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第三幕〜空白の5年間 リュカ〜

136 【リュカ】潮目

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まあ、頃合いだ。
なんにでも潮目というものがある。
俺には貴族社会は合わない。冷たい態度も、名ばかりの家族ももう十分だ。
兄が、兄だけが俺をこの家にとどめている存在だった。だが、諦めるべき時があると知っている。そして、今がその時だ。

「手切れ金として、学園を卒業して、しばらく生活ができるくらいの金をください。二度と頼ったりしません。身ひとつで放り出されるには、お坊ちゃま育ちすぎてね」
俺は苦笑した。残念ながらほんとうだ。5歳から、俺は温室で育ちすぎたのだ。冷たかろうと、厳しかろうと、夜は屋根の下、柔らかいベッドで眠ったし、食事もしっかりとってきた。服だってすべて高価な絹製品だ。思いやりも敬意もなかろうが、俺の生活は大勢の使用人に支えられ、学生寮でもその地位を尊重されてきた。
一方、すべて管理された環境の中、金を稼ぐことも難しかった。しかも、頼れる家族はいないし、おじさん一家に金銭的な迷惑をかけたくはない。

「ま、マティアスは・・・」
「そうそう、二度と戻ってこないとはどういう意味ですか?嫡男たる兄上にひどすぎるんじゃありませんか?二度と帰って来ないと、なぜ閣下が断言するんですか?閣下こそが兄上を無事に帰らせるように軍に働きかけるべきなのでは?」
「・・・」閣下はすっかり言葉をうしなった。

閣下が、兄が戻ってこられないように工作していることを、ジュスタンが調べ上げていた。あいつは変態だけど、奴隷イヌとしての仕事はきっちりこなしていた。
閣下は兄を前線に送り込むように、将軍に何度も手紙を書いたそうだ。前線に行けば、生きて帰れる保障はない。閣下は兄の帰還をはばみ、あわよくば殺そうとしていたのだ。
ただ、ジュスタンが何度も本物の嫡男である兄が家を継がない事態になったら、公爵夫人の親族が黙ってはいないだろう、そしてそれは理があることだと何度も説得し、閣下の態度も軟化した。
褒美がアレ、ってところが変態の変態なところだけど、まあ、仕事はしたんだよ。
正直、俺がもっている価値のあるものって俺の容姿とか身体しかないから、ちょうど良かったしね。

「兄さんを戻してください」
「リュカ、お前、まさか・・・お前も男色なのか?マティアスはお前に惚れていたが、お前も・・・?そんなことがあるのか?」
「やめてください。けがらわしい」閣下のうす汚い想像で俺たちの関係を邪推されたくない。

「私は、公爵家を継ぎたくないだけです。そんな器でもない。そのために兄上を早く戻してほしいだけですよ」

俺がぷいと横を向くと、閣下は安心したように小さく笑った。

「そうだよな。そんなこと、あってはならない。兄弟の・・・男同士・・・しかも・・・」

閣下は小さく口の中で何かを言ったが、その言葉は小さすぎて聞き取れなかった。

「安心しろ」

閣下はひざを払って立ち上がった。

「もうすぐ、戦争は終わる。ごく一部でしか知られていない情報だが・・・隣国の頭脳とも言うべき参謀が我が軍の手に落ちた。我が国の領土からの完全撤退と領土侵犯に対する賠償金を条件に、参謀を隣国に返すか交渉中だ。決裂したとしても、参謀がいない隣国はすでに敵ではない。信頼できる情報筋によれば、戦争が終わればすぐにマティアスは戻ってくる。・・・まあ、これも運命だろう。どんな矢も爆薬も避けてとおった程の悪運の強さだ」

閣下は半ば投げやりに、肩をすくめた。

「だが、忘れるな。マティアスが戻ってくれば、公爵家の後継者だ。すぐに結婚し、後継者を作る必要がある。あいつももう23。遅すぎるぐらいだ」

閣下はやっぱり俺達の関係に気づいているんだろうか。
探るような視線に気づかないふりをして顎を上げ、閣下を見返した。

兄さんが帰ってくるのは、何よりもうれしい。
閣下の口ぶりでは兄さんは無事なようだ。だが、帰れば早々に跡取りづくりのための結婚・・・
今殺そうといていた相手に子供を作れって・・・公爵家を維持するためとはいえ、あまりにも思いやりにかける。

「兄上が戻られるとなれば、私の望みは一つです。先程も申し上げたとおり、縁を切っていただきたい。それで結構です」
「・・・嫌われたもんだな」
「はっ、当たり前でしょう。今日を最後に二度と会いたくもありません。今日伺ったのは、他人を交えず、私に廃嫡の望みがあるとお知らせするためです。しかも思いもよらず、兄上ご帰還とのこと、よろこばしい限りです」
「そうか。お前の考えは分かった。ただ、廃嫡はしたくない。本当は私のことを怒っているのだろう?あのとき・・・酔っていたんだ」
「酔ってたからなんですか?それが理由になるとでも?」
「ああ・・・そのとおりだ。だからアディも・・・」

閣下が悲しげに目を伏せると、腹がたった。自分のことばかりで、襲われた俺の苦しみはどうしてくれるんだ。だが、そもそもそんな想像力がある人間ならあんな事するわけないんだよな。俺は心の奥底で閣下に期待していた自分に呆れ、席を立った。

「とにかく、私は、公爵家を出ます。兄上が戻ってくれば、もう用無しでしょう?学をつけていただいたおかげで、卒業すればなんとか自分ひとりぐらいは食わせていけそうですから」
「そんな。意地を張るな」

閣下が俺に手を伸ばした瞬間、俺はその手をはねのけた。

「さわるな!」

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