兄さん、あんたの望みを教えてくれよ。

藍音

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第四幕〜終わりの始まり〜

172 【マティアス】灰色の石

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その言葉は何よりも強い拒絶に聞こえた。

「どうでもいいわけないだろう!イネスは私の婚約者だぞ!妊娠させたなど!子が産まれたらどうするつもりだ!」
「子は・・・」リュカの瞳が陰った。「イネスと結婚して育てます」
「結婚するだと!」

そんな暴挙を許せるものか!

「まさか、お前、イネスと結婚してどうするつもりなんだ。生活も立ちいかなくなるだろう」

リュカは歪んだ笑みを浮かべた。

「なんとかなりますよ。公爵家に引き取っていただいて、学園まで通わせていただいたおかげでね。兄上は知らないでしょうが、字が読める者は少ないんですよ。どこかの商人にでも雇ってもらいますよ。母が遺してくれた家もあるしね」

あの、白とオレンジの小さな家。
幸せの塊のようだったあの家に、リュカとイネスが暮らす?

「許さん」
「まあ、もともと前公爵様から母にいただいた家ですし?そのくらいしてもバチは当たらないと思いますがね。でも、お許しいただけないのなら、どこかに下宿すればいい話です」
「イネスがそんな生活に我慢できるものか」

リュカは肩をすくめた。

「まあ、やってみなきゃわからないってことで」
「もう決めたのか」
「仕方ありませんよ。子に罪はない」

サバサバとしたリュカの言葉に、リュカが憂いなく心を決めたことがわかった。
私がひざまづいて願えばお前は叶えてくれるのか?
泣いて請えば、受け入れてくれるのか?
愛していると。ただお前だけを愛していると、伝えればよかったのか?
一度たりともそんな隙を与えてくれなかったくせに。

「・・・なぜ、私と寝た?」
「・・・」

切れるほど痛い沈黙の中、雨音だけが響いていた。
じわじわと足元から伝わる冷たさが、心までもひやしていく。

「答えろ」何か言ってくれ。せめて、あの夜のふたりの交わりは間違いではなかったと、信じさせてくれ。
「・・・わかりません。ただ、したかったから」リュカは肩をすくめた。「兄上にも見られてしまいましたけど、俺、男もいけるんで。単に興味があったんです。だから忘れてください」

雨はますますひどくなってきた。
背中から伝わる冷たい雨はゾクリをからだを震わせた。

「女癖の悪さはもう耳にはいってるんでしょう?ケーキばかりじゃ飽きちゃうんです。たまには肉も食わないと」
「・・・嘘だ」
「ははっ。そう思うのはご自由です。もう戻りましょうよ」リュカは薄笑いを浮かべ、顔を上げた。目から雨がこぼれ落ち、まるで泣いているように見える。夕べ眠れなかったのか充血した目が痛々しい。

「さあ、寮で身体を拭いてからお帰りください。風邪をひきますよ」

今まで私たちの間にあったやりとりは、ただの世間話でもあったような言い方。

「・・・イネスを愛してるのか?」
「・・・まさか」
「じゃあなぜ」
「・・・愛したのはひとりきりです。それはイネスじゃない」

リュカの目に一瞬でも愛が見えないかと、肩を掴み、覗き込んだ。

「放してください」

私が愛のかけらすら見いだす前に、リュカは目を伏せ、力なく私の手を振りほどこうとした。

「誰だ。言え」
「言いたくありません」
「誰だ!」

私の叫び声はまるで泣き声のように聞こえた。

「・・・兄さんの知らない人ですよ」
「嘘だ!」
「信じなくてもいいです。でも、もう俺のことは縁を切ってください。勘当してイネスと婚約破棄すれば、少しでも兄さんが被る被害は減らせるでしょう?」
「被害?」
「まさか、俺の子がいるって言ってるのにイネスと結婚できないでしょう?俺を勘当して、イネスとの結婚もなくせば、少しの間は噂されるかもしれないけど、兄さんが一方的に被害を受けたように見える。それでいいじゃないですか。厳罰を与えれば腰抜けだとも思われない」
「リュカ、一体何を言ってるんだ。そんなことどうでもいい・・・」
「よくない!よくない、どうでもよくないよ、兄さん・・・」
「リュカ」私はまだ、この期に及んでもリュカが私のことを思いやってくれているのではと甘い期待を持っていた。その一縷の望みにすがりつきたかった。

「放してください」リュカが身をよじり、私の手を振りほどいた。「俺はもう、公爵家には戻りません。あと少しで卒業だし、母の望みだったので卒業まではしたかったけど、なんなら今すぐやめます。それで兄上の気が済むなら。二度とお目にかかりません」

「・・・だめだ」二度とリュカに会えない?いま、リュカは私に死刑宣告にも等しい断絶を宣言しているのか?
「許さない」
「別の領地に行けば、あなたの許しなんて関係ありませんよ」リュカはそうつぶやくと、くるりを背を向けた。

「さようなら。どうか、お幸せに」

震える声はまるで銅鑼のように大きく耳に響きわたった。その後姿は、もう私に用はないと冷たく告げている。
うつむいた私の足元には灰色の石が転がっていた。
誰にも必要とされない、無骨なごつごつとした灰色の硬いかたまり。無意識に拾い上げ、手の中でその感触を確かめた。
冷たい・・・硬い・・・痛い・・・まるで私そのものだ。

(ゆるせない)

私の中で炎が燃え上がった。
目の前が真っ赤に染まる。
リュカへの恋を自覚してからずっと感じていた焦燥。
触れれば熱く、離れれば寒い。寒くて寒くていられない。
ジリジリと羽を焼かれる蛾のように、近寄れば死ぬとわかっているのに、やめられなかった。

私の愛。私の炎。
焼くならば焼け。
焼き尽くせ。

気が付いた時、私はリュカの頭に手のひらに持った石を打ち付けていた。
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