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第四幕〜終わりの始まり〜
171 【マティアス】森
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イネスが身ごもったと告白した日。
すぐにリュカを問いただしたかった。
「本当なのか」と。
「イネスの思いこみではないのか」と。
だが、あの時のリュカの反応は言葉よりも雄弁に、自分のしたことを物語っていた。
(なぜだ。なぜ裏切ったんだ)
麻痺したような心は何も感じない。
ただ、同じ言葉だけがぐるぐるとまわり、答えの出ない迷路に押しやられたよう。
まんじりともしない一夜のあと、リュカに会いに学園に向かった。
昨日は、リュカが腕の中にいた。
あたたかいからだと安らかな寝息に、「これがしあわせというものか」と深い満足と、体中に力がみなぎるような感覚を味わった。
ずっとあのままでいられると、思っていたのに。
(短い幸せだった)
思わずため息がこぼれた。
戦地で手を血に染めることをいとわなかったのは、愛する者のため。安寧を守りたいと、ただそれだけの思いでどんなことでもした。決して自分一人のためにしたことではない。領民、家臣、そして何よりもリュカのため・・・
てのひらをぼんやりと眺めていると、馬車が止まった。
学園の門扉を開けさせたところだった。
「ここでいい。降ろしてくれ」
「ですが、閣下、護衛も連れず・・・」
「いい。ここで待て」
護衛とジャックが着いてきていたが、門の近くで待つように命令し、私は森へと向かった。
広大な学園の裏手にある森はそ私のお気に入りの場所だった。
人に疲れた時、思い悩んだ時、いつも森の清涼な香りと風は私を癒やしてくれた。
リュカに会う前に心を落ち着けたほうがいいだろう。
森に向かう途中、リュカがいた。
「どうか、聞いてください」
「これ以上話すことはありません。帰ってください」
みすぼらしい身なりの男がリュカに追いすがり、リュカは迷惑そうに振り払っていた。
また、「男」か。
心が冷えた。
リュカには何人の男がいるんだ?
話の感じでは、リュカが遊んですてた男、ということか?
ふたりは小声になり、話の内容は聞こえない。
だが、リュカが男を追い払おうとし、男がつきまとっている様子は見て取れた。
思わず剣の柄に手をかけたが、足を踏み出そうとしたとき、男は小さく首をふると、頭を下げ帰っていった。
リュカは小さく息をつき、男の後ろ姿をみつめ、振り返って私に気がついた。
「兄上・・・」
呼び方がもとに戻った。つい口元が皮肉にゆがむ。
「ついてこい」あごをしゃくり、森を指すとリュカは黙ってうなずいた。
足が信じられないほど重い。いや、重苦しいのは胸か。
昨日あった出来事はすべて夢だったのではと思えるほど、現実味をなくしていた。
「それで?言い訳を聞いてやる」
人気のない森で振り返った。
ここまで来れば誰に聞かれることもない。
青臭い草の匂いと、静けさが耳に刺さる。
「兄上とイネスの結婚をやめさせたかったんです」
ぽつりとリュカがつぶやいた。
「ただ、それだけで・・・兄さんに恥をかかせるつもりなんてなかった」
私は皮肉に右眉を上げた。
「・・・」
「許しては・・・もらえないですよね」
「・・・」
胸がつぶれそうに痛い。ただ、ふたりの苦しげな呼吸だけがきこえていた。
「あんな女を信用するからですよ。あいつはね、出会った時から俺に色目を使ってたんです。兄さんの前では良家の令嬢ぶってたけど、信用ならない女なんですよ。それを・・・あんな女は、あなたにふさわしくない」
「・・・だから?」
「だから、寝たんですよ!あなたにわからせるためにね!これでわかりましたか?あんな女はあなたにふさわしくないって!」
「ふさわしくない?」
そんなことどうでもいいじゃないか。
跡取りさえ産んでくれればどうでも。
今大切なことはそこじゃないだろう?
「裏切ったのか」
目の前が真っ赤に染まった。
どれだけ、愛していたか。
お前の迷いも悲しみも全て二人の未来のためには仕方がない布石だと思ってきた。
それなのに。
女を孕ませた?
「ありえない」女を妊娠させるなんて。
「馬鹿馬鹿しい!」リュカは声を荒げた。
「いつになったら目がさめるんですか!どうしたらわかってくれるんだ!あいつは・・・俺に惚れてるんですよ!」
どうでもいい。イネスの心など。
いや、どうでもよくない。リュカの心が揺らぐなら。
足元に転がる石が見えた。
妙に色鮮やかにくっきりと、地面には土。うっすら生えた雑草。そして冷たい石。
ポツポツと雨が降ってきた。
足元に水滴が落ちる。
「お前は?」
お前はどうなんだ。私を愛していないのか?あんなに私を求めていただろう?兄として、だけでも・・・
リュカはイライラしたように横を向き、頭をかいた。
「そんなこと、どうでもいいでしょう・・・俺・・・私など、何の意味も持たない存在ですのに」
すぐにリュカを問いただしたかった。
「本当なのか」と。
「イネスの思いこみではないのか」と。
だが、あの時のリュカの反応は言葉よりも雄弁に、自分のしたことを物語っていた。
(なぜだ。なぜ裏切ったんだ)
麻痺したような心は何も感じない。
ただ、同じ言葉だけがぐるぐるとまわり、答えの出ない迷路に押しやられたよう。
まんじりともしない一夜のあと、リュカに会いに学園に向かった。
昨日は、リュカが腕の中にいた。
あたたかいからだと安らかな寝息に、「これがしあわせというものか」と深い満足と、体中に力がみなぎるような感覚を味わった。
ずっとあのままでいられると、思っていたのに。
(短い幸せだった)
思わずため息がこぼれた。
戦地で手を血に染めることをいとわなかったのは、愛する者のため。安寧を守りたいと、ただそれだけの思いでどんなことでもした。決して自分一人のためにしたことではない。領民、家臣、そして何よりもリュカのため・・・
てのひらをぼんやりと眺めていると、馬車が止まった。
学園の門扉を開けさせたところだった。
「ここでいい。降ろしてくれ」
「ですが、閣下、護衛も連れず・・・」
「いい。ここで待て」
護衛とジャックが着いてきていたが、門の近くで待つように命令し、私は森へと向かった。
広大な学園の裏手にある森はそ私のお気に入りの場所だった。
人に疲れた時、思い悩んだ時、いつも森の清涼な香りと風は私を癒やしてくれた。
リュカに会う前に心を落ち着けたほうがいいだろう。
森に向かう途中、リュカがいた。
「どうか、聞いてください」
「これ以上話すことはありません。帰ってください」
みすぼらしい身なりの男がリュカに追いすがり、リュカは迷惑そうに振り払っていた。
また、「男」か。
心が冷えた。
リュカには何人の男がいるんだ?
話の感じでは、リュカが遊んですてた男、ということか?
ふたりは小声になり、話の内容は聞こえない。
だが、リュカが男を追い払おうとし、男がつきまとっている様子は見て取れた。
思わず剣の柄に手をかけたが、足を踏み出そうとしたとき、男は小さく首をふると、頭を下げ帰っていった。
リュカは小さく息をつき、男の後ろ姿をみつめ、振り返って私に気がついた。
「兄上・・・」
呼び方がもとに戻った。つい口元が皮肉にゆがむ。
「ついてこい」あごをしゃくり、森を指すとリュカは黙ってうなずいた。
足が信じられないほど重い。いや、重苦しいのは胸か。
昨日あった出来事はすべて夢だったのではと思えるほど、現実味をなくしていた。
「それで?言い訳を聞いてやる」
人気のない森で振り返った。
ここまで来れば誰に聞かれることもない。
青臭い草の匂いと、静けさが耳に刺さる。
「兄上とイネスの結婚をやめさせたかったんです」
ぽつりとリュカがつぶやいた。
「ただ、それだけで・・・兄さんに恥をかかせるつもりなんてなかった」
私は皮肉に右眉を上げた。
「・・・」
「許しては・・・もらえないですよね」
「・・・」
胸がつぶれそうに痛い。ただ、ふたりの苦しげな呼吸だけがきこえていた。
「あんな女を信用するからですよ。あいつはね、出会った時から俺に色目を使ってたんです。兄さんの前では良家の令嬢ぶってたけど、信用ならない女なんですよ。それを・・・あんな女は、あなたにふさわしくない」
「・・・だから?」
「だから、寝たんですよ!あなたにわからせるためにね!これでわかりましたか?あんな女はあなたにふさわしくないって!」
「ふさわしくない?」
そんなことどうでもいいじゃないか。
跡取りさえ産んでくれればどうでも。
今大切なことはそこじゃないだろう?
「裏切ったのか」
目の前が真っ赤に染まった。
どれだけ、愛していたか。
お前の迷いも悲しみも全て二人の未来のためには仕方がない布石だと思ってきた。
それなのに。
女を孕ませた?
「ありえない」女を妊娠させるなんて。
「馬鹿馬鹿しい!」リュカは声を荒げた。
「いつになったら目がさめるんですか!どうしたらわかってくれるんだ!あいつは・・・俺に惚れてるんですよ!」
どうでもいい。イネスの心など。
いや、どうでもよくない。リュカの心が揺らぐなら。
足元に転がる石が見えた。
妙に色鮮やかにくっきりと、地面には土。うっすら生えた雑草。そして冷たい石。
ポツポツと雨が降ってきた。
足元に水滴が落ちる。
「お前は?」
お前はどうなんだ。私を愛していないのか?あんなに私を求めていただろう?兄として、だけでも・・・
リュカはイライラしたように横を向き、頭をかいた。
「そんなこと、どうでもいいでしょう・・・俺・・・私など、何の意味も持たない存在ですのに」
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