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後日譚〜あれから〜
12 【リュカ】再会
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客間のソファーに体をあずけると、ふわりと俺の身体が包まれた。この高級感は久しぶりだ。せっかくなので、この座り心地を楽しませてもらおう。
ベネディクトの入れた紅茶が香る。
「ベルガモットの香りなんて久しぶりだ」
「お好きでしたでしょう?」
ベネディクトの心づかいへの礼に微笑むと、ベネディクトも笑みを返した。
「リュカ様のお陰で、旦那様も最近は、お食事をしっかりととられるようになったんですよ。ここ数年はお仕事ばかりで、このままでは身体を壊してしまうと、心配しておりました。ありがとうございます」
「そんなこと・・・俺は、ただ仕事をしただけです。パンを焼くのが俺の仕事なんで」
「そうですね。今では、リュカ親方とお呼びすべきなんでしょうね。公爵家の力も借りずによくここまで・・・さすがです」
「そんな、褒められたもんじゃないよ。でもこの仕事は性に合ってる。公爵家の仕事は俺には合わなかったけどな」
「マティアス様と比較するから、そう感じられるんです。リュカ様だって優秀でした。ですが、マティアス様は天才ですから」
「まあ、たしかに。でも、俺は今の生活で満足してるし、特に困ったことはないんだ。だから、ここを出るときにお前が用立ててくれた金も、返したいと思ってるんだ」
「そうですか」
ベネディクトはポットをながめながら、少し考えこむような仕草をした。
「実は、用立てたお金は、私からではございません。どなたかからはおわかりですよね?」
どきん、と俺の胸が大きな音を立てた。
「私がご用意したものではないのに、お返しいただくできませんので・・・返されるということであれば、直接お渡しください」
「な、なんで・・・」
「もし本気でお金を返したいと考えていらっしゃるのなら、お時間をお取りしますので仰ってください。直接お会いすればお礼も言えますし」
「・・・」
心臓が飛び出しそうだ。カーッと頬が熱くなった。
兄さんに会える?まさか、そんなことになるとは思いもしなかった。
頭の中が散り散りになって、考えがまとまらない。喉は詰まったように声が出せず、ただ心臓の音の大きさに戸惑ってしまう。
兄さんに会える?ほんとうに?会いたい。会いたい・・・
目がくらむほどの動揺にくらくらして、なにを言ったらいいのかわからない。
そんな俺を横目に、ベネディクトが窓の外を見ながら、立ち上がった。
「そういえば、料理人からリュカ様にお渡ししてほしいと言われたものがございました。珍しい香辛料だそうです。ただいまお持ちいたしますので、少しお待ちください」
「あ、ああ・・・」
ベネディクトが礼儀正しく一礼して部屋を出ていってから、自分の手が震えていることに気がついた。
いや、手だけじゃない、体中が小さく震えている。
兄さんに会えると考えただけで、喜びで体中がはじけそうになる。
でも、それだけじゃない。
俺は怖いんだ。兄さんに会うことが。
あまりにも取るに足らない自分を見たとき、兄の目に浮かぶ失望を見たくない。
でも、やっぱり、会いたい。
落ち着かない気持ちで、部屋の中を歩き回ると、少し冷静になった。
今日のところは、帰ろう。
そうだ、心の準備があまりにもできてなかった。兄さんが呼んでくれれば、俺を許してくれたんだろうと思えるけど、俺を雇ったのはベネディクトだ。自分から金を返すために会いに行くなんて・・・いや、金は返す。兄さんにとっては、はした金かもしれないけど、俺のプライドの問題だ。
でも、今日は無理だ。香辛料は粉と一緒に届けてもらえばいい。俺が部屋を出ようとすると、突然、目の前の扉が開いた。
「お待たせし・・・」
低い声の主が息を飲んだ。忘れられない声。
「兄さん」
兄は目を見開き、まるで幻か幽霊にでも出くわしたような顔で俺を見つめている。
「リュカ」
兄さんは口の中で俺の名を呼ぶと、「仕組まれたか」と小さく舌打ちし、さっと表情が消えた。
「あ、あの・・・俺・・・」ことばが続かない。ただ、狂ったように胸が高鳴り、泣き出しそうだ。
「まあ、座れ」
兄は感情のこもらない声で俺に告げ、部屋に入ってきた。
俺は膝から崩れるように、椅子に座り込んだ。さっきまであんなに座り心地が良かった椅子が、まるでおれの体を弾くように硬く感じられる。
俺たちの間をどうしようもない沈黙が落ちた。なにを話したらいいのかわからない。
天気の話?まさか。
共通の知人・・・イネス?ありえない。
ベネディクト?でも、なにを?俺の仕事の話?兄さんは賛成してくれるのかな。それとも・・・なにか話題はないだろうか。いや、そもそも久しぶりにあった兄弟って、なにを話すのが正しいんだ?
俺が動揺している間に、誰かがまた茶を入れてくれたらしい。
「落ち着け」
兄が、カップとソーサーを手にした気配に、顔をあげる。
兄さんだ。本物の兄さんが、目の前にいる。
兄は素知らぬ顔でティーカップを口元に近づけた。
(兄さんは平気なんだ。なんとも思わないんだ)
そう思った瞬間、目の前の兄さんの手が小刻みに震えていることに気がついた。
緊張しているのは、俺だけじゃなかった。
ベネディクトの入れた紅茶が香る。
「ベルガモットの香りなんて久しぶりだ」
「お好きでしたでしょう?」
ベネディクトの心づかいへの礼に微笑むと、ベネディクトも笑みを返した。
「リュカ様のお陰で、旦那様も最近は、お食事をしっかりととられるようになったんですよ。ここ数年はお仕事ばかりで、このままでは身体を壊してしまうと、心配しておりました。ありがとうございます」
「そんなこと・・・俺は、ただ仕事をしただけです。パンを焼くのが俺の仕事なんで」
「そうですね。今では、リュカ親方とお呼びすべきなんでしょうね。公爵家の力も借りずによくここまで・・・さすがです」
「そんな、褒められたもんじゃないよ。でもこの仕事は性に合ってる。公爵家の仕事は俺には合わなかったけどな」
「マティアス様と比較するから、そう感じられるんです。リュカ様だって優秀でした。ですが、マティアス様は天才ですから」
「まあ、たしかに。でも、俺は今の生活で満足してるし、特に困ったことはないんだ。だから、ここを出るときにお前が用立ててくれた金も、返したいと思ってるんだ」
「そうですか」
ベネディクトはポットをながめながら、少し考えこむような仕草をした。
「実は、用立てたお金は、私からではございません。どなたかからはおわかりですよね?」
どきん、と俺の胸が大きな音を立てた。
「私がご用意したものではないのに、お返しいただくできませんので・・・返されるということであれば、直接お渡しください」
「な、なんで・・・」
「もし本気でお金を返したいと考えていらっしゃるのなら、お時間をお取りしますので仰ってください。直接お会いすればお礼も言えますし」
「・・・」
心臓が飛び出しそうだ。カーッと頬が熱くなった。
兄さんに会える?まさか、そんなことになるとは思いもしなかった。
頭の中が散り散りになって、考えがまとまらない。喉は詰まったように声が出せず、ただ心臓の音の大きさに戸惑ってしまう。
兄さんに会える?ほんとうに?会いたい。会いたい・・・
目がくらむほどの動揺にくらくらして、なにを言ったらいいのかわからない。
そんな俺を横目に、ベネディクトが窓の外を見ながら、立ち上がった。
「そういえば、料理人からリュカ様にお渡ししてほしいと言われたものがございました。珍しい香辛料だそうです。ただいまお持ちいたしますので、少しお待ちください」
「あ、ああ・・・」
ベネディクトが礼儀正しく一礼して部屋を出ていってから、自分の手が震えていることに気がついた。
いや、手だけじゃない、体中が小さく震えている。
兄さんに会えると考えただけで、喜びで体中がはじけそうになる。
でも、それだけじゃない。
俺は怖いんだ。兄さんに会うことが。
あまりにも取るに足らない自分を見たとき、兄の目に浮かぶ失望を見たくない。
でも、やっぱり、会いたい。
落ち着かない気持ちで、部屋の中を歩き回ると、少し冷静になった。
今日のところは、帰ろう。
そうだ、心の準備があまりにもできてなかった。兄さんが呼んでくれれば、俺を許してくれたんだろうと思えるけど、俺を雇ったのはベネディクトだ。自分から金を返すために会いに行くなんて・・・いや、金は返す。兄さんにとっては、はした金かもしれないけど、俺のプライドの問題だ。
でも、今日は無理だ。香辛料は粉と一緒に届けてもらえばいい。俺が部屋を出ようとすると、突然、目の前の扉が開いた。
「お待たせし・・・」
低い声の主が息を飲んだ。忘れられない声。
「兄さん」
兄は目を見開き、まるで幻か幽霊にでも出くわしたような顔で俺を見つめている。
「リュカ」
兄さんは口の中で俺の名を呼ぶと、「仕組まれたか」と小さく舌打ちし、さっと表情が消えた。
「あ、あの・・・俺・・・」ことばが続かない。ただ、狂ったように胸が高鳴り、泣き出しそうだ。
「まあ、座れ」
兄は感情のこもらない声で俺に告げ、部屋に入ってきた。
俺は膝から崩れるように、椅子に座り込んだ。さっきまであんなに座り心地が良かった椅子が、まるでおれの体を弾くように硬く感じられる。
俺たちの間をどうしようもない沈黙が落ちた。なにを話したらいいのかわからない。
天気の話?まさか。
共通の知人・・・イネス?ありえない。
ベネディクト?でも、なにを?俺の仕事の話?兄さんは賛成してくれるのかな。それとも・・・なにか話題はないだろうか。いや、そもそも久しぶりにあった兄弟って、なにを話すのが正しいんだ?
俺が動揺している間に、誰かがまた茶を入れてくれたらしい。
「落ち着け」
兄が、カップとソーサーを手にした気配に、顔をあげる。
兄さんだ。本物の兄さんが、目の前にいる。
兄は素知らぬ顔でティーカップを口元に近づけた。
(兄さんは平気なんだ。なんとも思わないんだ)
そう思った瞬間、目の前の兄さんの手が小刻みに震えていることに気がついた。
緊張しているのは、俺だけじゃなかった。
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