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第三幕〜空白の5年間 リュカ〜
96 【リュカ】兄のいない日常
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結局のところ、育ちがものを言うのだろうか。
いままで、全く水があわなかった高位貴族たちと違い、イヴァンとはあっという間に仲良くなった。
気取らず、正直な、だが商人らしく抜け目ない人柄は、なんの抵抗もなくすとん心に落ちた。
「俺の兄上も優秀なんだよ」
頭をかきながら照れ臭そうに言うイヴァンは、すでに本格的に家業を継ぐための修行に入っている兄の手伝いができることが誇らしそうだった。
「兄上は、国内で事業を承継するから、俺はどこかの支店を任されるか、外国から商品を仕入れてくるのもいいなと思っているんだ」
楽しそうに未来を語るイヴァンの姿に、はっとした。
俺には何の将来展望もない。ただ、兄のそばに居たかっただけだ。公爵家を去った後のことはどこかで雇ってもらって、とぼんやりとかんがえていた。
イヴァンの実家は国内でも一二を争う大商人だ。
ガルシア商会に頼めば揃わないものはないと言われているほど、あちこちの貴族も御用達にしている。
穀物商だった先代の事業を継いだイヴァンの父は、一代で穀物だけでなく衣料品や武器まで商売の範囲を広げ、王家までも顧客に持っている。
ただ、その商売を一番大きくした事業は金貸しだったので、同級生たちは少し距離を置いていた。
自分たちがいつ世話になるかわからない貸金業者は無下にはできない怖い存在ではあるが、それ以上に蔑みの対象となっていたからだ。
だが、イヴァンはそんな小さいことは気にもかけていなかった。腹ただしい相手には金を貸さなければ息の根をとめることができると知っていたからだ。
平民であるということは、こんなに自由なのかと驚く反面、それほどの優れた父が爵位を求めたのが不思議でもあった。
「カネの次は地位なんだよ」
少し白けたように言うイヴァンは、父が叙爵された故に学園に放り込まれ、貴族の間にコネクションを作ってこいと厳命を受けたそうだ。
「ランベール家のリュカ様と同室になったって聞いたら、親父は小遣いをくれるに違いないよ」
ニッと笑うイヴァンに、あまり役に立てそうになくてすまない、と思わず詫びてしまった。
「なんだっていいんだよ。親父が満足すればいいんだからさ。まあ、腐っても公爵家ってことで。腐ってはないけど」
「そうか、こんな肩書きでも役に立つのかな」
「そりゃ立つだろ?」
「それなら・・・もしかして、俺を雇ってくれたりするのかな」
「お前を?」
イヴァンがまじまじと俺を見た。
「ふーん。まあ、字も読めるし計算もできるし、何より顔がいいからな。女受けしそうだ。うん、それは大きな利点だぞ?もし、公爵様がお許しになるなら、俺の下で雇ってやる」
「イヴァンの下か・・・まあぜいたくは言えないな」
俺が冗談めかして笑うと、イヴァンは大口を開けて笑った。
戦地に行った兄の状況は、全くわからなかった。
どこに配属されたのか、安全なところにいるのか、知りたかった。
だが、イネスには聞きたくない。
兄が卒業してから、イネスの態度がぐっとなれなれしくなった気がする。
兄の代役としてエスコート役に指名してきたり、俺をみる目がなんとなく色をはらんでいるような気がしたり。
たぶん、俺のことを体のいい火遊び相手だと思っているのだろう。
いい女を気取っているのか、それとも男好きなのかもしれない。
日を追うごとに兄とこの女を結婚させたくないと強く思うようになっていった。
それは、嫉妬しているからだけじゃない。兄が気の毒だからだ。
週末、久しぶりに兄の消息を聞くために、本屋敷を訪問した。
事前に、閣下は不在にしていることを確認していた。
兄に、閣下には気をつけるように言われていたこともあり、言いつけを守りたかった。
本屋敷はハウスメイドの手が入り、すっかり柔らかい雰囲気になっていた。
玄関ホールに飾られた花も、これ見よがしに鮮やかなバラではなく、柔らかい雰囲気のやなぎやピンクやブルーの小さな花に変わっていた。
客間に通されると、やはり柔らかい色合いのクッションが置かれ、居心地のいい空間に変わっていた。
ここに通された客は、以前の財力を誇示するような調度と比べて、はるかにほっとすることだろう。
「あの方にもおなぐさめする方ができて、最近はすっかり落ち着かれているのですよ」
お茶を入れながらベネディクトが教えてくれた。
おそらく、ベネディクトが閣下に愛人を手配したのだろう。
「そうか。落ち着かれたなら何よりだな」
俺は心からそう思った。母はもう戻ってこない。であれば、平穏に過ごせたほうがいい。
それに、閣下と母の関係はよくわからなかった。
異常なまでに母に執着していたのは知っているが、母の気持ちを大切にすることはなかった。それは愛だったんだろうか?俺にはわからない。
「兄上はどこに赴任されたんだ?」
「よくわからないのですよ。軍事上の秘密とやらで、教えていただけないのです。ただ、ご無事であることと、お元気であることはわかっております。王太子様の直属で働いているらしく、毎週、王太子殿下の部下の方が知らせに来てくださるのです。こちらからのご連絡は極力控えるようにとのお達しでして」
「そうか」
手紙を届けてもらうことは難しそうだ。少しがっかりしたが、イネスも連絡が取れないんだ。
それに何よりも兄は無事だ。ほっとした俺は紅茶を口に運び、このとき初めて気がついた。
紅茶の味まで柔らかくなっている。たしか、これはブラン山脈のふもとにある村でしか作れない茶葉のはず・・・
「フォンテーヌ」
「ご明察にございます」
ベネディクトが微笑んだ。
「非常に質の高い茶葉でございます。前の奥様はお好みでありませんでしたが」
ベネディクトの声色には批判がましい色は全く含まれていない。
だが、その意図は正確に伝わった。
「それはともかく、リュカ様。閣下が、弟様たちに会いたいとおっしゃっています。
いままで、全く水があわなかった高位貴族たちと違い、イヴァンとはあっという間に仲良くなった。
気取らず、正直な、だが商人らしく抜け目ない人柄は、なんの抵抗もなくすとん心に落ちた。
「俺の兄上も優秀なんだよ」
頭をかきながら照れ臭そうに言うイヴァンは、すでに本格的に家業を継ぐための修行に入っている兄の手伝いができることが誇らしそうだった。
「兄上は、国内で事業を承継するから、俺はどこかの支店を任されるか、外国から商品を仕入れてくるのもいいなと思っているんだ」
楽しそうに未来を語るイヴァンの姿に、はっとした。
俺には何の将来展望もない。ただ、兄のそばに居たかっただけだ。公爵家を去った後のことはどこかで雇ってもらって、とぼんやりとかんがえていた。
イヴァンの実家は国内でも一二を争う大商人だ。
ガルシア商会に頼めば揃わないものはないと言われているほど、あちこちの貴族も御用達にしている。
穀物商だった先代の事業を継いだイヴァンの父は、一代で穀物だけでなく衣料品や武器まで商売の範囲を広げ、王家までも顧客に持っている。
ただ、その商売を一番大きくした事業は金貸しだったので、同級生たちは少し距離を置いていた。
自分たちがいつ世話になるかわからない貸金業者は無下にはできない怖い存在ではあるが、それ以上に蔑みの対象となっていたからだ。
だが、イヴァンはそんな小さいことは気にもかけていなかった。腹ただしい相手には金を貸さなければ息の根をとめることができると知っていたからだ。
平民であるということは、こんなに自由なのかと驚く反面、それほどの優れた父が爵位を求めたのが不思議でもあった。
「カネの次は地位なんだよ」
少し白けたように言うイヴァンは、父が叙爵された故に学園に放り込まれ、貴族の間にコネクションを作ってこいと厳命を受けたそうだ。
「ランベール家のリュカ様と同室になったって聞いたら、親父は小遣いをくれるに違いないよ」
ニッと笑うイヴァンに、あまり役に立てそうになくてすまない、と思わず詫びてしまった。
「なんだっていいんだよ。親父が満足すればいいんだからさ。まあ、腐っても公爵家ってことで。腐ってはないけど」
「そうか、こんな肩書きでも役に立つのかな」
「そりゃ立つだろ?」
「それなら・・・もしかして、俺を雇ってくれたりするのかな」
「お前を?」
イヴァンがまじまじと俺を見た。
「ふーん。まあ、字も読めるし計算もできるし、何より顔がいいからな。女受けしそうだ。うん、それは大きな利点だぞ?もし、公爵様がお許しになるなら、俺の下で雇ってやる」
「イヴァンの下か・・・まあぜいたくは言えないな」
俺が冗談めかして笑うと、イヴァンは大口を開けて笑った。
戦地に行った兄の状況は、全くわからなかった。
どこに配属されたのか、安全なところにいるのか、知りたかった。
だが、イネスには聞きたくない。
兄が卒業してから、イネスの態度がぐっとなれなれしくなった気がする。
兄の代役としてエスコート役に指名してきたり、俺をみる目がなんとなく色をはらんでいるような気がしたり。
たぶん、俺のことを体のいい火遊び相手だと思っているのだろう。
いい女を気取っているのか、それとも男好きなのかもしれない。
日を追うごとに兄とこの女を結婚させたくないと強く思うようになっていった。
それは、嫉妬しているからだけじゃない。兄が気の毒だからだ。
週末、久しぶりに兄の消息を聞くために、本屋敷を訪問した。
事前に、閣下は不在にしていることを確認していた。
兄に、閣下には気をつけるように言われていたこともあり、言いつけを守りたかった。
本屋敷はハウスメイドの手が入り、すっかり柔らかい雰囲気になっていた。
玄関ホールに飾られた花も、これ見よがしに鮮やかなバラではなく、柔らかい雰囲気のやなぎやピンクやブルーの小さな花に変わっていた。
客間に通されると、やはり柔らかい色合いのクッションが置かれ、居心地のいい空間に変わっていた。
ここに通された客は、以前の財力を誇示するような調度と比べて、はるかにほっとすることだろう。
「あの方にもおなぐさめする方ができて、最近はすっかり落ち着かれているのですよ」
お茶を入れながらベネディクトが教えてくれた。
おそらく、ベネディクトが閣下に愛人を手配したのだろう。
「そうか。落ち着かれたなら何よりだな」
俺は心からそう思った。母はもう戻ってこない。であれば、平穏に過ごせたほうがいい。
それに、閣下と母の関係はよくわからなかった。
異常なまでに母に執着していたのは知っているが、母の気持ちを大切にすることはなかった。それは愛だったんだろうか?俺にはわからない。
「兄上はどこに赴任されたんだ?」
「よくわからないのですよ。軍事上の秘密とやらで、教えていただけないのです。ただ、ご無事であることと、お元気であることはわかっております。王太子様の直属で働いているらしく、毎週、王太子殿下の部下の方が知らせに来てくださるのです。こちらからのご連絡は極力控えるようにとのお達しでして」
「そうか」
手紙を届けてもらうことは難しそうだ。少しがっかりしたが、イネスも連絡が取れないんだ。
それに何よりも兄は無事だ。ほっとした俺は紅茶を口に運び、このとき初めて気がついた。
紅茶の味まで柔らかくなっている。たしか、これはブラン山脈のふもとにある村でしか作れない茶葉のはず・・・
「フォンテーヌ」
「ご明察にございます」
ベネディクトが微笑んだ。
「非常に質の高い茶葉でございます。前の奥様はお好みでありませんでしたが」
ベネディクトの声色には批判がましい色は全く含まれていない。
だが、その意図は正確に伝わった。
「それはともかく、リュカ様。閣下が、弟様たちに会いたいとおっしゃっています。
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