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43.モブ役者は弟子のために覚悟を決める
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「っ、おどれぇたな……シンヤ、てめぇどこまで引き出しを持ってやがんでい!?」
「……できることなら、演技に関しては無限に持ちたいと思っています」
あきれたような声を出す雪之丞さんに、ニッと強気な笑みを浮かべてかえす。
もしも今日代役をやるのであれば、矢住くんのマネをしたいと言う僕にたいして、雪之丞さんが舞台の上に出て実際にやってみろと言ってからこれまで、ふたりでやるシーンをいくつか試していた。
その結果が、今のこのセリフだ。
相手の気持ちは、すべてその表情が物語っている。
言葉どおりにおどろいたような、しかし少しあきれもふくんだ感心しきった顔。
たぶん、僕のやった矢住くんの演技の完コピは、バッチリできていたと思う。
なんなら昨晩の公演回の、客席にウケたアドリブの再現さえして見せた。
こと、演技に関してなら僕は、記憶力にはちょっとだけ自信があるからな。
「合格だ!ゲンかつぎってこたぁ、つまりは『今日だけ』の演出ってことなんだろ?」
「はい!なんなら1幕の途中までかもしれないですけれど……」
それこそがこの演出にかけた、僕の願いだった。
さすがは雪之丞さん、僕が言いたいことを口にせずともわかってくれている。
───そう、演技の丸パクりなんてこんなこと、ずっとつづけられるものじゃない。
あくまでも、今回かぎりだからこそ、できるものだ。
それにそんな演技でのアンダーなんて、本来二流どころか三流の役者のやることだ。
ふつうにかんがえたら、いくらマネをしようとしたところで、僕の演技の仕方のままでは、いくら矢住くんとおなじ演技プランでやったところで、まちがいなく浮いてしまって似合わないだろうと思うし。
だけどそこで所作やセリフまわしをはじめとする、矢住くんの演技のなにもかもをマネすれば、その違和感は最小限におさえられるはずだって、そうかんがえたんだ。
つまり僕がやろうとしていることは、ただ演技の丸パクりをするというよりは、『悠之助を演じる矢住くん』を演じることだと言い換えてもいい。
そうは言っても、実際には表情のつけかたひとつとっても、間のとりかたにしても、僕と彼とではなにもかもがちがうから、それを完ぺきに再現するのは簡単なことじゃない。
どうしたってからだに染みついているのは、『僕の悠之助』の演技だ。
それを一度すべて忘れたつもりで、『矢住くんの悠之助』を演じる。
これはやってみると、とんでもなく脳みそに負担がかかることだった。
自分から言い出したこととはいえ、こんなの本来なら、頼まれたってやりたくはない。
勝手にからだが反応しそうになるタイミングをこらえて、他人の動きをトレースするのは、思った以上に疲れる作業だった。
でも、もし矢住くんが今日中に無事にもどってこられたなら、これならどの場面からでもすぐにスイッチングできる。
だからあくまでもこれは、完全に矢住くんの無事を祈るためだけにやる自己満足でしかなくて。
そしてもうひとつは、結局のところ、これも自己満足でしかないのかもしれないけれど、今日来場する矢住くんのファンのためというのもあった。
おそらくは興行的にも、今日の公演の中止はないと踏んでいる。
それこそなんのためのアンダーなんだって話になるし、僕が代役で出て予定どおりの時刻からの開演となるんだろう。
と、そこまでは、この業界ではよくある話で片づけられることだった。
でも、矢住くんのファンはどうなる?
そこに僕は引っかかっていた。
それこそ今日の事故は突発的なできごとであって、事前にお知らせがあったわけじゃない。
見に来てくれるお客さんのなかには、今日しか見られない人や、遠くから来てくれた人、それから必死にスケジュールを調整してこの劇場に足を運んでくれた人だっているはずだ。
それが当日に、突然の降板で代役となることを知ったとしたら……?
そりゃ、ショックを受けるだろ、ふつうなら!
それに加えて、けっしてこの舞台のチケット代だって安くないわけで。
そうかんがえたら、やっぱり僕は自分にできる可能性があるのなら、少しでもその人たちの気持ちに寄り添いたかった。
矢住くんが演じる悠之助を見たいという、その気持ちが少しでも消化できるように、できることならその雰囲気を味わってもらいたくて。
だからやっぱりこれは、完全に僕のエゴからのムチャでしかないんだ。
どれだけ精巧に似せようとしたところで、きっと何度もくりかえしてしまえば、必ずどこかでボロが出てしまうだろうから。
でも一度きりならば、持ちこたえてみせる、そういう心意気はあった。
「で、そんなムチャしようってなぁ、弟子の無事の帰還をギリギリまで信じて待ちたいからっつー、師匠としての愛ゆえってか……ハァ、愛されてやがんなぁ、ひよっ子のクセに」
あたまに手をやった雪之丞さんは、くしゃりと自分の前髪をつかむ。
「僕個人のワガママをとおそうとするんですから、自分でその責任を取ろうとするのは、当然じゃないですかね?」
それにたいして僕は、苦笑を浮かべてこたえる。
「あのな、ふつうはそんなムチャできねぇっての!顔はちげぇのに、なんかもう途中からシンヤがひよっ子本人に見えてくるし……ったく、せっかくの高い演技力と身体能力のムダづかいしやがって!」
「ハハ、ごめんなさい……」
でも、実はいちばんの問題はまだ残っているんだよなぁ。
だって、この舞台の演出を手がけるのは岸本監督で、制作の総指揮はプロデューサーさんがとっているし、なによりスポンサーはテレビ局だ。
そういう関係各位がいる以上、この僕の提案が採用されるかは、彼らの判断をあおいでからになるものだから。
今はまだ、腹案でしかないんだ。
「それにしても、なかなか出てこないですね……」
「あぁ、案外長引いてんなぁ。このままじゃ、返しの稽古時間がどんどんなくなっちまうのによぉ!」
僕のつぶやくような声にも、雪之丞さんが反応をしてくれる。
岸本監督が上の方々との話し合いに入ってから、すでに30分が経過していた。
基本的に困ったときでも『即断即決』が信条の人だけに、こういうことはめずらしい。
それだけ上層部と揉めてるってことなんだろうか?
……でもきっとそれは、あれから矢住くんの事務所からの続報がないからだ。
無事なのかどうかさえわからなくて、僕たちだって不安でたまらない。
けれど今日も舞台の幕をあげるのならば、そろそろ準備が必要な時刻が近づいていた。
その矢先に会議室の扉がひらいて、岸本監督が飛び出してくる。
「遅くなってすまない、なんとか今日の上演許可を取りつけてきたよ!さぁ皆、すぐに準備をして!」
そして僕の前へとやってくると、あらためてあたまを下げた。
「すまない、今日は眞也くんの力を借りたい!矢住くんの代わりに、悠之助を頼む!」
「そのことなんですが、岸本監督……僕からもお願いしたいことがあります!」
そして僕は、必死に自分のかんがえと、やりたいことを説明した。
「───なるほど、君の気持ちはわかったよ。本来ならそんなこと、本番でやるなんてとんでもないことだが……今回ばかりは仕方ない!私もそのゲンかつぎに加担して、いっしょに責任を負おうじゃないか」
「っ、ありがとうございますっ!」
ポンと肩をたたかれる、その手のあたたかさが沁みた。
「その代わりと言ってはなんだけど、もうひとつ頼まれてくれるかい?実は今日、終演後に出演者によるアフタートークショーがあってね。それにも矢住くんの代わりとして出てもらいたいんだが」
「えぇっ!?」
アフタートークショー……たしかにそんなイベントが予定されているのは聞いたような気がするけど、僕には関係のない話だからと詳細は確認していなかったヤツだ。
どうしよう、いきなり言われても、どうしていいかわからない。
「なに、そんなにかまえる必要はないよ。今私に語ってくれたこと、それをまたファンの前でも話してくれればいいだけだ。せっかくそれだけの熱い想いと覚悟をもって挑むんだ、それをまたお客さんたちも聞きたいだろうと思うからね」
そう言った岸本監督は、ほがらかに笑ってくれた。
「わかりました、それならば……」
「頼んだよ、眞也くん!」
そしてあらためて会議室から出てきたプロデューサーの口から、いまだ矢住くんの状態についての続報がなく、今日はひとまず僕が代役で出ることになったということが伝えられた。
こうして休演日の前日、折り返し直前の公演は不穏な空気をまとったままに、幕をあげることになったのだった。
* * *
客電が落ちれば、それまでの客席でのざわめきはとたんにおさまり、静寂が空間を支配しはじめる。
それでいて舞台のうえへとそそがれる視線には、とてつもない熱量の気がうずまいていた。
物語のはじまりを告げる笛の音が闇を切り裂くように鳴り響き、暗転していた舞台にパッとスポットライトがあてられる。
そこには暗転中にスタンバっていた主演の相田さんが、客席に背中を向けて立っていた。
矢住くんという主要どころのキャストが不在のままでも、今日もまた幕のあがった舞台の袖には、悠之助の衣装を身にまとい、メイクとカツラで仕上げた僕も控えている。
手には抜き身の模造刀。
次の笛の音を合図に、アンサンブルのメンバーとともに舞台へと出ていき、オープニングの殺陣を披露する手はずになっていた。
いきなり当日に聞かされた代役だけに、もっと緊張するかと思っていたけれど、ふしぎと気持ちは凪いでいた。
冷静にあたまのなかで、次の場面の手をかんがえながら音楽にあわせて拍をとる。
こんなにも僕が落ちついていられるのは、ひとえにメイクの力によるところも大きかったのかもしれない。
この現場でメイクさんたちのチーフをつとめる人が、手ずから僕の顔をできるだけ矢住くんに寄せてメイクしてくれたんだ。
『大丈夫よ、安心して!理緒たんのお顔をヒロちゃんのお顔に近づけることくらい、私の手にかかれば造作もないことよ!大船に乗ったつもりで、ドーンとまかせてちょうだい!』
そうして、その宣言どおりにできあがったのは、パッと見で兄弟かと思うくらいには雰囲気の似せられた悠之助の姿だった。
僕のことを『理緒たん』と呼ぶその人の名前はユカリさんといって、前にも時代劇の現場でご一緒したことのあるメイクさんだった。
比較的いつでも情熱的な人だけど、今日はいつにも増して気合いが入っているように見えたのは気のせいだろうか?
なんにせよ、そのチーフのユカリさんの神業とも言うべきメイクのおかげで、今の僕は本当に矢住くんの影になれたような気持ちになっていた。
───そして、ときは来た。
合図となる笛の音とともに、舞台の中央まで走り出る。
そのときの速度、足さばきに上体の角度まで、必死に脳裏にある矢住くんの姿に合わせようとする。
油断をすると、ついいつもの手クセで早くなりそうな刀さばきは、矢住くんのそれとまったくおなじ軌道を描くようにと、速度もふくめて必死に調整した。
若干客席からのザワつく気配を感じるけれど、もはや確認する余裕はなかった。
そしてライティングが切り替わり、次の人物へとスポットライトがあてられる。
その隙に、出てきたときとは反対の袖へと走り抜けてはけていけば、ドッと疲れが押し寄せてきた。
この間、時間にすれば、わずか数十秒のことにすぎなかったのに。
でも表情のつけかたからジャンプの高さに至るまで、なにもかもを完ぺきに矢住くんを模したつもりだった。
「よっ、シンヤお疲れ!完ぺきにひよっ子だったぜ!」
「雪之丞さん……ありがとうございます。お客さんに受け入れてもらえるかは、まだこれからですよね?」
「まぁな、じゃ、行ってくるぜぃ!」
パンと軽くハイタッチをしてくれる雪之丞さんと交代し、次の出番に向けて場所を移動するため舞台の裏を走る。
僕にとっての戦いは、今まさにはじまったようなものだった。
「……できることなら、演技に関しては無限に持ちたいと思っています」
あきれたような声を出す雪之丞さんに、ニッと強気な笑みを浮かべてかえす。
もしも今日代役をやるのであれば、矢住くんのマネをしたいと言う僕にたいして、雪之丞さんが舞台の上に出て実際にやってみろと言ってからこれまで、ふたりでやるシーンをいくつか試していた。
その結果が、今のこのセリフだ。
相手の気持ちは、すべてその表情が物語っている。
言葉どおりにおどろいたような、しかし少しあきれもふくんだ感心しきった顔。
たぶん、僕のやった矢住くんの演技の完コピは、バッチリできていたと思う。
なんなら昨晩の公演回の、客席にウケたアドリブの再現さえして見せた。
こと、演技に関してなら僕は、記憶力にはちょっとだけ自信があるからな。
「合格だ!ゲンかつぎってこたぁ、つまりは『今日だけ』の演出ってことなんだろ?」
「はい!なんなら1幕の途中までかもしれないですけれど……」
それこそがこの演出にかけた、僕の願いだった。
さすがは雪之丞さん、僕が言いたいことを口にせずともわかってくれている。
───そう、演技の丸パクりなんてこんなこと、ずっとつづけられるものじゃない。
あくまでも、今回かぎりだからこそ、できるものだ。
それにそんな演技でのアンダーなんて、本来二流どころか三流の役者のやることだ。
ふつうにかんがえたら、いくらマネをしようとしたところで、僕の演技の仕方のままでは、いくら矢住くんとおなじ演技プランでやったところで、まちがいなく浮いてしまって似合わないだろうと思うし。
だけどそこで所作やセリフまわしをはじめとする、矢住くんの演技のなにもかもをマネすれば、その違和感は最小限におさえられるはずだって、そうかんがえたんだ。
つまり僕がやろうとしていることは、ただ演技の丸パクりをするというよりは、『悠之助を演じる矢住くん』を演じることだと言い換えてもいい。
そうは言っても、実際には表情のつけかたひとつとっても、間のとりかたにしても、僕と彼とではなにもかもがちがうから、それを完ぺきに再現するのは簡単なことじゃない。
どうしたってからだに染みついているのは、『僕の悠之助』の演技だ。
それを一度すべて忘れたつもりで、『矢住くんの悠之助』を演じる。
これはやってみると、とんでもなく脳みそに負担がかかることだった。
自分から言い出したこととはいえ、こんなの本来なら、頼まれたってやりたくはない。
勝手にからだが反応しそうになるタイミングをこらえて、他人の動きをトレースするのは、思った以上に疲れる作業だった。
でも、もし矢住くんが今日中に無事にもどってこられたなら、これならどの場面からでもすぐにスイッチングできる。
だからあくまでもこれは、完全に矢住くんの無事を祈るためだけにやる自己満足でしかなくて。
そしてもうひとつは、結局のところ、これも自己満足でしかないのかもしれないけれど、今日来場する矢住くんのファンのためというのもあった。
おそらくは興行的にも、今日の公演の中止はないと踏んでいる。
それこそなんのためのアンダーなんだって話になるし、僕が代役で出て予定どおりの時刻からの開演となるんだろう。
と、そこまでは、この業界ではよくある話で片づけられることだった。
でも、矢住くんのファンはどうなる?
そこに僕は引っかかっていた。
それこそ今日の事故は突発的なできごとであって、事前にお知らせがあったわけじゃない。
見に来てくれるお客さんのなかには、今日しか見られない人や、遠くから来てくれた人、それから必死にスケジュールを調整してこの劇場に足を運んでくれた人だっているはずだ。
それが当日に、突然の降板で代役となることを知ったとしたら……?
そりゃ、ショックを受けるだろ、ふつうなら!
それに加えて、けっしてこの舞台のチケット代だって安くないわけで。
そうかんがえたら、やっぱり僕は自分にできる可能性があるのなら、少しでもその人たちの気持ちに寄り添いたかった。
矢住くんが演じる悠之助を見たいという、その気持ちが少しでも消化できるように、できることならその雰囲気を味わってもらいたくて。
だからやっぱりこれは、完全に僕のエゴからのムチャでしかないんだ。
どれだけ精巧に似せようとしたところで、きっと何度もくりかえしてしまえば、必ずどこかでボロが出てしまうだろうから。
でも一度きりならば、持ちこたえてみせる、そういう心意気はあった。
「で、そんなムチャしようってなぁ、弟子の無事の帰還をギリギリまで信じて待ちたいからっつー、師匠としての愛ゆえってか……ハァ、愛されてやがんなぁ、ひよっ子のクセに」
あたまに手をやった雪之丞さんは、くしゃりと自分の前髪をつかむ。
「僕個人のワガママをとおそうとするんですから、自分でその責任を取ろうとするのは、当然じゃないですかね?」
それにたいして僕は、苦笑を浮かべてこたえる。
「あのな、ふつうはそんなムチャできねぇっての!顔はちげぇのに、なんかもう途中からシンヤがひよっ子本人に見えてくるし……ったく、せっかくの高い演技力と身体能力のムダづかいしやがって!」
「ハハ、ごめんなさい……」
でも、実はいちばんの問題はまだ残っているんだよなぁ。
だって、この舞台の演出を手がけるのは岸本監督で、制作の総指揮はプロデューサーさんがとっているし、なによりスポンサーはテレビ局だ。
そういう関係各位がいる以上、この僕の提案が採用されるかは、彼らの判断をあおいでからになるものだから。
今はまだ、腹案でしかないんだ。
「それにしても、なかなか出てこないですね……」
「あぁ、案外長引いてんなぁ。このままじゃ、返しの稽古時間がどんどんなくなっちまうのによぉ!」
僕のつぶやくような声にも、雪之丞さんが反応をしてくれる。
岸本監督が上の方々との話し合いに入ってから、すでに30分が経過していた。
基本的に困ったときでも『即断即決』が信条の人だけに、こういうことはめずらしい。
それだけ上層部と揉めてるってことなんだろうか?
……でもきっとそれは、あれから矢住くんの事務所からの続報がないからだ。
無事なのかどうかさえわからなくて、僕たちだって不安でたまらない。
けれど今日も舞台の幕をあげるのならば、そろそろ準備が必要な時刻が近づいていた。
その矢先に会議室の扉がひらいて、岸本監督が飛び出してくる。
「遅くなってすまない、なんとか今日の上演許可を取りつけてきたよ!さぁ皆、すぐに準備をして!」
そして僕の前へとやってくると、あらためてあたまを下げた。
「すまない、今日は眞也くんの力を借りたい!矢住くんの代わりに、悠之助を頼む!」
「そのことなんですが、岸本監督……僕からもお願いしたいことがあります!」
そして僕は、必死に自分のかんがえと、やりたいことを説明した。
「───なるほど、君の気持ちはわかったよ。本来ならそんなこと、本番でやるなんてとんでもないことだが……今回ばかりは仕方ない!私もそのゲンかつぎに加担して、いっしょに責任を負おうじゃないか」
「っ、ありがとうございますっ!」
ポンと肩をたたかれる、その手のあたたかさが沁みた。
「その代わりと言ってはなんだけど、もうひとつ頼まれてくれるかい?実は今日、終演後に出演者によるアフタートークショーがあってね。それにも矢住くんの代わりとして出てもらいたいんだが」
「えぇっ!?」
アフタートークショー……たしかにそんなイベントが予定されているのは聞いたような気がするけど、僕には関係のない話だからと詳細は確認していなかったヤツだ。
どうしよう、いきなり言われても、どうしていいかわからない。
「なに、そんなにかまえる必要はないよ。今私に語ってくれたこと、それをまたファンの前でも話してくれればいいだけだ。せっかくそれだけの熱い想いと覚悟をもって挑むんだ、それをまたお客さんたちも聞きたいだろうと思うからね」
そう言った岸本監督は、ほがらかに笑ってくれた。
「わかりました、それならば……」
「頼んだよ、眞也くん!」
そしてあらためて会議室から出てきたプロデューサーの口から、いまだ矢住くんの状態についての続報がなく、今日はひとまず僕が代役で出ることになったということが伝えられた。
こうして休演日の前日、折り返し直前の公演は不穏な空気をまとったままに、幕をあげることになったのだった。
* * *
客電が落ちれば、それまでの客席でのざわめきはとたんにおさまり、静寂が空間を支配しはじめる。
それでいて舞台のうえへとそそがれる視線には、とてつもない熱量の気がうずまいていた。
物語のはじまりを告げる笛の音が闇を切り裂くように鳴り響き、暗転していた舞台にパッとスポットライトがあてられる。
そこには暗転中にスタンバっていた主演の相田さんが、客席に背中を向けて立っていた。
矢住くんという主要どころのキャストが不在のままでも、今日もまた幕のあがった舞台の袖には、悠之助の衣装を身にまとい、メイクとカツラで仕上げた僕も控えている。
手には抜き身の模造刀。
次の笛の音を合図に、アンサンブルのメンバーとともに舞台へと出ていき、オープニングの殺陣を披露する手はずになっていた。
いきなり当日に聞かされた代役だけに、もっと緊張するかと思っていたけれど、ふしぎと気持ちは凪いでいた。
冷静にあたまのなかで、次の場面の手をかんがえながら音楽にあわせて拍をとる。
こんなにも僕が落ちついていられるのは、ひとえにメイクの力によるところも大きかったのかもしれない。
この現場でメイクさんたちのチーフをつとめる人が、手ずから僕の顔をできるだけ矢住くんに寄せてメイクしてくれたんだ。
『大丈夫よ、安心して!理緒たんのお顔をヒロちゃんのお顔に近づけることくらい、私の手にかかれば造作もないことよ!大船に乗ったつもりで、ドーンとまかせてちょうだい!』
そうして、その宣言どおりにできあがったのは、パッと見で兄弟かと思うくらいには雰囲気の似せられた悠之助の姿だった。
僕のことを『理緒たん』と呼ぶその人の名前はユカリさんといって、前にも時代劇の現場でご一緒したことのあるメイクさんだった。
比較的いつでも情熱的な人だけど、今日はいつにも増して気合いが入っているように見えたのは気のせいだろうか?
なんにせよ、そのチーフのユカリさんの神業とも言うべきメイクのおかげで、今の僕は本当に矢住くんの影になれたような気持ちになっていた。
───そして、ときは来た。
合図となる笛の音とともに、舞台の中央まで走り出る。
そのときの速度、足さばきに上体の角度まで、必死に脳裏にある矢住くんの姿に合わせようとする。
油断をすると、ついいつもの手クセで早くなりそうな刀さばきは、矢住くんのそれとまったくおなじ軌道を描くようにと、速度もふくめて必死に調整した。
若干客席からのザワつく気配を感じるけれど、もはや確認する余裕はなかった。
そしてライティングが切り替わり、次の人物へとスポットライトがあてられる。
その隙に、出てきたときとは反対の袖へと走り抜けてはけていけば、ドッと疲れが押し寄せてきた。
この間、時間にすれば、わずか数十秒のことにすぎなかったのに。
でも表情のつけかたからジャンプの高さに至るまで、なにもかもを完ぺきに矢住くんを模したつもりだった。
「よっ、シンヤお疲れ!完ぺきにひよっ子だったぜ!」
「雪之丞さん……ありがとうございます。お客さんに受け入れてもらえるかは、まだこれからですよね?」
「まぁな、じゃ、行ってくるぜぃ!」
パンと軽くハイタッチをしてくれる雪之丞さんと交代し、次の出番に向けて場所を移動するため舞台の裏を走る。
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