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後日譚〜あれから〜
2 【リュカ】小麦粉が足りない。
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パンの材料になる小麦は、街はずれの水車小屋で挽いてもらう。でも、水車小屋で挽ける量は限界があるから、ギルドで順番と量を決めて、約束の日に取りに行く仕組みだ。
庶民向けのパン屋では黒いパンが主流で、白いパンはお祭りの日や特別な日に食べるごちそうだから、当然白いパンが焼ける白い小麦粉は量が少ない。
でも、俺は今週どころか今月の分と他の人の権利まで買い取って白い小麦粉を挽いてもらっていた。
もう、手元には白い小麦粉がなく、あの少年が来ても売るパンがない。
あの少年に焼菓子を渡してからほぼ2週間がたった。俺が期待していた人からは、なんの音沙汰もなかった。
ぼんやりとした不安が俺の心を覆い、何もかも間違っていたのではないかと思えてくる。
兄さんが焼き菓子にこめた思いを受け取ってくれること。
俺に会いに来てくれること。
もしかしてちょっとは・・・情が残っているかもしれないこと。
そこまでとはいかなくても、せめて弟としてでも顔を合わせてくれること。
・・・ばかだなあ、俺。
深い溜め息が身体の奥底からこぼれ出た。
聞くところによれば、兄さんにはもう何人もこどもがいるっていうし・・・俺なんて、むしろ過去の汚点だって、考えるまでもなくわかっても良さそうなものなのに。
あんな、貧しい焼き菓子を渡して兄さんにまた会えるって期待した自分が馬鹿すぎて、恥ずかしい。でも・・・
あのあとも少年は2日に一度はパンを買いに来ていたし・・・単にうちのパンが気に入ってくれたってことかな。それとも公爵邸の厨房の釜が壊れたとか?だったらすぐに修理するだろ・・・田舎貴族でもあるまいし。
ぐるぐると思考が回り、ため息をついた。
そんなことより、売りすぎて他のお客さんの分まで小麦粉が足りなくなりそうなことを心配すべきだろ、と自分を叱る。
大真面目な話、少年に売りすぎてしまったせいで、うちの小麦は白い小麦粉だけじゃなくて、普通のパンを焼くための粉もなくなりかけていた。
(農村に行って、ライ麦でも仕入れてくるか。でも、ライ麦のパンは安いんだよな)
一応商売人だから、そんなことだって考える。
とぼとぼと店に戻ると、レオンが目を吊り上げて怒っていた。
「とうちゃん、どこ行ってたんだよ!俺ひとりじゃ回らないよ!」
店の中には数人の客がいらただしげに会計を待っていた。
「いらっしゃいませ。おまたせしてすみませんでした」俺はあわててエプロンを身につけ、カウンターに立った。
翌朝、またあの貴族の少年がパンを買いにやってきた。
日差しなど浴びたこともないような白い肌に絹の服をまとい、貧しいパン屋のどこかに触れて汚しては大変だと、身をよじるようにしてカウンターに進んできた。
「全種類を2つずつ」
ただ、あいにくその日はもう売るものがなかった。一応あるにはあるが、常連さんの分も残しておかなければならない。とはいえ、しばらく店を閉めざるを得ないかなと考えるほど、商品は残り少なかった。大きな黒いパンの塊がたったの2つ。
「いつもありがとうございます」
俺が少年の指示に従わずに頭を下げると、少年は複雑な表情を浮かべ、唇を舐めた。
「あー、その。いつもと同じ量を・・・」
「ありがとうございます。とてもありがたいのですが、もうお売りできるものがないんですよ」
「は?」
「実は、小麦粉が足りないので、お渡しできる分のパンがないんです」
「え?なんでだ?そんなことがあるのか?」
「申し訳ないんですが、俺に割りあてられた分の小麦はもうほとんど残ってなくて・・・」
「割りあて?」
俺は事情を説明したが、少年が理解できたのかはわからない。
だが、予定していた分のパンを持ち帰れないと知った少年は、予想以上に動揺した顔で店内をぐるっと見回した。
「で、ではそこにあるのは?」
少年は大きな黒いパンを指さした。
「本当に申し訳ないと思っているんですが、こればかりはどうしようもなくて。ここにあるのは黒いパンですし・・・常連さんのために残している分でして・・・その・・・ご主人は黒いパンはお召しあがりにならないでしょうし」
「黒いパン・・・」
「ひいきにしていただいたのに、もうしわけありません」
俺が頭を下げると、少年は困り果てたように眉を下げ、無言のまま店から出ていった。
嘘ではなく在庫がないんだと理解してもらえたんだろう。
レオンに店番をたのみ、店の外に出る。
少し冷静になって今後のことを考える必要があった。
(とにかく、パン屋に小麦粉がないなんて、商売上がったりだよ)
店の通用口のドアに背をもたせかけ、水を一口飲むと心が落ち着いてきた。
(自分の力で生きるって決めたんだから、なんとかしないと。たくさん買ってもらったから少し蓄えはできたけど、常連さんに売るものがないってのは参ったな)
もう一口水を飲む。
(よし、農村に行ってライ麦を仕入れてこよう。このさい、文句言ってる場合じゃない)
善は急げだ。レオンに仕入れに行ってくると告げようとしたとき、後から誰かが勢いよく抱きついてきた。
「リュカ!!」
庶民向けのパン屋では黒いパンが主流で、白いパンはお祭りの日や特別な日に食べるごちそうだから、当然白いパンが焼ける白い小麦粉は量が少ない。
でも、俺は今週どころか今月の分と他の人の権利まで買い取って白い小麦粉を挽いてもらっていた。
もう、手元には白い小麦粉がなく、あの少年が来ても売るパンがない。
あの少年に焼菓子を渡してからほぼ2週間がたった。俺が期待していた人からは、なんの音沙汰もなかった。
ぼんやりとした不安が俺の心を覆い、何もかも間違っていたのではないかと思えてくる。
兄さんが焼き菓子にこめた思いを受け取ってくれること。
俺に会いに来てくれること。
もしかしてちょっとは・・・情が残っているかもしれないこと。
そこまでとはいかなくても、せめて弟としてでも顔を合わせてくれること。
・・・ばかだなあ、俺。
深い溜め息が身体の奥底からこぼれ出た。
聞くところによれば、兄さんにはもう何人もこどもがいるっていうし・・・俺なんて、むしろ過去の汚点だって、考えるまでもなくわかっても良さそうなものなのに。
あんな、貧しい焼き菓子を渡して兄さんにまた会えるって期待した自分が馬鹿すぎて、恥ずかしい。でも・・・
あのあとも少年は2日に一度はパンを買いに来ていたし・・・単にうちのパンが気に入ってくれたってことかな。それとも公爵邸の厨房の釜が壊れたとか?だったらすぐに修理するだろ・・・田舎貴族でもあるまいし。
ぐるぐると思考が回り、ため息をついた。
そんなことより、売りすぎて他のお客さんの分まで小麦粉が足りなくなりそうなことを心配すべきだろ、と自分を叱る。
大真面目な話、少年に売りすぎてしまったせいで、うちの小麦は白い小麦粉だけじゃなくて、普通のパンを焼くための粉もなくなりかけていた。
(農村に行って、ライ麦でも仕入れてくるか。でも、ライ麦のパンは安いんだよな)
一応商売人だから、そんなことだって考える。
とぼとぼと店に戻ると、レオンが目を吊り上げて怒っていた。
「とうちゃん、どこ行ってたんだよ!俺ひとりじゃ回らないよ!」
店の中には数人の客がいらただしげに会計を待っていた。
「いらっしゃいませ。おまたせしてすみませんでした」俺はあわててエプロンを身につけ、カウンターに立った。
翌朝、またあの貴族の少年がパンを買いにやってきた。
日差しなど浴びたこともないような白い肌に絹の服をまとい、貧しいパン屋のどこかに触れて汚しては大変だと、身をよじるようにしてカウンターに進んできた。
「全種類を2つずつ」
ただ、あいにくその日はもう売るものがなかった。一応あるにはあるが、常連さんの分も残しておかなければならない。とはいえ、しばらく店を閉めざるを得ないかなと考えるほど、商品は残り少なかった。大きな黒いパンの塊がたったの2つ。
「いつもありがとうございます」
俺が少年の指示に従わずに頭を下げると、少年は複雑な表情を浮かべ、唇を舐めた。
「あー、その。いつもと同じ量を・・・」
「ありがとうございます。とてもありがたいのですが、もうお売りできるものがないんですよ」
「は?」
「実は、小麦粉が足りないので、お渡しできる分のパンがないんです」
「え?なんでだ?そんなことがあるのか?」
「申し訳ないんですが、俺に割りあてられた分の小麦はもうほとんど残ってなくて・・・」
「割りあて?」
俺は事情を説明したが、少年が理解できたのかはわからない。
だが、予定していた分のパンを持ち帰れないと知った少年は、予想以上に動揺した顔で店内をぐるっと見回した。
「で、ではそこにあるのは?」
少年は大きな黒いパンを指さした。
「本当に申し訳ないと思っているんですが、こればかりはどうしようもなくて。ここにあるのは黒いパンですし・・・常連さんのために残している分でして・・・その・・・ご主人は黒いパンはお召しあがりにならないでしょうし」
「黒いパン・・・」
「ひいきにしていただいたのに、もうしわけありません」
俺が頭を下げると、少年は困り果てたように眉を下げ、無言のまま店から出ていった。
嘘ではなく在庫がないんだと理解してもらえたんだろう。
レオンに店番をたのみ、店の外に出る。
少し冷静になって今後のことを考える必要があった。
(とにかく、パン屋に小麦粉がないなんて、商売上がったりだよ)
店の通用口のドアに背をもたせかけ、水を一口飲むと心が落ち着いてきた。
(自分の力で生きるって決めたんだから、なんとかしないと。たくさん買ってもらったから少し蓄えはできたけど、常連さんに売るものがないってのは参ったな)
もう一口水を飲む。
(よし、農村に行ってライ麦を仕入れてこよう。このさい、文句言ってる場合じゃない)
善は急げだ。レオンに仕入れに行ってくると告げようとしたとき、後から誰かが勢いよく抱きついてきた。
「リュカ!!」
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