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第四幕〜終わりの始まり〜
196 【マティアス】産まれた子ども
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使用人たちが駆け込み、あっという間にイネスを出産のために準備していた部屋に担ぎ込んでいった。
主である私のことなど、誰も気にしなかった。
床に広がったイネスの身体から流れ出した水たまりとともに、呆然とした私がひとり取り残された。
「何だこれは。一体何が起こった」
「旦那様、お子が生まれます。これは破水というものです。私が掃除させていただきますので、ご安心ください。そんなことより、お子が産まれるのによろしいんですか?」
「何が?」
「ほら、手を握るとか。俺は妻が出産した時はおろおろとまわりをうろつくばかりで怒鳴られてましたけど。そばにいたいものじゃないですか?息子が生まれるかもしれないんですよ?」
「・・・娘かもしれないだろう」
「どっちだってかわいいですよ。俺は息子が生まれたときには、この世の何よりも大切だと思ったし、うれしかったですよ。そばに行ったほうがいいんじゃないですか?」
「やめておこう」
リュカの黒髪を引き継いだ子が生まれるところに立ち会いたくない。
ふたりの裏切りの紛れもない証拠だ。この一年、イネスの腹が大きくなるたびに不貞を思い出させられてきたのだ。
私は書斎の椅子にどっかりと座り込んだ。
「そんなことより、早くそこを掃除してくれ。生臭くてかなわん」
「閣下・・・」
ジャックは何かをいいたげにしていたが、だまって床の掃除をはじめた。
私はいま起きたことを忘れようとつとめた。
今日はリュカの様子を見に行き、夜はかわいい愛人のベッドにもぐりこもう。
その前にさっさと書類仕事を片付けて・・・
昼食を告げるジャックの声で朝の騒ぎから随分時間が経ったことに気がついた。いつのまにか書類仕事に集中していたらしい。
「奥様はもうすぐ出産になりそうだと、連絡が来ています」
「ふうん」
「閣下!初めてのお子様ですよ?絶対後悔します。奥様のそばに行ったほうがいいですって!」
ジャックは、私の腹心の部下だ。毎日の甲斐甲斐しい仕事ぶりからも忠義心はわかっていた。
おそらく、心から私を思ってくれてのことだろう。
「そうか。では少しだけ様子を見に行ってみるか」
私が立ち上がると同時に目を輝かせたベネディクトが部屋に駆け込んできた。
「旦那様!お産まれになりました!男子です!公子様のご誕生です!」
「・・・」
ベネディクトはなぜこんなにはしゃいでいるのか。死産にしろと言いつけておいたのに。顔を見たら情がうつってしまうかもしれないじゃないか。
「さあさあ、中佐。意地をはらずに行ったほうがいいですよ。親は子どもには勝てないんですから」
ジャックがグイグイと私の背を押す。どうやら、夫婦喧嘩の結果、意地をはっていたとでも思われていたらしい。
「わかった、わかったから・・・」
なぜこいつらはこんなにも熱心に私に子を見に行けとすすめるのだ。子の髪は黒髪ではなかったということか?
金髪だったとしても、イネスは金髪だ。なぜそんなに・・・
赤子に目を向け、私は息を飲んだ。
この顔は見たことがある。母のロケットの中に入れられていた、産まれたばかりの私の肖像画・・・
今はまだ、濃い金髪しか同じところはない。だが、いかつくなりそうな顎と鼻のラインに、間違いなくこの子は私の血筋だとわかった。目の色すら想像がつく。
「私の子ではないか」なぜか騙された気分になる。
「だから、あなたの子を産む妻だって言ったでしょう?」
イネスは満足げに告げると、目を閉じ、眠ってしまった。イネスの裏切りが帳消しになるわけではないのに、かすかに胸の奥でうごくものがあった。
「旦那様。リュカ様が倒れてから一年以上経っております。子は9ヶ月で産まれると、ご存知でしたか?」
ベネディクトが耳元でささやいた。
知っていた。知識としては。
だが、色々なことで頭がいっぱい過ぎて思いつかなかった。まさか、イネスの腹に宿ったのが私の胤だったとは・・・
「これで安泰ですね。あとは、ミラ様に頑張っていただきましよう」
「おいおい・・・」
ベネディクトの公爵家の家令の鏡とも言うべき割り切りに呆れ返りながら、リュカのことを思った。
(リュカは、イネスの腹に子がいると思ったから私を捨てたのに・・・この事実を知ったらどう思うんだろう)
歪みきった私達の関係をいまさら正すことはできるのか。いや、むしろ難しくなった気がする。
このことをリュカに知られたくない。
「さあさあ、旦那様、公子様を抱いてさしあげてください」
しわくちゃな顔の産婆が、白いおくるみにくるまれた小さなかたまりを腕に押し付けた。
ふんわりとした身体を腕の中に抱くと、かつて経験したことのない高揚を覚えた。
ピンク色の丸い顔はまるでサルのようだ。早く目の色を見てみたい。
「目が開いてないが、大丈夫なのか」
「旦那様、目が開くまでには2、3日かかるんですよ」
「そうか」
赤子とは、なんて小さく、もろいんだろう。落とせば死んでしまうし、抱きしめたらこわれそうだ。
「恐ろしいほど軽いが」
「何をおっしゃいます。立派な男のお子さまですよ」
息子の顔をのぞきこむと、不思議な気分になった。親になった自覚などあるわけがない。
ただ、戸惑っているだけだ。
まじまじと子の顔をのぞきこむ私を、皆微笑んで見守っていた。
イネスが嘘をついたのか?それとも勘違いか?
いや、どうでもいい。
腕の中にいるのは紛れもない、私の子だった。
主である私のことなど、誰も気にしなかった。
床に広がったイネスの身体から流れ出した水たまりとともに、呆然とした私がひとり取り残された。
「何だこれは。一体何が起こった」
「旦那様、お子が生まれます。これは破水というものです。私が掃除させていただきますので、ご安心ください。そんなことより、お子が産まれるのによろしいんですか?」
「何が?」
「ほら、手を握るとか。俺は妻が出産した時はおろおろとまわりをうろつくばかりで怒鳴られてましたけど。そばにいたいものじゃないですか?息子が生まれるかもしれないんですよ?」
「・・・娘かもしれないだろう」
「どっちだってかわいいですよ。俺は息子が生まれたときには、この世の何よりも大切だと思ったし、うれしかったですよ。そばに行ったほうがいいんじゃないですか?」
「やめておこう」
リュカの黒髪を引き継いだ子が生まれるところに立ち会いたくない。
ふたりの裏切りの紛れもない証拠だ。この一年、イネスの腹が大きくなるたびに不貞を思い出させられてきたのだ。
私は書斎の椅子にどっかりと座り込んだ。
「そんなことより、早くそこを掃除してくれ。生臭くてかなわん」
「閣下・・・」
ジャックは何かをいいたげにしていたが、だまって床の掃除をはじめた。
私はいま起きたことを忘れようとつとめた。
今日はリュカの様子を見に行き、夜はかわいい愛人のベッドにもぐりこもう。
その前にさっさと書類仕事を片付けて・・・
昼食を告げるジャックの声で朝の騒ぎから随分時間が経ったことに気がついた。いつのまにか書類仕事に集中していたらしい。
「奥様はもうすぐ出産になりそうだと、連絡が来ています」
「ふうん」
「閣下!初めてのお子様ですよ?絶対後悔します。奥様のそばに行ったほうがいいですって!」
ジャックは、私の腹心の部下だ。毎日の甲斐甲斐しい仕事ぶりからも忠義心はわかっていた。
おそらく、心から私を思ってくれてのことだろう。
「そうか。では少しだけ様子を見に行ってみるか」
私が立ち上がると同時に目を輝かせたベネディクトが部屋に駆け込んできた。
「旦那様!お産まれになりました!男子です!公子様のご誕生です!」
「・・・」
ベネディクトはなぜこんなにはしゃいでいるのか。死産にしろと言いつけておいたのに。顔を見たら情がうつってしまうかもしれないじゃないか。
「さあさあ、中佐。意地をはらずに行ったほうがいいですよ。親は子どもには勝てないんですから」
ジャックがグイグイと私の背を押す。どうやら、夫婦喧嘩の結果、意地をはっていたとでも思われていたらしい。
「わかった、わかったから・・・」
なぜこいつらはこんなにも熱心に私に子を見に行けとすすめるのだ。子の髪は黒髪ではなかったということか?
金髪だったとしても、イネスは金髪だ。なぜそんなに・・・
赤子に目を向け、私は息を飲んだ。
この顔は見たことがある。母のロケットの中に入れられていた、産まれたばかりの私の肖像画・・・
今はまだ、濃い金髪しか同じところはない。だが、いかつくなりそうな顎と鼻のラインに、間違いなくこの子は私の血筋だとわかった。目の色すら想像がつく。
「私の子ではないか」なぜか騙された気分になる。
「だから、あなたの子を産む妻だって言ったでしょう?」
イネスは満足げに告げると、目を閉じ、眠ってしまった。イネスの裏切りが帳消しになるわけではないのに、かすかに胸の奥でうごくものがあった。
「旦那様。リュカ様が倒れてから一年以上経っております。子は9ヶ月で産まれると、ご存知でしたか?」
ベネディクトが耳元でささやいた。
知っていた。知識としては。
だが、色々なことで頭がいっぱい過ぎて思いつかなかった。まさか、イネスの腹に宿ったのが私の胤だったとは・・・
「これで安泰ですね。あとは、ミラ様に頑張っていただきましよう」
「おいおい・・・」
ベネディクトの公爵家の家令の鏡とも言うべき割り切りに呆れ返りながら、リュカのことを思った。
(リュカは、イネスの腹に子がいると思ったから私を捨てたのに・・・この事実を知ったらどう思うんだろう)
歪みきった私達の関係をいまさら正すことはできるのか。いや、むしろ難しくなった気がする。
このことをリュカに知られたくない。
「さあさあ、旦那様、公子様を抱いてさしあげてください」
しわくちゃな顔の産婆が、白いおくるみにくるまれた小さなかたまりを腕に押し付けた。
ふんわりとした身体を腕の中に抱くと、かつて経験したことのない高揚を覚えた。
ピンク色の丸い顔はまるでサルのようだ。早く目の色を見てみたい。
「目が開いてないが、大丈夫なのか」
「旦那様、目が開くまでには2、3日かかるんですよ」
「そうか」
赤子とは、なんて小さく、もろいんだろう。落とせば死んでしまうし、抱きしめたらこわれそうだ。
「恐ろしいほど軽いが」
「何をおっしゃいます。立派な男のお子さまですよ」
息子の顔をのぞきこむと、不思議な気分になった。親になった自覚などあるわけがない。
ただ、戸惑っているだけだ。
まじまじと子の顔をのぞきこむ私を、皆微笑んで見守っていた。
イネスが嘘をついたのか?それとも勘違いか?
いや、どうでもいい。
腕の中にいるのは紛れもない、私の子だった。
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