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第一幕〜リュカ〜

39 12歳 青年医師 

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それ以来、兄は元のよそよそしい兄に戻ってしまった。

夕食の席では「家族」全員が顔を合わせる。
俺が以前住んでいた家がすっぽり収まるほど広いダイニングルームには、マホガニー製のどっしりとしたテーブルが置かれている。
それぞれが会話が成り立たないほど遠くに座り、たまにカトラリーのかすかな音とメイドたちの衣擦れの音が空気を揺らすだけだ。話すことを考える必要がないのは楽ではあるが、ここ数日はいつにも増してピリピリとした空気が漂っていた。

ただ、今夜は違っていた。
母の死後、ずっと心ここにあらずと宙をみては何かを考え込んでいた閣下は、突然目の前の現実に興味が湧いたかのように、妻や子らの様子を眺め、笑みすら浮かべていた。
閣下の急な変化にどう対処したらいいのか、とりあえず表情をとりつくろい、皿の上に載っている料理に興味を示すふりをしていた。

「グウェン、最近は体調が良さそうだな」

閣下が猫なで声で夫人に声をかけると、皿の上に乗っていた冷たい鶏肉をフォークでつついていた奥様は視線をあげ、閣下を見た。閣下の顔には見たこともないほど柔和な表情が浮かんでいる。夫人は驚いたように目を見開いたが、慌てて口角を引き上げた。

「ええ、おかげをもちまして、先生に処方していただいた薬が効きましたのよ」
「ほう・・・確か、北方で修行してきた若い医師だとか?」

閣下が聞いたこともないほど甘い声で話しかける。疑いようのない優しさに、夫人が自分を守るために張り巡らした高い壁が少しずつ崩れ始めた。

「まあ。そのようなつまらないことを覚えていてくださったのですか?」目を輝かし、閣下を見つめると、閣下は大きく頷いた。
「若いのに優秀な医師だと聞いているよ。たしか・・・モランくんといったかな。彼の処方する薬は相当効くと聞いたが」
「そうなんですの」

夫人は閣下が自分のことを本当に気遣ってくれていると思ったらしい。顔を赤らめ嬉しそうに微笑んだ。

「何でも、北方では医師が少ないので、民間療法が発達しているそうですの。モラン先生は様々な薬草の配合を勉強なさっていて、お茶の形にして処方してくださるので、お薬を飲むにも苦痛がないんです」
「ほう、お茶の形にね・・・」閣下の目の一瞬鋭い光が走ったが、夫人は気がつかずに上機嫌で話を続けた。
「そうなんです。苦い薬湯ならいくらでもありますけど、モラン先生はよく研究なさっていて、おいしいお茶や味のないものまで作られるんです。優秀な方ですわよね」
「私もそのような方を支援したいものだ。是非お会いしてお話ししたいね」閣下が事業家らしく興味を示すと、夫人は今まで見たことがないほどうれしそうに笑った。
「まあ!素晴らしいことです!才能の支援はいつでも素晴らしい社会貢献ですわ。すぐにでもお呼びいたします」
「そうしてくれるか」
優しげに返した閣下の右まぶたは、なぜかぴくぴくと痙攣していた。

白々しいほどの明るい会話の中、兄は両親の仲むつまじさには興味も示さず、素知らぬ顔でデセールを口に運んでいた。ストロベリームースが口に合ったのか、その目は嬉しそうに輝いている。

(美味しいのかな)

つられるようにして口に含んだストロベリームースは、いつものように完璧な出来栄えだったけど、目を輝かせるほどではない。
俺はそっと目を伏せると、拷問のようなこの夕食が早く終わることだけを願った。



翌日、訪れてきたのは、青白い顔に肩の線が合わない安物のコート着た青年だった。
青年は、屋敷まで歩いてきたらしい。馬車を借りるほどのゆとりはないのか、無理やり撫で付けてる茶色い髪は毛先が跳ね、いつ整えたのかは分からない。
自信なさげに公爵家の玄関に入った青年はその豪華さに圧倒されたように、ホール周りを見回していた。

目の前にはふんだんに大理石をあしらったホールや階段があり、惜しげも無くガラスを使って光を取り入れたホールは他には滅多にないはずだ。調度の一つ一つを見ても、すぐそばに置いてある花瓶一つとっても壊してしまったら一生かけても返せないほどの高価な品ばかりだ。

公爵家の門からここまで馬車で送られ、いつまでも玄関までたどりつかないほどの広い敷地に圧倒されたことだろう。自信なさげに、帽子を両手で握りしめ、帽子のツバががダメになってしまうほど、いじくりまわしているその姿は、かつての俺と同じに見えた。

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