前の言いたいことは分かった」
喘ぐように声がふるえたかもしれない。
冷静に聞こえているように願いながら、先を続ける。
「もう、すべて終わったことだ」
「信じてはくれないの?」
「信じようが、信じまいが今さら関係ないだろう。イネスとはもう離縁したし・・・たとえ嘘でもお前の言葉には救われたよ」
また、口から氷の塊が転がり出る。
胸の枷も外れ、息が吸えるようになってきた。
「嘘なんかついてないのに・・・」
「お前の言いたいことは分かった。おそらくこれがお前なりの謝罪なんだろう。風変わりだが、受け入れよう。さあ、そろそろ足かせを外せ」
「うん・・・分かった」
リュカがうつむき、私の手を握りしめた。
「俺たち、これからどうなるの?」
「どうもこうも・・・これまで通りだ。私は、公爵としての責務を果たすし、お前は・・・パン屋をやりたいのなら、他の領地で店を開くか・・・王都で店を構えてもいい。いくらでも支援してやろう。もしくはドランシに戻って、ほとぼりが冷めるのを待つか。ただその場合は時間が必要だろう。すぐに、というわけにはいかない」
「そう・・・それが兄さんの考えなの。俺を捨てるの?」
「捨てるも何も・・・お前の人生を元々所有していない」
「なんでだよ!愛しているって言っただろう?それを聞いて兄さんはどう思ったの?兄さんの気持ちは?」
「・・・」
「なんとか言ってくれよ!なんで、肝心な時になるといつもだんまりなんだよ!俺は兄さんを愛してる。ずっと、ずっと愛してた。店の名前だって・・・本当は誰の名前から取ったか分かってるんだろう?」
「知らん。お前の気持ちは迷惑だ。さあ、分かったら枷を解け。殺されないうちにな」
「なんでだよ!」
リュカの頬は真っ赤に染まり、涙がにじんでいた。
だが、そんな表情を見ても、何かが壊れているのか、何も感じなかった。
互いに睨み合いが続いたあと、リュカがため息をついた。
「・・・わかったよ」
リュカは、のろのろと体を動かし、ためらうように足かせに手を伸ばし、振り返った。
「兄さん・・・もう、会えないの?」
瞳いっぱいに浮かべた涙がこぼれ落ち、ぽとぽとと私の体の上に落ちた。
私のなかの何かがぐらりとゆらいだ。
「兄さん・・・」
リュカが私の首にしがみつき、甘い桃の匂いが強く香った。
思わず、体を支えるように抱きしめてしまう。
「ほら、やっぱりね」
リュカの言葉とともにチクリとした感触を首に感じた。
「お前・・・」
「素直じゃないからだよ」
目の前がゆがみ、リュカが何人にも分かれ・・・そして、消えた。
0
お気に入りに追加
225
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
僕が玩具になった理由
Me-ya
BL
🈲R指定🈯
「俺のペットにしてやるよ」
眞司は僕を見下ろしながらそう言った。
🈲R指定🔞
※この作品はフィクションです。
実在の人物、団体等とは一切関係ありません。
※この小説は他の場所で書いていましたが、携帯が壊れてスマホに替えた時、小説を書いていた場所が分からなくなってしまいました😨
ので、ここで新しく書き直します…。
(他の場所でも、1カ所書いていますが…)
エレベーターで一緒になった男の子がやけにモジモジしているので
こじらせた処女
BL
大学生になり、一人暮らしを始めた荒井は、今日も今日とて買い物を済ませて、下宿先のエレベーターを待っていた。そこに偶然居合わせた中学生になりたての男の子。やけにソワソワしていて、我慢しているというのは明白だった。
とてつもなく短いエレベーターの移動時間に繰り広げられる、激しいおしっこダンス。果たして彼は間に合うのだろうか…
大親友に監禁される話
だいたい石田
BL
孝之が大親友の正人の家にお泊りにいくことになった。
目覚めるとそこは大型犬用の檻だった。
R描写はありません。
トイレでないところで小用をするシーンがあります。
※この作品はピクシブにて別名義にて投稿した小説を手直ししたものです。
3人の弟に逆らえない
ポメ
BL
優秀な3つ子に調教される兄の話です。
主人公:高校2年生の瑠璃
長男の嵐は活発な性格で運動神経抜群のワイルド男子。
次男の健二は大人しい性格で勉学が得意の清楚系王子。
三男の翔斗は無口だが機械に強く、研究オタクっぽい。黒髪で少し地味だがメガネを取ると意外とかっこいい?
3人とも高身長でルックスが良いと学校ではモテまくっている。
しかし、同時に超がつくブラコンとも言われているとか?
そんな3つ子に溺愛される瑠璃の話。
調教・お仕置き・近親相姦が苦手な方はご注意くださいm(_ _)m
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる