兄さん、あんたの望みを教えてくれよ。

藍音

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第三幕〜空白の5年間 リュカ〜

129 【リュカ】後悔

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「はい・・・でも、兄はとても強いので・・・信じたいと思っています」
「そうか。きっと無事だよ。無責任なようだけど、ここにいる俺たちには無事を祈ることしかできないからね」
「はい。あの・・・東部の戦闘って?俺、全然わからなくて・・・」
「まあ、俺も街の噂で聞いた話でよくは知らないんだけど、国境付近にある鉱山を隣国が欲しがっているらしい。隣国は他の国とも国境付近の小競り合いが続いていて、手っ取り早く金山を自分のものにしてしまおうと思ったらしい。まあ、ほんとうはもっと複雑なんだろうけど。それで、一週間前に隣国の第三王子が軍を率いて侵入して、戦闘になったらしい」
「亡くなった人もいるんですよね」
「そりゃね。戦争は遊びじゃないから。被害が少ないことを祈るばかりだ」
「ずいぶん深刻な話をしているね」おじさんがマグを持って、ソファーに腰掛けた。「街に行けば戦争の話で持ちきりだ。次男や三男が戦争に行っている人も多いから、噂はつきないよね」
「そうなんだ・・・平民もたくさん参加しているのですか?」
「まあ・・・給料が良いからね。正直王都から行っている若者は、手っ取り早く金を稼ごうって輩が多いかな。普通に働く何倍もの給料がもらえるからね。ただ、給料が高ければ高いほど、リスクも高いんだ」
「どういうことですか?」
「なんの経験もない兵士を高い給料で雇うってことは、捨て石にされるってことだよ。傭兵が高い技術で兵力を売るのとは違う」
「捨て石・・・」
「ああ、でもお兄さんはきっとだいじょうぶだよ・・・根拠がなくて、ごめんね」
おじさんはマグを口に運び、困ったような笑顔を隠した。

「俺・・・」

それ以上言葉を続けることができなかった。
戦争は、俺が思っていたよりも遥かに残酷で、そして厳しいものだった。
俺こそが、戦争に行くべきだったのに。
砂を噛むような苦しさと、凍った手で心臓を掴まれたような気分になり、息ができなかった。
さっきまで、穏やかに食事をとっていたことすら、兄への裏切りのように思える。

俺はなんて馬鹿だったんだろう。
兄の記憶が薄れたと思いこむなんて。
こんなにはっきりと色鮮やかに兄の思い出は残っている。
兄の優しい笑顔、穏やかな声、そっと甘やかに口づけた唇。
金色に光る髪も、海のように深い瞳も、全てを愛している。
それなのに。
思わず、目を閉じる。

どうか、神様。
あの素晴らしい人を、どうか、生きて返してください。
俺は一生愛されなくてもいい。
ただ、生きていてくれさえすれば、何も望みません。
どうか、どうか、どうか。

兄のいない時間はあまりにもゆっくりと流れ、出口のないゼリーの海で泳いでいるようだ。
柔らかな、容赦のない無数の手が、俺の背を押し、絶望の底へ沈めていく。
もがいてももがいても、ただゆっくりと、深い海の底へ。
二度と浮かび上がることはない。
それでもいい。どんなことでも受け入れます。
俺の中のすべての幸せを捧げます。
どうか、兄を無事に返してあげてください。

どのぐらいの時間うつむいていたのかわからない。
マグのお茶をこぼしたのか、手のひらが濡れていた。

「ああ、お茶をこぼしてしまったみたいです。すみません」

ぼんやりと俺が言うと、おじさんが素早く俺の手をリネンでふいた。

「いいんだよ。気にしないで。新しいものを持ってきてあげよう」

素早く目配せし、ヒューゴに俺の手にあったマグを渡すと、リネンの別のはしで俺の頬をそっとぬぐった。

「どうして?」
「ん?暑いからね。まあ、叔父だし」
「ん?」

おじさんは何かを言いかけて口を開き、そして閉じた。

「大切な人なんだね」

小さくささやくと、そっと俺の髪をなで、ぎこちなく抱きしめた。

「そう・・・」

言葉になったのかわからない。誰か別の人間が答えたような気がしたが、どうやら俺らしい。
ほとんど聞こえないほどの声でつぶやき、おじさんのハグに身を委ねた。
とんとんと背中を叩く仕草は、「がんばれ、がんばれ」と言っているように聞こえた。

「落ち着いた?」

しばらく立って、ヒューゴが新しいお茶を持ってきてくれた。多分、動転した俺を気遣っておじさんとふたりにしてくれたんだろう。

「すいませんでした」

俺が謝ると、素早く首を横に振った。
その動きがシンクロしていて、すこし、おかしい。

「本当は・・・俺が、戦地に行くべきだったんです。それなのに、兄さんが戦争に行くことになって。閣下・・・父との間にどういうやり取りがあったのか、俺にはわかりません。でも、そうなっちゃったんですよ。俺は妾腹の次男なのに。そのために引き取られたのに、なんで兄さんは・・・」

俺が頭をかかえると、ふたりは困ったように目を見合わせた。

「あのさ」おじさんが遠慮がちに口を開いた。「事情はわからないけど。でも、君のような美しい少年が軍に行くことがいいとは私にも思えないから、お兄さんが君を思いやったことは、一つの理由だろうね。その他のことは、私にはわからない。
ただ、お兄さんは君を守りたかったんじゃないのか?嫡男が戦地に行くなんて、そうあることじゃない。しかも君という丁度いい弟がいるんであればなおさらね。
お兄さんの気持ちに素直に感謝することはできないかい?」





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