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第三幕〜空白の5年間 リュカ〜
89 【リュカ】イネス
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「星ぃ?」
思わず本音を探るように、ネルの顔を見た。ネルは物怖じせずに俺の視線を受け止めた。
まっすぐで正直そうに見える彼女には、何の下心もないように思えた。
「そう、星。どれだけ美しく輝いて、私たちにやさしくささやきかけてくれても、絶対に私たちのものにはならない、星。ちがう?」
こいつは何を言ってるんだろう。
まさか、感づいてるのか?こんな話したこともないような奴に気づかれている?まさか。
俺は兄に迷惑をかけないように、近づくことすら避けているというのに。ぎゅっと唇をかみしめると、ネルは俺をなだめるように声をかけた。
「心配しないで。何の裏もないの。ただ、ともだちになりたいだけ。この学園は・・・なんだかよそよそしくて、いつまでたっても慣れる気がしないから」
ネルはそう言って肩をすくめた。
「もしよければ、次の授業にいっしょに行かない?あなたさえ、いやじゃなければ」
俺といっしょに行動しようとする奴は今までいなかった。
この、小さな女の子は本当に俺とにいっしょに歩いて授業に出席する気なんだろうか。かなり目立って悪く言われるだろうに。
でも、俺は人に飢えていた。
あの、下屋敷が別宅と言われていた頃の2年間。
鞭打つ家庭教師と過ごした2年間は、まだトラウマのように俺の心に残っている。
誰とも話をせず、少しでも言葉を引き出したくて、家庭教師の顔色をうかがい、言いなりになった日々。
心の奥底では、俺がつまらない存在だから、話す価値すらないのだとわかっていた。
その思いを否定してくれたのが、兄だった。
兄を失ったいま、俺はまた孤独になり、暗闇に取り残されたこどものようにおびえていた。
「いやじゃ・・・」俺が口を開くと同時に、「何をしているのよ!」と後ろからかん高い声が響いた。
振り返ると、イネスが急ぎ足で俺たちに近寄ってきていた。
俺と同時に学園に入学したイネスは、早くも将来の公爵夫人として取り巻きを作っていると聞く。
入学してから一度も話しかけられず、俺も話しかけないまま日は過ぎていた。
「ジュブワさん、あなた男爵家の方よね。おうちのご都合で急遽入学されたと聞いておりますわ。わたしの義弟に何か御用ですの?」
イネスは、俺の守護者を買って出る気なのだろうか。頼んでもいないのに相変わらず迷惑な女だ。
「わたしは婚約者のマティアス様から、リュカの世話をするように頼まれていますの。それにはあなたのような不心得な方を排除することも含まれていると考えておりますのよ」
イネスは、あごを上げ、高慢な態度でネルを見下ろした。
「一体何を考えていらっしゃるのですか?ただのクラスメートとして話していただけです。イネス様のご心配されているようなことは何も・・・」
ネルが静かに反論すると、イネスは目を見開いた。
「わたしが何を心配しているっていうのよ!なんてふてぶてしい。あなたのような方が義弟に近づくなど、許せませんわ」
「いいかげんにしろ」イネスの人をバカにした言い草に腹が立った。たった今知り合ったばかりだが、ネルはイネスにそんなことを言われる筋合いはないだろう。
高位貴族のやつらは特権意識のかたまりだ。学生の間は平等、というたてまえすら軽々ととびこえ、どれほど相手を傷つけようとおかまいなしだ。俺は、イネスの腕をつかんだ。
「ネル、またあとで。先に教室に行ってくれ」
ネルはすばやくうなずき、イネスに向かって小さく頭を下げ、次の授業の教室に向かって去っていった。
「リュカ、ひどいわ!」
イネスはいかにも痛そうに腕をさすりながら、涙をためて俺に抗議した。
「なぜあんな人の味方をするの?わたしが心配しているのがわからないの?ひどいじゃない」
「クラスメートなのに、何様だよ。心配してくれなんて頼んでない」
「どうして・・・どうしてなの?リュカ。わたしたち、あんなに仲がよかったじゃない」
何のことだかわからない。俺にとってイネスはいつだって憎い相手だった。
兄の隣に立つ権利を持つ女。将来兄の子を産む女。兄に微笑みかけられ、キスをしていた。思い出すだけでも突き飛ばし、踏みにじってやりたい相手と仲が良かった?
俺は冷たくイネスを見た。
「そんな目で見ないで。あなたのことを傷つけてしまったのね。わたしが・・・わたしたちが婚約したから」
胸に痛みが走る。
俺の胸の奥にある大切な想いをこんな女に知られてなるものか。
俺はイネスの手を振り払い、だまって立ち去ろうとした。
「待って!お願い。わたしを許して。わたしたち、こんなことでだめにならないでしょう?ねえ、お願い・・・」
イネスは俺の手をぎゅっと握りしめた。
気色が悪い。俺はイネスに手を握られるような関係じゃない。
もう一度手を強く振ってイネスの手を払うと、イネスが泣き出した。
「あんな女!あなたにふさわしくない」
俺は眉をしかめた。
「田舎領主の娘が突然学園に入学してきたのよ。なにか事情があるに決まってるってみんな言ってるわ。噂によるとお姉さんの旦那さんと恋仲になって追い出されたとか・・・」
「やめろ!」
俺はイネスを怒鳴りつけた。
イネスは大きな目に涙を浮かべていたが、その口元は意地悪そうにゆがんでいた。
俺は冷ややかにイネスを見た。
こいつ、どうしたら・・・そう、そうだ。俺の口の端にうっすらと微笑みがうかんだ。
「イネス。君のような美しい人の口からそんな言葉は聞きたくないな。まさか、これから誰かに言いふらして君の評判を下げたりしないよね。未来の公爵夫人たるきみがそんな軽率なこと、するわけないよね?」
イネスは大きく目を見開き、コクコクと首を縦に振った。
「安心したよ。美しい人の口には美しい言葉が似合うよね。さあ、教室まで急がないと。俺は先に向かっているから遅れないように来なよ」そして目一杯優しく微笑んでやった。
イネスは真っ赤に顔を赤らめ、目を潤ませて俺を見つめてきた。
まあ、俺には効果がないんだよな。イネスのそんな視線は。
俺はゆっくりうなずくと、イネスに背を向け、教室に向かった。
少しずつ季節は移り、冬はすぐそこまできていた。ぶるりと身を震わせ、ネルのことをかんがえた。
星ってのは、姉の夫のことか?・・・ふうん。
思わず本音を探るように、ネルの顔を見た。ネルは物怖じせずに俺の視線を受け止めた。
まっすぐで正直そうに見える彼女には、何の下心もないように思えた。
「そう、星。どれだけ美しく輝いて、私たちにやさしくささやきかけてくれても、絶対に私たちのものにはならない、星。ちがう?」
こいつは何を言ってるんだろう。
まさか、感づいてるのか?こんな話したこともないような奴に気づかれている?まさか。
俺は兄に迷惑をかけないように、近づくことすら避けているというのに。ぎゅっと唇をかみしめると、ネルは俺をなだめるように声をかけた。
「心配しないで。何の裏もないの。ただ、ともだちになりたいだけ。この学園は・・・なんだかよそよそしくて、いつまでたっても慣れる気がしないから」
ネルはそう言って肩をすくめた。
「もしよければ、次の授業にいっしょに行かない?あなたさえ、いやじゃなければ」
俺といっしょに行動しようとする奴は今までいなかった。
この、小さな女の子は本当に俺とにいっしょに歩いて授業に出席する気なんだろうか。かなり目立って悪く言われるだろうに。
でも、俺は人に飢えていた。
あの、下屋敷が別宅と言われていた頃の2年間。
鞭打つ家庭教師と過ごした2年間は、まだトラウマのように俺の心に残っている。
誰とも話をせず、少しでも言葉を引き出したくて、家庭教師の顔色をうかがい、言いなりになった日々。
心の奥底では、俺がつまらない存在だから、話す価値すらないのだとわかっていた。
その思いを否定してくれたのが、兄だった。
兄を失ったいま、俺はまた孤独になり、暗闇に取り残されたこどものようにおびえていた。
「いやじゃ・・・」俺が口を開くと同時に、「何をしているのよ!」と後ろからかん高い声が響いた。
振り返ると、イネスが急ぎ足で俺たちに近寄ってきていた。
俺と同時に学園に入学したイネスは、早くも将来の公爵夫人として取り巻きを作っていると聞く。
入学してから一度も話しかけられず、俺も話しかけないまま日は過ぎていた。
「ジュブワさん、あなた男爵家の方よね。おうちのご都合で急遽入学されたと聞いておりますわ。わたしの義弟に何か御用ですの?」
イネスは、俺の守護者を買って出る気なのだろうか。頼んでもいないのに相変わらず迷惑な女だ。
「わたしは婚約者のマティアス様から、リュカの世話をするように頼まれていますの。それにはあなたのような不心得な方を排除することも含まれていると考えておりますのよ」
イネスは、あごを上げ、高慢な態度でネルを見下ろした。
「一体何を考えていらっしゃるのですか?ただのクラスメートとして話していただけです。イネス様のご心配されているようなことは何も・・・」
ネルが静かに反論すると、イネスは目を見開いた。
「わたしが何を心配しているっていうのよ!なんてふてぶてしい。あなたのような方が義弟に近づくなど、許せませんわ」
「いいかげんにしろ」イネスの人をバカにした言い草に腹が立った。たった今知り合ったばかりだが、ネルはイネスにそんなことを言われる筋合いはないだろう。
高位貴族のやつらは特権意識のかたまりだ。学生の間は平等、というたてまえすら軽々ととびこえ、どれほど相手を傷つけようとおかまいなしだ。俺は、イネスの腕をつかんだ。
「ネル、またあとで。先に教室に行ってくれ」
ネルはすばやくうなずき、イネスに向かって小さく頭を下げ、次の授業の教室に向かって去っていった。
「リュカ、ひどいわ!」
イネスはいかにも痛そうに腕をさすりながら、涙をためて俺に抗議した。
「なぜあんな人の味方をするの?わたしが心配しているのがわからないの?ひどいじゃない」
「クラスメートなのに、何様だよ。心配してくれなんて頼んでない」
「どうして・・・どうしてなの?リュカ。わたしたち、あんなに仲がよかったじゃない」
何のことだかわからない。俺にとってイネスはいつだって憎い相手だった。
兄の隣に立つ権利を持つ女。将来兄の子を産む女。兄に微笑みかけられ、キスをしていた。思い出すだけでも突き飛ばし、踏みにじってやりたい相手と仲が良かった?
俺は冷たくイネスを見た。
「そんな目で見ないで。あなたのことを傷つけてしまったのね。わたしが・・・わたしたちが婚約したから」
胸に痛みが走る。
俺の胸の奥にある大切な想いをこんな女に知られてなるものか。
俺はイネスの手を振り払い、だまって立ち去ろうとした。
「待って!お願い。わたしを許して。わたしたち、こんなことでだめにならないでしょう?ねえ、お願い・・・」
イネスは俺の手をぎゅっと握りしめた。
気色が悪い。俺はイネスに手を握られるような関係じゃない。
もう一度手を強く振ってイネスの手を払うと、イネスが泣き出した。
「あんな女!あなたにふさわしくない」
俺は眉をしかめた。
「田舎領主の娘が突然学園に入学してきたのよ。なにか事情があるに決まってるってみんな言ってるわ。噂によるとお姉さんの旦那さんと恋仲になって追い出されたとか・・・」
「やめろ!」
俺はイネスを怒鳴りつけた。
イネスは大きな目に涙を浮かべていたが、その口元は意地悪そうにゆがんでいた。
俺は冷ややかにイネスを見た。
こいつ、どうしたら・・・そう、そうだ。俺の口の端にうっすらと微笑みがうかんだ。
「イネス。君のような美しい人の口からそんな言葉は聞きたくないな。まさか、これから誰かに言いふらして君の評判を下げたりしないよね。未来の公爵夫人たるきみがそんな軽率なこと、するわけないよね?」
イネスは大きく目を見開き、コクコクと首を縦に振った。
「安心したよ。美しい人の口には美しい言葉が似合うよね。さあ、教室まで急がないと。俺は先に向かっているから遅れないように来なよ」そして目一杯優しく微笑んでやった。
イネスは真っ赤に顔を赤らめ、目を潤ませて俺を見つめてきた。
まあ、俺には効果がないんだよな。イネスのそんな視線は。
俺はゆっくりうなずくと、イネスに背を向け、教室に向かった。
少しずつ季節は移り、冬はすぐそこまできていた。ぶるりと身を震わせ、ネルのことをかんがえた。
星ってのは、姉の夫のことか?・・・ふうん。
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