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後日譚〜あれから〜
4 【マティアス】朝食
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「私が旦那様の分まで愛してますから」と、愛を約束できない私を一言も責めず受け入れてくれた女。
私の心をなだめ、慰めるように包み込むような愛情を注いでくれた女は、目の前で冷たい骸と化していた。
(何故・・・何故ミラを愛せなかったんだ。好意はあった。だが、あまりにも・・・あまりにもリュカへの思いが鮮烈すぎて、どうしても思い切ることができなかった)
「許してくれ」
眠るミラを上掛けごと抱きしめると、触れた頬が冷たかった。
「ミラ・・・ミラ・・・すまない・・・すまなかった・・・こんなことになるのなら、君を手放せばよかったのに」
一度たりとも愛されるよろこびを与えてやれなかった。
目の奥が真っ赤に燃える。
泣けたらいいのに。だが、リュカと別れた日から、涙が流れたことはない。
私の心の奥の何かはカラカラに干上がり、これほどの悲しみを突きつけられても泣くことすらできなかった。
私の後ろからは湿った泣き声が上がり、部屋の中は悲しみに包まれた。
ただ、ミラだけが無言で・・・やすらかで・・・この場にいなかった。
もう誰も・・・誰とも、情を交わしたくない。
その日から、一切の女色を・・・当然男色も断った。
寝室で眠ることは稀になり、身体を苛めるように睡眠を犠牲にして仕事を続けた。
ベネディクトが私の世話係に復帰したのは、この時からだ。
仕事はいくらでも湧いて出る。国政への参与に大領主としての勤めを足せば眠る時間などない。
加えて、軍や騎士たちへの指導も行っている。
分刻みのスケジュールの中、時々、子どもたちの成長を遠くから眺める。
母や父から愛された記憶のない私は、自分の子とどう接したらいいのかわからない。
ただ、冷たくしないように、と心がけるのが精一杯だった。
(ミラが生きていたら、子どもの愛し方を教えてくれたのかもしれないな)
ぼんやりと考えていると、紅茶の香りとともに朝食の乗ったワゴンが運び込まれ、カチャカチャとカトラリーを準備する音が静かな室内に響いた。
「旦那様、ほんの少しで結構です。どうぞ、お召し上がりください」
ベネディクトが頼むように口を開くが、どうも気乗りしない。
ワゴンの上には、紅茶の他にスコーンや数種のパン、フルーツ、卵料理など、色鮮やかに盛り付けられている。食欲のない私のために、少しでもなにか食べさせようと趣向を凝らしているのだ。
私はその中で一番飾り気のないパンに手を伸ばし、一口ちぎって口に入れた。
ベネディクトがじっと私の顔を見つめた。
「何だ」
「いえ、べつに」
「ちゃんと食べているぞ」
「はい、お体のためにも、しっかりお召し上がりください」
ベネディクトは苦笑しながら紅茶をカップに注ぐ。
「パン種を変えたのか?」
「といいますと?」
「食べたことのない味だ」
「そうですか?なにか違いますか?」
「そうだな・・・優しい味、とでも言うのか。食べられる。胃が拒否しない、というか・・・」
「そうでございますか。それは、よろしゅうございました。実は・・・旦那様があまり召し上がってくださらないので、外のパン屋に変えてみたんですよ」
「料理人の作ったパンではないのか?」
「はい。いま、街で評判のいいパン屋があると聞きましてね。ノアに買いに行かせたんです」
「街のパンか・・・」
「ええ、そう、街のパンです」
何故そんなに街のパンを強調するのか不明だが、ベネディクトの目が楽しげに光った。
(そういえば、リュカはパン職人になったと聞いていたな。元気でいるんだろうか)
私はパンをちぎってもう一口、口に入れた。
白いパンは香ばしい香りを残しながら、口の中でほろりと溶けた。
(いい加減、何でもリュカと結びつけるのはやめないと。何か起きたら報告するようには伝えてある。報告がないということは、リュカが平穏に暮らしているということだ)
気がつけば、一片のパンをすべて食べ終わっていた。急に食欲がわき、添えられた柑橘に手を伸ばす。
こんなことは久しぶりだ。
「そう、そのパン屋の名前ですが、『マティの家』というそうですよ?不敬なので店名を変えさせましょうか?」
「馬鹿なことを。単なる偶然をいちいち罰していては領民もたまらないだろう」
「もちろんです。単なる偶然ですからね?」
紅茶まですべて飲み干した私のことをベネディクトが心から嬉しそうに眺めている。いい歳をして子どものような扱いをされて照れくさかった。
(全く・・・いつまで子ども扱いするんだか。すでに、3人の子持ちだというのに)
「着替えを」
ベネディクトのニヤニヤ笑いを遮るように立ち上がる。今日は、いつもより身体が軽い。
私の心をなだめ、慰めるように包み込むような愛情を注いでくれた女は、目の前で冷たい骸と化していた。
(何故・・・何故ミラを愛せなかったんだ。好意はあった。だが、あまりにも・・・あまりにもリュカへの思いが鮮烈すぎて、どうしても思い切ることができなかった)
「許してくれ」
眠るミラを上掛けごと抱きしめると、触れた頬が冷たかった。
「ミラ・・・ミラ・・・すまない・・・すまなかった・・・こんなことになるのなら、君を手放せばよかったのに」
一度たりとも愛されるよろこびを与えてやれなかった。
目の奥が真っ赤に燃える。
泣けたらいいのに。だが、リュカと別れた日から、涙が流れたことはない。
私の心の奥の何かはカラカラに干上がり、これほどの悲しみを突きつけられても泣くことすらできなかった。
私の後ろからは湿った泣き声が上がり、部屋の中は悲しみに包まれた。
ただ、ミラだけが無言で・・・やすらかで・・・この場にいなかった。
もう誰も・・・誰とも、情を交わしたくない。
その日から、一切の女色を・・・当然男色も断った。
寝室で眠ることは稀になり、身体を苛めるように睡眠を犠牲にして仕事を続けた。
ベネディクトが私の世話係に復帰したのは、この時からだ。
仕事はいくらでも湧いて出る。国政への参与に大領主としての勤めを足せば眠る時間などない。
加えて、軍や騎士たちへの指導も行っている。
分刻みのスケジュールの中、時々、子どもたちの成長を遠くから眺める。
母や父から愛された記憶のない私は、自分の子とどう接したらいいのかわからない。
ただ、冷たくしないように、と心がけるのが精一杯だった。
(ミラが生きていたら、子どもの愛し方を教えてくれたのかもしれないな)
ぼんやりと考えていると、紅茶の香りとともに朝食の乗ったワゴンが運び込まれ、カチャカチャとカトラリーを準備する音が静かな室内に響いた。
「旦那様、ほんの少しで結構です。どうぞ、お召し上がりください」
ベネディクトが頼むように口を開くが、どうも気乗りしない。
ワゴンの上には、紅茶の他にスコーンや数種のパン、フルーツ、卵料理など、色鮮やかに盛り付けられている。食欲のない私のために、少しでもなにか食べさせようと趣向を凝らしているのだ。
私はその中で一番飾り気のないパンに手を伸ばし、一口ちぎって口に入れた。
ベネディクトがじっと私の顔を見つめた。
「何だ」
「いえ、べつに」
「ちゃんと食べているぞ」
「はい、お体のためにも、しっかりお召し上がりください」
ベネディクトは苦笑しながら紅茶をカップに注ぐ。
「パン種を変えたのか?」
「といいますと?」
「食べたことのない味だ」
「そうですか?なにか違いますか?」
「そうだな・・・優しい味、とでも言うのか。食べられる。胃が拒否しない、というか・・・」
「そうでございますか。それは、よろしゅうございました。実は・・・旦那様があまり召し上がってくださらないので、外のパン屋に変えてみたんですよ」
「料理人の作ったパンではないのか?」
「はい。いま、街で評判のいいパン屋があると聞きましてね。ノアに買いに行かせたんです」
「街のパンか・・・」
「ええ、そう、街のパンです」
何故そんなに街のパンを強調するのか不明だが、ベネディクトの目が楽しげに光った。
(そういえば、リュカはパン職人になったと聞いていたな。元気でいるんだろうか)
私はパンをちぎってもう一口、口に入れた。
白いパンは香ばしい香りを残しながら、口の中でほろりと溶けた。
(いい加減、何でもリュカと結びつけるのはやめないと。何か起きたら報告するようには伝えてある。報告がないということは、リュカが平穏に暮らしているということだ)
気がつけば、一片のパンをすべて食べ終わっていた。急に食欲がわき、添えられた柑橘に手を伸ばす。
こんなことは久しぶりだ。
「そう、そのパン屋の名前ですが、『マティの家』というそうですよ?不敬なので店名を変えさせましょうか?」
「馬鹿なことを。単なる偶然をいちいち罰していては領民もたまらないだろう」
「もちろんです。単なる偶然ですからね?」
紅茶まですべて飲み干した私のことをベネディクトが心から嬉しそうに眺めている。いい歳をして子どものような扱いをされて照れくさかった。
(全く・・・いつまで子ども扱いするんだか。すでに、3人の子持ちだというのに)
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