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第一幕〜リュカ〜
36 12歳 父の錯乱
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母が亡くなってから2月ほど経ち、俺は数ヶ月後に迫った学園の入学準備のために、毎日家庭教師について勉強させられていた。勉強は好きではなかったけど、母が良かれと思って俺を公爵家に送ったのだと知り、できないながらも努力しようと気を引き締めた。
閣下は母が亡くなってからまるで人が変わってしまった。
誰もが認める威厳のある完璧無比な公爵様はいなくなり、愛する者を亡くし、途方にくれているただの男が残った。
ふと気がつくと、俺のことをじっと見ている。
俺の髪を、肌を見つめる閣下の視線の先にいたのは誰だろうか。
目は確かに俺にむけられているのに、ガラスのような瞳が写していたのは俺ではない別の人だった。
ただ、見られるだけなら害はない。
互いに特に思い入れのある関係ではなかったが、一応父親ではあったし、衣食住すべて面倒を見てもらっている。
弟妹も世話になっているし、俺を見ることで心が慰められるなら、対価としては安いもんだ。
でも、兄は違った。
兄は閣下が俺を見ること自体を嫌悪した。
閣下が俺を見ていれば、扉を閉め、カーテンを引いて俺を隠した。
それができないなら、別の場所に移動させてでも俺を見られないようにした。
「絶対に二人きりになるな」
「もし何かあったら大声を出すように」
そんなある日、閣下から呼び出しがあった。ベネディクトが必要以上に慇懃に俺を迎えにくると、兄のことばを思い出したが、閣下のご命令に俺が逆らえるわけはない。
なにか武器でも持っていったほうがいいんだろうかとの思いがちらりとよぎったが、間違って公爵様を害してしまったら死罪になる可能性もあるとおもい、あきらめた。
ベネディクトは必要以上にゆっくりと俺を先導し、書斎の重い扉がギイっと不気味な音を立てて開いた。薄暗い部屋の中に目を走らせると、壁際で黒い何かがうごめいた。
目をこらすと、それは頭から黒い布を被り、座り込んでいた公爵閣下だった。
・・・絶対におかしい。
閣下は俺の姿を認めると、「アディ」と母の名を呼びながら、涙をこぼしながら俺に近づいてきた。
「戻ってきてくれたのか。すまなかった、5番目の子が生まれた時に、二度と子は産めないと医者に釘を刺されていたのに、つい、お前が愛しくて・・・」
母が言っていたのはこのことだったのか?
母は6番目の子を妊娠すべきではなかったということ?
出産に不安があった?
だから俺に会いたがっていた?
閣下は気にも留めず、俺と母を会わせようとはしなかった。
母に会えたのはたまたま俺が抜け出したから。
もしあの日に会えなかったら、話すことすらできずに別れてしまうところだった。
「アディ」
目の前に影が落ちる。大柄な閣下の体が光を遮り、いつの間にか部屋の端から近寄って来ていた。
ふと目をあげると、強く抱きしめられた。
「愛してる、アディ、お前がいないと私は、生きることすら辛い。アディ、アディ・・・」
閣下は涙を流しながら母に話しかけている。
「お前の望みは全て叶えよう。子供達を大切にして、教育を与えるよ。将来はいい家に嫁がせるか、爵位を継がせて心配はないようにしよう。約束する。約束するから、どうか、もう置いていかないでくれ」
「か、閣下、私は母ではありません」
抱きしめる力の強さに危機感を感じ、体をよじって逃げようとするが公爵の力強い腕はビクともしない。
背後ではドアが閉まる音がした。
叫んでも誰も助けには来ない。閣下に逆らうことは死を意味する。自力で切りぬけろ、ということか。
閣下が母に何をしていたのか。
幼い日に見てしまった光景が目の前をよぎる。
「アディ」
「閣下、私は母ではありません!」
もう一度強くいうと、閣下の肩がビクリと跳ねた。
「はなしてください!」
そう叫んで身をよじると、閣下の腕の力が緩み、するりと抜け出せた。
少しずつ、ドアの前に移動しながら、距離を取る。
閣下が俺の体に触れると思うだけでも気分が悪い。
その接触に親子のふれあいとは違う意味を感じていたからだろう。
「そ、そうか。お前はアディではないな、リュカだ」
今初めて気がついたかのように閣下が言う。
「瓜二つだ。初めてアディを見かけた年頃とよく似ている。私はお前の母さんをひと目見た時からずっと愛していたよ」
一体母が幾つの時の話なんだろう。これ以上は聞きたくない。
閣下はすでに既婚者だったはずだし、はるかに年の離れた母を相手に一体何を考えていたのか。
その不気味さにゾッとする。
「どうだ、リュカ。これからはお父様と呼んではくれないか?かわいい、リュカ」
閣下が少しづつ俺に近づいてくる。
「これまでもっと優しくしてやればよかった。寂しかったろう?お父様とお前の母さんの話をしよう」
俺は蛇に睨まれたカエルのように身動きが取れないまま、壁を背に立ちすくんだ。
閣下は母が亡くなってからまるで人が変わってしまった。
誰もが認める威厳のある完璧無比な公爵様はいなくなり、愛する者を亡くし、途方にくれているただの男が残った。
ふと気がつくと、俺のことをじっと見ている。
俺の髪を、肌を見つめる閣下の視線の先にいたのは誰だろうか。
目は確かに俺にむけられているのに、ガラスのような瞳が写していたのは俺ではない別の人だった。
ただ、見られるだけなら害はない。
互いに特に思い入れのある関係ではなかったが、一応父親ではあったし、衣食住すべて面倒を見てもらっている。
弟妹も世話になっているし、俺を見ることで心が慰められるなら、対価としては安いもんだ。
でも、兄は違った。
兄は閣下が俺を見ること自体を嫌悪した。
閣下が俺を見ていれば、扉を閉め、カーテンを引いて俺を隠した。
それができないなら、別の場所に移動させてでも俺を見られないようにした。
「絶対に二人きりになるな」
「もし何かあったら大声を出すように」
そんなある日、閣下から呼び出しがあった。ベネディクトが必要以上に慇懃に俺を迎えにくると、兄のことばを思い出したが、閣下のご命令に俺が逆らえるわけはない。
なにか武器でも持っていったほうがいいんだろうかとの思いがちらりとよぎったが、間違って公爵様を害してしまったら死罪になる可能性もあるとおもい、あきらめた。
ベネディクトは必要以上にゆっくりと俺を先導し、書斎の重い扉がギイっと不気味な音を立てて開いた。薄暗い部屋の中に目を走らせると、壁際で黒い何かがうごめいた。
目をこらすと、それは頭から黒い布を被り、座り込んでいた公爵閣下だった。
・・・絶対におかしい。
閣下は俺の姿を認めると、「アディ」と母の名を呼びながら、涙をこぼしながら俺に近づいてきた。
「戻ってきてくれたのか。すまなかった、5番目の子が生まれた時に、二度と子は産めないと医者に釘を刺されていたのに、つい、お前が愛しくて・・・」
母が言っていたのはこのことだったのか?
母は6番目の子を妊娠すべきではなかったということ?
出産に不安があった?
だから俺に会いたがっていた?
閣下は気にも留めず、俺と母を会わせようとはしなかった。
母に会えたのはたまたま俺が抜け出したから。
もしあの日に会えなかったら、話すことすらできずに別れてしまうところだった。
「アディ」
目の前に影が落ちる。大柄な閣下の体が光を遮り、いつの間にか部屋の端から近寄って来ていた。
ふと目をあげると、強く抱きしめられた。
「愛してる、アディ、お前がいないと私は、生きることすら辛い。アディ、アディ・・・」
閣下は涙を流しながら母に話しかけている。
「お前の望みは全て叶えよう。子供達を大切にして、教育を与えるよ。将来はいい家に嫁がせるか、爵位を継がせて心配はないようにしよう。約束する。約束するから、どうか、もう置いていかないでくれ」
「か、閣下、私は母ではありません」
抱きしめる力の強さに危機感を感じ、体をよじって逃げようとするが公爵の力強い腕はビクともしない。
背後ではドアが閉まる音がした。
叫んでも誰も助けには来ない。閣下に逆らうことは死を意味する。自力で切りぬけろ、ということか。
閣下が母に何をしていたのか。
幼い日に見てしまった光景が目の前をよぎる。
「アディ」
「閣下、私は母ではありません!」
もう一度強くいうと、閣下の肩がビクリと跳ねた。
「はなしてください!」
そう叫んで身をよじると、閣下の腕の力が緩み、するりと抜け出せた。
少しずつ、ドアの前に移動しながら、距離を取る。
閣下が俺の体に触れると思うだけでも気分が悪い。
その接触に親子のふれあいとは違う意味を感じていたからだろう。
「そ、そうか。お前はアディではないな、リュカだ」
今初めて気がついたかのように閣下が言う。
「瓜二つだ。初めてアディを見かけた年頃とよく似ている。私はお前の母さんをひと目見た時からずっと愛していたよ」
一体母が幾つの時の話なんだろう。これ以上は聞きたくない。
閣下はすでに既婚者だったはずだし、はるかに年の離れた母を相手に一体何を考えていたのか。
その不気味さにゾッとする。
「どうだ、リュカ。これからはお父様と呼んではくれないか?かわいい、リュカ」
閣下が少しづつ俺に近づいてくる。
「これまでもっと優しくしてやればよかった。寂しかったろう?お父様とお前の母さんの話をしよう」
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