上 下
17 / 54

17 勇太

しおりを挟む
何も起こっていない。
何も特別なことは起こっていない。
そう、真冬に頭からバケツの水をかけられるような、そんな非日常的なことは、ここでは全く起こっていない。

そんな声だった。

やっぱり、富山壮介は流石だ。あいつの心は全く揺らいでいない。
ずっと凪いだままだ。

そう、平常心のままだ。


だが、オレは、そうはいかない。富山壮介がどう、とかいう問題じゃない。
オレに水をかけようとしたのもムカつくが、それ以上に無関係な人を巻き込むストーカーが許せなかった。
気がついたら、ストーカーに向かって怒鳴りつけていた。

「お前ほんっとふざけんなよ!なんなんだよ!!」

自分でも頭に血が上って、沸騰しそうな自覚がある。
腹が立つ。腹が立つ。もうこれ以上は耐えられない。
暴力沙汰で停学になるかもしれない、とちらりとよぎったが、あと1秒でさえも我慢できない。
「絶対に道場で習ったことを外で使ってはならない」
武道を学ぶ時に最初に言われる言葉だ。いままで、ずっとその言葉を守ってきた。でも、もう守れないかもしれない。抑えきれないほどの怒りでいっぱいになり、コントロールが効かなくなる。

が、ヤツはオレがマジギレしていることよりも、富山壮介の方をビビった様子で見ると、慌てて逃げていった。
ある意味、生存本能なのかもしれない。
富山壮介には、本当に申し訳なさしかない。

オレにとって憧れの存在、ともいうべき冨山壮介との初めての会話はすっかり情けないものとなってしまった。
何を話したのか覚えていない。
ただ、掴まれた手のひらの暖かさと大きさにうろたえた記憶しかない。

でも、今は真冬だ。雪が降っているのに水をかぶるなんて、風邪を引いてしまう。
慌てて温かいものを差し入れようと校外のコンビニに走った。
着いて初めて気がつく。好きな飲み物は何だろう?目の前には色とりどりのホットドリンク。
一緒に飲み物を飲んだことすらないオレには想像もつかない。
とりあえず片っ端からかごにいれた。
そういえば、着替えも必要だろう。コンビニにあった下着やタオルもカゴに放り込む。
たった、それだけでいいのだろうか。
本当に申し訳ない。

とりあえず温かいものだけでも、と部室まで届けに行ったら、道着に着替えた富山くんがオレを迎えてくれた。
しかも、寒いだろうと部室にまで入れてくれる。
オレは、まさに身の置き所がない、という感覚を初めて味わった。
巻き込んでしまったのだから、当然、事情を説明を説明する必要があるだろう。
オレがあんなヤツに付きまとわれ、しかも、性的対象として見られていることを話すなんて、恥ずかしさしかない。

しかも相手は冨山壮介だ。
本当に、恥ずかしかった。
男のストーカーじみたヤツに性的対象として見られていることも、そんな、ヤツにうまく対処できない自分も。
全てが恥ずかしかった。
でも、そんなオレに対し、富山壮介はまるで当たり前のように言ったんだ。

「謝るな、お前は何も悪くない」って。

それがオレの、恋に落ちた、瞬間だった。


なぜだかわからない。だけどはっきりわかった。
散々男からの視線を嫌悪していたはずのオレは、すとんと恋に落ちてしまったんだって。

富山壮介は紛れもなく男であるはずなのに、男のオレが、男に恋をしてしまった。


顔が赤くなる、動悸がする。
全身の毛穴から汗が噴き出すような感覚。
でも、恋に落ちる前とは世界が一変し、輝き出す。
何故か、この柔道部の部室ですら、輝きを増した様に感じる。
でも、どうしたらいいのかわからない。前にも後ろにも進めない。

何を言ったらいいのかわからない。
自分が何を話したかすら覚えていない。

この、すっかり変わってしまった世界の中で、ただ戸惑うだけ。


ただ

戸惑う

だけ。

________________________________

ありがとうございました。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】終わりとはじまりの間

ビーバー父さん
BL
ノンフィクションとは言えない、フィクションです。 プロローグ的なお話として完結しました。 一生のパートナーと思っていた亮介に、子供がいると分かって別れることになった桂。 別れる理由も奇想天外なことながら、その行動も考えもおかしい亮介に心身ともに疲れるころ、 桂のクライアントである若狭に、亮介がおかしいということを同意してもらえたところから、始まりそうな関係に戸惑う桂。 この先があるのか、それとも……。 こんな思考回路と関係の奴らが実在するんですよ。

ある日、木から落ちたらしい。どういう状況だったのだろうか。

水鳴諒
BL
 目を覚ますとズキリと頭部が痛んだ俺は、自分が記憶喪失だと気づいた。そして風紀委員長に面倒を見てもらうことになった。(風紀委員長攻めです)

ハッピーエンド

藤美りゅう
BL
恋心を抱いた人には、彼女がいましたーー。 レンタルショップ『MIMIYA』でアルバイトをする三上凛は、週末の夜に来るカップルの彼氏、堺智樹に恋心を抱いていた。 ある日、凛はそのカップルが雨の中喧嘩をするのを偶然目撃してしまい、雨が降りしきる中、帰れず立ち尽くしている智樹に自分の傘を貸してやる。 それから二人の距離は縮まろうとしていたが、一本のある映画が、凛の心にブレーキをかけてしまう。 ※ 他サイトでコンテスト用に執筆した作品です。

【完結】もう一度恋に落ちる運命

grotta
BL
大学生の山岸隆之介はかつて親戚のお兄さんに淡い恋心を抱いていた。その後会えなくなり、自分の中で彼のことは過去の思い出となる。 そんなある日、偶然自宅を訪れたお兄さんに再会し…? 【大学生(α)×親戚のお兄さん(Ω)】 ※攻め視点で1話完結の短い話です。 ※続きのリクエストを頂いたので受け視点での続編を連載開始します。出来たところから順次アップしていく予定です。

闇を照らす愛

モカ
BL
いつも満たされていなかった。僕の中身は空っぽだ。 与えられていないから、与えることもできなくて。結局いつまで経っても満たされないまま。 どれほど渇望しても手に入らないから、手に入れることを諦めた。 抜け殻のままでも生きていけてしまう。…こんな意味のない人生は、早く終わらないかなぁ。

友人とその恋人の浮気現場に遭遇した話

蜂蜜
BL
主人公は浮気される受の『友人』です。 終始彼の視点で話が進みます。 浮気攻×健気受(ただし、何回浮気されても好きだから離れられないと言う種類の『健気』では ありません)→受の友人である主人公総受になります。 ※誰とも関係はほぼ進展しません。 ※pixivにて公開している物と同内容です。

身の程なら死ぬ程弁えてますのでどうぞご心配なく

かかし
BL
イジメが原因で卑屈になり過ぎて逆に失礼な平凡顔男子が、そんな平凡顔男子を好き過ぎて溺愛している美形とイチャイチャしたり、幼馴染の執着美形にストーカー(見守り)されたりしながら前向きになっていく話 ※イジメや暴力の描写があります ※主人公の性格が、人によっては不快に思われるかもしれません ※少しでも嫌だなと思われましたら直ぐに画面をもどり見なかったことにしてください pixivにて連載し完結した作品です 2022/08/20よりBOOTHにて加筆修正したものをDL販売行います。 お気に入りや感想、本当にありがとうございます! 感謝してもし尽くせません………!

始まりの、バレンタイン

茉莉花 香乃
BL
幼馴染の智子に、バレンタインのチョコを渡す時一緒に来てと頼まれた。その相手は俺の好きな人だった。目の前で自分の好きな相手に告白するなんて…… 他サイトにも公開しています

処理中です...