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第一幕〜リュカ〜
26 10歳 婚約者という「女」
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「坊っちゃま、奥様がおよびでございます」ベネディクトが急ぎ足で兄を呼びに来た。
「今いく」兄は立ち上がり、俺を見た。「リュカ、イネスを頼んでもいいか?」
「はい、兄上」犬に喰わせとくよ。
兄が立ち去ると、俺とイネスの間にあった他人行儀な空気ががらりと変わった。
俺はイネスへの嫌悪感を隠せず、視線をそらし、イネスはそんな俺を見て何かを企むように笑った。
「ねえ、あなた素敵ね。とっても可愛いわ」
さっきまでいた幸せそうなキラキラした女の子は消え、妖婦の片鱗を見せる「女」が現れた。
何よりも目つきが違う。獲物を狙う、自分に魅力があると知っている、「女」の目。
イネスは、そっと俺に体を寄せた。
「この間から思ってたのよ。ふふふ。あなたも私のこと、好きでしょ?」
は?「あなたも」?「好き?」
こいつ何言ってるんだ?頭沸いてんのか?
まさか、この間の茶会の時に湖まで追いかけてきたのは、俺に興味があったから?
いや、俺がこいつのことを好きだと思った?なぜ?
でも、もしかしたら、何か感づいているのかもしれない。用心しないと。
俺は、自分が兄にとっていちばんのリスクであることを知りながら、兄の足を引っ張るようなことはしたくなかった。だって、やっぱり大切な人だから。
嫌悪感を消し、無表情のままイネスの顔を見ると、イネスはペロリと唇を舐めた。
首筋から足元まで、一瞬で寒気が走り抜けた。
「メイドたちが言ってたわ。あなたは将来有望だって」
「・・・」
「あなたのお母様って、アドリアーヌさんでしょ?デビューしたと思ったら既婚者の公爵様に見初められて、家を没落させられたっていう」
初耳だった。
「没落させられた?」
「公爵家が男爵家を窮地に入れる方法なんていくらでもあるって、お母様がおっしゃってたわ。取引の邪魔をすればすぐに資金繰りがショートするとか。意味はよくわからないけど」
「・・・」
俺にだってわからない。でも、この女が本当のことを言っていると、直感的にわかった。
つまり、俺の母を手に入れたかった既婚者の閣下は、策を弄して母を手に入れたってことか。
「すごかったらしいじゃない。公爵様ったら、アドリアーヌさんを無理やり借金のカタに家の使用人にしたら、すぐに愛人にしたんでしょ?ご寵愛が過ぎて、社交界には出さないって噂よ?屋敷まで与えたけど、今はそこには住んでいないとか・・・」
俺の母は、旦那様のお情けで生きていることを感謝していた。俺たちにも、旦那様のことを悪く言ったことはなかったし、あの小さな家での生活に文句を言ったこともない。ただ、旦那様が来ない日が続くと、寂しそうに肩を落としていただけ。主人に捨てられた犬のようにしょんぼりと、窓の外を眺めているだけの女だった。
母は自分の家が没落させられたってことは理解していたんだろうか。もしそうだとしたら、随分と母はおめでたいんだな。いいようにつけこまれたんだろう。
旦那様がひどく母に執着していたのは事実だし、俺の出自は知っている人は皆知っている、公然の秘密だっただろう。隠そうってところに無理がある。家には大勢の使用人、外では社交。一杯飲めば口が緩むってもんだ。
何よりも、俺は輝ける一族に紛れ込んだ一匹のカラスだったし、顔立ちだって違う。見ればわかるよな。
「とにかく」イネスは邪気なく笑った。「あなたが素敵だってことよ。お母様譲りのその黒髪も素敵。きっと大きくなったら女の人たちがみんな夢中になるに違いないわ」
何言ってんだよ、この馬鹿女。
俺は心の中で毒づくと、顔の筋肉を引きつらせて無理やり笑ったような顔を作って見せた。
「喜ぶなんて、可愛い」
イネスは花が咲いたように笑った。
「僕の大事な二人はすっかり仲良くなったんだね。よかった」
いつの間にか戻ってきた兄がうれしそうに頬をゆるめた。
そうか、うれしいのか。俺たちが仲良くなると。
そうなのか。
だが、兄はイネスのこの危うさに気づいているんだろうか。
こいつは、たったの10歳で婚約者の弟に色目を使っている。
でも、もしかしたら、これはなにかに使えるのかもしれない。
イネスは俺に興味があるし、俺がイネスに興味があると思っている。
ふうん。
「そうなんですよ。イネス嬢は素敵な人ですね。僕も好きになっちゃうかもしれませんね」
「まあ」
「おいおい」
顔を赤らめるイネスと、苦笑する兄。
「もちろん、冗談に決まってるじゃありませんか」
俺は笑った。そんなわけないだろう?にいちゃん、俺のことなんだと思ってるんだよ。
でも、ちょっとだけ揺さぶってやったって、いいよな?
「今いく」兄は立ち上がり、俺を見た。「リュカ、イネスを頼んでもいいか?」
「はい、兄上」犬に喰わせとくよ。
兄が立ち去ると、俺とイネスの間にあった他人行儀な空気ががらりと変わった。
俺はイネスへの嫌悪感を隠せず、視線をそらし、イネスはそんな俺を見て何かを企むように笑った。
「ねえ、あなた素敵ね。とっても可愛いわ」
さっきまでいた幸せそうなキラキラした女の子は消え、妖婦の片鱗を見せる「女」が現れた。
何よりも目つきが違う。獲物を狙う、自分に魅力があると知っている、「女」の目。
イネスは、そっと俺に体を寄せた。
「この間から思ってたのよ。ふふふ。あなたも私のこと、好きでしょ?」
は?「あなたも」?「好き?」
こいつ何言ってるんだ?頭沸いてんのか?
まさか、この間の茶会の時に湖まで追いかけてきたのは、俺に興味があったから?
いや、俺がこいつのことを好きだと思った?なぜ?
でも、もしかしたら、何か感づいているのかもしれない。用心しないと。
俺は、自分が兄にとっていちばんのリスクであることを知りながら、兄の足を引っ張るようなことはしたくなかった。だって、やっぱり大切な人だから。
嫌悪感を消し、無表情のままイネスの顔を見ると、イネスはペロリと唇を舐めた。
首筋から足元まで、一瞬で寒気が走り抜けた。
「メイドたちが言ってたわ。あなたは将来有望だって」
「・・・」
「あなたのお母様って、アドリアーヌさんでしょ?デビューしたと思ったら既婚者の公爵様に見初められて、家を没落させられたっていう」
初耳だった。
「没落させられた?」
「公爵家が男爵家を窮地に入れる方法なんていくらでもあるって、お母様がおっしゃってたわ。取引の邪魔をすればすぐに資金繰りがショートするとか。意味はよくわからないけど」
「・・・」
俺にだってわからない。でも、この女が本当のことを言っていると、直感的にわかった。
つまり、俺の母を手に入れたかった既婚者の閣下は、策を弄して母を手に入れたってことか。
「すごかったらしいじゃない。公爵様ったら、アドリアーヌさんを無理やり借金のカタに家の使用人にしたら、すぐに愛人にしたんでしょ?ご寵愛が過ぎて、社交界には出さないって噂よ?屋敷まで与えたけど、今はそこには住んでいないとか・・・」
俺の母は、旦那様のお情けで生きていることを感謝していた。俺たちにも、旦那様のことを悪く言ったことはなかったし、あの小さな家での生活に文句を言ったこともない。ただ、旦那様が来ない日が続くと、寂しそうに肩を落としていただけ。主人に捨てられた犬のようにしょんぼりと、窓の外を眺めているだけの女だった。
母は自分の家が没落させられたってことは理解していたんだろうか。もしそうだとしたら、随分と母はおめでたいんだな。いいようにつけこまれたんだろう。
旦那様がひどく母に執着していたのは事実だし、俺の出自は知っている人は皆知っている、公然の秘密だっただろう。隠そうってところに無理がある。家には大勢の使用人、外では社交。一杯飲めば口が緩むってもんだ。
何よりも、俺は輝ける一族に紛れ込んだ一匹のカラスだったし、顔立ちだって違う。見ればわかるよな。
「とにかく」イネスは邪気なく笑った。「あなたが素敵だってことよ。お母様譲りのその黒髪も素敵。きっと大きくなったら女の人たちがみんな夢中になるに違いないわ」
何言ってんだよ、この馬鹿女。
俺は心の中で毒づくと、顔の筋肉を引きつらせて無理やり笑ったような顔を作って見せた。
「喜ぶなんて、可愛い」
イネスは花が咲いたように笑った。
「僕の大事な二人はすっかり仲良くなったんだね。よかった」
いつの間にか戻ってきた兄がうれしそうに頬をゆるめた。
そうか、うれしいのか。俺たちが仲良くなると。
そうなのか。
だが、兄はイネスのこの危うさに気づいているんだろうか。
こいつは、たったの10歳で婚約者の弟に色目を使っている。
でも、もしかしたら、これはなにかに使えるのかもしれない。
イネスは俺に興味があるし、俺がイネスに興味があると思っている。
ふうん。
「そうなんですよ。イネス嬢は素敵な人ですね。僕も好きになっちゃうかもしれませんね」
「まあ」
「おいおい」
顔を赤らめるイネスと、苦笑する兄。
「もちろん、冗談に決まってるじゃありませんか」
俺は笑った。そんなわけないだろう?にいちゃん、俺のことなんだと思ってるんだよ。
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