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83.イケメン俳優は突如現場に降臨する

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 天井からはきらめくシャンデリアがつり下がり、布張りの長椅子は、あめ色に光る木材の細やかな意匠とあいまってクラシカルな雰囲気を存分に演出している。
 足もとには、複雑な模様を描くペルシャじゅうたん。
 そして壁紙は唐草が立体的に描かれた金唐紙きんからかみで、こちらもまた細かな意匠のほどこされた木枠の窓からは、手すきガラス特有のわずかな歪みで外の景色がにじんで見えた。

 そんないかにも古くからあるお屋敷然とした洋館の一室で、僕は小道具のティーカップを手にして、足を組み、ゆったりとその長椅子に腰かけていた。
 そしてもう片方の手にはソーサーを持ち、香りを楽しむように口はしに笑みを浮かべる。
 気持ちはどこぞの貴族にでもなったかのように、あくまでも所作は優雅に、美しく。

 はたから見ればくつろいでいるように見えるかもしれないけれど、意外にもこの格好は地味にキツい。
 たとえばゆったりと腰かけているように見えて、実際には椅子に浅く腰かけているだけだし、しかも上半身はまっすぐに保ったまま後ろに寄りかかるから、その角度をきれいに維持するためには腹筋やら背筋の力が要求されるわけだ。

 これがまだクッションでもあれば、背中を支えてくれて助かったかもしれないけれど、残念ながらここにはない。
 ついでに言えばこの役を演じるならば、きっとどんなことでもあっさりとこなしてみせるであろうことは想像にかたくないわけで、そう思えばこそ先ほどからからだ中が痛むのを我慢して、なんてことないふうを装っていた。

「はい、目線こっちにお願いします!」
「次は上のほうを見て、そうそう、少し物憂げな感じに!いいよいいよ、その調子!」
「次は思いっきり相手を見下すように!すばらしいよ!そのまま支配者の目でこっちを見下ろして!」
 次々と飛んでくるカメラマンからのオーダーは、素の自分だったらはずかしくて照れてしまいそうなものばかりだったけれど、これもこの役を演じることの一環だと思えば遠慮なくできる。

「最後は思いっきりこっちを敵と思ってにらみつけて!そのあとに力を抜いたところで不敵にほほ笑んで!」
「ひゅうっ!いいよ~、完ぺきだ、さすがはリアル千寿せんじゅ!」
 こういう写真を撮るときのカメラマンからのかけ声は独特で、基本的にはなにをやっても大げさなまでに褒められる。
 だからこそ、気分良く乗せられているうちに、あっという間に撮影が終わるんだろう。

 ……あぁ、よかった、ようやく解放される!
 けれど無事に撮影を終えた瞬間、最初に思ったのは、そんな正直すぎる感想だった。
 いや、でも本当にこの役を演じるときは、所作のひとつひとつにも気をつかうから、大変なんだってば。

 ちなみに先ほどから行っていたのは、翌々期のドラマのメインビジュアルとなる写真の撮影で、ありがたいことに僕が連続ドラマの主演を務めさせてもらうことになっているものだ。
 大人気ミステリー作家、三峯みつみねゆたか先生の小説を原作とした『三峯ミステリー』の映像作品のうちのひとつで、主人公の敵役である『千寿』を主役に据えたスピンオフ作品。
 その制作発表に向けた準備のため、こうしてスチルの撮影を行っていたのだった。

 ───そう、これまでモブ役者として、脇役ばかりを演じてきた僕が、ついにゴールデンタイムの連続ドラマで主演を務める日が来るなんて。
 しかも今回の作品に至っては、最初から僕が主役である千寿を演じる前提で三峯先生が書き下ろした小説をもとにした、いわば『あて書き』された脚本によるドラマだった。
 僕にとってのあこがれにも等しい状況が一気におとずれて、うれしすぎて舞いあがるどころか、いまだにこれは夢なんじゃないかって、うたがいそうになるくらいだ。

 でもこれは、まちがいなく現実のことで。
 なにしろこの場には、ドッキリを仕かけるだけにしてはあまりにも多くのスタッフや豪華なロケーションが用意されているし、なによりも原作者である三峯先生も立ち会っているのだから。
 さすがにそんな豪華なゲストや舞台まで用意しておいて、今さら『ウソでした』とはならないだろ。

「今日も本当に最高でした、羽月はづきさん!どこから見てもまったく隙がなく、すばらしい千寿っぷりで……!もうなんて言うか、所作のひとつひとつが気品にあふれていて、本当に貴族様かと思うほどで、これぞ私の思い描く理想の千寿像というかですね……こうして生きて動いている我が子に出会えるなんて、私は自分の小説をドラマにしてもらえるような物書きでよかったと、今、心の底から思っています」
「ありがとうございます、三峯先生」
 少しくすぐったいくらいの褒め言葉の連続に、思わず照れてしまう。

「あっ、あっ、この感動をもっとすてきな言葉で表現したいのに、もうなんか全然言葉が出て来てくれないんです!物書き失格ですよ、こんなんじゃ!というかキモイおっさんですみません!いや、もう羽月さんは私のなかでは『神』ですからね!!仕方ないっちゃ、仕方ないですよね!?」
「そういうところですよ、先生。ホント、いい加減そのがっつくクセを直さないと、俳優さんにドン引きされちゃいますからね?」
 あやまる三峯先生の横から、長年コンビを組んできた出版会社の担当さんがするどいツッコミを入れてくる。

「だよねえぇ、これでも毎回撮影がはじまる前には気をつけたいとは思っているのにさ、どうしても見てるうちにテンションが爆上がりしちゃうんだよねぇ。特に今回なんて、私がいちばん大事にしている我が子の千寿が、こうして本のなかから抜け出て、この世に降臨なさったんだよ??本当にどうしたらいいんだろうねぇ?!」
 からだをゆらして葛藤している三峯先生の姿は、どう見てもベストセラー作家の威厳とはほど遠い様子だったけれど。

「ほら、そこでおっさんが顔を赤らめない!」
「えぇ~、無理だよ、だって絶対に映像化は無理だと思っていた千寿だよ?それがこんな間近に存在するなんて、思わず興奮して顔赤くなっちゃわない?君だってさっきから鼻息荒いくせに!」
「うぐぅ、それは……だって、リアル千寿ですよ?まばたきひとつとっても千寿にしか見えないんですもん、そりゃ緊張だってしますよ!!」

 あいかわらず、このふたりのやりとりはテンポがよくて、おたがいに遠慮していないのがわかる。
 はたから聞いていると、ハラハラしそうな辛らつな言葉をふくむ応酬も、長年の信頼関係があればこそ成立する距離感なのだろうと思う。

 いわば作家と出版会社の担当の関係性は、タレントとそのマネージャーにも等しい関係性なわけで、これまで所属していたプロダクションしじまでは専属マネージャーがついていなかったし、モリプロに移籍してからも、なんとなく後藤さんは僕にとっての恩人という感覚があって、どうしても遠慮をしてしまうところもあった。
 だからそういう意味で、ここまでの気やすい関係を築けているというのは、ちょっとだけうらやましくもあった。

「あのですね、いつもは遅筆すぎる私がめずらしく今回にかぎっては一気にお話を書き上げられたんですけども、それもこれも、あの連ドラのなかで羽月さんが演じてくださった千寿があまりにも私の思い描く千寿そのものだったからなんです。なので、今後の〆切対策のお守り的な意味で、羽月さんの千寿をスマホの待ち受けにして毎日ご本尊のごとく拝みたいと思うんですが、写真を撮ってもよろしいですか?」
「えぇ、もちろんですよ。ポーズの指定とかはありますか?」
 とてもていねいにお願いしてくる三峯先生に、ふたつ返事で快諾する。

 若干ノリがどこかのだれかをほうふつさせるなんて思わなくもなかったけれど、どんなポーズがいいか思案する三峯先生に、おもわずほっこりしてしまう。
 よく『本当に偉い人は、逆にそうは見えないものだ』なんて言うけれど、三峯先生はそういうタイプだよな、なんて思う。
 なんにしても、ここまで自分の演じた役を原作者の先生に気に入ってもらえたなんて、うれしいことだとしみじみと実感していたそのとき。

「えぇぇぇ、そんな、俺も、俺もその待ち受け画像ほしいですっ!!というより、いっしょになって羽月さんのこと、いっぱい撮影したいですっ!!」
 そんななか、これまでスタッフに交じってしゃがみ込んでいたところから、ものすごいいきおいで挙手をして名乗り出る人物がいた。
 ムダに響くいい声と、その迫力とに押され、思わずその場にいた全員がそちらをふりかえる。

 その人物が立ち上がった瞬間、なによりもまず背の高さと、それを構成している足の長さが目につく。
 適度に鍛えられて筋肉がつき、均整の取れたからだつきもさることながら、その一般男性をはるかに上まわる高身長ぶりもあいまって、いくら帽子を目深にかぶっていても隠し切れないイケメンオーラとともに、見るからにスタイル抜群であることが伝わってくる。

 まちがいない、さっきからスタッフにまざって息をひそめていたのは───……。

「……あのな、東城とうじょう、いくらなんでも三峯先生の前に割り込むのは失礼だろ?」
「わかってますよ!三峯先生がドえらい作家の大先生だってことくらい!でも俺だって千寿姿の羽月さんの写真が欲しいんですもんっ!!」
 まるでダダっ子のように、なんとも暑苦しい主張をしてきているのは、まさかの東城湊斗みなとその人だったのである。

 もちろん東城は、このドラマには出演予定があるわけでもないし、僕が撮影現場に呼んだということもない。
 というか、そもそも東城は僕なんかよりもいそがしい売れっ子大スター様であって、そのスケジュールは分刻みどころか秒刻みなんて言われてしまうほどに過密なのはよく知っているのだけど。
 なのに、なんでここにいるんだろうか??

 いくつもの撮影用スタジオが併設されたテレビ局の本社ビルだとか専用スタジオとかなら、まだこの前の矢住やずみくんのように、近くにある別のスタジオにいたという偶然も起こり得るのかもしれないけれど。
 あいにくと今回の撮影は、わざわざ街中にある本物の明治期に建てられた洋館を借りて行っているわけで、そういう偶然はかんがえにくかった。

 というか、このスピンオフドラマはテレビ局の上層部では決定が下りているとはいえ、一般には情報解禁前ということもあって、撮影どころか企画自体もごくかぎられた関係者にしか知らされていないというのに。
 ……まぁ、昔からなぜか僕のスケジュールを把握して、先まわりして待っていたことも多々あったから、今さら驚くようなことでもないのかもしれないのだけど。

「えっ!?ていうか、『とうじょう』?!東城って、まさか……あの売れっ子大スターの『東城湊斗』!??」
「まさか、だってそんな大スターが、こんなところにフラットにいるわけないでしょう?!」
 僕が呼びかけた『東城』という名前に、三峯先生と担当さんが激しく反応する。

「はい、どうもはじめまして!羽月さんとおなじモリプロ所属の東城湊斗と申します。ベストセラー作家の三峯穣先生と、その担当さんですよね?御作はすべて拝読しております。こうしてお会いできて光栄です」
 ここぞとばかりに東城は、かぶっていた帽子をぬいでさわやかな笑みを浮かべてあいさつをする。
 それだけで周囲が一段と明るくなったような、そんな錯覚をおぼえてしまう。

「「どぅふっ!!」」
 おかげで真正面からそのスターオーラを浴びてしまったおふたりは、まともな言葉も発せないままに腰を抜かしてへたり込んでいた。

 それだけじゃない、周囲では突然現れた東城の存在に、ざわめきが広がっていく。
 この場に呼ばれているのは、それこそアイドルから人気のタレント、俳優までイケメンと呼ばれる芸能人を見なれているはずのドラマの製作スタッフさんたちだけだけど、それでもこんなふうに浮足立ってしまうんだ。
 あらためて東城の持つスター性と、そして僕がからんだときにだけ見せるその謎の行動力に、あたまが痛むのを感じていた。
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