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後日譚〜あれから〜
6 【マティアス】焼菓子の味
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その日の夜遅く、王宮から戻るとベネディクトが玄関先で私を待ち構えていた。
うやうやしく頭を下げるベネディクトに手袋を渡す。
「お疲れ様でございます」
「いつもの通り書斎に食事を」
「かしこまりました」
丁寧な態度はいつもどおりだが、ベネディクトがわざわざ玄関先まで出てくるということは、なにか言いたいことがある、ということだ。
「何だ」
「いえ、別になにも?」
「何年の付き合いだと思ってるんだ」
「そうですか。では、よろしければ一息ついていただきたく」
「時間がないのだが」
「一息ついてくださいますよね?」
「・・・わかった」
兄であり父でもあるベネディクトには結局勝てない。
私はベネディクトの強い口調に首をかしげながらも、珍しく書斎で仕事をせずに、茶が運ばれてくるのを待った。
だが、この時間があれば書類の一枚くらい・・・
ソファーから立ち上がると同時にベネディクトがワゴンを押して部屋に入ってきた。
「どうぞ、どうぞ、お座りください。旦那様。今日は特別な菓子も用意いたしましたので」
ベネディクトの妙に明るい笑顔に気圧されてソファーに大人しく戻る。眼の前のワゴンには、金箔で縁取られた皿に不似合いな焼き菓子が載せられていた。コポコポと紅茶を注ぐ音が耳に心地よく響き、紅茶のよい香りが部屋を満たした。
(特別な菓子?これが?)
そうは思ったが、まあ、いいだろう。ベネディクトが満足するのであれば茶の一杯ぐらい付き合おう。
紅茶に口をつけ、焼き菓子に手を伸ばす。
そういえば、菓子を食べるのも久しぶりだ。
焼き菓子をかじると、さっくりとした歯ごたえの中にカリカリとしたなにかが含まれていた。
(これは何だ?)
幼いころからカリカリした歯ごたえの食べ物には気をつけるように何度も言われていたので、確かめるのが習い性になっている。カリカリした部分をもう一度噛むと、溶けて他の味と同化してしまった。
(なんだこれは?もしかして、同じ材料を二度焼きしている?)
舌先と喉の奥の違和感を確かめるが、なにも感じない。
ナッツではない。
焼き菓子は口の中でほろりと溶け、甘い余韻を残しながら喉の奥へ消えた。
”にいちゃん、どうしたの?顔にあかいぶつぶつが出てる!どうして?”
”俺、ナッツのクッキーが一番好き!こんなに美味しいものを食べられないなんて、かわいそうだなぁ”
急にリュカの声が頭の中に響く。
まさか・・・
”にいちゃんが食べられるナッツがあればいいのに・・・”
いつもふたりで遊んでいたときに持っていった焼き菓子。リュカは特にナッツ入りの焼き菓子がお気に入りだった。
「・・・街のパン」
不自然なほどベネディクトが何度も繰り返した、”街のパン”
パン職人になったリュカ。貴族出身のくせにそんな選択肢があるのかと、妙に感心した。だがどこかで納得していた。
街にある評判のいいパン屋。
マティの家
・・・”マティの家”
まさか。
手元の茶器が、がちゃんと大きな音を立てた。
まさか・・・いや、どういうことだ?そんな、偶然、いや、偶然じゃないのか?どういうことだ?
リュカを見守るようにと言いつけ、危険が迫ったとき以外は私に伝えないよう厳重に命令した。
知りすぎてはいけないから。
知りすぎてしまっては放っておけない。
あえて意識の外に置かなければならなかった。
リュカを守るために。
それなのに、この焼き菓子は・・・
「・・・リュカか」かすれた声が喉奥から出た。
「はい。しばらく前ですか。親方になったばかりのリュカ様が城下町に店を出しました。裏路地の小さな店です。誰からも援助を受けず、まあ、若干ギルドからカネは借りたようですが・・・自力で店を開きました」
「そうか・・・リュカが」
複雑な思いが胸の中で渦をまく。
この屋敷から出て行ってから、リュカは公爵家の援助は一切受けなかった。ベネディクトが頼りにするようにと紹介した人の元へも訪れなかったし、イヴァンから金を借りていないことも知っている。公爵家のゆかりである、と告げるだけで得られたであろう特権すら、使ったことがない。
温室育ちのリュカが、たったひとりで自分の力だけで、新しい道を切り開いたのだ。
よくやったと褒めてやりたい。
お前のような者が弟で誇らしい、と言ってやりたい
だが、私なしでリュカが道を切り拓いたという事実は、どうしようもなくさみしかった。
私がリュカにとって不要な存在であると思い知らされるのは、やはりつらい。
心の奥底に残る消せない恋心が出口を求め、胸の奥をじりじりと焦がし、私を苦しめた。
うやうやしく頭を下げるベネディクトに手袋を渡す。
「お疲れ様でございます」
「いつもの通り書斎に食事を」
「かしこまりました」
丁寧な態度はいつもどおりだが、ベネディクトがわざわざ玄関先まで出てくるということは、なにか言いたいことがある、ということだ。
「何だ」
「いえ、別になにも?」
「何年の付き合いだと思ってるんだ」
「そうですか。では、よろしければ一息ついていただきたく」
「時間がないのだが」
「一息ついてくださいますよね?」
「・・・わかった」
兄であり父でもあるベネディクトには結局勝てない。
私はベネディクトの強い口調に首をかしげながらも、珍しく書斎で仕事をせずに、茶が運ばれてくるのを待った。
だが、この時間があれば書類の一枚くらい・・・
ソファーから立ち上がると同時にベネディクトがワゴンを押して部屋に入ってきた。
「どうぞ、どうぞ、お座りください。旦那様。今日は特別な菓子も用意いたしましたので」
ベネディクトの妙に明るい笑顔に気圧されてソファーに大人しく戻る。眼の前のワゴンには、金箔で縁取られた皿に不似合いな焼き菓子が載せられていた。コポコポと紅茶を注ぐ音が耳に心地よく響き、紅茶のよい香りが部屋を満たした。
(特別な菓子?これが?)
そうは思ったが、まあ、いいだろう。ベネディクトが満足するのであれば茶の一杯ぐらい付き合おう。
紅茶に口をつけ、焼き菓子に手を伸ばす。
そういえば、菓子を食べるのも久しぶりだ。
焼き菓子をかじると、さっくりとした歯ごたえの中にカリカリとしたなにかが含まれていた。
(これは何だ?)
幼いころからカリカリした歯ごたえの食べ物には気をつけるように何度も言われていたので、確かめるのが習い性になっている。カリカリした部分をもう一度噛むと、溶けて他の味と同化してしまった。
(なんだこれは?もしかして、同じ材料を二度焼きしている?)
舌先と喉の奥の違和感を確かめるが、なにも感じない。
ナッツではない。
焼き菓子は口の中でほろりと溶け、甘い余韻を残しながら喉の奥へ消えた。
”にいちゃん、どうしたの?顔にあかいぶつぶつが出てる!どうして?”
”俺、ナッツのクッキーが一番好き!こんなに美味しいものを食べられないなんて、かわいそうだなぁ”
急にリュカの声が頭の中に響く。
まさか・・・
”にいちゃんが食べられるナッツがあればいいのに・・・”
いつもふたりで遊んでいたときに持っていった焼き菓子。リュカは特にナッツ入りの焼き菓子がお気に入りだった。
「・・・街のパン」
不自然なほどベネディクトが何度も繰り返した、”街のパン”
パン職人になったリュカ。貴族出身のくせにそんな選択肢があるのかと、妙に感心した。だがどこかで納得していた。
街にある評判のいいパン屋。
マティの家
・・・”マティの家”
まさか。
手元の茶器が、がちゃんと大きな音を立てた。
まさか・・・いや、どういうことだ?そんな、偶然、いや、偶然じゃないのか?どういうことだ?
リュカを見守るようにと言いつけ、危険が迫ったとき以外は私に伝えないよう厳重に命令した。
知りすぎてはいけないから。
知りすぎてしまっては放っておけない。
あえて意識の外に置かなければならなかった。
リュカを守るために。
それなのに、この焼き菓子は・・・
「・・・リュカか」かすれた声が喉奥から出た。
「はい。しばらく前ですか。親方になったばかりのリュカ様が城下町に店を出しました。裏路地の小さな店です。誰からも援助を受けず、まあ、若干ギルドからカネは借りたようですが・・・自力で店を開きました」
「そうか・・・リュカが」
複雑な思いが胸の中で渦をまく。
この屋敷から出て行ってから、リュカは公爵家の援助は一切受けなかった。ベネディクトが頼りにするようにと紹介した人の元へも訪れなかったし、イヴァンから金を借りていないことも知っている。公爵家のゆかりである、と告げるだけで得られたであろう特権すら、使ったことがない。
温室育ちのリュカが、たったひとりで自分の力だけで、新しい道を切り開いたのだ。
よくやったと褒めてやりたい。
お前のような者が弟で誇らしい、と言ってやりたい
だが、私なしでリュカが道を切り拓いたという事実は、どうしようもなくさみしかった。
私がリュカにとって不要な存在であると思い知らされるのは、やはりつらい。
心の奥底に残る消せない恋心が出口を求め、胸の奥をじりじりと焦がし、私を苦しめた。
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