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48.モブ役者とイケメン貴公子は、全力で客席を魅了する

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 緊迫感のただよう舞台のうえでは、いよいよ雪之丞ゆきのじょうさんとの殺陣も終わりが近づいてきている。
「『………あぁ、いい目だ』」
 こちらを見下ろす顔は愉悦にまみれ、隠しきれない狂気がにじんでいた。

 一方で、僕が演じる悠之助は、手にした刀を取り落としてしまい、さらには尻もちをついた状態でのどもとへと刀を突きつけられている状況だ。
 それを必死ににらみつけてはいるけれど、どうしても勝てない気配をまとう相手に、ごまかしきれない恐怖を感じているところで。

 つまりは、本能で負けを認めてしまっているのに、それでも意地だけで抵抗しているという状態でもある。
 これは、数ヶ月前までの僕そのものだった。

 東城とうじょうというまぶしい存在を前に、役者として負けたくないし、演技力なら負けてないと思いたいのに、本能ではその光りかがやくスターのオーラに魅入られ、絶対に敵わない存在なんだと認識してしまっていた。
 全力でぶつかる前から負けを認めてしまうなんて、なんて弱い心だったんだろう?

 でも心のなかにいる意地っぱりな自分は、負けを認めたくないって全力で訴えているからこそ、視線だけはまだ完全には死んでいなくて。
 そうだ、簡単にあきらめられるものなら、こんなに苦しくなんてない!

 敵わなくて、努力して、それでもまだその遠い先に見える相手の背中。
 全然届かないそれにたいする、憧憬と羨望の入りまじるまなざし。
 圧倒的な敗者でしかない自分が、くやしくてたまらない。

 なんでそれに執着するんだ?って、己に問いかけたところで、こたえなんて最初からわかっていた。
 だって、『好き』だから。
 好きでなければ、あきらめてしまえば楽になれたのに、そうはできなかったのがなによりのこたえだった。

 演じることも、そしてなによりそんな先を走る東城の演技も。
 コンプレックスを刺激されるとわかっていても相手の動向を見てしまうのは、そこに己の理想が体現されているからだ。

 好きだから、割りに合わないような努力がつづけられるし、どんな苦労も厭わずできるんだ。
 その『好き』を両方手に入れるために。

 ───そうだ、僕は大好きだからこそ、最後まであきらめたくはなかった。
 それはきっと、悠之助だっておなじはずだ。

 僕にとっての演じることは、悠之助にとっての刀をふるうことで、僕にとっての東城は、悠之助にとっての雪之丞さんが演じる敵の親玉だとしたら。
 この想いの強さは、だれにも負けたりはしない!!

 さっきから僕は、そんな気持ちで演じていた。
 だからこそ、悠之助はこれだけ絶体絶命のピンチだろうとあきらめたりしない。

 相手へのおびえを隠して、気丈にふるまう。
 ほんの一瞬の隙をついて蹴りを放とうとして、しかしそれを相手にいなされ、逆に蹴り飛ばされる。

 不安定な体勢からの後ろへのジャンプは、なかなかむずかしいものがあるけれど、いつかの通し稽古とおなじよう、雪之丞さんの寸止めの動きに合わせて後ろへ跳ぶ。
 とたんに客席で、お客さんたちが息を飲むのがわかった。

 よし、タイミングはバッチリだ。
 蹴り飛ばされたところで必死に立ち上がって、けれど今のダメージのせいでカクッとひざの力が抜けてフラついたようにしてみせる。
 それを逃さず、サッと後ろにまわり込んできた敵の親玉に腕を取られて、ひねりあげられた。

 実際に痛くはないけれど、腕が痛むとばかりにやや反り気味になってあたまを雪之丞さんにあずけるようなかたちをとれば、自然と体格差が際立つ。
 よし、これなら背後に立つ雪之丞さんの顔が、僕のそれとがかぶって見えなくなるなんてことにはならないぞ。

 ついでに言うと、こうして密着するときは、客席に向けて斜めにかまえたほうが、見映えがいいんだったっけ?
 これは雪之丞さんの提案から岸本監督の監修を経て、決まった演出だった。

 岸本監督は、もちろん計算された演出をする人ではあるけれど、それ以上に演じる役の気持ちを大事にする人だから、こちらが積極的に提案した演出はわりと取り入れてもらえることが多い。
 監督いわく『演じる本人でなければ気がつかない感情の機微があるはずだから、そのインスピレーションは大事にしたい』んだそうだ。

 背後に立つ雪之丞さんの手にした刀の切っ先が、のどのところへと向けられる。
 そのひんやりとした感触は、ただの竹光のはずなのに、今にものど笛をたやすく斬り裂きそうな、するどい刃への恐怖を呼び起こす。

「『くっ!!』」
「『無駄な抵抗はよせよ?』」
 あの通し稽古の翌日から正式に変わった演出で、己の圧倒的優位性を見せつけるため、このあと雪之丞さん演じる敵の親玉は、悠之助の頬にキスをして、こめかみだの目尻だのと、顔中にキスをふらしてくるんだ。

 矢住やずみくんはこれをさして、『月城つきしろさんがセクハラ大魔王になった』なんて言ってたっけ。
 でも『ファンの子たちがよろこぶなら、それもまたおいしいから歓迎する』とも言ってたな……。
 うん、本当に打たれ強い子だよね、矢住くんは。

「『フフッ、気の強いヤツはキライじゃないぜ?』」
 そこまでのセリフはおなじだったし、腕を後ろに強く引かれて、さらにのけぞるところもおなじだったけど。

「『まったく、啼かせたくなるようなツラしやがって……俺のモノになんなら、たっぷりかわいがってやるよ』」
「んっ……!」
 またもやアドリブが入ったと思ったところで、首すじへと音を立ててキスされた。

 えっ?
 えぇっ!?
 どういうことなんだ??

 てっきり頬にされるとばかり思っていたから、油断していた。
 おかげでなかば素で肩がビクッとハネてしまって、鼻から抜けるような声が出る。
 なんだよ、これ……めちゃくちゃはずかしいっ!

 客席も、瞬間的にザワつきを見せていた。
 リピーターなら、いつもとちがう演出だって気づいただろうし、そうでなくとも雪之丞さんの艶のある声でこんなことを言われたら、ドキドキしてしまうだろう。

 そりゃ真剣に演じている最中だからこそ、いくら気になっても客席を見るわけにはいかないけど。
 それでも、極限まで集中力があがっているからこそわかる、気配のようなものはある。
 それの証拠に、さっきよりもずっと突き刺さるような強烈な視線が、四方からそそがれてくるのがわかった。

「『離せよっ!だれが、テメェなんかに……っ!』」
 けれど演じている僕が混乱したところで、悠之助なら、絶対にこの場で即座に拒否するはずだ。
 強気な姿勢をくずさないままに、声を張る。

「『あきらめて、俺のモノになっちまえよ?』」
 こちらの耳をくちびるで食みながらのささやく声は、とんでもない艶をまとっていた。
 たぶん、雪之丞さんのファンの人は歓喜だし、そうでない人も、思わず気になって見てしまうくらいのゾクリとする色気があった。

「『うるせー!だれがあきらめるか!』」 
「『言い残すことがあるなら、聞いてやらないでもないと思ったが……あぁ、残念だよ』」
 パッと、後ろ手にひねられたままだった腕が解放される。

 そのままよろめくように距離を取ろうとした悠之助は、背後で急激にふくれあがる殺気に気づいてあわててふり向く。
 その、次の瞬間。
 バッサリと袈裟がけに斬られ、声をあげる間もなくその場に倒れていった。

 致命傷となるその刀傷は、ただ痛いなんてもんじゃなく、むしろ息もできないくらいに熱くてたまらない。
 からだは強ばりそうなのに、全身を苛む痛みに、まるで力は入らなくて……。
 ただ、苦しみうめく声しかあげられない。

 そしてそんな僕を見下ろす相手の目には、なんの感情も浮かんではいなかった。
 ただ光を失い、うつろな瞳でこちらを見ている姿は、もはや人には見えなくて、背すじにゾッとしたものが走る。
 その姿からは、まさに『孤高の修羅』と表するのにふさわしい寒々しさがあふれていた。

 客席を支配しているのは、絶対に敵わない強敵にたいする恐怖、だろうか?
 唾を飲み込む音ですら響いてしまいそうなほどの、重苦しい静寂が横たわる。

 たいする敵の親玉は、そんな恐怖をあたえているなどと意識すらしていない。
 それどころか、さっきまではあんなにも執着を見せ、全力で刃をまじえることを楽しんでいただろうに、悠之助にたいしてさえも、今はもうまるで興味を失っていた。

 人はよくわからないものにたいして、恐怖を感じるというけれど、まちがいなく今の敵の親玉はなにをかんがえているのかもわからない、なぞの存在だった。
 そのせいで、原始的な恐怖は加速する。

「『悠之助っ!!』」
 と、そこにあらわれるのが、相田あいださん演じる主人公だ。
 とたんに、客席の重苦しい空気がゆるんだ。

 そこにひっそりとたたずむ敵の親玉と、そしてその足もとで血を流して転がっている悠之助を見て、瞬時になにがあったのかを理解したのだろう。
 主人公は激昂して、相手に斬りかかっていく。

「『……遅かったな、残念ながらコイツは死んじまったみたいだぜ?』」
「『貴様ぁっ!!』」
 けれど主人公は、動揺が剣筋にもあらわれていたせいで、相手からは軽くあしらわれ、その場から去ることをゆるしてしまう。

 ここでいったん舞台袖にはける雪之丞さんだけど、けっしてゆっくりとは休めなかった。
 だって、このあとは舞台のクライマックスとなる悠之助が息を引き取るシーンからの主人公の慟哭を経て、すぐにまた最終決戦となるから。

 僕とのこんなにもハイカロリーな殺陣をした直後だというのに、涼しい顔をしてまた主人公の前に立ちふさがらなきゃいけないなんて。
 いったい、どんな体力オバケなんだよ!?

 やっぱり雪之丞さんには、敵わないなぁ、なんて心の底から思う。
 本当に今回の現場で知り合えたことが、僕にとってはいちばんの収穫に思えるくらい、それくらいの意識の改革だとか衝撃をあたえてくれたんだ。

「『おいっ、悠之助!しっかりしろ!!』」
 そんなことを思う最中にも、芝居は先へ進んでいく。
 相田さんの悲痛な声に、客席からは、早くもすすり泣きが聞こえはじめていた。

 また、このときのBGMが、泣かせにかかってくるんだよなぁ。
 メインテーマを横笛のもの悲しい音色で、ゆったりとアレンジされたそれは、確実に客席の涙腺を直撃していた。
 それをベストなタイミングでかけてくる音響さんは、たしかにいい仕事をしていた。

「『ダメ、だっ…た……くやし……ぃっ!オレ、あいつに、かなわ…なかっ……!!』」
 途切れ途切れになりながらも、必死につむいだその声もか細くふるえて、くちびるからは声にならない空気ばかりがもれていく。

「『悠之助えぇぇぇ!!!』」
 そして、悠之助の瞳からは光が失われ、その頬をひとすじの涙がこぼれた。
 相田さんの全身から悲しみが、周囲の空気すらもふるえさせるいきおいで吹きあがる。
 もうそのころには客席は、号泣だった。

 そのたしかな手ごたえを感じ、心のなかでガッツポーズを取りながらも、僕は別のツラさと戦っていた。
 なにしろ斬られて死んだ悠之助として、くたりと全身から力が抜けたからだは、もはや人ではなくならなくてはいけないわけだ。

 でも直前まで、あれほどのはげしい殺陣をしたばかりだからこそ、ここで死体を演じるのは、ひどくキツいものだった。
 だって、本当は息切れだってしそうだし、はげしい運動にからだ中を駆けめぐる血は激しく脈打ち、より多くの酸素を必要としている。

 できることなら深呼吸をくりかえしたいところなのに、胸や腹が上下してしまっては、生きているのが見えてしまうからこそ、そう見せないための努力が要求される。
 それを知らなければ、『斬られたあとに倒れてるだけでいいなんて楽じゃん』と思うだろ?
 本当は、こういう運動直後の死亡シーンこそがいちばんツラいんだ。

 そして、主人公の慟哭の余韻が引いていくのに合わせ、舞台は暗転する。
 これで僕の出番は終了だった。

 よし、やりきったぞ!
 最初に思ったのは、それだった。
 そりゃ矢住くんのファンからどう思われるのかをかんがえたら、少し怖かったのはあったけど、今はすべてを出して演じきったからこそ、スッキリしていた。

 手ごたえは、十分すぎるほどにあった。
 あとは、カーテンコールのときの客席からの反応を待つしかない。
 そう思った僕を待っていたのは、袖に待機するほかの共演者たちの滂沱の涙だった。

「お疲れさま、眞也しんやくん、最高の悠之助だったよ!」
「ありがとう、ございます……!」
 岸本監督からのそのひとことを耳にした瞬間、気がつけば僕の目からも涙があふれていた。
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