65 / 96
閑話③~とあるガチ勢友の会界隈の動向・前編~
しおりを挟む
※このお話は別キャラクターの視線で書かれたものです。
ここは某所にある撮影スタジオに併設された会議室のひとつで、今そのなかには3名の熱き同志たちがつどっていた。
「「「……………………」」」
しかし、そのだれもがひとことも発することなく押し黙ったまま、時だけがすぎていく。
どうしよう、なんと言っていいのかわからない。
この気持ちを思うさま口にしたいと思う一方で、どう考えてもそれは大変危険なことになるとしか思えなくて、必死になんてことないふうをよそおう。
毛足の長い絨毯敷きの室内にはロの字型にテーブルが組まれ、そこに合わせて置かれたひじかけ付きのチェアは、いかにも高級そうなやわらかな黒い革張りのものだった。
実際、これならば何時間でも座っていられるんじゃないかって思うほど、座り心地もいい。
それだけじゃない、壁際には100インチを超えるような巨大なモニターなんかもしつらえられていて、当然画面に映し出される映像は非常にキメ細やかで、色あざやかだ。
おかげで動いてしゃべる推しを、高画質で拝むことができた。
そんな会議室のなかでモニターを囲むように座っていたのは、あたし───女優の宮古怜奈と、メイクアップアーティストのユカリさん、そしておなじくメイクアップアーティストのゴリエちゃんだった。
そう、今日ここにつどっていたのは、『理緒たんガチ勢友の会』のコアメンバーなのだ。
なにを隠そう、このやたらと豪華な会議室は、あたしが今撮影中の映画のプロデューサーさんに無理を言って、おなじスタジオ内に用意してもらった会場だった。
こんな撮影セットみたいに完ぺきな会議室を用意してもらった、その目的はなにかって?
そんなのもちろん、『理緒たんガチ勢友の会』の臨時集会をやるために決まってるじゃない!!
えぇ、たとえ撮影中だろうとみじんもブレませんとも、あたしはね!
撮影中の夜間の待機時間なんて、正直なにもできなくて仮眠をとるくらいしかできないけれど、そんなことしたらまぶたが腫れてしまうから、だったらこうして同志たちとおなじ感動を共有するというのが、真に優先すべきことでしょ!
なんたって今夜は、あの『三峯ミステリー』に、原作屈指の人気キャラクターである千寿役として、理緒たんがゲスト出演する回の放送予定だったんだもの。
そりゃガチ勢たちであつまって、上映会のごとくおなじ場所でリアタイして、ともにその興奮をわかちあいたいと思うのも当然よね!?
「先週の次回予告を見た時点で、今日はひとりで見たら危険な気がしたから、無理を言ってみんなに来てもらったんだけど、大正解だったわね……」
実は先週の放送回から、理緒たんは千寿役で出ていたのだけど、本命の放送回は今週のほうだと踏んでいた。
そしてそんなあたしの読みは、見事的中でまちがいなかった。
「本当よ、こんなのひとりで見ていたら、どうなっていたことか……あやうく心臓が口からはみ出て救急搬送されるところだったわね……」
いかにも深刻な事態であると言わんばかりに、ユカリさんも深くうなずきながらコメントをしてくれる。
「本当に……ここで見ていてもずっと興奮がおさえきれなくて、さっきから椅子が大揺れして『セルフ4DXシアター』みたいになっておりましたから……」
「「ホント、それな!!!」」
そしてため息をついたゴリエちゃんのセリフにたいし、なかば食い気味にあたしとユカリさんがはげしく全力で同意した。
なんと残念きわまりないことに、さっきからこの場にただよっていたのは、いかにも深刻そうな口調とは裏腹に、重苦しい空気などでは決してなく───ニヤけるのを必死にこらえる不審なオタクたちの、非常に浮わついた空気だったのだ。
「だってもう理緒たんの千寿……アカン……なんだアレは………そりゃ主役もなんとかこの世につなぎ止めたくて、思わず抱きしめちゃうわよね……」
今の同意のいきおいのまま、あたしは早口になり、前のめりになったまま、感想をつぶやいていく。
そう、アレは非常にアカンかった。
思いかえすだけで、思わず口もとがニヤけてしまうくらいには。
先週までは腹黒イケメンでサイコパス系ド攻めキャラだったはずの千寿が、今週ではまさかの淡雪のように溶けてしまいそうな儚げ美人になるとか!
ホントに、もうっ!!
演技の振れ幅広すぎるでしょうが!!!
しかもそれをなんの違和感もなくやってのけるとか、理緒たんの演技力がさすがすぎて、ちょっと言葉が出てこない。
今感じているこの興奮をすなおにあらわしたら、きっと今ごろはコブシでゴンゴン連打して、この高そうなテーブルを真っ二つにしてしまっていたと思う。
平和的な代償行動をとるにしても、それこそ萌えポイントを加算できるボタンを押すとして、きっとそれでも音速で連打して、これまたボタンを破壊するいきおいになることだろう。
荒ぶるあたしの気持ちはダダもれになり、見るからに不審者として通報されそうなくらい、口もとだけでなく目もとまでもがニヨニヨと波打ちそうだった。
うわあぁぁぁ、もうなんかわかんないけど、この衝動のままにさけびたいっ!!
それを必死にごまかすため、あたしはこれまでに女優としてつちかってきた技術のすべてをつぎ込み、なんてことないふりをしてテーブルにひじをつき、組んだ両手におでこを押しあてた。
………ふー、落ちつけ、落ちつくのよ、怜奈!
いくら理緒たんが今週もあたしのなかの新たな扉を開きまくってくれたからと言って、それをそのまま表に出してしまっては、たんなる危険人物よ!!
「本当に怜奈ちゃんの言うとおりよ……そもそも原作にはあんなシーン、なかったはずなのに……非っっ常~~に、けしからんもっとやれ案件だわ!」
あたしの発言に大きくうなずきながら、ユカリさんは隠すことなく、その抱擁シーンへの情熱をかえしてくれる。
「そうですよね?原作では『千寿無双』というか、とにかく一方的に主人公たちを追いつめていたはずなのに……。だから気まぐれで探偵くんを見逃して去っていくだけの、千寿ド攻めシーンでしかなかったはずなんですけれども……」
そこへさらにゴリエちゃんも、発言をかさねてくる。
そうなのよ、本来なら自身で殺す直前まで追い込んでいたくせして、なぜか千寿が探偵くんを見逃してあげるのよ。
ファンからは『千寿様の気まぐれタイム』なんて呼ばれていたけれど、逆にそこが千寿×探偵くん派の腐女子たちに大ウケしていたわけでもあったっけ。
「それよ、それ!俺たちの理緒たんは、そのシーンでとんでもないことをしでかしてくれたのよ!!まさかの逆カプへの扉を開いてくれるとか……!!」
「いやはや、おいしかったわ」
「えぇ、正直たまらんかったですね」
口々に発言するあたしたちは、そのだれもが自然と早口になり、どこからどう見ても理緒たんガチ勢というか、ただのキモいオタクでしかなかった。
「でも、あの演技は最高だったわ。探偵くんの放ったひとことに、あんな今にも溶けて消えてしまいそうな、淡雪みたいに儚げな顔をされたら、放っておけるわけないでしょ!?どう考えたって、思わず引き止めようとしちゃうじゃない!!」
「それよ!!」
「ですです!!」
だってもう、あんな顔するなんて、卑怯すぎる。
なんていうか、テンプレートすぎるけど、ギャップやられたのだ。
直前の理緒たん演じる千寿は、探偵くんとヒロインちゃんを殺そうとする際、鬼気迫る笑みを浮かべてはいたけれど、それでいて瞳はガラス玉のように感情のこもらない透明さでもって、凪いでいた。
それだけで、ふつうの人にとっては遠い存在であるはずの『人に向ける明確な殺意』というものが、彼にとっては特別でもなんでもない『日常の延長線上にあるもの』なんだってことがわかってしまう。
あぁ、ここが『千寿はサイコパスだ』と言われる理由なんだなってことが、説明されるまでもなくスッと入ってきた。
けれど、いざとなると千寿にしてはめずらしく探偵くんにたいしては、『君が憎い』とか『殺してやりたい』なんて口にして、その殺意が荒々しく表出してきていた。
きっとこれが、あとから思えば千寿の余裕が実は削れてきていたという証拠になるんだろう。
正直そのシーンは、理緒たんが理緒たんに見えなくて、そこにいたのは千寿でしかなかった。
いつもよりちょっと低い声といい、鬼気迫る表情といい、画面越しに見ているだけなのに、自分が殺されるんじゃないかって思ってしまって、ふるえるほどに怖かった。
そんな殺意を撮影とはいえ、直接何度もぶつけられたんだもの、たぶん探偵くんもヒロインちゃんも、千寿には本気でおびえていたのだと思う。
だからこそ、それまでの大根気味な演技をしていたヒロインちゃんでさえも名優となり、迫真のシーンになったのだけど。
こういう相手を圧倒してしまうような空気感は、原作ファンが好きな『千寿こそが最強』と言われるところなのだろう。
それをまちがいなく再現して見せた理緒たんは、やっぱりすごい役者さんだと思う。
千寿という青年は、一見するとおだやかで人あたりが良くて、だれからも好かれるような好青年だけど、実はなんでもできてしまう超人的なシリアルキラーでもあって。
実際に原作では幾度となく主人公の前に立ちふさがり、まるで花でも手折るかのような気楽さで、そこにいる人々の命をうばっていく。
本当は、だれにも理解してもらえないくらいにあたまが良くて、それがどれほどむずかしいことでも、あっという間に計画を立てて、そしてそれに基づいてサラリとこなしてしまう余裕のあるキャラクターなんだ。
きっと周囲は、そんな彼のことがとんでもない天才に見えているはず。
作中で描かれてきた彼の過去では、最初はただの尊敬の念だけで賞賛され、でもそれがいつしか周囲の人の理解の範疇を超えてしまうせいで、畏怖の対象に変わってしまっていた。
そういうのがわずらわしくて、千寿はあえて素性を隠し、凡人のふりをしてすごしてきたなんて描かれ方をしていた。
古来からありとあらゆる創作物では、そんな卓越した賢さは、周囲への優越感と引き換えに孤独を呼ぶものだとも描かれてきた。
そして本作においてはその孤独を埋めるため、ただのヒマつぶし役として選ばれたのが、探偵くんだったという。
だから千寿は彼に執着し、何度もその前に立ちふさがるんだ。
それは原作で描かれてきた探偵くんと千寿との関係性で、これまでファンの間では唯一にして絶対無二のものだった。
そこに一石を投じたのが、今夜の理緒たん演じる千寿だったというわけだ。
よく『天才とは1%のひらめきと99%の努力でできている』なんていう昔のえらい人の言葉が引き合いに出されるけれど、たまにひらめきの割合がずば抜けて高い、一足飛びに真理に達してしまう真の天才があらわれることもあるのよ。
たぶん、この作品の主人公である探偵くんがそれね。
妙に自信家でお調子者で、でもそれなのに太陽のように明るくて憎めないキャラクターとか、あたしからすれば、もうそれだけでも立派な才能のひとつに思えるけれど。
でも人としては、時間にルーズだとか自信過剰気味だとか、欠陥だらけなのよねぇ……。
そういう意味では、千寿のほうが人としての出来がよくて、完ぺき超人と言っても過言ではないのだと思う。
おかげでお腐れさまな同志たちは、スーパー攻め様な千寿からの一目惚れだの、寵愛だなんて言って、相当アレな二次創作が愛されていたのを知っている。
かくいうあたしだって、ついさっきまではそのひとりだった。
はじめて理緒たんの配役を知って原作を履修したときは、千寿にとっての探偵くんとの推理対決は、圧倒的弱者でしかない相手を、子犬を愛でるような気持ちでからかっているだけなのかと思っていた。
だって、ふたりの間にはそれくらいの実力差があるんだもの。
───でも今夜理緒たんがこの世に具現化させた千寿は、ただ強いだけではなかった。
それはあたしにとって、足もとがすべてくずれ去ってしまうほどの衝撃をもたらしたのだった。
ここは某所にある撮影スタジオに併設された会議室のひとつで、今そのなかには3名の熱き同志たちがつどっていた。
「「「……………………」」」
しかし、そのだれもがひとことも発することなく押し黙ったまま、時だけがすぎていく。
どうしよう、なんと言っていいのかわからない。
この気持ちを思うさま口にしたいと思う一方で、どう考えてもそれは大変危険なことになるとしか思えなくて、必死になんてことないふうをよそおう。
毛足の長い絨毯敷きの室内にはロの字型にテーブルが組まれ、そこに合わせて置かれたひじかけ付きのチェアは、いかにも高級そうなやわらかな黒い革張りのものだった。
実際、これならば何時間でも座っていられるんじゃないかって思うほど、座り心地もいい。
それだけじゃない、壁際には100インチを超えるような巨大なモニターなんかもしつらえられていて、当然画面に映し出される映像は非常にキメ細やかで、色あざやかだ。
おかげで動いてしゃべる推しを、高画質で拝むことができた。
そんな会議室のなかでモニターを囲むように座っていたのは、あたし───女優の宮古怜奈と、メイクアップアーティストのユカリさん、そしておなじくメイクアップアーティストのゴリエちゃんだった。
そう、今日ここにつどっていたのは、『理緒たんガチ勢友の会』のコアメンバーなのだ。
なにを隠そう、このやたらと豪華な会議室は、あたしが今撮影中の映画のプロデューサーさんに無理を言って、おなじスタジオ内に用意してもらった会場だった。
こんな撮影セットみたいに完ぺきな会議室を用意してもらった、その目的はなにかって?
そんなのもちろん、『理緒たんガチ勢友の会』の臨時集会をやるために決まってるじゃない!!
えぇ、たとえ撮影中だろうとみじんもブレませんとも、あたしはね!
撮影中の夜間の待機時間なんて、正直なにもできなくて仮眠をとるくらいしかできないけれど、そんなことしたらまぶたが腫れてしまうから、だったらこうして同志たちとおなじ感動を共有するというのが、真に優先すべきことでしょ!
なんたって今夜は、あの『三峯ミステリー』に、原作屈指の人気キャラクターである千寿役として、理緒たんがゲスト出演する回の放送予定だったんだもの。
そりゃガチ勢たちであつまって、上映会のごとくおなじ場所でリアタイして、ともにその興奮をわかちあいたいと思うのも当然よね!?
「先週の次回予告を見た時点で、今日はひとりで見たら危険な気がしたから、無理を言ってみんなに来てもらったんだけど、大正解だったわね……」
実は先週の放送回から、理緒たんは千寿役で出ていたのだけど、本命の放送回は今週のほうだと踏んでいた。
そしてそんなあたしの読みは、見事的中でまちがいなかった。
「本当よ、こんなのひとりで見ていたら、どうなっていたことか……あやうく心臓が口からはみ出て救急搬送されるところだったわね……」
いかにも深刻な事態であると言わんばかりに、ユカリさんも深くうなずきながらコメントをしてくれる。
「本当に……ここで見ていてもずっと興奮がおさえきれなくて、さっきから椅子が大揺れして『セルフ4DXシアター』みたいになっておりましたから……」
「「ホント、それな!!!」」
そしてため息をついたゴリエちゃんのセリフにたいし、なかば食い気味にあたしとユカリさんがはげしく全力で同意した。
なんと残念きわまりないことに、さっきからこの場にただよっていたのは、いかにも深刻そうな口調とは裏腹に、重苦しい空気などでは決してなく───ニヤけるのを必死にこらえる不審なオタクたちの、非常に浮わついた空気だったのだ。
「だってもう理緒たんの千寿……アカン……なんだアレは………そりゃ主役もなんとかこの世につなぎ止めたくて、思わず抱きしめちゃうわよね……」
今の同意のいきおいのまま、あたしは早口になり、前のめりになったまま、感想をつぶやいていく。
そう、アレは非常にアカンかった。
思いかえすだけで、思わず口もとがニヤけてしまうくらいには。
先週までは腹黒イケメンでサイコパス系ド攻めキャラだったはずの千寿が、今週ではまさかの淡雪のように溶けてしまいそうな儚げ美人になるとか!
ホントに、もうっ!!
演技の振れ幅広すぎるでしょうが!!!
しかもそれをなんの違和感もなくやってのけるとか、理緒たんの演技力がさすがすぎて、ちょっと言葉が出てこない。
今感じているこの興奮をすなおにあらわしたら、きっと今ごろはコブシでゴンゴン連打して、この高そうなテーブルを真っ二つにしてしまっていたと思う。
平和的な代償行動をとるにしても、それこそ萌えポイントを加算できるボタンを押すとして、きっとそれでも音速で連打して、これまたボタンを破壊するいきおいになることだろう。
荒ぶるあたしの気持ちはダダもれになり、見るからに不審者として通報されそうなくらい、口もとだけでなく目もとまでもがニヨニヨと波打ちそうだった。
うわあぁぁぁ、もうなんかわかんないけど、この衝動のままにさけびたいっ!!
それを必死にごまかすため、あたしはこれまでに女優としてつちかってきた技術のすべてをつぎ込み、なんてことないふりをしてテーブルにひじをつき、組んだ両手におでこを押しあてた。
………ふー、落ちつけ、落ちつくのよ、怜奈!
いくら理緒たんが今週もあたしのなかの新たな扉を開きまくってくれたからと言って、それをそのまま表に出してしまっては、たんなる危険人物よ!!
「本当に怜奈ちゃんの言うとおりよ……そもそも原作にはあんなシーン、なかったはずなのに……非っっ常~~に、けしからんもっとやれ案件だわ!」
あたしの発言に大きくうなずきながら、ユカリさんは隠すことなく、その抱擁シーンへの情熱をかえしてくれる。
「そうですよね?原作では『千寿無双』というか、とにかく一方的に主人公たちを追いつめていたはずなのに……。だから気まぐれで探偵くんを見逃して去っていくだけの、千寿ド攻めシーンでしかなかったはずなんですけれども……」
そこへさらにゴリエちゃんも、発言をかさねてくる。
そうなのよ、本来なら自身で殺す直前まで追い込んでいたくせして、なぜか千寿が探偵くんを見逃してあげるのよ。
ファンからは『千寿様の気まぐれタイム』なんて呼ばれていたけれど、逆にそこが千寿×探偵くん派の腐女子たちに大ウケしていたわけでもあったっけ。
「それよ、それ!俺たちの理緒たんは、そのシーンでとんでもないことをしでかしてくれたのよ!!まさかの逆カプへの扉を開いてくれるとか……!!」
「いやはや、おいしかったわ」
「えぇ、正直たまらんかったですね」
口々に発言するあたしたちは、そのだれもが自然と早口になり、どこからどう見ても理緒たんガチ勢というか、ただのキモいオタクでしかなかった。
「でも、あの演技は最高だったわ。探偵くんの放ったひとことに、あんな今にも溶けて消えてしまいそうな、淡雪みたいに儚げな顔をされたら、放っておけるわけないでしょ!?どう考えたって、思わず引き止めようとしちゃうじゃない!!」
「それよ!!」
「ですです!!」
だってもう、あんな顔するなんて、卑怯すぎる。
なんていうか、テンプレートすぎるけど、ギャップやられたのだ。
直前の理緒たん演じる千寿は、探偵くんとヒロインちゃんを殺そうとする際、鬼気迫る笑みを浮かべてはいたけれど、それでいて瞳はガラス玉のように感情のこもらない透明さでもって、凪いでいた。
それだけで、ふつうの人にとっては遠い存在であるはずの『人に向ける明確な殺意』というものが、彼にとっては特別でもなんでもない『日常の延長線上にあるもの』なんだってことがわかってしまう。
あぁ、ここが『千寿はサイコパスだ』と言われる理由なんだなってことが、説明されるまでもなくスッと入ってきた。
けれど、いざとなると千寿にしてはめずらしく探偵くんにたいしては、『君が憎い』とか『殺してやりたい』なんて口にして、その殺意が荒々しく表出してきていた。
きっとこれが、あとから思えば千寿の余裕が実は削れてきていたという証拠になるんだろう。
正直そのシーンは、理緒たんが理緒たんに見えなくて、そこにいたのは千寿でしかなかった。
いつもよりちょっと低い声といい、鬼気迫る表情といい、画面越しに見ているだけなのに、自分が殺されるんじゃないかって思ってしまって、ふるえるほどに怖かった。
そんな殺意を撮影とはいえ、直接何度もぶつけられたんだもの、たぶん探偵くんもヒロインちゃんも、千寿には本気でおびえていたのだと思う。
だからこそ、それまでの大根気味な演技をしていたヒロインちゃんでさえも名優となり、迫真のシーンになったのだけど。
こういう相手を圧倒してしまうような空気感は、原作ファンが好きな『千寿こそが最強』と言われるところなのだろう。
それをまちがいなく再現して見せた理緒たんは、やっぱりすごい役者さんだと思う。
千寿という青年は、一見するとおだやかで人あたりが良くて、だれからも好かれるような好青年だけど、実はなんでもできてしまう超人的なシリアルキラーでもあって。
実際に原作では幾度となく主人公の前に立ちふさがり、まるで花でも手折るかのような気楽さで、そこにいる人々の命をうばっていく。
本当は、だれにも理解してもらえないくらいにあたまが良くて、それがどれほどむずかしいことでも、あっという間に計画を立てて、そしてそれに基づいてサラリとこなしてしまう余裕のあるキャラクターなんだ。
きっと周囲は、そんな彼のことがとんでもない天才に見えているはず。
作中で描かれてきた彼の過去では、最初はただの尊敬の念だけで賞賛され、でもそれがいつしか周囲の人の理解の範疇を超えてしまうせいで、畏怖の対象に変わってしまっていた。
そういうのがわずらわしくて、千寿はあえて素性を隠し、凡人のふりをしてすごしてきたなんて描かれ方をしていた。
古来からありとあらゆる創作物では、そんな卓越した賢さは、周囲への優越感と引き換えに孤独を呼ぶものだとも描かれてきた。
そして本作においてはその孤独を埋めるため、ただのヒマつぶし役として選ばれたのが、探偵くんだったという。
だから千寿は彼に執着し、何度もその前に立ちふさがるんだ。
それは原作で描かれてきた探偵くんと千寿との関係性で、これまでファンの間では唯一にして絶対無二のものだった。
そこに一石を投じたのが、今夜の理緒たん演じる千寿だったというわけだ。
よく『天才とは1%のひらめきと99%の努力でできている』なんていう昔のえらい人の言葉が引き合いに出されるけれど、たまにひらめきの割合がずば抜けて高い、一足飛びに真理に達してしまう真の天才があらわれることもあるのよ。
たぶん、この作品の主人公である探偵くんがそれね。
妙に自信家でお調子者で、でもそれなのに太陽のように明るくて憎めないキャラクターとか、あたしからすれば、もうそれだけでも立派な才能のひとつに思えるけれど。
でも人としては、時間にルーズだとか自信過剰気味だとか、欠陥だらけなのよねぇ……。
そういう意味では、千寿のほうが人としての出来がよくて、完ぺき超人と言っても過言ではないのだと思う。
おかげでお腐れさまな同志たちは、スーパー攻め様な千寿からの一目惚れだの、寵愛だなんて言って、相当アレな二次創作が愛されていたのを知っている。
かくいうあたしだって、ついさっきまではそのひとりだった。
はじめて理緒たんの配役を知って原作を履修したときは、千寿にとっての探偵くんとの推理対決は、圧倒的弱者でしかない相手を、子犬を愛でるような気持ちでからかっているだけなのかと思っていた。
だって、ふたりの間にはそれくらいの実力差があるんだもの。
───でも今夜理緒たんがこの世に具現化させた千寿は、ただ強いだけではなかった。
それはあたしにとって、足もとがすべてくずれ去ってしまうほどの衝撃をもたらしたのだった。
85
お気に入りに追加
884
あなたにおすすめの小説


美形×平凡の子供の話
めちゅう
BL
美形公爵アーノルドとその妻で平凡顔のエーリンの間に生まれた双子はエリック、エラと名付けられた。エリックはアーノルドに似た美形、エラはエーリンに似た平凡顔。平凡なエラに幸せはあるのか?
──────────────────
お読みくださりありがとうございます。
お楽しみいただけましたら幸いです。

それ以上近づかないでください。
ぽぽ
BL
「誰がお前のことなんか好きになると思うの?」
地味で冴えない小鳥遊凪は、ある日、憧れの人である蓮見馨に不意に告白をしてしまい、2人は付き合うことになった。
まるで夢のような時間――しかし、その恋はある出来事をきっかけに儚くも終わりを迎える。
転校を機に、馨のことを全てを忘れようと決意した凪。もう二度と彼と会うことはないはずだった。
ところが、あることがきっかけで馨と再会することになる。
「本当に可愛い。」
「凪、俺以外のやつと話していいんだっけ?」
かつてとはまるで別人のような馨の様子に戸惑う凪。
「お願いだから、僕にもう近づかないで」

春を拒む【完結】
璃々丸
BL
日本有数の財閥三男でΩの北條院環(ほうじょういん たまき)の目の前には見るからに可憐で儚げなΩの女子大生、桜雛子(さくら ひなこ)が座っていた。
「ケイト君を解放してあげてください!」
大きなおめめをうるうるさせながらそう訴えかけてきた。
ケイト君────諏訪恵都(すわ けいと)は環の婚約者であるαだった。
環とはひとまわり歳の差がある。この女はそんな環の負い目を突いてきたつもりだろうが、『こちとらお前等より人生経験それなりに積んどんねん────!』
そう簡単に譲って堪るか、と大人げない反撃を開始するのであった。
オメガバな設定ですが設定は緩めで独自設定があります、ご注意。
不定期更新になります。

新しい道を歩み始めた貴方へ
mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。
そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。
その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。
あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。
あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?
※沢山のお気に入り登録ありがとうございます。深く感謝申し上げます。

イケメンに惚れられた俺の話
モブです(病み期)
BL
歌うことが好きな俺三嶋裕人(みしまゆうと)は、匿名動画投稿サイトでユートとして活躍していた。
こんな俺を芸能事務所のお偉いさんがみつけてくれて俺はさらに活動の幅がひろがった。
そんなある日、最近人気の歌い手である大斗(だいと)とユニットを組んでみないかと社長に言われる。
どんなやつかと思い、会ってみると……

十二年付き合った彼氏を人気清純派アイドルに盗られて絶望してたら、幼馴染のポンコツ御曹司に溺愛されたので、奴らを見返してやりたいと思います
塔原 槇
BL
会社員、兎山俊太郎(とやま しゅんたろう)はある日、「やっぱり女の子が好きだわ」と言われ別れを切り出される。彼氏の売れないバンドマン、熊井雄介(くまい ゆうすけ)は人気上昇中の清純派アイドル、桃澤久留美(ももざわ くるみ)と付き合うのだと言う。ショックの中で俊太郎が出社すると、幼馴染の有栖川麗音(ありすがわ れおん)が中途採用で入社してきて……?

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる