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第四幕〜終わりの始まり〜
152 【リュカ】無視
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せめて、ひと言。
兄の帰還をよろこんでいると伝えたい。
ただ、そう思った。
『私の帰還を喜んでいただいて、ありがとうございます』
強烈な皮肉を含んだ兄の声に、兄を歓迎するために開かれた宴に同席した者たちは、皆、居心地悪そうに愛想笑いを浮かべた。
兄は、お見通しとでも言いたげに口元をゆがめると、黙ってダイニングルームを出ていった。
「なー、兄上はご機嫌が悪いのかな?」
ヒソヒソ声のつもりか、シモンが俺に耳打ちしてくる。
だが、静まり返った部屋の中にシモンの声は響きわたった。
全員の視線がシモンに集まり、シモンは慌てて顔を伏せた。
ため息がこぼれる。
兄が帰ってきてうれしいのに。
どれほど兄が帰ってくる日をまっていたか。今日、パレードでの姿が誇らしかったと伝えるべきだった。
「失礼」
俺はナプキンを丸めると立ち上がった。
兄の部屋に行ったが、まだ戻ってないと従僕に告げられた。
「もうしわけありませんが、マティアス様のお許しがないと・・・」
部屋には入れられないと申し訳無さそうに言う従僕に、気にするなと答え、部屋の前で待つことにした。
兄の部屋の前には、二人の兵士が見張りに立っている。
俺が強行突破しようとしても、ドアに触れることすらできないだろう。
「いいんだ」
二人の気づかわしげな視線に、小さく頷いて答えた。
どれほど待っていただろう?
立ちっぱなしで足が痛くなってきた。
右足と左足に交互に重心をかけながら、兄の帰りを待つ。
長いこと待ったあと、兄が足を引きずるようにして廊下を歩いてきた。
今日の馬上での雄姿、そして先程の宴での優美な公子としての姿とは似ても似つかない、疲れ切った様子は、まるで10も20も年を取った人のように見える。
「兄上?」
思わず声をかけたが、兄は俺には気づかず、うつむき苦しそうに口元を固く引き締めていた。
なにか考え込んでいるようなその疲れた様子に心配になる。
もしかしたら、いや、当たり前のことだ。兄は疲れていたんだ。
声をかけようとした瞬間、兄は俺を一瞬見て、すぐに目をそらした。
話したくないんだ。
重い石を投げつけられたように、心臓が痛んだ。
苦しい。
でも、今は俺のことよりも、兄のほうが気にかかる。
「兄上・・・」
勇気をふりしぼってもう一度声をかけたが、兄は振り向かなかった。
兄の背がドアの向こうに吸い込まれていき、招かれざる客のおれは勇気をふりしぼった。
せめて・・・
「無事のご帰還、おめでとうございます」
それだけ言うのが精一杯だった。兄は、振り返らなかった。
静かに閉められたドアの音が、まるでギロチンのように俺たちの関係を断ち切った。
(無視された・・・嫌われたんだ)
当然の結果だ。
でも、ただその事実だけが、俺の前に重くのしかかった。
***********************
翌日、イネスが俺に近寄ってきた。
「リュカ」
教室で話しかけてくるという、かつてない愚行に、俺は眉をひそめた。
「なんですか」
冷たく返すと、イネスはひるんだようだ。
「その・・・マティアスのことだけど・・・その・・・早く言ったほうがいいと思うの」
5年間も戦地にいた兄に対する思いやりのかけらもない。
俺は、このときまではイネスに少しは悪いと思う気持ちがあった。
兄のためとはいえ、イネスの好意を利用したと分かっていたから。
だが、今この瞬間、そんな感傷は影も形もなくなった。
こんな女と兄を結婚させるなんてとんでもない!
「少しお待ちください。そう・・・僕からお話します」
「でも・・・大丈夫なの?マティアスは怒らないかしら・・・」
怒らないわけないだろう?
どこの世界に婚約者を寝取られてよろこぶ人間がいるんだよ。
あきれ返ったが、そうはいっても兄に言うタイミングは慎重に選びたい。
情けないことに、俺はせめて一度でもいいから兄と話がしたかった。
イネスとの関係が知られ、決定的な亀裂が入る前に、以前のように兄と話したい。
無視されたばかりなのに、兄への恋しさはつのるばかりだ。
不実な男とそしられようと構わない。世間なんて、どうでもいい。なにもかも、どうでもいい。
兄の視線、兄の声、兄のてのひらのぬくもり。
どれか一つでも手に入るのなら何だってする。
(ばかみたいだ。兄さんのことを忘れて生きていけると思っていたなんて)
俺は自分にあきれ返っていた。
「もちろん、怒るでしょう。兄はあなたを失いたくはないはずですから・・・とても大切に思っていましたからね。でも、仕方がありません・・・仕方がなかったんですよ」
「まあ、リュカったら」
イネスが頬を赤らめた。
まあ、好きに解釈してくれ。
兄の帰還をよろこんでいると伝えたい。
ただ、そう思った。
『私の帰還を喜んでいただいて、ありがとうございます』
強烈な皮肉を含んだ兄の声に、兄を歓迎するために開かれた宴に同席した者たちは、皆、居心地悪そうに愛想笑いを浮かべた。
兄は、お見通しとでも言いたげに口元をゆがめると、黙ってダイニングルームを出ていった。
「なー、兄上はご機嫌が悪いのかな?」
ヒソヒソ声のつもりか、シモンが俺に耳打ちしてくる。
だが、静まり返った部屋の中にシモンの声は響きわたった。
全員の視線がシモンに集まり、シモンは慌てて顔を伏せた。
ため息がこぼれる。
兄が帰ってきてうれしいのに。
どれほど兄が帰ってくる日をまっていたか。今日、パレードでの姿が誇らしかったと伝えるべきだった。
「失礼」
俺はナプキンを丸めると立ち上がった。
兄の部屋に行ったが、まだ戻ってないと従僕に告げられた。
「もうしわけありませんが、マティアス様のお許しがないと・・・」
部屋には入れられないと申し訳無さそうに言う従僕に、気にするなと答え、部屋の前で待つことにした。
兄の部屋の前には、二人の兵士が見張りに立っている。
俺が強行突破しようとしても、ドアに触れることすらできないだろう。
「いいんだ」
二人の気づかわしげな視線に、小さく頷いて答えた。
どれほど待っていただろう?
立ちっぱなしで足が痛くなってきた。
右足と左足に交互に重心をかけながら、兄の帰りを待つ。
長いこと待ったあと、兄が足を引きずるようにして廊下を歩いてきた。
今日の馬上での雄姿、そして先程の宴での優美な公子としての姿とは似ても似つかない、疲れ切った様子は、まるで10も20も年を取った人のように見える。
「兄上?」
思わず声をかけたが、兄は俺には気づかず、うつむき苦しそうに口元を固く引き締めていた。
なにか考え込んでいるようなその疲れた様子に心配になる。
もしかしたら、いや、当たり前のことだ。兄は疲れていたんだ。
声をかけようとした瞬間、兄は俺を一瞬見て、すぐに目をそらした。
話したくないんだ。
重い石を投げつけられたように、心臓が痛んだ。
苦しい。
でも、今は俺のことよりも、兄のほうが気にかかる。
「兄上・・・」
勇気をふりしぼってもう一度声をかけたが、兄は振り向かなかった。
兄の背がドアの向こうに吸い込まれていき、招かれざる客のおれは勇気をふりしぼった。
せめて・・・
「無事のご帰還、おめでとうございます」
それだけ言うのが精一杯だった。兄は、振り返らなかった。
静かに閉められたドアの音が、まるでギロチンのように俺たちの関係を断ち切った。
(無視された・・・嫌われたんだ)
当然の結果だ。
でも、ただその事実だけが、俺の前に重くのしかかった。
***********************
翌日、イネスが俺に近寄ってきた。
「リュカ」
教室で話しかけてくるという、かつてない愚行に、俺は眉をひそめた。
「なんですか」
冷たく返すと、イネスはひるんだようだ。
「その・・・マティアスのことだけど・・・その・・・早く言ったほうがいいと思うの」
5年間も戦地にいた兄に対する思いやりのかけらもない。
俺は、このときまではイネスに少しは悪いと思う気持ちがあった。
兄のためとはいえ、イネスの好意を利用したと分かっていたから。
だが、今この瞬間、そんな感傷は影も形もなくなった。
こんな女と兄を結婚させるなんてとんでもない!
「少しお待ちください。そう・・・僕からお話します」
「でも・・・大丈夫なの?マティアスは怒らないかしら・・・」
怒らないわけないだろう?
どこの世界に婚約者を寝取られてよろこぶ人間がいるんだよ。
あきれ返ったが、そうはいっても兄に言うタイミングは慎重に選びたい。
情けないことに、俺はせめて一度でもいいから兄と話がしたかった。
イネスとの関係が知られ、決定的な亀裂が入る前に、以前のように兄と話したい。
無視されたばかりなのに、兄への恋しさはつのるばかりだ。
不実な男とそしられようと構わない。世間なんて、どうでもいい。なにもかも、どうでもいい。
兄の視線、兄の声、兄のてのひらのぬくもり。
どれか一つでも手に入るのなら何だってする。
(ばかみたいだ。兄さんのことを忘れて生きていけると思っていたなんて)
俺は自分にあきれ返っていた。
「もちろん、怒るでしょう。兄はあなたを失いたくはないはずですから・・・とても大切に思っていましたからね。でも、仕方がありません・・・仕方がなかったんですよ」
「まあ、リュカったら」
イネスが頬を赤らめた。
まあ、好きに解釈してくれ。
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