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第一幕〜リュカ〜

32 12歳 兄の迎え

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いつも気高く超然とした兄の姿はそこにはなかった。
ちょうど光が当たらないため顔がよく見えない。

でも、少しうつむきがちなその姿は心細そうで・・・まるで濡れた子犬のように見えた。
だが、何かがおかしい。なぜ兄がここに?
今日は週の半ばだ。兄は学園の寮で生活をしているし、週末まで帰ってくるはずがない。
しかも、週末だっていつも忙しそうにして、最近ではほとんど顔をあわせることもなくなっていたのに・・・

「にいちゃ・・・兄上、なぜここに」
「お前こそ、誰にも言わずに屋敷を抜け出して、使用人たちも総出でお前のことを探しているんだぞ」
「え?」
「お前が私を訪ねてきているんじゃないかと、屋敷の者が確認しにきたんだ」

俺がいなくなったことに気づいた?公爵邸の人たちが?
言われてみれば、確かにその程度は気がつくかもしれない。一応俺だって、公爵の息子の一人として、屋敷にいたのだから。
使用人達は俺がいないことに気がついて驚いたんだろうか。
もしかして俺がいなくなったらお叱りを受ける?いや、まさか。
すでに利用価値のないことがはっきりしている俺は、いなくてもいい存在だ。

「リュカ?どうしたの?」

母が重い体をゆっくりと動かしながら俺たちに近づいてきた。
俺の視線の先に気がついたのか、ドアの向こうに目を向け、そこにいる背の高い男の姿に気がついたようだ。

「ぼっちゃま?!」

母は目を丸くして兄を見つめている。
旦那様をそのまま20年か30年若返らせれば兄の姿になるだろうと言われているぐらい2人はよく似ていた。人目で尋ねてきたのが誰か気付き、驚いたに違いない。
本来であれば家の中に入るように促すのが礼儀だろうか、母は驚いて口をぽかんと開け、立ちすくんでいた。

兄は、普段着の地味な装いだったが、一目で一級品とわかる。緩やかに後ろに撫で付けた金髪と全身に手入れの行き届いた高貴なオーラも、この家では場違いに浮いて見えた。
玄関先の異様な気配に気づいて探りに来た弟や妹達も、ドアを盾にするようにしがみついて、こっそりのぞきこんでいる。
兄は野良猫の家族の中に突然現れた豹のようにかけ離れた存在だ。誰もが皆固まったように動けなくなってしまった。

「リュカ、帰ろう」

兄が心配そうに俺の手をとると、「リュカ、ぼっちゃまのお手をわずらわせては・・・」と心配そうな母の声がかぶさってきた。
俺だってわかってる。でも、今日だけはここにいたかった。

「リュカ、みんな心配してるんだよ」
兄が優しく言う。俺の好きなにいちゃんだ。
心配する人なんているわけないのに。
「に・・・兄上、申し訳ありません。黙って抜け出したことはお詫びいたします。でも、今日だけはここに泊まってはいけませんか?明日は必ず戻りますから」

とりあえず、無断で実家に帰ることは無理そうだと分かった。まあ、閣下に了解を取れば簡単にゆるしていただけるだろう。

「リュカ・・・それはどうしてもなのか?」
「はい、どうしてもです」
「なぜ?」
「理由は・・・ありません。ただ、ここにいたいからです」

あの冷たい家にはもう戻りたくない、家族のそばにいたい、なんて本当のことは言える訳ない。でも、今日だけでもいいから、ここにいたかった。

「リュカ?」

兄は俺の顔をじっと見た。そして、絶対今日は譲る気がないことを悟ったのだろう。

「分かった」と小さなため息とともにことばが吐き出された。
「明日は帰りますから」
「朝、迎えにくるよ」

おれの頬にそっと触れると、指先がぴりっとしたように感じて兄を見上げた。

母はそんな俺たちのやり取りをはらはらしながら眺めていたが、親しげな仕草にホッとしたらしい。
安心したように笑い、「リュカをお願いいたします」と頭を下げた。



「リュカ、あんた、無断で帰ってきたの?」兄が帰ると母に説明しなければならなかった。でも・・・
はい、そうです。とは言えないよな。
もしかしてそれを知ってしまったことで母に迷惑がかかるかもしれないし。
無言の肯定を悟った母が、一つため息をついた。

「どうしたのリュカ。なにか辛いことでもあったの?」

母は俺の手にそっと触れると、並んで玄関先のソファーに腰掛けた。隣に座る母の体から温かさが伝わってくる。

「かあちゃん、俺、向いてないんだよ」

図らずも感じた母の温もりは、俺から本音を引き出した。
俺、頑張ってはみたんだよ。
でも、やっぱり無理だったんだ。


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