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第一幕〜リュカ〜
40 12歳 バルコニー
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※注意喚起 今回、残酷なシーンを含みます。苦手な方は自衛願います。
「ようこそいらっしゃいました、モラン先生」
公爵夫人に迎えられた青年医師の目に、さっと希望の光が宿った。
国一番の公爵家の令夫人が後援者になれば未来は約束されたようなものだ。
「道は混んでいませんでしたか?」「今日は少し寒くありませんか?」「先生のおくすりのお陰で過ごしやすくて・・・」
鳥のようにさえずりながら医師を先導する奥様はうれしそうで、自分が新たな才能を発見し公爵家に役立てることができる期待にあふれていた。青年医師のほほもうっすらと紅潮していた。なんせ、国一番の公爵邸に招き入れられただけでなく、書斎に入ることを許されたのだ。
期待するなという方に無理がある。
だが、1時間後、運命は暗転したようだ。
青年医師を二度目に見かけたときにはまるで表情が変わっていた。
真っ青な顔と遠目でもわかる大きな震え。おんぼろ帽子はぐちゃぐちゃに握りしめられ、目はうつろで青年が冷静な判断力を失っていることが分かった。
ただ、この家から立ち去ることだけを望み、窓の外を一心に見つめる姿は先程までとはまるで違っている。
(なんだろう?)
不思議に思った俺は、近寄ってみることにした。
もちろん客人に話しかける許可はもらってないから、ただ柱の陰からでて青年の側に近づいただけだ。
「ひっ・・・!!」
気配を感じたのか、振り返って俺を目に留めた瞬間、青年医師は腰を抜かした。
「ゆ、許してください、知らなかったんです・・・!!!」
誰に向かって許しを求めてるの?まさか、俺じゃないよね?
俺がもう一歩足を踏み出すと、青年は両手で頭を抱え、泣き出した。
「本当に、本当に、知らなかったんです。まさか・・・」
大の男が隠しもせずに泣く姿に驚いていると、馬車が近づく音が聞こえてきた。彼は目にも止まらぬほどの素早さで床に転がった帽子をひっつかむと、ものすごい勢いで屋敷を飛び出して行った。
(一体、なんだったんだ?)
いま起きたことに首を傾げていると、屋敷の中が急にざわめきだした。
「大変だ!」
「奥様が・・・!!」
「なんですって」
使用人達が口々に何かを言いながら屋敷の奥に向かって走っていく。
いつも冷静なこの屋敷の使用人達にしてはありえない。何かが、起こった。
「閣下、大変です、奥様が・・・」
「奥様、奥様」
「医者はどこだ」
「さっきまでいただろう」
屋敷の裏庭は使用人達であふれかえっていた。
中央のひときわ人の集まっているところは、人の頭が邪魔をして何も見えない。
俺が人だかりに近寄っていこうとすると、誰かが俺の肩に手を置いた。
「リュカ」静かに俺の名を呼ぶ兄。「部屋に戻りなさい」
「兄上・・・一体何が起こったんですか?」
兄は答えず視線を逸らした。教えてくれないのなら、自分で聞きにいこうと人だかりに向かおうとすると、兄が俺の手をぐっとつかんだ。
「ダメだ、やめなさい。見てはいけない」
「なんで?」
不穏な空気の中、駄々をこねてはいけないと知りつつも兄に答えをねだる。
兄は諦めたのか、ため息をついた。
「母が身を投げた。もう助からないだろう」
「は?」
ほんの1時間ほど前には、嬉しそうに青年医師を案内していた、あの夫人が?
母ってあの人のことだよな?
「お前には見せたくない。部屋に戻りなさい」
「ぼっちゃま?」
兄が俺を追い払おうとして少し強く声を出したとき、誰かが兄の存在に気がついたらしい。
ささやき声が広がり、招くように兄に向かって道が開けられた。使用人たちのまんなかの地面の上に赤黒いかたまりが見えた。
まさか、あれが奥様?
一歩踏み出すと、血にまみれた金髪に目を引かれ、次に冷たくなったむくろと目があった。
今はもう、なんの感情もなくなったんだろうか。大きく見開いた目からはなにも伝わってこない。いつも俺を見るときは冷ややかな憎しみが俺の心を凍らせてきたのに。
だが、なにか言いたげに口を開いたまま、口の脇からは地面に吸い込まれるように赤黒い血が流れだしている。
白っぽいデイドレスには飛び散った血も見えたが、あっという間に背中から血が広がり、全身が赤黒く染まっていった。
その中ですっと伸びた白い腕だけが妙に印象に残った。
(奥様の血は赤かったんだ)
最初に思ったのは、それ。冷酷な奥様に人と同じ赤い血が巡っていたことがちょっと驚きだった。
そして、体の下にはどんどん広がっていくどす黒い血だまり。
その血溜まりを見た瞬間、急にあのときの衝撃を思い出した。
ぺちゃりと足の下で音を立てた血だまり。
金属の匂い。
死の匂い。
(かあちゃん)
まるで黒いカーテンが降りてきたように。突然目の前が真っ暗になって何もかもが消えた。
「ようこそいらっしゃいました、モラン先生」
公爵夫人に迎えられた青年医師の目に、さっと希望の光が宿った。
国一番の公爵家の令夫人が後援者になれば未来は約束されたようなものだ。
「道は混んでいませんでしたか?」「今日は少し寒くありませんか?」「先生のおくすりのお陰で過ごしやすくて・・・」
鳥のようにさえずりながら医師を先導する奥様はうれしそうで、自分が新たな才能を発見し公爵家に役立てることができる期待にあふれていた。青年医師のほほもうっすらと紅潮していた。なんせ、国一番の公爵邸に招き入れられただけでなく、書斎に入ることを許されたのだ。
期待するなという方に無理がある。
だが、1時間後、運命は暗転したようだ。
青年医師を二度目に見かけたときにはまるで表情が変わっていた。
真っ青な顔と遠目でもわかる大きな震え。おんぼろ帽子はぐちゃぐちゃに握りしめられ、目はうつろで青年が冷静な判断力を失っていることが分かった。
ただ、この家から立ち去ることだけを望み、窓の外を一心に見つめる姿は先程までとはまるで違っている。
(なんだろう?)
不思議に思った俺は、近寄ってみることにした。
もちろん客人に話しかける許可はもらってないから、ただ柱の陰からでて青年の側に近づいただけだ。
「ひっ・・・!!」
気配を感じたのか、振り返って俺を目に留めた瞬間、青年医師は腰を抜かした。
「ゆ、許してください、知らなかったんです・・・!!!」
誰に向かって許しを求めてるの?まさか、俺じゃないよね?
俺がもう一歩足を踏み出すと、青年は両手で頭を抱え、泣き出した。
「本当に、本当に、知らなかったんです。まさか・・・」
大の男が隠しもせずに泣く姿に驚いていると、馬車が近づく音が聞こえてきた。彼は目にも止まらぬほどの素早さで床に転がった帽子をひっつかむと、ものすごい勢いで屋敷を飛び出して行った。
(一体、なんだったんだ?)
いま起きたことに首を傾げていると、屋敷の中が急にざわめきだした。
「大変だ!」
「奥様が・・・!!」
「なんですって」
使用人達が口々に何かを言いながら屋敷の奥に向かって走っていく。
いつも冷静なこの屋敷の使用人達にしてはありえない。何かが、起こった。
「閣下、大変です、奥様が・・・」
「奥様、奥様」
「医者はどこだ」
「さっきまでいただろう」
屋敷の裏庭は使用人達であふれかえっていた。
中央のひときわ人の集まっているところは、人の頭が邪魔をして何も見えない。
俺が人だかりに近寄っていこうとすると、誰かが俺の肩に手を置いた。
「リュカ」静かに俺の名を呼ぶ兄。「部屋に戻りなさい」
「兄上・・・一体何が起こったんですか?」
兄は答えず視線を逸らした。教えてくれないのなら、自分で聞きにいこうと人だかりに向かおうとすると、兄が俺の手をぐっとつかんだ。
「ダメだ、やめなさい。見てはいけない」
「なんで?」
不穏な空気の中、駄々をこねてはいけないと知りつつも兄に答えをねだる。
兄は諦めたのか、ため息をついた。
「母が身を投げた。もう助からないだろう」
「は?」
ほんの1時間ほど前には、嬉しそうに青年医師を案内していた、あの夫人が?
母ってあの人のことだよな?
「お前には見せたくない。部屋に戻りなさい」
「ぼっちゃま?」
兄が俺を追い払おうとして少し強く声を出したとき、誰かが兄の存在に気がついたらしい。
ささやき声が広がり、招くように兄に向かって道が開けられた。使用人たちのまんなかの地面の上に赤黒いかたまりが見えた。
まさか、あれが奥様?
一歩踏み出すと、血にまみれた金髪に目を引かれ、次に冷たくなったむくろと目があった。
今はもう、なんの感情もなくなったんだろうか。大きく見開いた目からはなにも伝わってこない。いつも俺を見るときは冷ややかな憎しみが俺の心を凍らせてきたのに。
だが、なにか言いたげに口を開いたまま、口の脇からは地面に吸い込まれるように赤黒い血が流れだしている。
白っぽいデイドレスには飛び散った血も見えたが、あっという間に背中から血が広がり、全身が赤黒く染まっていった。
その中ですっと伸びた白い腕だけが妙に印象に残った。
(奥様の血は赤かったんだ)
最初に思ったのは、それ。冷酷な奥様に人と同じ赤い血が巡っていたことがちょっと驚きだった。
そして、体の下にはどんどん広がっていくどす黒い血だまり。
その血溜まりを見た瞬間、急にあのときの衝撃を思い出した。
ぺちゃりと足の下で音を立てた血だまり。
金属の匂い。
死の匂い。
(かあちゃん)
まるで黒いカーテンが降りてきたように。突然目の前が真っ暗になって何もかもが消えた。
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