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31.モブ役者はイケメン貴公子に流される

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「ほらシンヤ、ゆっくり腰落としてみろ……」
「んっ、ムリ……これ以上は……ぁっ!」
 はぁ、っという荒い息の下に泣きごとを口にすれば、するりと腰に手がまわされる。

「じゃあオレが支えてやっから、もっかいやってみな?」
「わかった、けど……っ!」
 もう一度ゆっくりと腰を落としていけば、やっぱり苦しさにからだはふるえそうになる。

「はじめてだと、キツいか?そりゃこの細腰だもんな、仕方ねぇか」
「やっぱ、ムリですってば……ぁっ!」
 思わずふたたび泣きごとをもらせば、フッと口もとに笑みを浮かべられた。

 それがまた、たったそれだけのことなのに、妙に色っぽい。
 さすがは『大衆演劇界の貴公子プリンス』だ、と言ったらいいんだろうか?
 こういうとき、雪之丞ゆきのじょうさんは僕よりも年上なんだってことを思い知る。

「おうおう、プルプルとふるえちまって、余裕ねぇな!まぁ、そんなウサギみてぇなシンヤもまた、格別にかわいいぜ?」
「だから、どうして……そういうこと、言うんですかっ!」
 目の前にある雪之丞さんの顔をキッとにらみつけたけれど、残念ながらまるで意味はなく、どこ吹く風だった。

「ていうか、そんなに近くからマジマジと見ないでくださいよ!はずかしいじゃないですか!」
「照れんなって!本当に綺麗だぜ、シンヤ……」
 ダメだ、それどころかいっそう甘くささやきかけられる。

「~~~っ!!」
「はーい、雪様、おイタはそこまでですよー!!それ以上はスタッフの精神衛生上、よくありませーん!!」
 思わず赤面しそうになったところで、ストップがかかった。

「ちぇ、なんだよ止めんなよな?せっかくシンヤの初女形おやまの艷姿を、至近距離から味わってたってのによー」
 そんな風に、雪之丞さんが不満を口にする。
 といっても目は笑っていたから、本気の不満ではないんだろうけども。

「なんかもう、そのやりとりだけ聞いてると騎乗……もとい、いろいろと倫理的にアカン感じするんで、これ以上はダメですー!あ、羽月さんも、一度体勢もどしてもらって大丈夫ですよ」
 スタッフさんに声をかけられたとたんに、立ったまま海老反り状態だった上半身をまっすぐにもどして、ホッと息をつく。

「いや、あの体勢はキツかったんで、助かりました」
「いえいえ、でも初心者とは思えないほど、キレイなポーズできてましたよ」
 助け船を出してくれたスタッフさんへとお礼を言えば、代わりのように褒められた。

 ───そう、今僕は後藤さんに連れられて、雪之丞さんの率いる劇団の事務所へと打ち合わせにやってきていた。
 いや、正確に言うならば、やってきていたはずだった、と言うべきだろうか。

 それがどういうことか、到着するなり雪之丞さん以下、劇団員勢ぞろいでに歓迎されたと思ったら、いきなり身ぐるみをはがされ、かつらをかぶせられ、白塗りをされて花魁おいらん姿にさせられているという、この現状。
 どういうことなんだ、おい!?
 思わずそう叫びたくなったとしても、仕方ないだろ。

 しかも雪之丞さん直々に、いきなりの女形としての所作指導がはじまるとか、まったくもってそんな話は聞いてない。
 僕はただ、特別公演と銘打った次の公演に客演することになって、その具体的な打ち合わせをするからと聞かされていただけだ。

 それが気がつけば、そのまま事務所の奥のスタジオまで連れてこられて、見返り美人よろしく冒頭の海老反りポーズの指導をされるに至ったという、とんでも展開が待ち受けていた。
 これが、本当にキツい。

 腹筋だけでなく背筋も必要で、身軽な状態でやったって大変なのに、そこに加えて着物もかつらも重たいときたら、相当キツい以外のなにものでもなかった。
 しかも女性に見えるようにと内股で、なで肩に見せるためにひじを張るわけにもいかなかったから、ふんばりにくいったらない。

 ていうか、なんで事務所内の皆さんそろって、さも当然みたいな顔して、いきなり女形の実践指導入ってるんだよ?!
 なんならこのスタジオ内には、写真撮影のセットが組まれていて、このまま撮影にもすぐ移れそうだった。

 でもちょっと待ってほしい、僕のほうの心の準備は、まったくできてない。
 頼みの綱の後藤さんにしても、僕の代わりに裏方さんたちと打ち合わせをしていて、こちらを止める気配は見えなかった。
 ひょっとしてこれは、後藤さんも了解済みだったりするんだろうか?

 なにより、女形のあのなよやかな姿を再現するのが、こんなにも苦しいなんて聞いてないからな!?
 いつだって雪之丞さんは、涼やかな笑みを浮かべたまま、サラリとやってのけていたっていうのに。

「で、シンヤ、はじめてやってみた太夫はどうよ?」
「もう、見た目以上に着物もかつらも重いし、帯は苦しいし、なによりポーズがキツいです」
 思わず、本音が口をついて出た。

「いやぁ、そう言うわりに結構いい線行ってたと思うぜ?……それにしても似合うだろうとは思ってたけどよ、そこまでの別嬪さんに化けるたぁ、さすがだな!」
「雪之丞さん……褒めるよりも、そろそろちゃんと説明してくださいよ」
 もはやあきらめの境地に達しそうになりながら、あらためて説明を求めてみる。

「うん?シンヤがあんまりにも色っぽく仕上がったからよ、つい劇団員たちにもサービスしてやりてぇって、そういうわけさ」
 うん、清々しいほどに説明になってないし、反省する気もなさそうに見える。

「そもそも男が演じる女形ってなぁ、女じゃねぇからこそ、女に抱く幻想がこれでもかと籠められてるのさ。たとえ中身が太ったオッサンだとしても、ひとたび演じれば、国をふたつに割ってでも手に入れたくなるような、いい女になる」
 と、そこで一旦言葉を区切った。

「つまりな、かわいいシンヤが演じたならば、それこそご新造さんみてぇな瑞々しさが出るって寸法よ。そんな初心な色気を最大限に引き出すにゃあ、オレから積極的に寄っていったほうがいいってことさ」
 実際、まわりからのウケもいいしな……とつづける雪之丞さんに、首をかしげる。

「えーと……?」
 要は女形初心者の僕には、雪之丞さんのような色気を出すのは無理だから、おとなしくリードされてろってことなのかな??
 ……よくわかんないけど。

 でも、まわりからのウケがいいっていうのは、たしかにさっきから雪之丞さんがなにかするごとに、うっとりとしたため息がきこえてきていたし、わからないでもなかった。
 実際に今も、周囲からのそんな視線が集まってきているのを感じるくらいだ。

「ま、オレの言葉を信じろ。今のてめぇは傾国よ。てめぇをめぐって、国ひとつ滅ぶくらいの絶世の美女になってやがる。ほら、その視線ひとつで男どもを手玉に取ってやんな!」
 そう言われたからといって、即できるものじゃないだろ!?

「シンヤならできるだろ、これだって『太夫』という役を演じることなんだからよ」
「なるほど、『太夫』という役を演じる、か……」
 それならば、僕にもできるかもしれない。

「そうそう、いい表情してんじゃねぇか!よっしゃ、オレも着替えてくるから、その間に花邑はなむら兄さん、シンヤに稽古つけてやってくんな!」
「あいよ、任されました」
 そう言い残して、去っていく雪之丞さんに代わって、花邑兄さんと呼ばれた人がそばにやってくる。

「私は、この一座で踊りを教えている花邑と申します」
「あの、あらためましてモリプロ所属の役者をやっています、羽月眞也しんやと申します」
 品のいいオジサマといった、やわらかな物腰の花邑さんに会釈され、あわてて自己紹介をした。

「えぇ、存じておりますよ。私もあの殺陣たて動画は見ましたから。若──じゃなくて座長と対等に渡りあってらして、感心しました」
「ありがとうございます、本職の方々からしたら、まだまだだとは思いますが……」
 社交辞令だとしても、やっぱり殺陣を褒められるのはうれしい。

「いえいえ、とんでもない。最近の若い方にしては、しっかりと基礎を学ばれた動きでしたから。なるほどあれは、うちのごひいきさんも『雪様が気に入るのも無理はない』と思わず納得されただけの仕上がりでした」
 それははじめて聞いたことだったけど、雪之丞さんのところのファンの方々には、どうやら受け入れてもらえているらしい。

「そう言っていただけた分、ご期待に添えるよう、しっかりとがんばりますね」
 さっきから泣きごとばかりだった僕をはげますためなのか、にっこりと柔和な笑みを浮かべたままの花邑さんに、お辞儀で返した。

「さて、まずは女形としての基本の所作をお教えしましょうかね」
「はい、よろしくお願いします!」
 ……なんて、なごやかなムードではじまったお稽古だったけど、やっぱり本職はとんでもなかった。


     * * *


 そして時間にしたらわずか数十分、いつもの豪華絢爛な着物を身につけ、白塗りをして紅を差し、女形の姿となった雪之丞さんがもどってきたころには、慣れない着物とかつらの重さにやられ、僕はすっかり息の切れた状態になっていた。
 うん、想像をはるかに越えて過酷なお仕事だったぞ、女形……。

「おうおう、すっかり息あがってんなぁ、シンヤ!」
 そんな僕の姿を見るなり、うれしそうに雪之丞さんが寄ってくる。
 声も言葉づかいもいつもと同じなのに、化粧をすると、とんでもなく美人になるなぁ……。

 切れ長の目もとに差された紅が、実に色っぽい。
 意志の強そうな瞳がこちらをじっと見つめてくると、わけもなくドキドキしてしまう。
 うわぁ、やっぱり本職はちがうな。

「どうした、そんなに見つめて。オレの艶姿に惚れ直したか?」
「いや、あの、やっぱり本職はレベルがちがうなぁと思って……」
「かわいいこと言ってくれんじゃねぇか、シンヤ。その本職から見て、てめぇも嫉妬するほど麗しいぞ?」

 手を取られ、グッと引き寄せられる。
 てか、顔が近い!
 なんなら今にもキスできそうなくらい、近いですってば!

 ジシャッ
 思わず仰け反ってしまったところで、重厚なシャッター音が響いた。
 しかもそれは、止まることなく何度も連続で切られていく。

「……えっ?」
「シッ、いい具合に海老反りできてんじゃねぇか、そのまま黙って撮られときな」
 こっそりと耳打ちされた直後、カメラマンから視線の指示が飛んだ。

「はーい、それじゃ羽月さんはそのまま視線は床のほうへ流して、雪様は羽月さんのほうを見てー」
 えっ?えっ??
 よくわからないままに、必死にオーダーにこたえていく。

 でも、さっき練習したときよりも、格段に楽だった。
 このフルセットの重たい衣装に慣れてきたのもあるけど、たぶん雪之丞さんが支えてくれてるからだ。
 自分自身の衣装だって重いだろうに、僕まで支えてくれるとか、とんでもないな?!

「つづいて、正面から両手を合わせて、双子のようにー!」
「ほらシンヤ、両手出せよ」
「は、はい!」
 わたわたしながらも、雪之丞さんにリードされ、なんとかついていく。

「いいね、いいね!じゃあ今度は雪様、羽月さんを背後から抱きしめてみようか?」
「あいよっ」
「え?」
 するりと背後にまわった雪之丞さんの腕が着物の合わせ目から、こちらの懐に入ってくる。

 あ、ちょっと待て?!
 なんかナチュラルにまさぐられてるんですけどっ??
 ギョッとしそうになるのをこらえていれば、耳もとでクスッと笑われた。

「ほらシンヤ、もっと切なげな顔してみろって」
「でも……」
「周囲の反応見てみろって、好評だぜ?」
 そう言われて、ようやく周囲を見まわす余裕が生まれる。

「いやー、これぞ美の競演!なんとも眼福ですなぁ」
「うちの雪様の凄絶なまでの美しさに、羽月さんの初々しい可憐さがあいまって……これは眼福ですねぇ」
「まるで、夜露にぬれる百合の花が、濃密に匂い立つかのようですわぁ」

 ……なんて、周囲の劇団員さんたちにも口々に褒められる。
 クソッ、そんなになんて、だまされないからな!?
 ていうか、皆さん表現の幅が広くて、そっちにおどろきだよ!!

「よぉし!ふたりの濃密なショットいただきましたぁ~!!さ、お次はソロショット行くよーっ!」
 元気のいいカメラマンの声が響き、サッと雪之丞さんが離れていく。

 そんなこんなで、打ち合わせに来ただけのはずが、気がつけば公演宣伝ビジュアル用の撮影まで、トントン拍子で進んでいた。
 その後、次のお仕事に向かう時間になるまで、あれこれ注文を受けていろんなポーズを取らされたのは言うまでもなかった。
 まったく、どういうことなんだよ、これ!?
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