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第二幕〜マティアス〜
71 17歳 父との対決
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リュカを守るために、次の手を打たなければならないことはわかっていた。
このままではリュカの安全を守ることはできない。
公爵の指示に逆らえる人間はいない。誰だって命は惜しいものだ。
父の執務室のドアの前で呼吸を整え、重厚なオークのドアをノックした。
「入れ」
父の声とともに従僕がおどおどとドアを開けた。父は荒れ狂ったらしい。部屋の中には本や書類が散乱していた。
ただ、先ほどのいさかいで若干正気を取り戻したのか、父は以前のようにマホガニーのデスクに向かい、ペンを走らせていた。
「マティアス」私の姿を認めると、父は眉をしかめた。「合わせる顔があったとはな」
父はペンを置いて私を見た。その瞳には何の感情も浮かんでいなかった。
「お怪我はありませんでしたか」
「はっ!白々しい。父を足蹴にしてそれか」
父は私を睨みつけ、私は父の感情が見えたことに安堵した。
「申し訳ありませんでした」私は膝をついた。
「父上にはお分かりかと思いますが・・・私はリュカが大切なのです」
父の眉が上がった。
「大切な弟が泣いている姿を見て、頭に血が昇ってしまったのです」
「そうか」父の声は不気味なほど低かった。
「頭に血を昇らす前に、目の前にいるのが誰か理解すべきだったな。お前は廃嫡にする」
「そんな・・・!!!」
「もう国王陛下への親書も書いた。お前のような者にはこの家は任せられん」
「父上・・・そう仰らないでください。何度でもお詫びいたします・・・」
「許さん」
「父上・・・!!」
「しらじらしい。演技はやめろ」
父の声に私は立ち上がり、膝を払った。
「そうですか。せっかくご要望に応えて健気な嫡男を演じて差し上げたのに。もうご満足いただけたのならよろしいですよね?廃嫡したいのならお好きにどうぞ。できるものならね」
「ふん、お前ならそう言うはずだ」
「この強大な公爵家を、別の者が簡単に治められるわけがない。一番お分かりなのは父上でしょう?」
公爵家を子にそして孫へと引き継いでいくこと。
それは公爵家を継ぐものの重要な役割だ。また、その後継の教育も。
公爵家の下につく領主や地主たちの管理、そして事業の維持に国政への参与。誰でもできる仕事でない。
どの仕事も手を抜けばすぐに回らなくなる。
私とて成人すればすぐに役立つことができるように、記憶もないほど昔から徹底的に教育を受けてきた。
そして私にとっても子を成し、私の代わりを務めることができる人材を育成することは、当然のこととして叩き込まれた義務だった。子が複数入れば無責任なこともできるだろう。
しかし、今の公爵家には私しか後継としての教育を受けたものはいない。
父は、私を憎らしそうに睨みつけた。
「義務はわかっておろう。私はお前の母とは気が合わない。しかし、家門のためお前をもうけた。お前は私によく似ているよ。マティアス」
私は黙って父を見返した。
残念ながら、互いに似すぎている。
欠点も弱点も見えすぎるほどに。
「義務は果たしますよ」私はムッと返した。
「まあいいだろう。だが忘れるな。当主は私だ。お前を廃嫡する権利もあれば、リュカの将来を決めてやる義務もある」
まあ、建前としてはそうではある。今の所はな。
「で、どうするんだ?」父は楽しそうに言った。「あれは弟だ」
「だから?」
「男同士の上兄弟などと、禁忌だろう」
「はっ」私の口から乾いた笑いが漏れた。
「何のことだかわかりませんね。弟を大切にすることの何が禁忌ですか。なにか、そう。物事を見る目が歪んでいらっしゃるのでは?」
「そうか。お前がそう言うならいいだろう」
私は父をじっと見た。父は、アディが亡くなってから、わずか2ヶ月の間に10以上も歳をとったように見える。
目には力がなく、げっそりとこけた頬に真っ青な顔色。
以前はなかった皺が眉の間に深く刻まれていた。
「酒でも飲まれては?」
「・・・酒ではダメだ。いつもアディがついでくれるワインはどんな高級ワインよりも美味かった。エールも同じだ。どんな器だろうと、アディがそばにいて、あの若草色の目で笑いかけられただけで、神の飲み物かと思うほど。だが、今は何を飲んでも味がしない。むしろ、アディがいないと思い知らされるだけだ」
「父上・・・」父のこれほど人間らしい姿は初めて見た。目の前にいる男は、失ったもののあまりの大きさに内側から崩れかけている、ただの孤独な人間にしか見えない。
「何をしてもアディを思い出す。こんなことなら、この屋敷で一緒に暮らせばよかった。そうすればもっと共に過ごす時間を多く取れたのに。一分一秒でも多く共にありたかった」
父は両手に顔を埋めた。「アディ」喉からは嗚咽が漏れる。
「そうですか。それはお辛いことでしょう。父上をお慰めするために私から言えるのはただ一つ。アディは、なぜ死ななければならなかったんですか?」
「どういうことだ」
「今回の出産はリスクがあったんでしょう?でも、本当にそれだけが原因だったんですか?医師には確認したんですか?」
「・・・」父の涙が止まった。
何かを目まぐるしく考えているように、目を見開いたまま固まっている。
ガタン!
父が立ち上がり、椅子が大きな音を立てて倒れた。
「まさか」父は口の中で呟くと、何も言わず部屋から走り出ていった。
このままではリュカの安全を守ることはできない。
公爵の指示に逆らえる人間はいない。誰だって命は惜しいものだ。
父の執務室のドアの前で呼吸を整え、重厚なオークのドアをノックした。
「入れ」
父の声とともに従僕がおどおどとドアを開けた。父は荒れ狂ったらしい。部屋の中には本や書類が散乱していた。
ただ、先ほどのいさかいで若干正気を取り戻したのか、父は以前のようにマホガニーのデスクに向かい、ペンを走らせていた。
「マティアス」私の姿を認めると、父は眉をしかめた。「合わせる顔があったとはな」
父はペンを置いて私を見た。その瞳には何の感情も浮かんでいなかった。
「お怪我はありませんでしたか」
「はっ!白々しい。父を足蹴にしてそれか」
父は私を睨みつけ、私は父の感情が見えたことに安堵した。
「申し訳ありませんでした」私は膝をついた。
「父上にはお分かりかと思いますが・・・私はリュカが大切なのです」
父の眉が上がった。
「大切な弟が泣いている姿を見て、頭に血が昇ってしまったのです」
「そうか」父の声は不気味なほど低かった。
「頭に血を昇らす前に、目の前にいるのが誰か理解すべきだったな。お前は廃嫡にする」
「そんな・・・!!!」
「もう国王陛下への親書も書いた。お前のような者にはこの家は任せられん」
「父上・・・そう仰らないでください。何度でもお詫びいたします・・・」
「許さん」
「父上・・・!!」
「しらじらしい。演技はやめろ」
父の声に私は立ち上がり、膝を払った。
「そうですか。せっかくご要望に応えて健気な嫡男を演じて差し上げたのに。もうご満足いただけたのならよろしいですよね?廃嫡したいのならお好きにどうぞ。できるものならね」
「ふん、お前ならそう言うはずだ」
「この強大な公爵家を、別の者が簡単に治められるわけがない。一番お分かりなのは父上でしょう?」
公爵家を子にそして孫へと引き継いでいくこと。
それは公爵家を継ぐものの重要な役割だ。また、その後継の教育も。
公爵家の下につく領主や地主たちの管理、そして事業の維持に国政への参与。誰でもできる仕事でない。
どの仕事も手を抜けばすぐに回らなくなる。
私とて成人すればすぐに役立つことができるように、記憶もないほど昔から徹底的に教育を受けてきた。
そして私にとっても子を成し、私の代わりを務めることができる人材を育成することは、当然のこととして叩き込まれた義務だった。子が複数入れば無責任なこともできるだろう。
しかし、今の公爵家には私しか後継としての教育を受けたものはいない。
父は、私を憎らしそうに睨みつけた。
「義務はわかっておろう。私はお前の母とは気が合わない。しかし、家門のためお前をもうけた。お前は私によく似ているよ。マティアス」
私は黙って父を見返した。
残念ながら、互いに似すぎている。
欠点も弱点も見えすぎるほどに。
「義務は果たしますよ」私はムッと返した。
「まあいいだろう。だが忘れるな。当主は私だ。お前を廃嫡する権利もあれば、リュカの将来を決めてやる義務もある」
まあ、建前としてはそうではある。今の所はな。
「で、どうするんだ?」父は楽しそうに言った。「あれは弟だ」
「だから?」
「男同士の上兄弟などと、禁忌だろう」
「はっ」私の口から乾いた笑いが漏れた。
「何のことだかわかりませんね。弟を大切にすることの何が禁忌ですか。なにか、そう。物事を見る目が歪んでいらっしゃるのでは?」
「そうか。お前がそう言うならいいだろう」
私は父をじっと見た。父は、アディが亡くなってから、わずか2ヶ月の間に10以上も歳をとったように見える。
目には力がなく、げっそりとこけた頬に真っ青な顔色。
以前はなかった皺が眉の間に深く刻まれていた。
「酒でも飲まれては?」
「・・・酒ではダメだ。いつもアディがついでくれるワインはどんな高級ワインよりも美味かった。エールも同じだ。どんな器だろうと、アディがそばにいて、あの若草色の目で笑いかけられただけで、神の飲み物かと思うほど。だが、今は何を飲んでも味がしない。むしろ、アディがいないと思い知らされるだけだ」
「父上・・・」父のこれほど人間らしい姿は初めて見た。目の前にいる男は、失ったもののあまりの大きさに内側から崩れかけている、ただの孤独な人間にしか見えない。
「何をしてもアディを思い出す。こんなことなら、この屋敷で一緒に暮らせばよかった。そうすればもっと共に過ごす時間を多く取れたのに。一分一秒でも多く共にありたかった」
父は両手に顔を埋めた。「アディ」喉からは嗚咽が漏れる。
「そうですか。それはお辛いことでしょう。父上をお慰めするために私から言えるのはただ一つ。アディは、なぜ死ななければならなかったんですか?」
「どういうことだ」
「今回の出産はリスクがあったんでしょう?でも、本当にそれだけが原因だったんですか?医師には確認したんですか?」
「・・・」父の涙が止まった。
何かを目まぐるしく考えているように、目を見開いたまま固まっている。
ガタン!
父が立ち上がり、椅子が大きな音を立てて倒れた。
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