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29.イケメンアイドルは、心の強さもイケメンです

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 僕にとっては、ただ一度きりの本番のつもりで臨んだ通し稽古の日から、明けて翌日のこと。
 別のお仕事を終えて、少し遅れてスタジオ入りした僕を待っていたのは、ふくれっ面の矢住やずみくんだった。

「ちょっと、師匠!なにしてくれちゃったんですか、もう!!」
「えっ!?な、なにが??」
 さすがに昨日の今日だから、心当たりはいくつもあった。

 というか、まちがいなく昨日矢住くんがいなかったのをいいことに、ワガママを通して演じさせてもらった僕なりの悠之助のことだよな?
 昨日僕が演じたのは、これまで矢住くんがつくりあげてきた悠之助像とは、まったく異なるアプローチからの解釈をしたものだったから余計だ。

 昨日は周囲の皆も、結構な割合でつられて熱のこもった演技をしていたし、その熱が残ったまま、これまでとはちがう演技をする役者さんたちが出ていてもおかしくはないというか。
 それを見ていなかった矢住くんにとっては、知らないあいだに演出を変えられていたように感じても、おかしくはなかった。

「今朝からは衣装つきの通し稽古だったんですけど、その前にちょっとした演出変更があって……」
「うん」
 あぁ、やっぱり。
 昨日のあれは、やりすぎだったかな……。

月城つきしろさんが……、セクハラ大王になりました!しかも、岸本監督のお墨付きまでもらって!!」
「…………はいっ?」
 どういうことなんですか、それ。

 ふくれっ面のまま抱きつき、グリグリとあたまを押しつけてくる矢住くんは、なんだか子犬とか子猫が全力で甘えてくるみたいでかわいいけれど。
 それをヨシヨシとなでながら、つづきをうながす。

「それがですね……」
 聞いた話を総合すると、どうやら昨日の稽古で触発された雪之丞ゆきのじょうさんが、岸本監督に僕と演じたときみたいに、もっと積極的に執着を見せ、悠之助にからんでいってもいいか聞いたらしい。
 それで監督の許可をもらって、隙を見てはキスだのなんだのをしてきたとかなんとか。

 それだけなら、ただの気まぐれかもしれないって思ったのに、一番変わったのは雪之丞さん自身の演技だった。
 以前とくらべて確実に狂気が増して、ふとした表情ひとつにもそれをにじませるようになったみたいだし、そのせいで対峙する矢住くんは本気で怖かったのだという。

 うーん、それはまちがいなく昨日の僕が披露した、あの演技プランのせいだね……。
 せめて彼には、事前に相談しておくべきだったか。
 とはいえ、矢住くんも周囲に引っぱられて、監督から褒められるくらいの熱演をできたらしいから、まぁいいかな?

「それは、なんていうか災難だったね。雪之丞さん、元からキス魔っぽいところあるし……もし本当にされて嫌だったなら、ちゃんと言うんだよ?」
 僕たち役者はセクハラまがいのことをされても、それが『演技だ』と言われてしまえば、たぶん嫌でもしたがわなくちゃいけない。

 というより、そう思い込んでしまっているところがあるのは、否めないと思う。
 まして、それに乗じて若手にセクハラを堂々と行う大御所俳優とかもいるわけだしな。
 だけど矢住くんは、まだ未成年だし、アイドルだ。

 こんな風にいきなり泣きつきにくるくらい、雪之丞さんからのそれが嫌だと思ったのなら、ちゃんと僕が代わりに文句を言って止めないと。
 そう思って声をかけたつもりだったけど、どうやら彼は僕が思うよりもずっと強いらしい。

「月城さんのおかげで、ボクも引き立つっていうか、ボクのファンの子たちなら、逆によろこびそうな演出になったっていうか。結果的に感じになったから、別に全然いいんですけどねっ!!」
「………えっと、いいんだ?」
 うん、意外と矢住くんって、タフだよね。

「えぇ、そりゃね。アイドルたるもの、ファンの子たちに夢をあたえて、黄色い声をあげさせてナンボですからね!だってこの舞台、ふだんのコンサートとかとくらべたら、チケット代も高いんですよ?なら、その分もあの子たちに、ちゃんと楽しんでもらいたいじゃないですか!」
 フンス、と鼻息も荒くこぶしを振りあげている。

「そっか……」
 相手を楽しませたいという気持ちは、この業界の根底にある気持ちかもしれない。
 未成年だとかは関係なく、そこにいたのはまぎれもなくエンターテイメント業界の『プロ』の顔をした、ひとりの大人だった。

 アイドルはふだんから歌って踊って、投げキスだとかのパフォーマンスで女の子たちからキャーキャー言われているのが仕事の、キラキラした存在だと思い込んでいた。
 けど実際は、そんなキレイなだけの存在じゃなくて当然か……。
 見た目以上に打たれ強いし、したたかで、しなやかだ。

 そういえばこの前、稽古の空き時間でやった矢住くんのところの新曲の振付けも、相当ハードだったもんなぁ。
 あれをファンのためにと笑顔でこなして、本当は苦しくても息切れひとつ見せないんだから、アイドルという人種が弱いわけなかった。

「そんなわけで、ここに来ていきなりの演出変更でしたけど、より良くなるっていうなら、全力で食らいついていくだけです!」
「偉いね、矢住くんは。それはまちがいなく『プロ』の考え方だ」
 フッと口もとをゆるめると、ふたたびそのあたまをなでる。

「やった、師匠に褒められた!」
 うーん、でもこういう言動は、めちゃくちゃかわいいんだよなぁ。
 この『人の懐に自然に入り込む』能力は、本当にまねできないと思う。

「それより師匠が昨日やった演技って、いったいどんなんだったんですか?!今までに『これが今できるベストだ』って思うほどにみんなで苦労してつくり込んできたはずの演出が、いきなりここまで雰囲気が変わったんです。もうボク、そっちのほうが気になっちゃって!!」
 あ、なるほど、それで最初の『なにしてくれちゃった』につながるわけか。

「特に月城さんはこれまでだって、役をしっかり噛み砕いて自分のものにしてたのに、いったいなにしたら、さらに深みが加えられるんですか!?そんな師匠の演技をボクだけ見られないとか、ズルいですー!」
 やっぱり矢住くんは、とことんポジティブだ。

「矢住くんは、強いなぁ……」
 思った以上に、演技を学ぶ気持ちが貪欲だ。
 僕だったら、どうしてちがう演技をいきなりやったんだろうって思ったかもしれないし、自分にはできなかった変化をもたらした相手に嫉妬してしまっていたかもしれないのに。

「そんなの、あたりまえですよ!なんですよ、そのボクが理緒りおさんに敵わないからって凹んでたら、それこそ理緒さんに失礼じゃないですか!!」
「え…………っ?」
 どういうことなんだ、それって。

 まるで降板のことを知っている口ぶりに、心拍数があがっていく。
 たしかに矢住くんは、オーディションもなにもなく、直前にスポンサーがゴリ押してきて決まったキャストではあったけれど、だれを押しのけて悠之助になったか、本人は知らないんだと思っていた。

 だって、監督からは降板を告げられたとき、座長とほんの少しのスタッフしかそのことは知らないって聞かされていたんだぞ?
 そうじゃなきゃ、どうしてこんな風に笑顔で僕のことを、『師匠』なんて呼んで慕ってくれているんだろうか。

 ───いや、メンタル鋼すぎだろ!!
 僕だったらたぶん、そんな相手にアンダーで稽古の面倒を見てもらうとか、申し訳なさすぎて顔を合わせることもできずに、とっくの昔に逃げ出していたと思う。

「そこは私から説明しようか?」
「えぇっ、監督っ?!」
 そこにあらわれたのは、この舞台で総合演出を務める岸本監督だった。
 その後ろには、主演の相田あいださんも控えていた。

「実は矢住くんには、練習はじまってすぐのころに、あの台本を───悠之助役のところに眞也しんやくんの名前が書かれた、最初の台本を見られてしまってね」
 困ったようにまゆを下げ、岸本監督は衝撃の事実を告げてきた。

「そんな……」
 自分だったら、耐えられただろうか?
 そんな事実を知ってしまったとしたら、どういう顔で相手の前に出ていいか、わからなくなってしまいそうだ。

「もちろん、矢住くんからは『どういうことか!?』と問われたさ。私に返す言葉はなかった……だが、そこからが彼のすごいところだったよ」
「『どんな形であれ、だれかから期待されたなら、ボクはそれにこたえるだけです』って、あのときのヒロはすごかったなぁ」
 岸本監督の言葉を補うように、相田さんがあとにつづける。

「ちょっと、それは言わない約束でしょ?!」
「ゴメンね、ヒロ。でもヒロだって、それだけの覚悟を決めて臨んだ役なんだろ?相手にちゃんと認められるようにがんばるって、ものすごい努力してたじゃないか」
 顔を赤くした矢住くんに抗議の声をあげられ、でも相田さんは困ったようにほほえむ。

 僕はちっとも知らなかった……矢住くんのその覚悟のほどを。
 自分のゴリ押しで降板に追い込んでしまった相手だ、嫌われてうらまれていたっておかしくない。
 もちろん僕のほうが芸能人としては、はるかに格下だから、気にも止めないということもあり得るけど。

 でも矢住くんはちがった。
 そんな相手にも、ちゃんと敬意を払ってくれた。
 あたまを下げて演技を教えてもらって、『師匠』と呼ぶなんて、並大抵の胆力じゃできないことだ。

 というよりも、仕事に対するプライドが本当に高くなきゃ、できないことだろ?!
 さっきのセリフが、それを如実に語っている。
 って、それがどれだけむずかしいことか!

 そりゃ矢住くんは大人気のアイドルで、運動神経は抜群だとしても、演技も殺陣たてもまったくの初心者だったんだぞ?
 まして今回、主演は実力派で知られる演技力オバケとも言うべき相田裕基ゆうきさんだし、殺陣は『大衆演劇界の貴公子プリンス』の月城雪之丞さんまでいる。

 当然ながらひとり初心者マークのついた状態で放り込まれて、どうにかできる座組みじゃない。
 感じるプレッシャーも、とんでもなかったんじゃないだろうか?
 それをはねのけて、ここまで来たんだから誇っていい。

「……矢住くんは、見た目もさることながら、本当に中身からしてカッコいいんだね。思わず惚れそうになったよ」
 ただし、東城とうじょうがいなければ、だけど。
 なんて、こっそりと心のなかでつけくわえる。

 もはや感心するしかないというか、とても年下とは思えないプロ意識の高さと、メンタルの強さだ。
 これが現役トップアイドルという地位にのぼりつめた、最強の『華』が持つ力なのか……!

「~~~っ!!つーか、そういうこと素で言えちゃう師匠のほうが、よっぽど素でアイドル顔負けの使じゃないッスか!?」
「───はい?」
 なんだろう、今わけのわからないことを言われたような気がする。

「ふつう、自分を降板させた原因のアイドルなんて、嫌ってもしょうがないですよね?なんなら演技もひどくて、殺陣も基礎すらできてない下手なヤツですよ?いったいどうしたら、そんなにやさしく面倒見ようなんて気になれるんですか?!」
 顔を真っ赤に染めた矢住くんが、かんしゃくを起こしたように問いかけてくる。

「それは……最初は思うところが、ないわけでもなかったけど……でも岸本監督からも頼まれたことだったし、なにより矢住くんが演技も殺陣も、どんどん吸収して上手くなっていく姿を見るのは楽しかったから。それこそ、2年前の東城を見てるみたいで」
 まぁ色々な思惑もあって面倒を見はじめたのに、途中からふつうに楽しくなっていたわけだ。

「あとはね、前に雪之丞さんが言ってくれたことだけど、僕も矢住くんからは学ぶことがいっぱいあったから……」
 我ながら単純というか、つまるところ、演技が好きでたまらない、演技バカなんだよな。

「矢住くんっ!?」
 ドンッという衝撃とともに、気がつけば思いきり抱きつかれていた。
 無言のままにあたまを押しつけられ、ギューギューとしがみついてくるのを好きにさせる。

「………相手が、東城さんじゃなきゃよかったのに……」
 ぼそりとつぶやかれた声は、小さすぎてうまく拾えなかったけれど、その声はかすかにふるえていた。

「とりあえず、落ちつくところに落ちついた感じかな?」
「えぇ、ありがとうございます」
 相田さんに話しかけられ、コクリとうなずきかえす。

「まだですー!」
「え?」
 いまだにしがみついたままの矢住くんが、不満を訴える。

「もう少し師匠摂取しないと、なんか月城さんのせいですり減ったボクの心がもどりません!」
「えぇー?!」
 全力で甘えてくる矢住くんに、思わず苦笑いがもれたのだった。

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