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49.モブ役者はファンのありがたみを思い出す

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 まだこれで終わったわけじゃない、だって今日は代役としては初日なんだから。
 思わずそう自分に言い聞かせなきゃならないと思ってしまうくらい、出番を終えた僕は力が抜けてしまっていた。

 でも、まだカーテンコールであいさつに出なきゃいけないし、うっかり泣いてしまった分、化粧も直さなきゃいけない。
 汗をふく用のタオルを手にしたまま、メイクを担当してくれたユカリさんを探す。

 けれどいつもなら、すぐ袖のところに控えていてくれるはずの姿が見当たらなかった。
 あれ、いったいどこに行ったんだろう……?
 もしかしてユカリさんのお仕事は終わったからって、楽屋にもどっていたりするんだろうか??

 今回、メイクさんたちが複数いる現場だし、メインの役者たちには個別に担当さんがついてくれている。
 だからユカリさんが今日、直接担当しているのは僕だけだったから、ある意味で仕事を終えたと言えばそうなんだけど……。

 僕は出番を終えてはけてきたところだし、だから楽屋にもどっていても、おかしくはないわけだ。
 仕方ない、軽くなおしてもらえれば、別の人でもいいか……。
 そう思って、近くにいるメイクさんのもとへと向かおうとした矢先のことだった。

理緒りおだん"、最"っ高"~だっだわ"!!」
 舞台裏の廊下で両手を広げて立ち、さっきの僕なんて目じゃないほどに号泣するユカリさんによって出迎えられた。
「えぇっ!?ユカリさん?!」
 思わず、ビックリして変な声が出そうになる。

 いや、だってユカリさんといったら、過去の時代劇の特番の現場とか、ほかにもたぶん現場でごいっしょしたことは何度もあるけれど、ふだんは『落ちついた大人』というイメージがあっただけに、そこまで号泣するとは思わなかったというか。
 なんていうか、自分以上に泣く人がいると涙が引っ込むって、アレは本当だったんだなって思う。

「……ありがとうございます、ユカリさん。一昨日もですけど、悠之助としての気持ちを奮い立たせてくれたのは、ユカリさんのメイクのおかげというのも大いにありますから!」
 僕の場合は特に、メイクひとつで顔の印象がガラリと変わるタイプだからこそ、その力に支えられているとも言えるわけで。

「そんなふうに言ってもらえるなんて、もう最高の褒め言葉よ!私、少しは理緒たんのお役に立てたのね?!」
「えぇ、それはもう」
 少しでも僕の感謝の気持ちが伝わるようにと、鼻を真っ赤にして泣くユカリさんに、にっこりと笑いかける。

「うわ"あ"ぁぁぁ~~~、よ"がっ"だあ"ぁ"ぁ"!!!」
「えぇっ?!」
 その瞬間、ユカリさんは盛大にその場に泣きくずれていった。

「あ、あのっ!?」
 どうしよう、なにか僕はヤラカシてしまったんだろうか?
 あまりにもふだんとちがう相手の姿に、どうしていいかわからなくて、あわてて目の前にしゃがみこむと、その顔をそっとのぞきこむ。

「大丈夫ですか、ユカリさん!?」
「うぅっ、やっぱり理緒たん、天使ぃぃ~~!!」
 ポケットから出したハンカチをにぎりしめて、さらにぼろぼろと大粒の涙をこぼして泣くユカリさんに、僕はもうどうしていいかわからなかった。

「本当は、私のポリシーで仕事とプライベートはきっちりわけたかったんだけどぉ~!ごめんなさい、どうしても今だけは言わせてぇぇぇ~~!!!」
「え、えっと、はいどうぞ……」
 ガシッと両肩を正面からつかまれ、大泣きしながら懇願されれば、否やをとなえるつもりはない。

羽月はづき眞也しんやという俳優の、ひとりのファンとして言わせてもらうわ!おかえりなさい、理緒たん!!また全力で演じるあなたを見られて、本当によかった……よかった……!!」
 その『おかえり』というセリフは、幕間まくあいにあいさつに来た東城とうじょうにも言われたことでもあった。

 これまでいいわけをしながら、全力で演じることと向き合わないでいた僕にとっては、少し耳が痛い言葉でもあったけど。
 東城はある意味で『身内』だからこそ、僕の『ファン』というのとはちがうくくりでいたから、こうして面と向かって『ファンだ』と言われるのは、これがはじめてだった。

 ───ジワリと、その言葉が染みてくる。

「ユカリさん、ありがとうございます……っ!」
 その手を取って、思いっきりあたまをさげる。
 今、あらためて僕は泣きそうになっていた。

 どうしよう、僕の復活を待っていてくれた人がいた。
 なんだかんだと理由をつけて僕が逃げ出した2年半の歳月を、ずっと信じて待っていてくれたなんて!

「仕事に私情をはさまないという私のポリシーを破ってでも、この現場の仕事を勝ち取ってよかったわ!こうして理緒たんが本当の実力を隠すことなく演じてくれる場に立ち会えたことが、この2年半、ずっと待ちつづけていた私にとってのいちばんのご褒美だったもの!!」
 一度は止まっていたはずの涙が、ふたたびユカリさんの目からあふれ出す。

 それを目にした瞬間、今まで僕が向き合ってこようとしなかった罪の重さを思い知った。

 たとえば今回のような舞台なら、それを見に来るお客さんには、板のうえに立つ役者しか見えないかもしれないけれど、そこに立つまでには、いろんなスタッフさんたちの力があればこそ立つことができるわけで。
 衣装もヘアメイクも小道具も、それに背景の大道具にいたるまで、目に見えるものだけでも、実はいろんな人たちの仕事の成果だった。

 でも、そうやっていろんな人の力を借りてこの場に立たせてもらっているんだってことはわかっていたけれど、僕はもうひとつの、いちばん大事なものを忘れていた。
 そう───『ファン』という存在を。

 どれだけ僕たち役者がいい演技をしたところで、それを見てくれる人がいなければ、なにもはじまらない。
 そういうファンの人たちが、テレビを見て視聴率に貢献し、チケットを買って舞台を見に来てくれる。

 今までは『どうせ主演のための作品なんだし、しょせん僕はモブ役者にすぎないんだから、それより目立たないように気をつけなければ』と、ずっとそう思ってきた。
 だけど、本当にそれが正解だったのかな……?

 そりゃ、プロデューサーやらスポンサーやらの意向をくむなら、それが正解だけども。
 主演の子の、多くいるであろうファンにとっても、悪いことではないのかもしれないけれど。

 だってファンにとっては、自分が応援している役者がいい役をもらって目立っているのを見るのは、たぶんとても楽しいことなんだと思う。
 少しでも画面に映るように、舞台のうえに出ていられるようにと、そんなことを祈りながら見ているにちがいない。

 でも、ちょっと待って!
 よくかんがえてみて、と自分に問いかける。
 絶対数は少ないとしても、僕にだって、きっとそんなファンの人だっていたはずだ───たとえば今、目の前にいるユカリさんのような。

 そういう人たちにとって、これまでの僕の仕事の仕方はどうだったんだろうか?って。
 きっと物足りなくて、本当はできるのに、あえて手を抜いているようにしか感じられなかったんじゃないかって。
 それって、めちゃくちゃもどかしいし、くやしいよね?

 だれが知らなくとも、自分だけは知っている。
 本当は、もっといい演技ができるのに。
 本当は、もっと目立つはずなのに……!!

 ───そう思ってもおかしくはないのに、これまでの僕は、そんなファンからの期待をことごとく裏切ってきてしまったんだ。
 この罪は、決して軽くない。

 少なくとも、いつもは上品でおだやかなユカリさんをこんなに号泣させてしまうほど、どれだけくやしい思いをさせてしまってきたんだろうかと思ったら、もう反省するどころではなかった。
 きっと猛省のうえの土下座をしたって、物足りないくらいだ。

 僕のファンのほうが少ないなら、人数の多い主演のファンのために、その数少ない僕のファンを裏切っていいのか?
 そう自分に問いかければ、こたえは悩むまでもなく出た。

 絶対にそんなことはない!
 いや、むしろ少ないからこそ、そのファンの人たちを大事にしなきゃいけないだろ!!
 ファンの期待を裏切らないためにも、僕には自分にできる精いっぱいのことをしなくちゃダメだ。

「ねぇ、理緒たん、なにかふっきれた?すごく清々しい顔をしているわ」
 そうたずねてくるユカリさん自身も、相当スッキリとした顔をしていた。

「おかげさまで。ユカリさん、申し訳ないんですけど、このメイクなおしてもらえますか?このあと、カーテンコールに出なくちゃいけないので」
 泣いてしまってヨレた化粧をどうにかしたいと訴えれば、ユカリさんは目を丸くしたあと、ほほえむ。

「えぇ、まかせてちょうだい!理緒たんのファンとして、公私混同の愛を最大級にこめて、うんとキレイにしてあげるわ!」
「ありがとうございます!」
「いいのよ、その笑顔でもう十分すぎるほど報われたから!」

 まだ若干の泣き笑いみたいな顔をしていたユカリさんが、手早く僕の化粧のヨレをなおしてくれる。
 やっぱりそれは渾身の力作で、僕の顔とも思えないくらい、しっかりと勝ち気な悠之助の顔にもどっていた。

 ちょうどそのころ、客席からは万雷の拍手がわき起こる。
 あぁ、今幕がおりたのか……。
 相田あいださんと雪之丞ゆきのじょうさんの苛烈なる殺陣も、その後の悲しみや空しさ、慟哭といった感情のゆらぎも、すべてを見守った客席からのそれは、嵐のようにまるでやむ気配がなかった。

「羽月さん、スタンバイお願いします!」
「はいっ!」
 スタッフさんに呼ばれて、あわてて舞台の袖へと移動する。

 アンサンブルの人たちから、ふたたび幕のあがった舞台のうえへと出て行き、ごあいさつをしていく。
 僕の出番は後半、相田さんと雪之丞さんの前───つまり3番手の立ち位置にあった。

「よう、シンヤ、待ってたぜ!」
「遅くなりました!!」
 舞台袖にはすでに雪之丞さんがスタンバっていて、ようやくあらわれた僕と笑ってハイタッチをしてくれる。

 今回のいちばんの大御所の方が子役とともにならんであいさつをしたところで、いよいよ次は僕の番になる。
 サッと走り出て行った瞬間、これまで以上に大きな拍手に迎えられた。

「っ!?」
 舞台のうえで強力なスポットライトを浴びているせいで、うまく見えない場所もあったけれど、関係者席にいる東城も宮古みやこさんも、ボロ泣きしているのが見えた。
 でも、ふたりとも、めちゃくちゃいい笑顔だ。

 とたんに客席を怖いと思う気持ちは薄れ、落ちついてくる。
 わかったのは、このざわめきは歓迎の意味だってことだけだ。
 決してブーイングじゃない!

「ありがとうございました!」
 マイクはオフにされているから、生声になったけれど、お礼を言って深々と客席に向かってお辞儀をすれば、さらなる大きな拍手につつまれる。

 あぁ、よかった……!!
 受け入れてもらえたんだ!
 あらためて感じる客席からの反応に、ようやく肩の荷がおりた気がした。

 サッと舞台の中央に腕をふって、次に出てくる雪之丞さんに道をゆずったところで、音楽も変わる。
 そこからゆっくりと歩いて出てくる姿は、やはり堂々としたもので、客席からの喝采もまたとても大きいものだった。

 そして、一瞬舞台上の照明が落ち、あらためて中央奥の扉にライトがあてられた次の瞬間。
 その扉がいきおいよく左右にひらき、主演の相田さんがあらわれる。
 もはや客席からの喝采は、悲鳴や怒号のような迫力となっていた。

「皆さま、本日はご観劇いただきまして、誠にありがとうございます!」
 そこから座長である相田さんのごあいさつがあり、最後に出演者一同で深々とお辞儀をする。
 ものすごい充足感につつまれ、僕は自然と笑顔になっていた。

 一度はけたあとも、ダブル、トリプルとカーテンコールをいただき、舞台のうえへと走り出る。
 最後にはスタンディングオベーションまでもらった僕たちは、あらためて客席に向かってお辞儀をする。

 その後は相田さんと雪之丞さんに両手をとられて、3人で手をつなぎながら舞台袖へとはけていく。
 一昨日のトークショーのはじまりをほうふつさせるそれに、客席はさらに盛りあがりを見せていた。

 ───こうして、緊張の代役初日は無事に幕をおろしたのだった。
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