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22.モブ役者の日常が終わりを告げる日
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いったい、なにが起きてるんだろうか?
さっきから己の理解を越えた現象に、思わずあたまを抱えてしまいそうになっている。
いつもなら閑散としている深夜のコンビニ店内にできた行列を前に、僕は言葉をなくしていた。
そしていつもなら夜のシフト終わりに締められて、それ以降の深夜のシフトでは無人のハズのもう1台のレジには店長がいて、ほかのお客さんの対応をしている。
そう、つまりこの行列は、ただ混雑しているというだけではなかった。
「ヤバイ、本当にいるぅ~!」
「あの殺陣すごかったし、マジでカッコよかったです!」
目をキラキラさせて話しかけてくるのは、ふだんならこの時間帯にあまり見かけない若い女の子たちだ。
それがなんらかのお菓子やら飲み物やらを手にして、レジにならんでいる。
つまり、先日のバイトの際に出会った女の子たちみたいな子が、たくさん来店しているということだった。
───このなかの、いったい何割が本当のファンなのかはわからないけれど、なぜだか僕のバイトのシフト情報がネットに流れ、それを目当てにしたお客さんが押し寄せてきたということらしい。
そのひとりひとりに話しかけられ、さっきからひっきりなしに握手を求められたり、サインを求められている。
さすがにサインは仕事中だからと勘弁してもらったけれど、事前に店長へ連絡をして来てもらわなかったら、たぶんいつものお客さんたちを巻き込んでしまうところだった。
今朝からこのことを教えてくれた東城には、本当に感謝しかないな。
それに、こうして深夜にも関わらず、臨時でサポートに入ってくれた店長にも感謝だ。
思った以上に来客が途絶えなくて、いつもならできる品出しとかゴミ箱の袋の掛けかえもできそうになかったから、助かった。
ついでに店長は、店内の交通整理までやってくれたのには、もうあたまが上がらなかった。
最初は物を買うわけでもなくレジに群がってきた子たちを一列にならばせ、あくまでも僕はレジ打ちバイト中だから、買い物をするなら、常識の範囲内で会話や握手くらいならできると誘導までしてくれたんだ。
おかげでサインを断りやすくなったし、写真も勝手に撮られることもなかった。
というか、今日来たお客さんの半分くらいは僕のファンじゃなく、まちがいなく矢住くん狙いの子だと思う。
なかには連絡先を聞き出そうとする子や、逆に自分の連絡先を押しつけてくる子もいて、若干怖かったのは、言うまでもない。
いや、ウワサには聞いてたんだ、アイドルの追っかけの子たちの情報収集能力は、CIA並みだよって。
なぜか伏せてるはずの撮影現場と日時を知っていて、移動する際の新幹線やら飛行機も、おなじ便を取るんだとかなんだとか。
……うん、怖いな。
きっとふだんから矢住くんはこういう子たちを相手にしてるのかと思うと、そりゃあれだけ自信だとか度胸だとかもついて、堂々とした感じにできるはずだよ、なんて納得もしたりした。
バイト終わりの時間が近づいて来たところで、店内にあふれていた女の子たちも徐々に減り、店長の誘導もあって次のシフトの人に無事交代できてホッとしたのは、ここだけの話だ。
店長といっしょにバックヤードにはけたところで、あらためてそっと息をついた。
「ご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ありませんでした!」
「仕方ないよ、むしろ人気が出ることは、君にとってはいいことだろ?」
開口一番にあやまれば、店長は笑ってゆるしてくれる。
「まぁ、君のおかげで今夜の売り上げはすごかったわけだし、私が出た甲斐があったというものだね。ただ……神谷くんのバイトのシフトは今月あと1回残ってたよね?今日の様子を見ると、働くっていうよりも握手会になっちゃってたし、悪いけど……」
店長はバツの悪そうな顔をして、こちらの様子をうかがいながら、言いよどむ。
「はい、一時的なものかもしれないですけど、また次もこうならないとも言い切れない以上、辞めるしかないと思っています。本当にご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ないです!」
だから代わりにハッキリと辞めることを口にすれば、相手がホッと息をつくのが見えた。
「なんだかこちらの都合で追い出すようで、すまないね。次のシフトは私が入るなりなんなりして、きちんと穴埋めするから安心してほしい。うちとしては、本当にこれまでマジメに働いてもらったことに、感謝してるんだよ」
本当に急に深夜の仕事が入ってしまったことに、文句も言わずに理解を示してくれる店長には、感謝しかない。
「こちらこそ、今までどうもありがとうございました」
そんな気持ちを込めて、深々とお辞儀をする。
ひととおりのやりとりをしたところで、ビジネスの時間は終了だった。
「つーかさ、朝、君から連絡もらったときは正直おどろいたよ!シフト情報がネットに流れて、ファンの子たちが押し寄せてくるかもしれないから、サポートに入ってほしいとか言われてさ!」
店長のおどろきは、もっともだと思う。
「それはなにより僕自身がおどろいてます……こんな冴えない万年脇役俳優なんて、だれも知らないと思ってたので……」
「ネットに情報が流出してるって、教えてくれたのは俳優仲間なんだっけ?」
店長に水を向けられ、コクリとうなずいた。
「はい、連絡をくれたのは東城…さんなんですけど、彼にはとても有能なマネージャーさんがいて、そこから伝わったみたいですね」
後藤さんがそれに気づいて、東城を通じて教えてくれたから、こうして店長にもあらかじめヘルプを出せたんだもんなぁ。
後藤さん、どんな情報網持ってるんだろうなぁ……本当にスゴすぎるだろ!
前にテレビ局で颯田川プロデューサーに絡まれた際に、東城とともにあらわれて助けてくれたときも、なんだかすごい情報持ってたしな……。
「えっ?!東城って、あの東城湊斗っ!?すごいスターじゃないか!神谷くん、そんなスゴいスターと知り合いなの?!」
東城の名前を出したとたんに、それまでふつうのテンションだったはずの店長の声が、ワントーン上がった。
すごいな……東城は、あまり芸能人に興味のない店長ですら、こうして興奮するほどのスターなんだ。
スタジオが近いここのコンビニは、比較的業界人のお客さんも来るから、見るだけなら多くの芸能人を見てるんだろうに。
「えぇ、まぁ2年ほど前にドラマで共演してまして、そこからの知り合いです」
「へえぇ、なんか意外だったな!私がそんなスターと知り合いだったら、うれしくなって人に自慢してしまうかもしれないのに!」
だけど店長からの無邪気な発言に、ズキリと胸の辺りが痛んだ。
もしも僕が一般人なら、そうでなくとも東城よりも後輩だったなら、それで良かったのかもしれない。
自分よりもはるかに大きな存在となった東城の名前の力を借りたとしても、問題はなかったんだろう。
でも僕にとっての東城は、所属の事務所はちがうけれど、デビューのときから付きっきりで面倒を見た後輩なんだ。
それに東城のほうも、僕を先輩と慕ってくれた。
そんな相手が売れたからといって、その威を借りるのは、なんかちがうと思う。
我ながら、こじらせたものだとは思う。
妙なところでプライドが高くて、東城と僕の人気のちがいなんて重々承知しているくせに、まだ横に並び立てる俳優になりたいなんて夢を叶えようとあがいている。
「そう、ですね……相手が大スターだからこそ、迷惑をかけたくないっていうのもありますかね。たぶん僕経由で、東城さんに会いたいとか、サインがほしいとか、そうお願いされるのは目に見えてますし」
とはいえ、すなおに心の内をさらすのもどうかと思い、あたりさわりのない理由を述べておいた。
「あ、あぁ、そうだよね……」
店長の声が、ションボリと沈んでいく。
ごめんなさい店長、東城のサイン、そんなに欲しかったのかな?
でも、と、心を鬼にしてつづける。
「あれだけのスターなんですから、仕事だって分刻みのスケジュールでしょうし、ただでさえ寝る間もないほど忙しいのに、それを減らすことになるのもかわいそうだなって」
先輩たちからの、断りにくいお願いだってあるだろうし。
だから店長には悪いけど、そういうコネにはならないって決めてるんだ。
……まぁ、実はその東城本人も、これまでに何度もこのお店に来てるんだけど、それは言わないほうがよさそうだな……。
本当に忙しいはずなのに、なぜだかバイト上がりの僕を迎えに来てたんだもん……。
まさかこんなところに、大人気スターがマネージャーさんもつけずに徒歩で来るとは思われないだろうから、ある意味で安全なのかもしれないけども。
「うぅん、そりゃそうか。まぁ、それはさておき、あらためてこれまでどうもありがとう。これからの俳優としての活躍を応援しているからね」
「はい、ありがとうございます!」
そこでバイト上がりの雑談も、終了だった。
「あ、ちょっと待って!」
「はい、なんでしょう?」
制服代わりのエプロンをはずしたところで、店長に声をかけられる。
「悪いんだけど、神谷くんのサイン、もらえるかな?この店で働いてたんだって、自慢できるように」
「……はい、よろこんで」
エプロンを指しながら頼まれ、近くにあったマジックペンを差し出されれば、思わず苦笑がもれた。
「いやー、ありがとうね!それより、帰りも十分気をつけるんだよ?たぶん店内にいた女の子たち、店の外でも待ってそうな感じがするし……」
「はい、気をつけます」
そうこたえたものの、その心配をすっかり忘れていた。
店長が言ってくれたのは、いわゆる『出待ち』と呼ばれる、俳優たちを楽屋の出口とかで待っていて、話しかけたりするあれだ。
これまで東城にされたことはあっても、ここで働いているあいだに、だれかに出待ちをされたことはおろか、俳優だと気づかれたことさえほとんどなかったから、油断していたのかもしれない。
うーん、今までの現場でそんな経験なんてほとんどないし、どう対処したらいいんだろうか。
アイドル売りをしているタイプのタレントがいないうちの事務所じゃ、そういうことは教えてくれなかったし……。
店長に送り出されて、裏口の扉を開けて出たところで、そこにいた多くの人影に気がつく。
うわ、どうしよう!?
バイト後だし、サインとか求められても断りきれないんじゃ……。
「えぇっと、どうもお疲れさまです……?」
「「「キャー、お疲れさまで~す」」」
だけど予想に反して、黄色い声は上がれども、こちらに駆け寄って来るようなことはなかった。
どういうことなんだろうか、これ??
てっきり囲まれるとか、もみくちゃにされる覚悟をしていたってのに……。
とまどいながらもぺこりとあたまを下げれば、とたんにザワめきとともに人垣が割れていく。
「お疲れさまです、羽月さん。お迎えに上がりました」
「えっ……?なんで、ここに……っ?!」
あらわれたのは、今日も微塵も隙がなくスーツを、ビシッと着こなした後藤さんだった。
さっきから己の理解を越えた現象に、思わずあたまを抱えてしまいそうになっている。
いつもなら閑散としている深夜のコンビニ店内にできた行列を前に、僕は言葉をなくしていた。
そしていつもなら夜のシフト終わりに締められて、それ以降の深夜のシフトでは無人のハズのもう1台のレジには店長がいて、ほかのお客さんの対応をしている。
そう、つまりこの行列は、ただ混雑しているというだけではなかった。
「ヤバイ、本当にいるぅ~!」
「あの殺陣すごかったし、マジでカッコよかったです!」
目をキラキラさせて話しかけてくるのは、ふだんならこの時間帯にあまり見かけない若い女の子たちだ。
それがなんらかのお菓子やら飲み物やらを手にして、レジにならんでいる。
つまり、先日のバイトの際に出会った女の子たちみたいな子が、たくさん来店しているということだった。
───このなかの、いったい何割が本当のファンなのかはわからないけれど、なぜだか僕のバイトのシフト情報がネットに流れ、それを目当てにしたお客さんが押し寄せてきたということらしい。
そのひとりひとりに話しかけられ、さっきからひっきりなしに握手を求められたり、サインを求められている。
さすがにサインは仕事中だからと勘弁してもらったけれど、事前に店長へ連絡をして来てもらわなかったら、たぶんいつものお客さんたちを巻き込んでしまうところだった。
今朝からこのことを教えてくれた東城には、本当に感謝しかないな。
それに、こうして深夜にも関わらず、臨時でサポートに入ってくれた店長にも感謝だ。
思った以上に来客が途絶えなくて、いつもならできる品出しとかゴミ箱の袋の掛けかえもできそうになかったから、助かった。
ついでに店長は、店内の交通整理までやってくれたのには、もうあたまが上がらなかった。
最初は物を買うわけでもなくレジに群がってきた子たちを一列にならばせ、あくまでも僕はレジ打ちバイト中だから、買い物をするなら、常識の範囲内で会話や握手くらいならできると誘導までしてくれたんだ。
おかげでサインを断りやすくなったし、写真も勝手に撮られることもなかった。
というか、今日来たお客さんの半分くらいは僕のファンじゃなく、まちがいなく矢住くん狙いの子だと思う。
なかには連絡先を聞き出そうとする子や、逆に自分の連絡先を押しつけてくる子もいて、若干怖かったのは、言うまでもない。
いや、ウワサには聞いてたんだ、アイドルの追っかけの子たちの情報収集能力は、CIA並みだよって。
なぜか伏せてるはずの撮影現場と日時を知っていて、移動する際の新幹線やら飛行機も、おなじ便を取るんだとかなんだとか。
……うん、怖いな。
きっとふだんから矢住くんはこういう子たちを相手にしてるのかと思うと、そりゃあれだけ自信だとか度胸だとかもついて、堂々とした感じにできるはずだよ、なんて納得もしたりした。
バイト終わりの時間が近づいて来たところで、店内にあふれていた女の子たちも徐々に減り、店長の誘導もあって次のシフトの人に無事交代できてホッとしたのは、ここだけの話だ。
店長といっしょにバックヤードにはけたところで、あらためてそっと息をついた。
「ご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ありませんでした!」
「仕方ないよ、むしろ人気が出ることは、君にとってはいいことだろ?」
開口一番にあやまれば、店長は笑ってゆるしてくれる。
「まぁ、君のおかげで今夜の売り上げはすごかったわけだし、私が出た甲斐があったというものだね。ただ……神谷くんのバイトのシフトは今月あと1回残ってたよね?今日の様子を見ると、働くっていうよりも握手会になっちゃってたし、悪いけど……」
店長はバツの悪そうな顔をして、こちらの様子をうかがいながら、言いよどむ。
「はい、一時的なものかもしれないですけど、また次もこうならないとも言い切れない以上、辞めるしかないと思っています。本当にご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ないです!」
だから代わりにハッキリと辞めることを口にすれば、相手がホッと息をつくのが見えた。
「なんだかこちらの都合で追い出すようで、すまないね。次のシフトは私が入るなりなんなりして、きちんと穴埋めするから安心してほしい。うちとしては、本当にこれまでマジメに働いてもらったことに、感謝してるんだよ」
本当に急に深夜の仕事が入ってしまったことに、文句も言わずに理解を示してくれる店長には、感謝しかない。
「こちらこそ、今までどうもありがとうございました」
そんな気持ちを込めて、深々とお辞儀をする。
ひととおりのやりとりをしたところで、ビジネスの時間は終了だった。
「つーかさ、朝、君から連絡もらったときは正直おどろいたよ!シフト情報がネットに流れて、ファンの子たちが押し寄せてくるかもしれないから、サポートに入ってほしいとか言われてさ!」
店長のおどろきは、もっともだと思う。
「それはなにより僕自身がおどろいてます……こんな冴えない万年脇役俳優なんて、だれも知らないと思ってたので……」
「ネットに情報が流出してるって、教えてくれたのは俳優仲間なんだっけ?」
店長に水を向けられ、コクリとうなずいた。
「はい、連絡をくれたのは東城…さんなんですけど、彼にはとても有能なマネージャーさんがいて、そこから伝わったみたいですね」
後藤さんがそれに気づいて、東城を通じて教えてくれたから、こうして店長にもあらかじめヘルプを出せたんだもんなぁ。
後藤さん、どんな情報網持ってるんだろうなぁ……本当にスゴすぎるだろ!
前にテレビ局で颯田川プロデューサーに絡まれた際に、東城とともにあらわれて助けてくれたときも、なんだかすごい情報持ってたしな……。
「えっ?!東城って、あの東城湊斗っ!?すごいスターじゃないか!神谷くん、そんなスゴいスターと知り合いなの?!」
東城の名前を出したとたんに、それまでふつうのテンションだったはずの店長の声が、ワントーン上がった。
すごいな……東城は、あまり芸能人に興味のない店長ですら、こうして興奮するほどのスターなんだ。
スタジオが近いここのコンビニは、比較的業界人のお客さんも来るから、見るだけなら多くの芸能人を見てるんだろうに。
「えぇ、まぁ2年ほど前にドラマで共演してまして、そこからの知り合いです」
「へえぇ、なんか意外だったな!私がそんなスターと知り合いだったら、うれしくなって人に自慢してしまうかもしれないのに!」
だけど店長からの無邪気な発言に、ズキリと胸の辺りが痛んだ。
もしも僕が一般人なら、そうでなくとも東城よりも後輩だったなら、それで良かったのかもしれない。
自分よりもはるかに大きな存在となった東城の名前の力を借りたとしても、問題はなかったんだろう。
でも僕にとっての東城は、所属の事務所はちがうけれど、デビューのときから付きっきりで面倒を見た後輩なんだ。
それに東城のほうも、僕を先輩と慕ってくれた。
そんな相手が売れたからといって、その威を借りるのは、なんかちがうと思う。
我ながら、こじらせたものだとは思う。
妙なところでプライドが高くて、東城と僕の人気のちがいなんて重々承知しているくせに、まだ横に並び立てる俳優になりたいなんて夢を叶えようとあがいている。
「そう、ですね……相手が大スターだからこそ、迷惑をかけたくないっていうのもありますかね。たぶん僕経由で、東城さんに会いたいとか、サインがほしいとか、そうお願いされるのは目に見えてますし」
とはいえ、すなおに心の内をさらすのもどうかと思い、あたりさわりのない理由を述べておいた。
「あ、あぁ、そうだよね……」
店長の声が、ションボリと沈んでいく。
ごめんなさい店長、東城のサイン、そんなに欲しかったのかな?
でも、と、心を鬼にしてつづける。
「あれだけのスターなんですから、仕事だって分刻みのスケジュールでしょうし、ただでさえ寝る間もないほど忙しいのに、それを減らすことになるのもかわいそうだなって」
先輩たちからの、断りにくいお願いだってあるだろうし。
だから店長には悪いけど、そういうコネにはならないって決めてるんだ。
……まぁ、実はその東城本人も、これまでに何度もこのお店に来てるんだけど、それは言わないほうがよさそうだな……。
本当に忙しいはずなのに、なぜだかバイト上がりの僕を迎えに来てたんだもん……。
まさかこんなところに、大人気スターがマネージャーさんもつけずに徒歩で来るとは思われないだろうから、ある意味で安全なのかもしれないけども。
「うぅん、そりゃそうか。まぁ、それはさておき、あらためてこれまでどうもありがとう。これからの俳優としての活躍を応援しているからね」
「はい、ありがとうございます!」
そこでバイト上がりの雑談も、終了だった。
「あ、ちょっと待って!」
「はい、なんでしょう?」
制服代わりのエプロンをはずしたところで、店長に声をかけられる。
「悪いんだけど、神谷くんのサイン、もらえるかな?この店で働いてたんだって、自慢できるように」
「……はい、よろこんで」
エプロンを指しながら頼まれ、近くにあったマジックペンを差し出されれば、思わず苦笑がもれた。
「いやー、ありがとうね!それより、帰りも十分気をつけるんだよ?たぶん店内にいた女の子たち、店の外でも待ってそうな感じがするし……」
「はい、気をつけます」
そうこたえたものの、その心配をすっかり忘れていた。
店長が言ってくれたのは、いわゆる『出待ち』と呼ばれる、俳優たちを楽屋の出口とかで待っていて、話しかけたりするあれだ。
これまで東城にされたことはあっても、ここで働いているあいだに、だれかに出待ちをされたことはおろか、俳優だと気づかれたことさえほとんどなかったから、油断していたのかもしれない。
うーん、今までの現場でそんな経験なんてほとんどないし、どう対処したらいいんだろうか。
アイドル売りをしているタイプのタレントがいないうちの事務所じゃ、そういうことは教えてくれなかったし……。
店長に送り出されて、裏口の扉を開けて出たところで、そこにいた多くの人影に気がつく。
うわ、どうしよう!?
バイト後だし、サインとか求められても断りきれないんじゃ……。
「えぇっと、どうもお疲れさまです……?」
「「「キャー、お疲れさまで~す」」」
だけど予想に反して、黄色い声は上がれども、こちらに駆け寄って来るようなことはなかった。
どういうことなんだろうか、これ??
てっきり囲まれるとか、もみくちゃにされる覚悟をしていたってのに……。
とまどいながらもぺこりとあたまを下げれば、とたんにザワめきとともに人垣が割れていく。
「お疲れさまです、羽月さん。お迎えに上がりました」
「えっ……?なんで、ここに……っ?!」
あらわれたのは、今日も微塵も隙がなくスーツを、ビシッと着こなした後藤さんだった。
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