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第二幕〜マティアス〜

65 17歳 北方のお茶

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震えるほどの恐怖の中、アディの家に向かった。
どうか、いないでくれ。
いや、いてくれ。
私は相反する思いに引き裂かれそうだった。

リュカは、私を捨てようとしている。
その思いは、アディの家の玄関で顔を合わせ、目を見たときに確信に変わった。

「リュカ、帰ろう」

すがるように言っても、リュカは心を返してくれない。
ただここにいたいから今日は帰らないというリュカ。
もう帰る気は無いということか。
私はリュカの手をぎゅっと握りしめた。
ここで判断を誤ったら、リュカを永久に失ってしまいそうだ。頼むから、一緒に帰ろうリュカ。
いくら願っても、リュカは頑なだった。
家の中には、また妊娠して大きな腹をしているアディと小さな弟妹が何人もいた。
知らぬ間に増えたものだ。

「わかった」

わかったよ。リュカ。帰るところがあってはダメだったんだね。お前を完全に私のものにするためには、退路を断たねばならなかったんだ。
わずかな情が命取りとはこのことか。

私はリュカの母が嫌いではなかった。
多少父には若すぎる相手ではあったが・・・彼女は愛人としては上級だ。
なんの贅沢も地位も望まない。
ただ父を愛しているだけ。性的にも満足させ、他の愛人を作らないほど父は彼女を溺愛している。
もう少し彼女の身分が高かったら、いや母の身分が低かったら、結果は違っていただろう。
だが、そんな待遇にも不満を漏らさず、美しい子供たちを次々に産み、その子供たちにも惜しみなく愛を与えた。
なによりもリュカというこの世の宝を送り出してくれた。
感謝しかない、素晴らしい女性だ。
しかし、仕方がない。

「明日には帰りますから」
「朝、迎えにくるよ」

明日は帰ってきてくれるだろう。
しかし、それはいつまで?
一度味をしめれば何度でも。
リュカは何度も脱走を繰り返し、いつかは戻ってこなくなるだろう。
この家が・・・いや、母が、アディがいる限り。

(残念だ・・・残念だよ、リュカ)

不思議と、母を片付けることを決めた時よりも心が痛んだ。


家に戻ってから母の部屋に行った。
母の部屋は南側の日当たりのいい一角にある。

「母上、よく眠れるお茶があると伺ったのですが」
「マティアス?」
「最近眠れなくて。母上ならそのようなものをお持ちでしょう?」
「ベネディクトに持たせるわ」
「いえ、たまには母上に手ずから入れていただければと・・・」

そんなことは言ったこともない。
呆気にとられる母を無視して部屋に入り込んだ。
母は驚きながらも、何か話したいことがあると察したのか、私を部屋から追い出さず、メイドに茶を入れるように指示した。

「何か心に思うことでもあるの?」
「いえ別に。ただ、今日の騒ぎで気が立ってしまったようです」
「そう?」

母にとってはリュカの失踪など関係のない話だ。
おそらく、私の気が立ったこととリュカの失踪は結びつかなかっただろう。
関心がないとはそういうことだ。

メイドがお茶を運んでくると、母が私のカップに茶を注いでくれた。
もう10年以上もそのようなことはなかった。
別れにはふさわしい、夕べだ。

「美味しいです」私は心から言った。
「よかった」

珍しく母が微笑んだ。微笑みを見るのも何年かぶりだった。
母が学園のことを尋ね、私は第二王子殿下の失敗談を笑いを交えて披露した。
母は満足そうだった。

「そうそう、母上は最近、体に合う医者を見つけたと聞いておりますよ」
「そうなのよ。このお茶もそうなの。北方で修行された若いお医者さんなんだけど、腕は確かよ」
「ほう。そこまで効くお茶だと、効き過ぎてしまうこともあるのでしょうね」
「そうね、人によって体質はあるみたい。そこのところは先生がよくみてくださって診察してくださるから安心よ。誰にも共通なのは、心臓が悪い人とか、妊婦とかには飲んではいけないお茶はあるみたい」
「へえ。そうなんですか」私はお茶を一口飲んだ。悪くはない。
「妊婦がお茶を飲むとどうなるんですか?」
「人によっては、頭に血が上ってしまったり、出産の時に出血が止まらなくなったりするそうなのよ」
「それは危険ですね」
「だから、先生は私が妊娠していないかを必ず毎回お聞きになるのよね。効き過ぎてしまって亡くなってしまった事例を何回も見ているから恐ろしいって」
「確かに。用心深い先生に見ていただけて、私も安心しました」
「母上は妊娠はしていらっしゃらないですよね」
「何を、馬鹿なことを!あの女じゃあるまいし・・・」

母の表情が変わった。
はっと目を見開き、その後無表情になった。
私はカップに残ったお茶を飲み干した。

「それでは、良い夜を。美味しいお茶をいただきまして、ありがとうございました」
「え?・・・ええ、良い夜を。きっとよく眠れますよ」
「そう思います」

私は一礼して部屋を出た。
部屋を退出する時、母は何かを考え込んでいた。
きっと私と同じことですよね?母上。


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