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2 学園編

85 エリザベス・キース

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「もう、一緒に暮らすことは出来ないの?」
涙をためて私が尋ねると、母は私を抱きしめた。
「ごめんね‥‥かわいいリーザ。お父様には逆らえない。そんなことをしたらどんな目にあわされるかわからないのよ」
母の声が震え、心の底から怯えているのがわかった。

時たま訪れる父は、思い通りにならない時や機嫌が悪い時に母を殴った。
その度に母は私たちを別の部屋に追いやり、殴られている姿を見せないようにしていたが、息を殺す私たちの耳には母のうめき声や父が母を殴っている音が聞こえてきた。
その度に私の心の中では何かが少しずつ削られていく。
きっとそれは世の中や未来に対する希望や期待のようなものではなかったかと、思う。

生きていくことは辛いことなのだ。
幼いながら、そう思った。
そしてその辛さは今もなお続いている。

父はやり手の商人だった。
元々祖父が戦争の時に国に貢献した(つまり武器の供給に大活躍した)という理由で男爵位を賜っていた家柄だったが、父は男爵位で満足するような人間ではなかった。
商人だけではなく金融業にも手を広げ、没落寸前の伯爵家を借金漬けにして爵位を巻き上げた。
母は父が借金漬けにした伯爵家の娘だった。
美しいブロンドに紫色の瞳を持つ母は父の愛人にされ、美しい子供を産むことを期待されていた。
しかし、なかなか子供は生まれず、やっと生まれたのは父によく似た私だった。
父は私が母の容姿を受け継がなかったことに失望し、その後何度も嫌味を言われたが、容姿を選んで生まれてこれる子はこの世にいるのだろうか。
父に似ていることで誰よりも失望していたのは、他ならぬ私だ。
鏡を見るたびにあの男の子であることを思い知らされる私の苦痛を一度でも考えたことがあるのか、と言ってやりたかった。

母は私の2つ下に男子を出産した。皮肉なことに弟は母に似てブロンドと紫色の瞳を持っていた。
父はこの上なく残念がったという。

(ざまあみろ。)

その話を聞いた時に最初に思った言葉だ。
酒に酔うと、私と弟の性別が逆ならよかったのに、とよく悔しがっていた。

そんな風に私の容姿をけなしていたクセに、政略結婚の道具にすることは諦めていなかったらしい。
私は5歳になってすぐに父の住む屋敷に引き取られることになった。
いずれどこかの家に嫁がせるために、教育を始めるためだという。
父さえ訪れなければ平和だった母と弟とのささやかな生活は、私たちなりに幸せを感じることもあったのに、たったの5年で強制的に終わらせられてしまった。

父の家に連れていかれる日、一番いい服に身を包み、不安いっぱいに母を見つめた私を母は静かに涙を流しながら抱きしめ、謝った。そして小声で「どうか、幸せになって」そう言って私を送り出した。
流れる涙を隠すこともしないまま、迎えの馬車に私を乗せた母にはそれから一度も会っていない。
覚えているのは馬車の窓から眺めた、小さく、小さくなっていく母の姿。

母は貴族の令嬢として育ったのに、か細い身体で精一杯生活を支えてくれた。
食事も服もいつもきちんと整えてくれていた。
時折、服の袖が反対方向についていたり、テーブルクロスとシャツを一緒に縫ってしまったことはあったけれど。
そんな時には二人で笑いあった。
幼いながらにも、貴族の令嬢として育った母には並大抵の努力ではなかったということも理解していた。

「お母様も、お元気で」
馬車の中で泣きながら母の幸せと健康を願った。
側にはいられないけれど、いつか、母にまた会える日があるように。それだけを祈った。神様がどこかにいるのならば、どうか、母に優しい日の光と安らかな眠りを与えてあげてください、と。


父の屋敷には、数人の異母兄弟がいた。
本妻様のお子はなく、皆他の女性が産んだ子供だとか。
成人した子もいるとかで、一体何人の兄弟がいるのかすらわからない。
皆お互いに無関心でどこか冷めていた。
父の後継はまだ決まっておらず、優秀な者に継がせると父から宣告されていた。
父は子供達を競わせたかったのだろうが、むしろ家から逃れたいと思っている者が多く、おそらく成人してすでに父の仕事を手伝っている兄が継ぐのだろうと皆思っていたのだ。
それに、女子は令嬢として教育され、父の命令により顔も知らない相手のところに送り込まれていた。
大抵は父の商売を上手く運ぶための道具として、どこかの有力者の後妻や側室、愛人にさせられていた。
夢も希望もない。

その中で私だけは異常なまでに大切に扱われていた。
部屋は日当たりのいい個室で、専属の教師が何人もついた。
私の専属メイドもいて毎日身の回りを整えてくれた。
引き取られた当時は不思議に思ったが、なぜそこまで大切に扱われるのかの理由はすぐにわかった。
私は父が第一王子の婚約者になれるように作った、第一王子と年齢が釣り合う唯一の子供だったからだ。

それは私にとって幸運なのか不運なのか、わからなかった。
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