兄さん、あんたの望みを教えてくれよ。

藍音

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第三幕〜空白の5年間 リュカ〜

99 【リュカ】ベネディクトの昔がたり

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兄の出征から2年が経った。

俺はもうすぐ高等部に進学する。弟のシモンも中等部への入学が決まっていた。
ローズは、公爵家の親戚筋だという伯爵家に嫁入りが決まり、花嫁修行にはげんでいる。王都から2日の距離にある伯爵家の息子には一度会った。背が低く、ずんぐりとしたその息子は決して美形ではない。だが、優しそうで、ローズのことも気に入っているようだった。

しかも、驚いたことに、閣下もローズのことを気にかけていた。
あの性格なので特に何をするわけでもないが、ローズのデビューの時にはエスコート役の俺を押しのけて、ローズをあちこち引き回していたし、そっくりな二人を見ると、誰もが親子関係に納得していた。
俺と違って、公爵の血が強く出ているからか、ふたりは父と娘以外のなにものでもない。
正直、それがいちばんホッとした。

「ローズ様が嫁入りされるクレモン家は、公爵家の遠縁で肥沃な領地をお持ちです。中央での野心はないようですが、領地経営に熱心で、農作物は「クレモン産」と長つくだけで値が上がると言われているんですよ。跡取りも温和な方と伺っておりますし、良縁ではないかと」

ベネディクトの説明を聞き、初めて閣下に感謝した。
ローズも、元は平民として育ったため、王都ではばをきかせるような家に嫁ぐのは遠慮があったらしい。
田舎の、しかも農業に熱心な家柄、さらに息子の優しい人柄に、政略結婚としては十分な好意を持っているようだった。

「きっと、母も安心していることでしょう」
俺が微笑むと、ベネディクトは小さく頭をさげた。

「アディの・・・いえ、アディリエーヌ様のことはよく覚えております」

初耳だ。驚いたように見る俺に、ベネディクトは目元をやわらかくゆるめた。

「アディリエーヌ様を雇ったのは、この、私ですから」
「そうだったんだ」
「アディリエーヌ様がこの家に来られたとき、15歳の少女でした。家が破産になり、決まりかけていた婚約も破談になったと聞いております。美しくはあったけど、目が大きい痩せぽっちのこどもでしたね」

ベネディクトが昔を懐かしむように目を閉じた。

「今でも思い出しますよ。あの子が、本屋敷の玄関ホールに途方にくれたように立っていたときのことを。今まで住んでいた家とはまるで違う公爵家の豪華さに圧倒されたと言っておりましたがね。家事も子供の世話も幼い頃からやってきたからできると売り込んできましてね。本当は雇うことは決まっていたのに、必死でしたよ。弟妹に給金を渡さなければ、と思っていたんでしょう。前の年、デビューさえしなければ・・・いえ、関係ありませんね。男爵は、ギャンブル狂いでもう首まで借金に漬かっていましたから。アディが必死でやりくりしてどうにか家を保っていたようでしたしね」
「そんな状態なのに、なんでデビューなんかしたんですか?」

俺は、不思議に思って聞き返した。社交界にデビューするのはただではできない。
ドレスだけじゃない。装飾品やら馬車やら金がかかるのだ。困窮家庭の娘はデビューなどせず、働くのが普通だ。特に親が借金で首が回らないのであれば。

「期待したんですよ。アディリエーヌ様は美人でしたから。親族の中でデビューするなら金を出してやるって婦人がいましてね。なんとか、裕福な夫を捕まえてこいと。父親とは縁を切り、弟妹ごと引き取ってくれるような夫を、と」
「裕福な夫」
「よくある話です。年は倍以上どころか三倍以上上だが成功した金持ちで、若妻には甘く、金を惜しまない男。そんな男を探しに社交界に出入りするためにデビューしたんですよ。まさかその日のうちに閣下に目をつけられるとは、誰も予想だにしなかったでしょう」

ベネディクトがなぜこんな話を始めたのかはわからない。だが、俺はもっと話を聞きたかった。邪魔しないように、うなずき、続きをうながした。

「あの日のことは覚えています。デビュタントなど興味のない閣下が、つきあいのためいやいやながら出た舞踏会でした。帰ってきて直ぐに、アディリエーヌ様を手に入れるように命令されました。簡単でしたよ。アディリエーヌ様の父親はギャンブルの他に酒にもはまっていましたから。少し飲ませたら直ぐに、アディリエーヌ様をポーカーのカタに賭けたんです。そして、簡単に負けました。いかさまなんてする必要もないほど、頭がいかれていましてね。目はうつろで手はブルブル震えて、ヨダレも垂らしていたし。正直、閣下に目をつけられなかったら、早晩アディリエーヌ様は娼館に売られていたでしょう。そう考えれば、私のしたことは悪いことではなかった。そう思っていただけますか?」

俺は目を見開いたまま、無言で頷いた。
ベネディクトは小さく息をつくと話を続けた。

「何よりです。ずっと気掛かりでしてね。特にあなたには気の毒なことをしてしまったのではないかと思うこともありました。だが、昔を思い出すと、アディが娼館に売られていたら、あなたは生まれてこられたのかすらわからない。そう思えば、私のしたことは許されるのかもしれません」

ベネディクトが立ち上がった。

「アディリエーヌの弟妹は全て、信頼の置ける商店に弟子入りさせ、今は平民として穏やかに暮らしていると聞いています。会うことがあってもわからないでしょうね」
「そうか」

市井に親戚がいるとはじめて知った。いつか、会えたら母の話をしてみたい。

「そういえば。母の父・・・祖父にあたる方はどうなったのだ?」

ギャンブル狂、アルコール中毒者、娘を賭けた・・・何をとっても会いたくもない相手だが。
ベネディクトの瞳が大きくゆれ、目をそらした。
その瞳の色で全てをさとった。
罪悪感。ベネディクトがこの話をどうしてもしたくなった理由。
でも、祖父の破綻した人生の終わりをベネディクトが多少はやめたとしても、なんの問題がある?

「いや、もう生きてはいまい。ご縁のない方だったのだ」

俺が先回りして言うと、ベネディクトは一礼した。

「他の妹様方にも良いご縁を探すように指示されております。一番下のぼっちゃまだけは・・・二度と目に触れることがないようにと、申しつけられました。信頼の置ける商人に預けるのがよろしいかと。貴族社会では、どこかで閣下と顔を合わす機会がないとも限りませんので」

おそらく、それしかないだろう。あの閣下の執着ぶりからして、弟を殺さなかったのが唯一の救いだ。
弟のためにも、父にうとんじられる未来よりも商家で修行を積んだ方がいいに決まっている。

「よろしく頼む」

俺が頭を下げると、ベネディクトはホッとしたように微笑み、退出した。
ベネディクトが「ひと」だったと思えたひとときだった。


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