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74.モブ役者は猛獣使いとウワサされる

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「はい、それじゃあ撮影再開しまーす」
 若干やる気の感じられないADさんからの号令がかかり、あらためて僕の背後からカメラがまわされる。
 撮りなおすのはもちろん、さっき西尾にしおさんがNGを出しまくったシーンからだ。

「『それで、話っていうのはなんだ?……なんて、聞く必要もなさそうだな』」
「『あぁ、そうだな。トシ……あの事件の犯人は───おまえなんだろ?』」
 これまでに何度もくりかえした演技を、ていねいになぞるように演じる。

 今度こそ、西尾さんもまちがえることはなかった。
 それどころか、間の取り方もしぐさも、声色さえも大きく変わらないはずなのに、最初に演じたときよりも表情のつけ方が格段にうまくなっている。
 これはむしろ、うれしい誤算だった。

 その証拠に、僕たちの演技がはじまったとたんに、周囲のスタッフさんたちの意識が、グッとこちらに引き寄せられたのを感じる。
 ……といっても僕は彼らに背を向けている状態だから、実際の視線の動きはわからないのだけれども。
 それでも人の意識が集中しているとき特有の、肌をチリチリと刺すような感覚というんだろうか、とにかくそんな気配だけは全身で感じていた。

 ひょっとしたらスタッフさんたちも、なにかあってもすぐにサポートできるようにと、休憩時間のうちに最初の映像を何度も見かえして撮影再開にそなえていたのかもしれない。
 だからこそ逆に、今の西尾さんの演技が最初のものにかぎりなく近く、それでいて思わずハッとさせられるような表情をしていたことに気づけたのかもしなかった。

 それに、こんないいお芝居を見せられたら僕だって負けていられないって気分にもなるし、きっとそれは周囲のスタッフさんたちも似たようなものだと思う。
 全員がプロの集団だからこそ、だれかがいいお仕事をすれば、自然と皆が『負けていられない』とばかりに気合いを入れなおす。
 そんな相乗効果が生まれる現場の空気が、僕は大好きだった。

「『さすがにおまえには気づかれているか……あぁそうだよ、あの最低な男は俺が殺してやったんだ!』」
「『どうしてそんなことっ!?』」
 ひょっとしたら、ここは少しくらい自然な演技に変えてくるかと思ったけれど、西尾さんは当初の若干大げさな演技のままで来た。

 もちろん、それでいいのだと思う。
 できるだけおなじ演技をくり返すのがセオリーだというのもあるけれど、なによりそれ以上に、この犯人はドラマの名物でもある長ゼリフによる説得が必要な相手だと視聴者に思わせなくてはいけないわけで。

「『そんなの、アイツが悪人だったからに決まってるだろ、だから消してやったんだ!褒められることをしたんだよ、俺は』」
 そういう意味では、この場面ではゆがんだ正義感を前面に押し出すのが正解だった。
 それを生かすためにも僕が演じる比良山ひらやまもまた、その真逆を行くように親友を案じるまっすぐな思いを視線にのせてかえすのが、この場での正解だと思う。

「『~~~っ、なぁトシ……いったいなにがあったんだよ……?』」
 どこか冷静なあたまでそれを意識しつつも、セリフを口にしたとたんに、からだの芯が熱くなる。
 役なんだか、自分なんだかわからなくなるようなこの感覚は、矢住やずみくんの代役で悠之助を演じたとき以来、ひさしぶりのものだった。

 なにが彼をここまで追いつめてしまったんだろうか、こうなる前にどうして自分は彼を止めることができなかったんだろうかって、そんな無力さがはじめにこみあげてきて、くやしくて泣きたくなる。
 それに、彼が背負ってしまった重荷を少しでも軽くしたくて、彼の助けになりたくてたまらない。

 目の前にいる彼は、本来なら自分なんかよりもはるかに強くて、きっと自分の助けなんて必要ないのだろう。
 比良山にとってのトシは、ネットゲームのなかでもリアルでも頼りがいのある親友だったし、これまでの僕からすれば西尾さんは世間での知名度も、ルックスのよさも、そして事務所の持つ影響力さえも敵わない相手だった。

 だけど彼は今、道をふみはずして転落し、暗闇のなかをさまよっている。
 もしこれがほかのことだったら、自分では助けられたかはわからないけれど、比良山にとっては犯罪の───とりわけ殺人事件に関してならば、人よりも知識や対応力があると自信を持てることだったから。

 ───僕の場合は、演技に関してならばだれにも負けない、負けたくないという自信のようなものがあるわけで。
 それを生かせば助けられるのだとしたら、放っておけるはずがなかった。

 どうかお願いだから、こんなときくらいは僕を頼ってほしい。
 これまでの経緯だとか、プライドだとかが邪魔をするかもしれないけれど、今の彼を救えるのは自分しかないんだ───!!
 その祈るような気持ちは、熱い思いとなってあふれ出す。

 これまでも比良山として、大事な親友だからこそ、その役に立ちたいのだという思いをこめて演じてきたつもりではあるけれど、ここまで本気で『トシを救いたい』という比良山の気持ちにシンクロすることはなかった。
 それもあって西尾さんの演じるトシもまた、どこ吹く風というか、まゆひとつ動かすことはなかったのだけど。

 まるでこちらの強い願いが通じたかのように、ピクリと、ほんの少しだけそのまゆが動く。
 それだけじゃない、その強そうな意志を秘めた瞳に、はじめてゆらぎが生じる。
 それまでみじんも己の信念をうたがうことのなかったトシが見せた、ごくわずかな変化。

 うまい!!
 まさかここで、動揺している演技を入れてくるとは!
 しかも瞳がゆれる演技を自然に見せるだなんて、ひょっとして隠れていた西尾さんの才能が、とうとう開花したんじゃないだろうか?!

 これまでとちがう演技と言っても、別にからだをゆらすわけでもなく、声を出すわけでもない。
 だからこそ、背後から撮られていたときの最初の演技プランを壊すこともないし、編集をしたときにも、きちんと映像はつながることだろう。
 もしこれが、己の顔のアップが撮られるからこそ当初のプランとは微妙に変えてきたのだとしたら、またまたとんでもなく大正解だった。

「はい、カーット!!いや、もうびっくりだよ西尾くぅん!君だって本気を出せばすごい演技ができるじゃないの!最初からそれを頼むよ~!」
 思わず興奮しかけたところで、監督のカットの声がかかり、ハッとする。
 そうだ、セリフ自体は終わっているものの、カメラはまわった状態のままだったんだ。

 ……それって裏をかえせば、今の余韻のところの西尾さんは、思わず監督もカメラを止めたくなくなるほどにいい演技だったって言っているようなものじゃないか?
 実際、僕も演技中であることを忘れてしまいそうになるくらい、相手のかもし出す雰囲気に飲まれかけたわけだし───やっぱり西尾さんは、この現場で大化けするような気がするな。

「ありがとうございます!それから、先ほどは大変失礼しました。これから巻きかえしでがんばりたいと思いますので、よろしくお願いします!」
「うん、その調子で今後も頼むよひとつ」
「はいっ!」
 監督に褒められたおかげか、すなおにあやまることができた西尾さんに、ついうれしくなって僕もほほえんでしまう。

「あっ、オレの演技はどうでしたか、羽月はづきさん!?」
 そんな僕に気がつくと、西尾さんは目をキラキラとかがやかせながら、からだことこちらへ向きなおる。
 その姿は、全力でしっぽを振っているワンコのようにも見えるというか……。

「すごくよくなってましたね、西尾さん!最初のセリフのところも、格段にいい表情になっていましたし、なにより最後の余韻のところは、動揺する目の演技が細かくて、びっくりしちゃいました」
「マジッスか?!最初のところは、さっき見せてもらった羽月さんの再現のときの表情を見てたら、こうしたほうがいいんじゃないかって思って」
 褒められると、めちゃくちゃうれしそうな顔をするのなんて、本当にかつての東城とうじょうとそっくりだ。

「でも最後の動揺は……って、あんなふうにすがるような目で見つめられたら、動揺するに決まってるだろっ!!」
 あ、れ……?
 なんでそんなに、顔を真っ赤にしてキレているんだろうか??

「えっと、前から演技を変えたつもりはなかったんですけど……そりゃ、ちょっとだけトシを救いたい比良山に感情移入してしまったのはありますけど、そんなに変でしたか?」
 どうしよう、自分では気づかなかったけど、今回カメラに映るのは後ろ姿だからと気が抜けて、これまでとちがう演技になってしまっていたんだろうか?

「別に変じゃないし!むしろ健気すぎてグッと来たっていうか、すげぇ心がゆさぶられたから思わず『うぐぅ』ってなっただけだし、あんたの演技がすごかったんだよっ!」
「ありがとうございます……?」
 これはたぶん、すなおに受け取っていいんだよな??

「なになにー、すっかり手なずけちゃった感じぃ?ウワサには聞いてたけど、本当に羽月ちゃんてば、猛獣使いだねぇ~」
 ニヤニヤと口もとに笑いを浮かべた監督が、こちらを指さしながら言う。
「えぇっ、なんですか、それ!?」
 そんな『ウワサには聞いてた』って、いったいどんなウワサなんだよ、それ!?

「んー?岸もっちゃんから聞いてんだよねー、デビュー直後のやんちゃな東城くんをすっかり手なずけちゃったとか、しかも壊滅的な演技力だったのを、どうにか見られるくらいには撮影期間中に立てなおさせたとかなんとか……」
「いやいや、とんでもないです」
 どちらかといえば東城は、わりと最初から人なつっこい大型犬みたいな感じだったと思ったけれど……。

「そんなことないっしょ、聞いてるかぎりじゃ東城くん、羽月ちゃんにだけは絶対服従って感じだし」
「いやいや、そんな『絶対服従』とか誤解ですよ~」
「なんか、めっちゃわかる気がします!しょっぱなから羽月さんの演技力でぶん殴られて、それを間近で浴びつづけたらもう、従うしかないってなるから!」

「えぇっ!?」
 もうどうしよう、ただでさえ監督の冗談に困っていたら、西尾さんまで乗ってくるなんて。
 いったいどういうつもりなんだよ、西尾さんてば!?

「ふははっ、さっそくもう完落ちしてるじゃな~い!この短時間で、本当にしたんだろうねぇ!?やるなぁ羽月ちゃんてば!」
 監督まで、涙が出るほど笑うとか、どういうことなんだろうか。
 本当になにをきっかけにここまで変わったのかって、ふしぎでしょうがないのは、こっちのほうなのに。

「オレ決めたんで、この現場では羽月さんにぴったりついて、いっぱいお芝居の世界を学ぶって!あと、もちろんほかの皆さんからも学ばせてもらいます!」
「おーおー、いいんじゃん、悩める若者よ!せっかくの豪華メンバーがそろう贅沢な現場なんだし、全力で学ぶ場にするといいさ」
「はいっ!」

 気がつけば元気いっぱいに返事をする西尾さんに、周囲のスタッフさんたちからも、あたたかい視線が注がれている。
 どうやらこれで完全に、休憩前にただよっていた険悪なムードは払拭できたみたいだった。

 ……でもこれで、本当に安心していいんだろうか?
 漠然とわきあがる不安に、なかなかすっきりと晴れやかな気持ちにはなりきれないまま、あいまいな笑みをうかべる。
 そんな僕に、ななめ上からの正解が降ってくるのは、もうまもなくのことだった。
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