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81.イケメン俳優とモブ役者のガチンコ演技対決
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「『なにを言ってるんだよ、俺は最初に言ったはずだぜ?アイツが殺されたからって悲しむヤツなんていない、むしろよろこぶヤツならごまんといるって。だから正義のために殺したんだって……』」
比良山からの問いかけに、トシが薄笑いをうかべたままこたえる。
この余裕があるんだか、それとも逆に追いつめられているのか、どちらともとれるあいまいな表情のつけ方なんて、実に絶妙な加減だと思う。
ここら辺は、特に監督からの指示があるわけでもないから、完全に西尾さんの演技プランなのだけど。
「『それだよ、トシ。その主張自体がおかしいんだ。ボクは違和感の正体が知りたくて、ずっとかんがえてた。でも何度かんがえても、違和感がぬぐえなかった。いちばん大きなのは……正義のためだと主張するわりに、トシが自分のしたことを隠そうとしていたところだ!だからこそ、その部分にこそトシが隠したいなにかがあるんだって思わざるを得ない。つまり───理知的なトシが、我を忘れて襲いかかってしまうような理由。さっきボクが社員証を見てしまったときの言動を見れば、それこそがトシの弱みなんだってことがわかったんだ』」
まだ盛り上がりのシーンではないからこそ、この推理シーンはさらっと、そこまで気合いを入れずに流す。
「『……それはただのお前の妄想だろう?』」
でもその一方で、口では否定をしていても、比良山からの指摘であきらかにトシの顔色が変わる。
うん、さすが西尾さんはわかっている。
この場面で大事なのは、犯人側が追いつめられたと感じることのほうなんだから。
そこから先は、さらに彼を追いつめるようなセリフの連続で、違和感の元となる矛盾点をあげつらっていく比良山に、トシの顔色も悪くなる一方だった。
ここは気になる点があれば追及せずにはいられないという、比良山の性格が出ているところなのだろう。
でもこれはただ彼を追いつめるためだけではなく、そこには別の意味合いもひそんでいる。
「『彼を殺せば、その遺産が困窮しているご両親のもとに入って助かるからだってトシは言うけどさ、それもおかしいんだ。かつて子どものころ、トシの家はとても生活に困窮していたことがあるって話してくれたことがあっただろ?お父さんは夜遅くまで働きづめで、祖父母の介護があったお母さんは働きにも出られず、毎日食べるものにも困って、公園で水を飲みながら空腹をごまかしていたんだって。あのときのトシは、来年もらえる1億円よりも、今日もらえる千円のほうがよっぽど大事なんだって、そう言ってたじゃないか!今日食べるものすらない人にとっては、いくら待てば後で大金が手に入ると言われても、まったくありがたみすらないんだってことをさ!そんな実体験に基づく言葉を、言った本人が否定するようなこと、するわけがないだろ?!』」
言われた瞬間、西尾さんはトシとして、ハッとしたような表情をうかべた。
それは、まるではじめて言葉にしないでも自分の気持ちを、行動原理を、全部理解してくれる人がいたことに気づいたように。
思わずにじみそうになる笑みを、必死に隠そうとする姿は、トシとしての心の動きがすべてトレースされていた。
西尾さんの演技プランが、手に取るようにわかる。
次はどういう表情と声で演技をしてくるんだろうかって想像が、思ったとおりのところへ、次々とハマっていく。
それはとても気持ちのいいことだった。
「『あぁそうだ、おまえの言うとおりだよ!最初は俺も、あまりのことに見かねて彼の両親のために、少しでいいから経済的な援助をしてやってほしいって、代わりにお願いしに行っただけだったんだ!でもアイツはにべもなく断った。大人なんだから、餓死しかけようともそれは自己責任だって。なんて冷淡な男なんだって、怒りをおぼえたよ!でもそれだけじゃなく、アイツは親父さんの職業───警備員を、まともな就職もできなかった野郎が行きつく先の、底辺の仕事だと言って笑ったんだ……』」
気持ちが少し上向いたのか、トシは比良山の言うことを肯定しはじめる。
「『俺はまるで自分がバカにされたような気持ちになって、思わずカッとなって言いかえしてしまったさ!そしたら急にアイツの態度が変わったんだ。むしろやけに殊勝に財布から金を出したかと思ったら、当座はそれでしのげって、また来週まとまった金を用意するからなんて言って渡してきてさ───今にして思えば、その時点で親父さんとはおなじバイト仲間だった俺の素性を、うっすらと理解していたんだろうな。そこから、有り余る金とアイツの性格の悪さとが合わさって本領を発揮した……事件のあったあの日、言われたとおりに俺は勤務を終えたところで、アイツの指定したビルの屋上に向かったんだ。そこで俺を待っていたのは、俺の身辺調査の報告書を手にしたアイツだったんだ……!!』」
僕のセリフ量ほどではないにせよ、西尾さんの担当する自白部分も相当長い。
ある意味で、サスペンスドラマにとってはいちばん大事ともいえる、動機が語られるのだから、そこの演技力がなくては一気に話の説得力がなくなってしまうだけに、責任重大だった。
もちろん今の西尾さんの演技には、一切の不安はない。
そうして語られるのは、相手にトシの本当の職業だとか、さらにネットゲーム上でのアカウントが知られ、結果的におたがいに因縁のある人物であったことまでもが判明し、よけいに動揺したということだった。
それだけじゃなく、トシにとっては致命的なまでのコンプレックスになっている仕事についてもさんざんひどい言葉でバカにされ、あげくにそのことを、トシの職業が一流商社の営業マンだと信じているネットゲーム上の仲間たちの前で、バラしてやると脅されもしたのだと口にする。
「『だからカッとなって、気がついたらそこにあった金具で撲殺していた。どうだ、俺に失望したか?こんな底辺の仕事をしているくせに、皆の前じゃ一流商社に勤めているなんて見栄を張ってだましてきたのに、それがバレて今じゃ人殺しだ。はずかしいヤツだって、あきれてものも言えないだろう?おまえは俺とはちがってエリートだからな、しょせん住む世界がちがう人間なんだ……』」
自嘲気味に笑うトシの表情は、痛々しくて見ていられないほどだった。
一般的な家庭ならば当然のように享受できたかもしれない平穏で退屈な学生生活も、彼にとっては遠い夢のような存在だった。
そう口にするトシが送ってきた生活は、おそらく世間でいう『恵まれた家庭』に位置する比良山にとっては、想像すらむずかしい世界なのだろう。
だから自分とは住む世界がちがう人間なのだと言って、トシは突き放してくる。
───だけど、そんなに泣きそうな顔をしている大事な友人を、比良山だって放っておけるわけがないだろ!?
「『トシはバカだよ、本当に!そんなことくらいで、ボクが友だちをやめるとでも思っていたのかよ!?そんなわけあるか!住む世界がちがうってなんだよ、だったら会うために、おたがいにおなじ場所まで出てくればいいだけの話だろ!?トシが自分の学歴とか職業のことでとんでもなくコンプレックスをこじらせているのかわかったうえで、あえてこう言うよ、それがどうした!!そんなことくらいで、トシがボクにとって大事な友だちなんだって気持ちが、ゆらぐはずがないだろ!!』」
きっとこのセリフは、トシにとっては耳ざわりのいいものではないはずだ。
自分にとってはひどく重い悩みのタネであった学歴や職歴、そして殺人犯であるという汚名を、簡単に『そんなこと』だと切って捨て、さらにはトシ本人を『バカ』だと一喝するのだから。
「『これまでにボクが、どれだけトシに救われてきたか知ってるか?最初はまだボクがネットゲームの初心者で、わからないことをたくさん教えてもらった。次に、そのなかでトラブルが起きて、でもそれはトシが防波堤になってうまくおさめてくれた。そこからは必死にボクもレベルを上げて、作戦を立ててボス戦に挑むのは、たとえ失敗しても面白かったし、デッキ編成をいっしょにかんがえるのも楽しかったんだ……それに、オフ会をするようになってからは、ふたりで会って、いっしょに出かけたり、飲みに行ったり、いつだって楽しくて、全部の時間が溶けたって思うくらいにあっというまだった!』」
こちらをにらみつけるトシに、しかし比良山もここで引くつもりなんてまるでなくて。
むしろここがふんばりどきだとばかりに、迷いそうになる気持ちを必死にふるい立たせて、比良山の知るトシという人間が、いかに頼りがいがあり、自分にとっての大切な存在なのかと訴え、暗闇をさまよう彼をこちらの世界へ引きもどそうとする。
「『トシはボクが仕事で壁にぶち当たって落ち込んでいるときも、すぐに気づいてくれた。それもただ解決策を示すんじゃなくて、ボク自身がちゃんとかんがえられるようにって、後ろからはげましてくれたんだ。風邪をひいて具合が悪いときも、ちょっとした言動から気づいてまっさきに心配してくれたし、仕事が忙しいときだって、無理するなって声をかけてくれた。いっしょに飲んでたって飲みすぎないように注意してくれたし、だけど飲まなきゃやってられないようなときには、文句も言わずに最後までつきあってくれた。そんなボクにとって大事な思い出の数々は、トシの職業がなにかなんて関係あったのか?!なかっただろ!だって全部トシがトシだから、いっしょにいるのが楽しかったんだし、何時間だって話していられたんだろ?!トシがどんな仕事をしていようと、殺人犯だろうと、その楽しかった思い出は消えないんだ───それに、真の賢さっていうのは、学力だけじゃ測れないものなんだよ!どれだけの人の気持ちを察して、思いやれるかってことだ。だからトシは、ボクの知るかぎりでいちばん賢くてやさしい人なんだよ!!』」
血を吐きそうな思いで、ここまでを一気に言い切る。
酸欠で、あたまがくらくらしそうだった。
そのせいで、生理的な涙がうっすらとにじむ。
それでも比良山にとってのトシが、どれだけ特別な存在だったのかが伝わるように言わなくてはいけないセリフだ。
だからこそ、これまでのドラマシリーズでは、比良山は感情的になることもない淡白気味な青年として描かれてきたけれど、そんな印象すら吹き飛ばすいきおいでさけんだ。
「『っ!』」
きっとその比良山の気持ちは、今の瞬間に、相手の心のなかまで届いたことだろう。
西尾さんは息を飲むと、トシとして大きく目をみはる。
トシにとって、己の能力の高さには自信があれども家庭の事情で学歴は低く、世間的には評価されることもなくすごしてきたからこそ、そこに不満があったわけだし、正しく評価してくれるネットゲームの世界が大好きだったわけで。
そんなトシのゆがみの原因を、比良山はそもそも気にする必要はなかったのだと言って、全力でトシ自身を肯定し、目からウロコを落とさせてくれた。
それが彼にとって、どれだけうれしく、そして革命的なことであったのか、それがわかる演技だった。
───あぁ、やっぱり西尾さんとやる演技は、打てば響くような感じがして、実に楽しい。
どちらかの演技を押しつけるのではなく、こうしておたがいに一歩もゆずらないまま本気の演技でぶつかり合い、いよいよ撮影はクライマックスの終盤にさしかかっていた。
無事に終えたおたがいの長ゼリフに心のなかで快哉をさけびつつも、気は抜けないとばかりに、僕たちは必死に演技をつづけるのであった。
比良山からの問いかけに、トシが薄笑いをうかべたままこたえる。
この余裕があるんだか、それとも逆に追いつめられているのか、どちらともとれるあいまいな表情のつけ方なんて、実に絶妙な加減だと思う。
ここら辺は、特に監督からの指示があるわけでもないから、完全に西尾さんの演技プランなのだけど。
「『それだよ、トシ。その主張自体がおかしいんだ。ボクは違和感の正体が知りたくて、ずっとかんがえてた。でも何度かんがえても、違和感がぬぐえなかった。いちばん大きなのは……正義のためだと主張するわりに、トシが自分のしたことを隠そうとしていたところだ!だからこそ、その部分にこそトシが隠したいなにかがあるんだって思わざるを得ない。つまり───理知的なトシが、我を忘れて襲いかかってしまうような理由。さっきボクが社員証を見てしまったときの言動を見れば、それこそがトシの弱みなんだってことがわかったんだ』」
まだ盛り上がりのシーンではないからこそ、この推理シーンはさらっと、そこまで気合いを入れずに流す。
「『……それはただのお前の妄想だろう?』」
でもその一方で、口では否定をしていても、比良山からの指摘であきらかにトシの顔色が変わる。
うん、さすが西尾さんはわかっている。
この場面で大事なのは、犯人側が追いつめられたと感じることのほうなんだから。
そこから先は、さらに彼を追いつめるようなセリフの連続で、違和感の元となる矛盾点をあげつらっていく比良山に、トシの顔色も悪くなる一方だった。
ここは気になる点があれば追及せずにはいられないという、比良山の性格が出ているところなのだろう。
でもこれはただ彼を追いつめるためだけではなく、そこには別の意味合いもひそんでいる。
「『彼を殺せば、その遺産が困窮しているご両親のもとに入って助かるからだってトシは言うけどさ、それもおかしいんだ。かつて子どものころ、トシの家はとても生活に困窮していたことがあるって話してくれたことがあっただろ?お父さんは夜遅くまで働きづめで、祖父母の介護があったお母さんは働きにも出られず、毎日食べるものにも困って、公園で水を飲みながら空腹をごまかしていたんだって。あのときのトシは、来年もらえる1億円よりも、今日もらえる千円のほうがよっぽど大事なんだって、そう言ってたじゃないか!今日食べるものすらない人にとっては、いくら待てば後で大金が手に入ると言われても、まったくありがたみすらないんだってことをさ!そんな実体験に基づく言葉を、言った本人が否定するようなこと、するわけがないだろ?!』」
言われた瞬間、西尾さんはトシとして、ハッとしたような表情をうかべた。
それは、まるではじめて言葉にしないでも自分の気持ちを、行動原理を、全部理解してくれる人がいたことに気づいたように。
思わずにじみそうになる笑みを、必死に隠そうとする姿は、トシとしての心の動きがすべてトレースされていた。
西尾さんの演技プランが、手に取るようにわかる。
次はどういう表情と声で演技をしてくるんだろうかって想像が、思ったとおりのところへ、次々とハマっていく。
それはとても気持ちのいいことだった。
「『あぁそうだ、おまえの言うとおりだよ!最初は俺も、あまりのことに見かねて彼の両親のために、少しでいいから経済的な援助をしてやってほしいって、代わりにお願いしに行っただけだったんだ!でもアイツはにべもなく断った。大人なんだから、餓死しかけようともそれは自己責任だって。なんて冷淡な男なんだって、怒りをおぼえたよ!でもそれだけじゃなく、アイツは親父さんの職業───警備員を、まともな就職もできなかった野郎が行きつく先の、底辺の仕事だと言って笑ったんだ……』」
気持ちが少し上向いたのか、トシは比良山の言うことを肯定しはじめる。
「『俺はまるで自分がバカにされたような気持ちになって、思わずカッとなって言いかえしてしまったさ!そしたら急にアイツの態度が変わったんだ。むしろやけに殊勝に財布から金を出したかと思ったら、当座はそれでしのげって、また来週まとまった金を用意するからなんて言って渡してきてさ───今にして思えば、その時点で親父さんとはおなじバイト仲間だった俺の素性を、うっすらと理解していたんだろうな。そこから、有り余る金とアイツの性格の悪さとが合わさって本領を発揮した……事件のあったあの日、言われたとおりに俺は勤務を終えたところで、アイツの指定したビルの屋上に向かったんだ。そこで俺を待っていたのは、俺の身辺調査の報告書を手にしたアイツだったんだ……!!』」
僕のセリフ量ほどではないにせよ、西尾さんの担当する自白部分も相当長い。
ある意味で、サスペンスドラマにとってはいちばん大事ともいえる、動機が語られるのだから、そこの演技力がなくては一気に話の説得力がなくなってしまうだけに、責任重大だった。
もちろん今の西尾さんの演技には、一切の不安はない。
そうして語られるのは、相手にトシの本当の職業だとか、さらにネットゲーム上でのアカウントが知られ、結果的におたがいに因縁のある人物であったことまでもが判明し、よけいに動揺したということだった。
それだけじゃなく、トシにとっては致命的なまでのコンプレックスになっている仕事についてもさんざんひどい言葉でバカにされ、あげくにそのことを、トシの職業が一流商社の営業マンだと信じているネットゲーム上の仲間たちの前で、バラしてやると脅されもしたのだと口にする。
「『だからカッとなって、気がついたらそこにあった金具で撲殺していた。どうだ、俺に失望したか?こんな底辺の仕事をしているくせに、皆の前じゃ一流商社に勤めているなんて見栄を張ってだましてきたのに、それがバレて今じゃ人殺しだ。はずかしいヤツだって、あきれてものも言えないだろう?おまえは俺とはちがってエリートだからな、しょせん住む世界がちがう人間なんだ……』」
自嘲気味に笑うトシの表情は、痛々しくて見ていられないほどだった。
一般的な家庭ならば当然のように享受できたかもしれない平穏で退屈な学生生活も、彼にとっては遠い夢のような存在だった。
そう口にするトシが送ってきた生活は、おそらく世間でいう『恵まれた家庭』に位置する比良山にとっては、想像すらむずかしい世界なのだろう。
だから自分とは住む世界がちがう人間なのだと言って、トシは突き放してくる。
───だけど、そんなに泣きそうな顔をしている大事な友人を、比良山だって放っておけるわけがないだろ!?
「『トシはバカだよ、本当に!そんなことくらいで、ボクが友だちをやめるとでも思っていたのかよ!?そんなわけあるか!住む世界がちがうってなんだよ、だったら会うために、おたがいにおなじ場所まで出てくればいいだけの話だろ!?トシが自分の学歴とか職業のことでとんでもなくコンプレックスをこじらせているのかわかったうえで、あえてこう言うよ、それがどうした!!そんなことくらいで、トシがボクにとって大事な友だちなんだって気持ちが、ゆらぐはずがないだろ!!』」
きっとこのセリフは、トシにとっては耳ざわりのいいものではないはずだ。
自分にとってはひどく重い悩みのタネであった学歴や職歴、そして殺人犯であるという汚名を、簡単に『そんなこと』だと切って捨て、さらにはトシ本人を『バカ』だと一喝するのだから。
「『これまでにボクが、どれだけトシに救われてきたか知ってるか?最初はまだボクがネットゲームの初心者で、わからないことをたくさん教えてもらった。次に、そのなかでトラブルが起きて、でもそれはトシが防波堤になってうまくおさめてくれた。そこからは必死にボクもレベルを上げて、作戦を立ててボス戦に挑むのは、たとえ失敗しても面白かったし、デッキ編成をいっしょにかんがえるのも楽しかったんだ……それに、オフ会をするようになってからは、ふたりで会って、いっしょに出かけたり、飲みに行ったり、いつだって楽しくて、全部の時間が溶けたって思うくらいにあっというまだった!』」
こちらをにらみつけるトシに、しかし比良山もここで引くつもりなんてまるでなくて。
むしろここがふんばりどきだとばかりに、迷いそうになる気持ちを必死にふるい立たせて、比良山の知るトシという人間が、いかに頼りがいがあり、自分にとっての大切な存在なのかと訴え、暗闇をさまよう彼をこちらの世界へ引きもどそうとする。
「『トシはボクが仕事で壁にぶち当たって落ち込んでいるときも、すぐに気づいてくれた。それもただ解決策を示すんじゃなくて、ボク自身がちゃんとかんがえられるようにって、後ろからはげましてくれたんだ。風邪をひいて具合が悪いときも、ちょっとした言動から気づいてまっさきに心配してくれたし、仕事が忙しいときだって、無理するなって声をかけてくれた。いっしょに飲んでたって飲みすぎないように注意してくれたし、だけど飲まなきゃやってられないようなときには、文句も言わずに最後までつきあってくれた。そんなボクにとって大事な思い出の数々は、トシの職業がなにかなんて関係あったのか?!なかっただろ!だって全部トシがトシだから、いっしょにいるのが楽しかったんだし、何時間だって話していられたんだろ?!トシがどんな仕事をしていようと、殺人犯だろうと、その楽しかった思い出は消えないんだ───それに、真の賢さっていうのは、学力だけじゃ測れないものなんだよ!どれだけの人の気持ちを察して、思いやれるかってことだ。だからトシは、ボクの知るかぎりでいちばん賢くてやさしい人なんだよ!!』」
血を吐きそうな思いで、ここまでを一気に言い切る。
酸欠で、あたまがくらくらしそうだった。
そのせいで、生理的な涙がうっすらとにじむ。
それでも比良山にとってのトシが、どれだけ特別な存在だったのかが伝わるように言わなくてはいけないセリフだ。
だからこそ、これまでのドラマシリーズでは、比良山は感情的になることもない淡白気味な青年として描かれてきたけれど、そんな印象すら吹き飛ばすいきおいでさけんだ。
「『っ!』」
きっとその比良山の気持ちは、今の瞬間に、相手の心のなかまで届いたことだろう。
西尾さんは息を飲むと、トシとして大きく目をみはる。
トシにとって、己の能力の高さには自信があれども家庭の事情で学歴は低く、世間的には評価されることもなくすごしてきたからこそ、そこに不満があったわけだし、正しく評価してくれるネットゲームの世界が大好きだったわけで。
そんなトシのゆがみの原因を、比良山はそもそも気にする必要はなかったのだと言って、全力でトシ自身を肯定し、目からウロコを落とさせてくれた。
それが彼にとって、どれだけうれしく、そして革命的なことであったのか、それがわかる演技だった。
───あぁ、やっぱり西尾さんとやる演技は、打てば響くような感じがして、実に楽しい。
どちらかの演技を押しつけるのではなく、こうしておたがいに一歩もゆずらないまま本気の演技でぶつかり合い、いよいよ撮影はクライマックスの終盤にさしかかっていた。
無事に終えたおたがいの長ゼリフに心のなかで快哉をさけびつつも、気は抜けないとばかりに、僕たちは必死に演技をつづけるのであった。
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