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80.信じるものに、味方は必ずあらわれる

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 現状を端的にあらわすならば、監督がカットの声をかけるのを忘れているといったところだろうか。
 思わぬところで長まわしとなった撮影は、さらにそこへ主演の権藤ごんどうさんまでもがあらわれて、あたりまえのように合流してきたわけだ。

 これが、動揺せずにいられると思うか?
 そんなのどうかんがえたって、むずかしいに決まっている。
 ただ、幸いにして現在撮影中なのは、いきなりあらわれるはずのない人があらわれて声をかけてくるという場面だから、偶然にも状況は一致していて、演技が不自然になるということもなく済んでいるのだけど。

「『いいかい、落ちついて、私には君たちを傷つけるつもりはない。ただ、その子を助けたいだけなんだ』」
 やわらかな口調で、聞くものの心にスッと入ってくるしゃべり方。
 この口調こそが、『落としのサブロー』なんていうあだ名の由来になっている、万年警部補と揶揄されることもある主人公の鈴木三郎にとって、唯一の武器だった。

 犯人ならぬ僕たちにとっても、この声はスッと心に染みてきて、なぜだかふしぎとすなおに受け入れられる。
 たぶん、今の語りかけは、役としてのセリフでもあり、僕たちへの声がけでもあったのだろう。

 こちらにとっては想定外の長まわしの撮影になっているけれど、そもそもこれは権藤さんも意図するところであり、心配はいらないのだと。
 もちろん目的は僕たちの撮影を助けるためで、せっかく盛りあがった空気感を壊したくないからなのだという、そういう意味なのだと。
 それが伝わってきたから、落ちついて演技をつづけることができた。

「『あんた、だれだよ?!』」
 突然現れた鈴木警部補を警戒するように立ち上がると、トシは比良山ひらやまに背を向けるように倉庫の入り口のほうにむかってかまえる。
 その神経は完全にそちらへ向けられており、こちらに注意を払う様子はみじんもない。

 ───本当に、こういうところだと思う。
 もちろん警備員をやっているからには、トシにはなんらかの武術の心得があるのだろうし、それにひきかえ比良山は見るからに研究職らしい弱そうな見た目をしているから、警戒すべき対象からはずれるのかもしれないけれど。
 それでも直前には、その首を絞めて殺そうとした相手でもあるのに、反撃されるってことはまるでかんがえてないみたいに見える。

 それどころか、見ようによってはこの位置取りは、不審な人物から比良山をかばおうとしているように見えなくもないなんて。
 この期におよんでなお、こんな信頼を見せられたら、比良山だってトシを救いたいんだっていう気持ちをあきらめられるはずがないだろ!

「『私かい?私は鈴木三郎という、見た目のとおりのさえないおっさんだよ』」
 これもまた、このシリーズにおける定番のやり取りだ。

 いつもなら、突然の鈴木警部補の訪問におどろいた人物とのやり取りで出てくる定番のセリフではあるのだけど。
 だけどこの場には、犯人であるトシ以上に、鈴木警部補の来訪におどろいている人物がいた。

「『どうして、ここに……っ?!』」
 それこそが、僕の演じる比良山だ。
 なぜなら比良山は、だれにも告げずにこの場所へ来たのだから。

「『……おまえの知り合いか?つーかアイツ、ふつうのおっさんなんかじゃないだろ。あの身のこなし、まるで隙がねぇ。ひょっとして───刑事なのか?まさか俺を捕まえに来たのか!?』」
 そんな混乱した様子の比良山を一瞥すると、しかしトシは生来のあたまの回転の早さで、一足飛びに真相へとたどりつく。

「『うん、そうだね。私の仕事は罪を犯した人を捕まえるお仕事だ。でもそこにいる君のは、んじゃないかな?』」
 やわらかい口調とおなじく、やさしい目をした鈴木警部補は、こちらへチラリと視線を飛ばしてくる。

 それは鈴木警部補から比良山に向けた、『トシを自首させたくて、ひとりでここへ来たことをちゃんと理解している』のだというだった。
 つまり鈴木警部補には、なにがなんでもトシをこの場で逮捕しようという意図はないのだと。
 だから安心してほしいと、そんな意味合いを持っていた。

 なのにどうしてだろうか、その目にうかぶやさしさに安堵しているのは、比良山ではなくむしろ『』のほうだった。
 ……あぁそうか、自分では平気なつもりでいたけど、実はめちゃくちゃ緊張してたのか……。

 思いかえしてみれば今朝からトラブルの連続で、台本だってロクにおぼえるひまもなく撮影に突入してしまっていたこととか、たびたび起きる西尾さんの不調なんかもあって、これ以上撮影を遅らせるわけにはいかないんだって思い込んでいた。
 ならばここは僕がなんとかしなくちゃいけないんだって、無意識のままにだいぶ気負ってしまっていたらしい。

 だけど───そうじゃなかった。
 しっかりと目を開いて、周囲を見まわしてみれば、ここには頼れる諸先輩方だってたくさんいる。
 もちろん偶然居合わせた、矢住くんのような有能な後輩だって。

 だからひとりで気負う必要なんてないし、寄りかかってもいいんだって、権藤さんの目はそう伝えてくれていた。
 それは僕にたいしてだけでなく、きっと鈴木警部補から比良山にたいしても伝えてくれていることなのだろう。
 おまえの味方はここにいる、って。

「『っ、そうです!ボクはトシとの話し合いに来ただけで、今だって意見が折り合わず、ただケンカをしていただけですから!』」
 だからこそ比良山は、必死に声をあげて主張する。

 今の状況だって刑事の目線からすれば、立派な殺人未遂の現場になり得るものだ。
 十分この件だけでも、逮捕に持ち込めるだけの場面を現認されていると言ってもいい。
 いわゆる『別件逮捕』と呼ばれる、ささいな罪状を理由にひとまず容疑者の身柄を押さえ、そしてゆっくりと余罪を追及するという方法で本命の罪を問うていくやり方は、物語のなかでも現実でも、往々にしてあるものだ。

 でも、これはそんな物騒な現場ではないのだと、比良山は必死に訴える。
 その理由は簡単で、比良山が望むのはトシを『自首』させることであって、決して『逮捕』させたいわけではないのだから。
 ならば今の自分にできることは、まず『被害者』にならないことだった。

 警察というのは公の組織であり、『民事不介入』の原則があるからこそ、明確な被害者がいて、それを訴え出ないかぎり、原則として強制的に割って入ることはむずかしくなるというのもあって。
 この場合、比良山がそう主張することで、鈴木警部補が『刑事』としての立場で止めることはそう簡単にできなくなるのだという意味を持っていた。

「『やっぱりアイツ、お前の知り合いなんだな?!……というか、おまえもまさか刑事なのか?!前に研究職だって言っていたくせに!俺を捕まえようとして、だましてたのか!?』」
 トシからすれば、当然の疑問だろう。
 罠を張ったつもりが、逆に陥れられたのではないかとうたがうのも、無理はない。

「『ちがう!ボクは……っ、たしかに警察組織の一員かと言われたらそうなのかもしれないけれど、捜査権なんてない、ただの科捜研の研究員だから……ウソなんてついてない!それにここへは、だれにも言わずに来たんだ!』」
「『ウソをつくな!』」
「『ウソじゃないって!』」
 物語の定番のすれちがい展開は、このふたりにも容赦なく襲いかかってくる。

 丁々発止のやりとりは、まるで本当に言い合いをしているみたいな空気感で、西尾さんの間の取り方は、こうして対峙していてもとてもここちよかった。
 もちろん比良山としては、それどころではないのだろうけど。

 でも演じる側としてはとても楽しいお芝居ができているとも言えるわけで、こういうときほど撮影は順調に進んでいくし、あっという間に感じるというか。
 気がつけば、おたがいにセリフとは思えないほどに自然なやり取りがつづいていた。

 ───そして、その後もいくつものセリフの応酬を経て、ついにトシが己の奥底にため込んでいた感情を爆発させるところまでたどりつく。
 ここまでくれば、クライマックスはもう間近だ。

「『~~~っ!どうせ俺のことなんて、だれも理解してくれないんだ!!』」
「『トシ……』」
 彼のセリフからは、『どうして自分はこんなに優秀なのに、世のなかの人はそれを認めてくれないんだ!』という不満の声がかさなって聞こえてくる気がした。

 傷ついて、苦しくて、でもプライドが邪魔をして、すなおにだれかに甘えることはできなくて。

 トシは己の賢さや器用さを自覚しているし、そんな自分を誇りに思ってもいた。
 その一方で、現実世界では家庭環境に由来して学歴は低く、就職でも失敗し、圧倒的な社会的弱者の立ち位置にいた。

 だからトシは自分の『価値』を正しく『評価』してくれるネットゲームの世界が好きだったんだよね……?
 でもその分、ゲームの世界と現実の世界とのあまりの乖離に苦しんでもいて。
 このままじゃトシは、遠からず心がバラバラになってしまう!

「『───ボクはずっと、ふしぎだったんだ。ボクなんかより、ずっと聡明なはずのトシが、どうして人殺しなんかしてしまったんだろうって。前にボクと殺人行為の是非について議論したことがあっただろ?命あるものをだれかの一方的な都合で奪うなんて、決してゆるされることじゃないって!そのときにトシは、ネットゲームの世界でも現実の世界でも、突然命が奪われることの理不尽さには耐えられないとか、その被害者に関わってきた人たちが受ける心の傷だとか、そういうのを気にしていたはずだろう!?』」
 まだ相手の心には響いてはいないのだろう、虚ろな瞳をしたトシの表情には一切の変化がない。

「『だからこそ、どんな理由があっても、トシが自分のしでかした殺人行為を正当化しようとしたことに、ものすごい違和感をおぼえたんだ。トシのまっすぐさと、正しいプライドの高さなら、たとえどんな相手だろうと、自らが奪ってしまった命があるのなら、すなおに自首をするはずなんだ』」
 まっすぐに目の前に立つ友人を見つめて自信たっぷりに口にする比良山に、徐々に相手の顔が苦しげにゆがんでいく。

「『おまえに、なにがわかる!』」
「『わかるよ!はじまりこそネットのゲームにすぎなかったかもしれないけれど、何年トシの相棒やってきたと思ってんだ!今回の殺人は、計画的なものなんかじゃない!言ってしまえばみたいなものなんだろう!?』」
 動揺の見えるトシの様子に、ますます確信を持つ。

「『遺体の置かれた状況からしたら、計画的犯行というよりは、カッとなった犯人が、衝動的に現場に置いてあった工事用資材の金具で殴ってしまった結果なんだろうってことは、簡単に想像がつく。でもこれまでボクはトシの言うことを信じてたから、仕事も私生活も満たされていて弱みらしい弱みなんてないと思っていたし、我を忘れてカッとなるほどのトリガーがわからなかった……でもついさっき、ようやくわかったよ……トシがあの人を殺した本当の原因は───トシの仕事が警備の、それも正社員ではなくアルバイトであることをバカにされたからだ』」
「『っ!!』」
 図星をさされ、トシのからだがギクリと固まった。

 いよいよラストに向けて、このシリーズの名物である、台本にして数ページにわたる怒涛のセリフラッシュ部分に差しかかっていた。
 本音を言えば、この先もまだつづくそれに、できればもう一度撮影前に台本を読みかえしたかったけれど、でもこのここちよい緊張感のなかならば、まちがえずに演じられるような気がしていた。
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