兄さん、あんたの望みを教えてくれよ。

藍音

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第三幕〜空白の5年間 リュカ〜

90 【リュカ】ともだちと戦争の足音

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そんなことがあっても淡々と日々は過ぎ、いつしかネルと俺はともだちになっていた。
男女の友情は成り立たない?
そんなことはない。
ネルは無味無臭とでもいう存在で、女でも男でもないただのネルだった。
そして、互いに恋に落ちることはないと最初から「知って」いた。



「あの人は一体どういうつもりなの?」

目の前にいるイネスの瞳の奥で何かが燃えていた。

俺とネルは、男と女という性別でへだてられてるがゆえに、イネスの邪推の的となった。
いつものようにネルとランチをとったあと、腹ごなしに校内をぶらついていると、突然イネスに袖を引かれた。

不思議なほど性別を感じず、孤独な魂に寄り添ってくれる相手。
それはともだちというもんだろう?
でも、イネスにはそれが理解できないらしい。
俺とネルが一緒にいて話していると、いつもいらだった声で邪魔をしてきた。

「どういうつもりも、こういうつもりもない。ただのともだちだよ」

俺が返事をすると、イネスは口元を引き結び、立ちつくす。
イネスが何かを言いたいが、言うべきなのか言葉を探しているすきに、これ以上の騒ぎはごめんだと、その場から逃げ出すのがいつものパターンだった。
絶対に振り返らない。
前に一度だけ振り返ったとき、イネスは食い入るようにこちらを見ていた。
その目つきは俺をぞっとさせたから。
なぜそんなに騒ぐのかわからない。


だが、イネスはともかく、時々憂鬱の虫にとりつかれたとき、互いにそばにいて、肩をだき、ひとりじゃないと伝えあえるひと。
そんなともだちの存在は、しずみきった俺の心を少しずついやしてくれた。


「お兄様とお話をしてみたら?」

ネルには、俺が兄の姿を探していることは気づかれていたらしい。
話しかけられて振り返ると、ネルのみどりの瞳があたたかく俺を包みこんだ。

「話せる時に話さないと。先延ばししている間に、お兄様は卒業してしまうわよ?」
「うん・・・そうなんだけど・・・」

俺は口ごもった。認めたくないことを口にするとき、雄弁に、とはいかない。

「その・・・俺、兄さんに・・・いや、兄上に嫌われているんだ」
「そうなの?」

ため息がのどの奥からおしだされ、押し殺したうめきに変わった。

「・・・たぶん、なかっことにされているんだと思う」
「何が?」
「俺の存在が」

苦しみは堰を切ったように流れ出した。

「俺が近づくと、兄上はいつも冷たい表情になる。そう、さっきだって」

俺は、友人たちに取り巻かれ、談笑していた兄とすれ違った先ほどのことを思い出した。

校舎をつなぐ渡り廊下。兄は5、6人の男の友人たちと連れ立って歩いていた。仲の良い友人たちらしく、オーバーアクションで笑わせようとしている者、楽しそうにそれをたしなめている者もいる。
兄はその様子を柔和な笑みを浮かべながら、見つめていた。その目の色から兄が本当に楽しんでいることがわかる。
時折兄が口を挟むと、皆はぴたりと話をやめ、心から尊敬しているというように兄の言葉に耳を傾けていた。

俺は兄の目に入らないように、校舎のかげに隠れていたが、どうしても兄の姿が見たくてその場から動けなくなっていた。
友人たちと楽しそうに会話をしながら、友人のおどけた仕草を見ていた兄が、通りすがりに俺に気がついた。
その瞬間、兄の顔からほほえみが消えた。拭き取ったように表情を消した兄の顔には、何の感情も表れていなかった。
永遠とも思えるほんの数秒のあと、兄は俺から目をそらし、柔和な表情をはりつけた。
俺たちは一言も言葉を交わさないまま、すれ違い、ただ、俺の胸には痛みだけが残った。

微笑みを向ける価値も、小さく会釈をする価値もない俺。
そんな事実を突きつけられ、身動きが取れなくなっていた。

「もう、嫌われたんだよ」

その声は自分からしても情けないほど、小さく、そして震えていた。

ネルは俺の様子を見て、これ以上は無理だと思ったらしい。てのひらで、背中を数回やさしく叩くと、何も言わずに授業までの時間、静かにすわっていた。



国境をめぐる長く続く小競り合いは、隣国の後継争いをきっかけに、激化していた。
隣国では、このまま平和協定を結ぶべき、と考える王太子を筆頭とする穏健派と、いや、戦争も辞さずに領土拡大に努めるべき、という第二王子を押す急進派に分かれ、きな臭い動きが続いていた。
戦争が起これば、貴族は軍役につく義務がある。ただし、男子全員を徴兵すれば家門が立ちいかなくなるため、一つの家につき一人の軍役を課す慣例となっていた。
しかし、高位貴族であればあるほど、嫡男をだすのを嫌がる傾向にあった。死んでしまっては血筋が途絶える、高貴な血に身分の低い血が混じってしまう、などが理由だ。
一般的には高位貴族は愛人をもっているため、私生児を兵として出すケースがほとんどだった。
なぜ俺が無理やり公爵家に引き取られたのか、この話を聞いた時に初めて理解した。

戦争の足音はそこまで聞こえ、高位貴族からももれずに軍役を課すうわさはあちこちでささやかれていた。そうなれば当然のこととして、私生児として生まれた自分は成人と同時に戦地に送られるのだろう。
夫人が俺を自分の子として扱ったのは、軍役をまぬがれるために私生児を出したと言われないためだったのだ。
でも、兄の役に立てるのならば、スペアとして生まれてきた甲斐もあったというものだ。

俺が兄の命を守る。

その考えは、俺の自尊心をくすぐった。
いてもいなくてもいい存在ではない。あってよかったという存在になれる。
それに何よりも、俺が死ねば、兄は俺のことを忘れないでくれるかもしれない。


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