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62.モブ役者は夢への一歩を踏み出す

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 テレビ局の入り口でプロデューサーさんたちが待ちかまえているだなんて、そんなことはこれまで一度もなかったことだ。
 というよりも、こんな対応をされるなんて、よほどの『名優』と呼ばれるような大スターでもなきゃないことだろうと思う。
 当然のように、僕のようなモブ役者には、かんがえつかないできごとだった。

「お待ちしておりました、羽月はづき眞也しんやさん!今日はこちらでスタジオ撮りがあると聞いて、到着されるのを今か今かと待ちわびてました」
「おはようございます、えっと……?」
 もみ手でもしそうないきおいで、プロデューサーさんがこちらに寄ってくるのにあいさつを返しつつ、思わずとまどいの声が出てしまう。

 この人は、例の千寿せんじゅ役として僕が出演したドラマの、プロデューサーをしている人だ。
 別に知らない人というわけではないけれど、でもだからこそ、こんなへりくだった対応をされることに違和感をおぼえてしまう。

「車はこちらで停めておきますので、マネージャーさんもいっしょに、さぁどうぞ!」
「……わかりました、羽月さんいっしょに参りましょう」
 ADさんとおぼしき若い男性が、運転席側にまわり込むのを見て、後藤さんが車を降りる。

「さぁさぁ、こちらです!いざ4階の第3応接室へ!」
「応接室?!」
 こうして僕は、グイグイと肩を抱くようにして歩き出すプロデューサーさんに、なかば押しきられるようにして、後藤さんとともにエレベーターへと乗り込んだのだった。


     * * *


「いやぁ、お待たせしまって誠に申し訳有りませんでした~!なんなら大先生をお待たせすることないよう、役者のひとりやふたり、事前に呼び出しましたのに……」
 焦げ茶色の応接室の重厚なドアを、きっちり3回ノックしてから開け、なかにいる人物に向かってぺこぺことお辞儀をしながら入っていくプロデューサーさんを見て、だいたいの事情を察する。

 ───つまりこの部屋のなかには、この局にとってのVIPがいるということなんだろう。

 しかもなぜかその人が、僕を招きたいと言ったであろうことは想像がついたけれど、あいにくとこちらには、そんな偉い人から呼び出されるような内容に心あたりがなかった。
 もしかしてまた僕のやったお芝居で、気がつかないうちに、テレビ局に推されている俳優さんの邪魔をしてしまったとかなんだろうか?

「っ!」
 颯田川さったがわさんをはじめとする、かつての現場でお叱りを受けた数々の記憶が一気によみがえりそうになり、ひときわ大きく心臓が脈打つ。
 気がつけば、手のひらに爪の痕が残りそうなくらい、強くこぶしをにぎりしめていた。

「大丈夫ですよ、良いことで呼ばれたときでなければ、あれほどの役職の方が笑顔で入り口まで迎えになんて来ませんから」
 でもそんな様子に気づいたのか、そっと後ろから僕の肩を支えながら後藤さんがささやく。
 その声は小さいながらも、たしかな自信に裏づけられたかのように、毅然としていた。

「あぁ……そう、ですよね……」
 さっきのテレビ局の入り口まで迎えにきていた彼らの顔や態度を思い出せば、決して悪意に満ちたお出迎えではなかったように思えてくる。
 そのおかげで、強ばりかけていたからだから、そっと力が抜けていく。

「───いえいえ、私のために呼び出すだなんて、とんでもない。むしろこちらがファンのひとりとして、無理やり押しかけたのですから、なんなら元々あったお仕事が終わるまで待ってもいいくらいなんです。なにしろあの方は私にとっての現人神のごとき人なのですから、ご迷惑をかけるわけにはいかないですからね」
 その矢先に、室内にいる人物のやわらかな声が聞こえてくる。

 あ、れ……?
 妙に聞きおぼえのある、この声の主は……。
 先に入室していたプロデューサーさんの背中越しにちらりと見えたのは、ジャケットを羽織った品の良さそうな年上の男性だ。

「あぁ、羽月眞也さん!またお会いできてうれしいです。それよりも本日は、別のお仕事が控えているというのに、無理にこちらにお呼び立てしてしまって申し訳ないと思っております」
三峯みつみね先生!?」
 なんと、連れてこられた応接室に待ちかまえていたのは、ベストセラー作家の三峯ゆたか先生だった。

 ───なるほど、このテレビ局にとって『三峯ミステリー』のドラマは、視聴率を毎回稼げるエース級の番組だもんな?
 その原作者たる三峯先生もまた、本を出せばたちまち増刷がかかり、ドラマ化すればどんな深夜であろうと、視聴率は確実に2桁が約束されている大作家だとしたら……。

 なんで僕のようなモブ役者にまで、こんなに役職付きの偉い人たちがぺこぺこするのか、ようやく腑に落ちた。
 この人たちが敬っていたのは、『僕』ではなく『僕を呼んでいた三峯先生』ということなんだろう。
 からくりがわかれば、がっかりするどころか、むしろようやく理由がわかってホッとできたというか……。

「先日のドラマ撮影を見学させていただいて、あなたの演じる千寿を見たとき、雷に撃たれたかのような衝撃を受けました。これこそが私の描きたかった千寿なのだと……!こうしてこの世で、生きているあの子に会えるとは思ってもみませんでした!本当に最高すぎて、語彙力が全力で脱走していくほどです!」
 そのキャラクターを生み出した作家さん本人からの手放しの称賛は、なんとも面映ゆかった。

「っ、ありがとうございます!こちらこそ、三峯先生にとって大事な子である千寿を僕にあずけてくださり、大変光栄でした!なにより原作を拝読したときから、自分だったらどう演じようかと、ずっとかんがえてきた役でしたので」
 三峯先生からの言葉は、飾らないからこそ、まっすぐに心に刺さってくるんだ。

「ひえぇ~、そんなうれしいことを!もう本当に最高でしたから!!そ、それで本日は神さ……いえ、羽月眞也さんのサインをいただきたくて……」
「えっ?その、自分でよろしければ、よろこんで書かせていただきますが……」
 照れくさそうに色紙とマジックペンを差し出してくる三峯先生には、なんだか毒気を抜かれてしまう。

「こちらでよろしいですか?」
「ありがとうございます!これはもう神棚に飾って家宝にします!!」
 リクエストにしたがって宛名も入れたそれを書き終え、そっと差し出せば、色紙をぎゅっと抱きしめ、今にも踊り出しそうなほどによろこんでくれる。

「こちらこそ、どうもありがとうございます。先週の放送の際に寄せてくださったコメントにも、大変励まされました」
 その姿を見ているだけでは、『日本ミステリー界の巨匠』と呼ばれるような存在なのに、全然そんなふうには見えなかった。

「ちょっと先生!浮かれすぎたらはずかしいからダメですよって、最初に言ってたでしょう?今日は別にミーハー活動するために押しかけたわけじゃないんですから!ちゃんと仕事しましょう?」
「ハッ!そうだった!」
 そんな三峯先生の腕をつかんで、担当さんが止めている。

 これを見ているだけでも、長年の『名コンビ』だなんて呼ばれることもあるそのふたりは、とても息が合っているのが見てとれた。
 作家とその担当というのは、案外、芸能人とそのマネージャーの関係性と似ているのかもしれない、なんて妙な既視感とともに思ってしまった。

「……いや、でも私の妄想でしかないと思っていた我が子を、この世界に降臨させてくれた『神様』が目の前にいるんだよ!これが興奮せずにいられると思う!?無理だよね?絶対に無理じゃない??だって生きてる千寿だよ?!」
「ホントそういうとこですよ、先生!今のあなたはどこからどう見ても、ただの早口で話すキモヲタになってますから!なんなら通報案件、即逮捕です!」

 だんだんと早口になっていく三峯先生に、おなじくテンション高めにツッコミを入れる担当さんは、やっぱりナイスコンビとしか言えなかったけれど。

「……えーと、そのぉ~、三峯大先生ぇ~。そろそろ本題のほうに入られてはいかがでしょうか?」
 そんなふたりにしびれをきらしたんだろうか、横からプロデューサーさんが猫なで声で話しかけてくる。

「あぁ、そうでした!コホン!実はですね、あの撮影に立ち会わせていただいてからというもの、やたらと当方の筆が乗って〆切という強敵を、いとも簡単に倒せたのです!しかも今まで難解で底が見えない子だとばかり思っていた千寿という、ひねくれ息子の理解がふしぎとできるようになりましてね。そんな今なら、もっと彼の複雑な背景を描き出せる気がして、気がつけば単行本で5冊分、書き上げていたんです───彼が主役のスピンオフを!」
 はずかしそうにせきばらいをした三峯先生は、しかしその後早口のままに、ひと息でそこまでを言いきった。

「そ、れは……すごいですね?!いつごろ本として出されるんですか?」
 僕ですら知っている先生の〆切との格闘ぶりを思うに、あの撮影日から今日までの短期間で一気に書き上げたとか、とんでもないことなんじゃないだろうか??

 しかもそれが、僕の演技からイマジネーションが湧いたというなら、とてつもなく光栄なことだと思う。
 これは是非読ませていただきたい、なんて思っていたら。

「もちろん本は出します。ですが、それより先に、これはあなたの千寿が見たい一心で書き上げた作品なので!是非これを元に、ふたたびあなたに千寿を演じていただきたく思いますっ!」
「えぇぇっ!?」
 そしていきおいよくパーフェクトな直角に近いお辞儀をされ、あまりのことに恐縮してしまう。

「と、言うことで、翌々クールでの連ドラ化が決まりました~!もちろん主演は大先生たってのリクエストで、引きつづき羽月さんにお願いしたいと存じます!」
 固まる僕のことなどおかまいなしに、プロデューサーさんがとなりからカットインして、さらに大きな爆弾を放り投げてくる。

 ドンドンパフパフという古式ゆかしい効果音とともに発表されたのは、まさかの内容で、僕は無言のまま相手を見かえすしかできなかった。
「はい、よろこんでぇ!!」
 そんな僕の横からは、間髪いれずに後藤さんが僕に代わって快諾をしていた。

「なんとあの三峯大先生の書き下ろし小説が原作の、まだだれも読んだことのないストーリーを我が局で連ドラ化できるだなんて……なんて贅沢なことでしょうか!しかも主役が原作屈指の人気キャラクターの千寿ですよ?!これはもう、大ヒットまちがいなしじゃないですか!!」
 そりゃ僕だって、興奮したように熱弁をふるうプロデューサーさんの気持ちも、わからなくはなかったけども。

 だって、どんなときでも読者を裏切らないおもしろさを提供してくれるのが、『三峯ミステリー』のいいところなんだ。
 ひとくちに『おもしろい』と言っても、それはなにもコメディとして笑いが豊富だとか、そういう意味じゃない。

 その筆致は端正にして流麗で、なのにどこか親しみやすい。
 ときに笑って涙して、そして最後には、仕掛けられた極上の謎があざやかに解かれていくカタルシスを味わえる。
 エンターテイメントとしての最上級品、それが『三峯ミステリー』の真髄だ。

 それが連続ドラマ化されて、しかも単話ゲストではなくその主演をつとめられるだなんて、役者の立場からすれば幸運以外のなにものでもなかった。
 でも、それもさることながら、僕にとっていちばんうれしかったのは、原作者に認められ、なおかつ『自分に演じさせるために話を書いた』と言われたことだった。

 ───それはかつて、東城にたいしてうらやましいと感じていた、東城のキャラクターに合わせてあて書きされた数々の主演ドラマの脚本とおなじ意味を持つものだから。

 あのときにはまだ、ずっと遠くて、なにをしても敵わないと思っていた存在に今、近づくことができるのだという証明を、自力でつかみ取れた気分だった。

 やった、これは僕にとっての大きな一歩だ……!
 身内からじわりとにじむよろこびを噛みしめ、小さくこぶしをにぎりしめたのだった。
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