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52.伝説回の、その先へ
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無事にカーテンコールを終え、皆が楽屋へと汗だくになりながらもどってくる。
今日の公演は、今までになく格別に熱かった。
それもそのはず、ケガでお休みをしている矢住くんが無事な姿を見せに来てくれたからだった。
───矢住くんの無事を祝うためにも、最高の演技をしたい。
その気持ちで一体となった僕たちは、演者やスタッフを問わず、皆が皆、これまで以上にすばらしい仕事をしたんだと自負している。
その評価はきっと、いつも以上に鳴り止まない客席からの拍手の波にあらわれていたはずだ。
だからカテコ終わりに僕たちの楽屋まで駆け込んできた矢住くんは、てっきりいつもみたいに飛びついてきて、興奮したように感想をまくしたててくるのかと思ったら、意外にもその場で立ちすくんだままだった。
「で、どうだった?最高だろう、シンヤの悠之助はよう?」
先にしびれを切らしたように問いかけたのは、雪之丞さんだった。
どうだと言わんばかりに目をキラキラさせながら、心持ち胸をそらしている姿は、誇らしげに見える。
僕としても、矢住くんがどう思ったのかというのは、気になるところだった。
幕間にやってきたときの矢住くんは、それはもう興奮気味に『全力の師匠たちの殺陣と演技、マジでカッコいいッス~~!!』なんて目をかがやかせていたのに……。
あまりにも僕の演技プランが、矢住くんのものとちがうから、なにか気にさわってしまったんだろうか?
ふいに一抹の不安がこみ上げてきて、先ほどから黙ったままの矢住くんをそっとうかがう。
「えっと、矢住くん……?」
結局心配になって、つい僕も声をかけてしまった。
うつむいて、小刻みにふるえているって、それはいったいどういう意味なんだ……?
「師匠~~っ、月城さんもっっ!!生きてたぁ~~!!よがっだあぁぁ~~~!!!」
そのとたん、今度は一転して、顔を上げることなく弾丸のように飛び出して抱きついてくる。
「ふたりとも、2幕でホントに死んじゃったかと思うくらい、ホンモノに見えて……っ!」
僕に抱きついて、あたまをグリグリと押しつけてくる矢住くんの声はふるえ、ようやく上げたその顔も、涙でぐちゃぐちゃになっていた。
「おー、すげぇ顔してんなぁ、ひよっ子は!どうよ、迫真の演技だったろ?」
ニヤニヤと口もとを笑いのかたちにゆがめた雪之丞さんが、そう茶化してくる。
「迫真すぎますっ!だって月城さん、あんなふうに満たされた顔で逝くとか、完全にあのまま成仏しそうだったじゃないですか!!」
それにたいして僕にしがみついたまま、ぼろぼろと涙をこぼしながらも矢住くんは必死に訴えている。
「あー、今日はな……シンヤをオレに殺されたあとの、あのイケメン座長の怒りも本気だったしよぉ。久々に、殺陣で本気になっちまった……そのせいでオレがオレじゃねぇっつーか、最期にそんな剣にすべてをささげた修羅と全力で刃を交わせて負けたんなら、それも悪くねぇ死だって思えちまったんだよな……」
鼻の下を指先でこすりながら、へへっと笑う。
「えっ、雪之丞さんも、そんなふうに思ってたんですか?」
「おーよ、いつもならそこまで役の気持ちに引っ張られるってこたぁ、ねぇんだけどな!まぁ……今日は格別になりきっちまった」
僕が感じたあの役と自分とが溶け合う感覚は、どうやら雪之丞さんにもあったらしい。
たしかに、今日の相田さんの演技にしても、いつもよりも重かった。
なんていうか、悠之助がその腕のなかで亡くなって慟哭する姿に、劇場内は滂沱の涙を流して悲しみをわかちあっていたし、その後僕が袖に捌けた後にも、しばらくすすり泣く音が止まらなかったくらいだった。
ふしぎと僕も、今日は雪之丞さん演じる親玉に殺されるとき、本気で自分が殺されるんだって思って怖くなってしまっていたし。
悠之助と僕は、まちがいなくそのときシンクロしていた。
いつもなら激しい殺陣の直後に死ぬ演技とか、息苦しくてツラいとしか思わないのに、なぜだか今日は死んでしまうという恐怖にふるえる演技も、その息苦しささえも逆に『まだ生きている』ことの証明に感じられて。
その苦しささえも、涙が出るほど愛おしく感じられたんだ。
それに、敵の親玉は倫理観こそ壊滅的で、悠之助とは似ても似つかないはずなのに、なぜか刃を交わしている最中だけは、この世でいちばん自分のことを理解してくれる相手なんじゃないかって、そんな気持ちになっていた。
こんなふうに思える相手に出会えたのに、もうそれが、まもなく失われるのが確定していることが悲しくてたまらない。
このときの悠之助が、そういう意味での絶望も味わっていたなんて、稽古中には思いも至らない境地だった。
ただ志半ばで死ぬことがくやしいんじゃない、これまで本気で生きていなかったことに気づかされたのも、本気でたたかえる相手に出会えたからこそで。
そんな相手に出会えたのは、心のなかに隠した狂気を恐れる悠之助にとっては、己の解放という一線を越えたからでもあって……。
「なんか、全然うまく言えないんスけど、師匠と月城さんがふたりだけの世界作ってたっていうか……全然似てないはずなのに、なんかそっくりっていうか」
それを感じていたのは、どうやら僕だけじゃなかったらしい。
「おっ、口にしてねぇのに、伝わってたか」
「ハイッ!」
雪之丞さんからの問いかけに、元気よく矢住くんがこたえている。
「おふたりの演じる役の、根っこのところが似てるんだって感じました。それがむき出しなのが月城さんのほうで、師匠はそれを隠してるっていうか、なんか怖がってる?ような感じがして……」
もちろん雪之丞さんもそうだし、それに見ていただけの矢住くんにも伝わっていた。
「……僕の意図したことが伝わるって、こんなにうれしいことなんですね……」
どうしよう、顔がにやけるのを止められない。
思わず頬を両手でおさえたところで、赤くなるのは止めようもなかった。
「~~~~~~っ、そういうとこ!!師匠はあざといくらいに、かわいすぎるんですよ!!」
「えっ?!なに、どういうこと??」
顔を真っ赤にした矢住くんが、こぶしをにぎりしめてさけぶのに、意味がわからなくて、助けを求めるように雪之丞さんの顔を見る。
「あー……なんつーか、シンヤはそのままでいてくれよな?」
「えっ?えーと……?」
そして、解説をしてもらえなかった代わりに、なぜかあたまをなでられた。
「いや、でもセリフは基本的にボクのときとおなじはずなのに、まったくちがう作品を見ているみたいでした……こういうふうに、演じ方ひとつで変わるものなんだって話は聞いたことありましたけど、こうしてここまでちがうのを目の当たりにすると、本当に鳥肌が立つほどスゴいって思ったっていうか……!」
今度は興奮したように早口になった矢住くんが、一気にまくしたてる。
「やっぱり師匠はスゴい人でした!もちろん月城さんも、皆さんもですけど!!」
両手で手をにぎられ、涙でぬれた瞳がまっすぐにこちらを見つめてくる。
それが少し、照れくさい。
「ボク、一生師匠についていきますっ!!」
その顔は涙にぬれて、ぐじゃぐじゃになっていたけれど。
こちらをまっすぐに見つめてくる矢住くんの目には、めちゃくちゃ強い光が宿っていた。
「うん、ありがとう!」
最初から矢住くんなら全力の僕たちから、なにかを感じ取ってくれるとは信じていたけれど。
これは相当衝撃が大きかったんだろうってことだけは、直球で伝わってくる。
ガツンと魂をゆさぶられる体験をすると、人の語彙力なんて簡単に消失してしまう。
それこそ、わけもなく泣きたくなったり、ふるえたり、無言で立ち尽くしてしまったりとか。
かくいう僕だって、仕事の現場で魂がゆさぶられるような演技を見せつけられ、自信を失いかけたこともあるくらいだ。
だけどいい演技を見たときこそ、自分も負けたくないって強く思うから。
きっと今日の僕たちの演技は、おなじように負けず嫌いなところのある矢住くんにとっても、いい糧になるはずだと信じていた。
それが今、確実に受け止めてもらえたことがわかったのが、うれしくてたまらない。
「───演じるって、楽しいんですよね」
しみじみと、実感をこめてつぶやく。
僕が、この仕事をしてて楽しいと思う瞬間を、今日はたくさん味わえたから。
「師匠が言っていたその言葉の意味、ようやくボクにもわかった気がします」
そんなボクのセリフに、矢住くんが真摯な顔で同意を示してくれる。
「早くテメェも悠之助やりたくなったんじゃねぇの?」
「そうですね!本当に、今すぐ稽古しなおしたい気分です!!」
雪之丞さんからの発破に、大きくうなずく矢住くんの目は、勝ち気な悠之助そのものに見えた。
* * *
「大変です、羽月さん。またまたバズっております」
「え、今度はなにがですか?」
至極マジメな顔で告げてくるマネージャーの後藤さんに、こちらも慣れた感じに問いかえす。
あれから数日がたち、舞台の上演期間は残り1週間となり、矢住くんも昨日から無事に復活を遂げていた。
おかげで僕もまた裏方にもどり、ついでにほかのお仕事もちょろちょろ入れながらも、忙しい日々をすごしていた。
「もちろん、今やっておられる舞台の件です。先日矢住さんが復帰されて、羽月さんに感化されてまた少し演技が洗練されたものになったと、それもファンのあいだで話題となっていますが───なによりその理由となったあの日の公演が、ファンの方々からふたたび『伝説回』と呼ばれて話題となっているようです」
スマホを片手にした後藤さんが、少し誇らしげに言う。
「あの日……たしかに僕もそうでしたけど、皆が憑依されたみたいに、それぞれの役になりきってましたからね」
あんなふうに皆が皆、我を忘れて役になりきってしまうようなこと、後にも先にもなかった気がする。
「えぇ、その日たまたまに見にこられていた演劇関係のライターさんも、直後に個人のSNSで絶賛されていましたし!そこでハッキリと『あの熱狂の渦の中心にいたのは、雪様とシンヤくんだった』と書かれてましたからね」
後藤さんは、にこにこと笑顔のままだ。
「『マジであの公演の師匠は、伝説として語り継ぎたい』『雪様が本当に楽しそうで、外部公演であんな雪様を見るのははじめてで、見ているだけで泣けてきた。シンヤさんには感謝しかない!!』『悠之助の人、今回がはじめましてだったけど、これから一生推していきたい』とか、あげたらキリがないくらい反響が大きいんですよ」
「それは……本当にありがたい反応ですね」
つられるように笑顔になった僕は、しみじみと噛みしめながら感謝を口にする。
かつてはネットでの誹謗中傷に怯えていたけれど、後藤さん経由であればその反応も、だいぶ落ちついて受け止められるようになってきた。
そんな僕の様子を見た後藤さんは、目を細めて、笑みを深くする。
なんだろう、この雰囲気は?
なんとなくまだ隠し玉があるような、そんな気配をただよわせている気がする。
思わずジッと相手の目を見つめかえしたところで、後藤さんは、ニヤッとくちびるに弧を描いた。
「───えぇ、それを見たネットニュース媒体複数社と大手の新聞社2社、それからスポーツ紙の芸能デスク全紙に、あとはアイドル誌なんかからも取材の申し込みが来ております!!あとはなにより、朝の情報番組からも取材の申し込みが来ておりますからね!!」
「……はいっ?!」
一瞬、なにを言われたのか理解が遅れ、ひどくまぬけな声が出た。
「えぇ、バズっているのは伝説回のあの公演だけではなく、その大元となった羽月さんご本人も、なんです!!」
「えええ!??」
なんだか僕の知らないところで、事態はとんでもない展開を迎えていたらしい。
突然の後藤さんから明かされたその取材攻勢に、僕はただ、おどろきの声をあげるしかできなかったのである。
今日の公演は、今までになく格別に熱かった。
それもそのはず、ケガでお休みをしている矢住くんが無事な姿を見せに来てくれたからだった。
───矢住くんの無事を祝うためにも、最高の演技をしたい。
その気持ちで一体となった僕たちは、演者やスタッフを問わず、皆が皆、これまで以上にすばらしい仕事をしたんだと自負している。
その評価はきっと、いつも以上に鳴り止まない客席からの拍手の波にあらわれていたはずだ。
だからカテコ終わりに僕たちの楽屋まで駆け込んできた矢住くんは、てっきりいつもみたいに飛びついてきて、興奮したように感想をまくしたててくるのかと思ったら、意外にもその場で立ちすくんだままだった。
「で、どうだった?最高だろう、シンヤの悠之助はよう?」
先にしびれを切らしたように問いかけたのは、雪之丞さんだった。
どうだと言わんばかりに目をキラキラさせながら、心持ち胸をそらしている姿は、誇らしげに見える。
僕としても、矢住くんがどう思ったのかというのは、気になるところだった。
幕間にやってきたときの矢住くんは、それはもう興奮気味に『全力の師匠たちの殺陣と演技、マジでカッコいいッス~~!!』なんて目をかがやかせていたのに……。
あまりにも僕の演技プランが、矢住くんのものとちがうから、なにか気にさわってしまったんだろうか?
ふいに一抹の不安がこみ上げてきて、先ほどから黙ったままの矢住くんをそっとうかがう。
「えっと、矢住くん……?」
結局心配になって、つい僕も声をかけてしまった。
うつむいて、小刻みにふるえているって、それはいったいどういう意味なんだ……?
「師匠~~っ、月城さんもっっ!!生きてたぁ~~!!よがっだあぁぁ~~~!!!」
そのとたん、今度は一転して、顔を上げることなく弾丸のように飛び出して抱きついてくる。
「ふたりとも、2幕でホントに死んじゃったかと思うくらい、ホンモノに見えて……っ!」
僕に抱きついて、あたまをグリグリと押しつけてくる矢住くんの声はふるえ、ようやく上げたその顔も、涙でぐちゃぐちゃになっていた。
「おー、すげぇ顔してんなぁ、ひよっ子は!どうよ、迫真の演技だったろ?」
ニヤニヤと口もとを笑いのかたちにゆがめた雪之丞さんが、そう茶化してくる。
「迫真すぎますっ!だって月城さん、あんなふうに満たされた顔で逝くとか、完全にあのまま成仏しそうだったじゃないですか!!」
それにたいして僕にしがみついたまま、ぼろぼろと涙をこぼしながらも矢住くんは必死に訴えている。
「あー、今日はな……シンヤをオレに殺されたあとの、あのイケメン座長の怒りも本気だったしよぉ。久々に、殺陣で本気になっちまった……そのせいでオレがオレじゃねぇっつーか、最期にそんな剣にすべてをささげた修羅と全力で刃を交わせて負けたんなら、それも悪くねぇ死だって思えちまったんだよな……」
鼻の下を指先でこすりながら、へへっと笑う。
「えっ、雪之丞さんも、そんなふうに思ってたんですか?」
「おーよ、いつもならそこまで役の気持ちに引っ張られるってこたぁ、ねぇんだけどな!まぁ……今日は格別になりきっちまった」
僕が感じたあの役と自分とが溶け合う感覚は、どうやら雪之丞さんにもあったらしい。
たしかに、今日の相田さんの演技にしても、いつもよりも重かった。
なんていうか、悠之助がその腕のなかで亡くなって慟哭する姿に、劇場内は滂沱の涙を流して悲しみをわかちあっていたし、その後僕が袖に捌けた後にも、しばらくすすり泣く音が止まらなかったくらいだった。
ふしぎと僕も、今日は雪之丞さん演じる親玉に殺されるとき、本気で自分が殺されるんだって思って怖くなってしまっていたし。
悠之助と僕は、まちがいなくそのときシンクロしていた。
いつもなら激しい殺陣の直後に死ぬ演技とか、息苦しくてツラいとしか思わないのに、なぜだか今日は死んでしまうという恐怖にふるえる演技も、その息苦しささえも逆に『まだ生きている』ことの証明に感じられて。
その苦しささえも、涙が出るほど愛おしく感じられたんだ。
それに、敵の親玉は倫理観こそ壊滅的で、悠之助とは似ても似つかないはずなのに、なぜか刃を交わしている最中だけは、この世でいちばん自分のことを理解してくれる相手なんじゃないかって、そんな気持ちになっていた。
こんなふうに思える相手に出会えたのに、もうそれが、まもなく失われるのが確定していることが悲しくてたまらない。
このときの悠之助が、そういう意味での絶望も味わっていたなんて、稽古中には思いも至らない境地だった。
ただ志半ばで死ぬことがくやしいんじゃない、これまで本気で生きていなかったことに気づかされたのも、本気でたたかえる相手に出会えたからこそで。
そんな相手に出会えたのは、心のなかに隠した狂気を恐れる悠之助にとっては、己の解放という一線を越えたからでもあって……。
「なんか、全然うまく言えないんスけど、師匠と月城さんがふたりだけの世界作ってたっていうか……全然似てないはずなのに、なんかそっくりっていうか」
それを感じていたのは、どうやら僕だけじゃなかったらしい。
「おっ、口にしてねぇのに、伝わってたか」
「ハイッ!」
雪之丞さんからの問いかけに、元気よく矢住くんがこたえている。
「おふたりの演じる役の、根っこのところが似てるんだって感じました。それがむき出しなのが月城さんのほうで、師匠はそれを隠してるっていうか、なんか怖がってる?ような感じがして……」
もちろん雪之丞さんもそうだし、それに見ていただけの矢住くんにも伝わっていた。
「……僕の意図したことが伝わるって、こんなにうれしいことなんですね……」
どうしよう、顔がにやけるのを止められない。
思わず頬を両手でおさえたところで、赤くなるのは止めようもなかった。
「~~~~~~っ、そういうとこ!!師匠はあざといくらいに、かわいすぎるんですよ!!」
「えっ?!なに、どういうこと??」
顔を真っ赤にした矢住くんが、こぶしをにぎりしめてさけぶのに、意味がわからなくて、助けを求めるように雪之丞さんの顔を見る。
「あー……なんつーか、シンヤはそのままでいてくれよな?」
「えっ?えーと……?」
そして、解説をしてもらえなかった代わりに、なぜかあたまをなでられた。
「いや、でもセリフは基本的にボクのときとおなじはずなのに、まったくちがう作品を見ているみたいでした……こういうふうに、演じ方ひとつで変わるものなんだって話は聞いたことありましたけど、こうしてここまでちがうのを目の当たりにすると、本当に鳥肌が立つほどスゴいって思ったっていうか……!」
今度は興奮したように早口になった矢住くんが、一気にまくしたてる。
「やっぱり師匠はスゴい人でした!もちろん月城さんも、皆さんもですけど!!」
両手で手をにぎられ、涙でぬれた瞳がまっすぐにこちらを見つめてくる。
それが少し、照れくさい。
「ボク、一生師匠についていきますっ!!」
その顔は涙にぬれて、ぐじゃぐじゃになっていたけれど。
こちらをまっすぐに見つめてくる矢住くんの目には、めちゃくちゃ強い光が宿っていた。
「うん、ありがとう!」
最初から矢住くんなら全力の僕たちから、なにかを感じ取ってくれるとは信じていたけれど。
これは相当衝撃が大きかったんだろうってことだけは、直球で伝わってくる。
ガツンと魂をゆさぶられる体験をすると、人の語彙力なんて簡単に消失してしまう。
それこそ、わけもなく泣きたくなったり、ふるえたり、無言で立ち尽くしてしまったりとか。
かくいう僕だって、仕事の現場で魂がゆさぶられるような演技を見せつけられ、自信を失いかけたこともあるくらいだ。
だけどいい演技を見たときこそ、自分も負けたくないって強く思うから。
きっと今日の僕たちの演技は、おなじように負けず嫌いなところのある矢住くんにとっても、いい糧になるはずだと信じていた。
それが今、確実に受け止めてもらえたことがわかったのが、うれしくてたまらない。
「───演じるって、楽しいんですよね」
しみじみと、実感をこめてつぶやく。
僕が、この仕事をしてて楽しいと思う瞬間を、今日はたくさん味わえたから。
「師匠が言っていたその言葉の意味、ようやくボクにもわかった気がします」
そんなボクのセリフに、矢住くんが真摯な顔で同意を示してくれる。
「早くテメェも悠之助やりたくなったんじゃねぇの?」
「そうですね!本当に、今すぐ稽古しなおしたい気分です!!」
雪之丞さんからの発破に、大きくうなずく矢住くんの目は、勝ち気な悠之助そのものに見えた。
* * *
「大変です、羽月さん。またまたバズっております」
「え、今度はなにがですか?」
至極マジメな顔で告げてくるマネージャーの後藤さんに、こちらも慣れた感じに問いかえす。
あれから数日がたち、舞台の上演期間は残り1週間となり、矢住くんも昨日から無事に復活を遂げていた。
おかげで僕もまた裏方にもどり、ついでにほかのお仕事もちょろちょろ入れながらも、忙しい日々をすごしていた。
「もちろん、今やっておられる舞台の件です。先日矢住さんが復帰されて、羽月さんに感化されてまた少し演技が洗練されたものになったと、それもファンのあいだで話題となっていますが───なによりその理由となったあの日の公演が、ファンの方々からふたたび『伝説回』と呼ばれて話題となっているようです」
スマホを片手にした後藤さんが、少し誇らしげに言う。
「あの日……たしかに僕もそうでしたけど、皆が憑依されたみたいに、それぞれの役になりきってましたからね」
あんなふうに皆が皆、我を忘れて役になりきってしまうようなこと、後にも先にもなかった気がする。
「えぇ、その日たまたまに見にこられていた演劇関係のライターさんも、直後に個人のSNSで絶賛されていましたし!そこでハッキリと『あの熱狂の渦の中心にいたのは、雪様とシンヤくんだった』と書かれてましたからね」
後藤さんは、にこにこと笑顔のままだ。
「『マジであの公演の師匠は、伝説として語り継ぎたい』『雪様が本当に楽しそうで、外部公演であんな雪様を見るのははじめてで、見ているだけで泣けてきた。シンヤさんには感謝しかない!!』『悠之助の人、今回がはじめましてだったけど、これから一生推していきたい』とか、あげたらキリがないくらい反響が大きいんですよ」
「それは……本当にありがたい反応ですね」
つられるように笑顔になった僕は、しみじみと噛みしめながら感謝を口にする。
かつてはネットでの誹謗中傷に怯えていたけれど、後藤さん経由であればその反応も、だいぶ落ちついて受け止められるようになってきた。
そんな僕の様子を見た後藤さんは、目を細めて、笑みを深くする。
なんだろう、この雰囲気は?
なんとなくまだ隠し玉があるような、そんな気配をただよわせている気がする。
思わずジッと相手の目を見つめかえしたところで、後藤さんは、ニヤッとくちびるに弧を描いた。
「───えぇ、それを見たネットニュース媒体複数社と大手の新聞社2社、それからスポーツ紙の芸能デスク全紙に、あとはアイドル誌なんかからも取材の申し込みが来ております!!あとはなにより、朝の情報番組からも取材の申し込みが来ておりますからね!!」
「……はいっ?!」
一瞬、なにを言われたのか理解が遅れ、ひどくまぬけな声が出た。
「えぇ、バズっているのは伝説回のあの公演だけではなく、その大元となった羽月さんご本人も、なんです!!」
「えええ!??」
なんだか僕の知らないところで、事態はとんでもない展開を迎えていたらしい。
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